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序章 魔術師たち2


「仲間を殺されたくなければ、口を開くな!」


 男の荒い息の間から、そんな言葉が一気に出た。大声に思わずびくりと体が震える。殺されたと思ったヘレナだったが、勢いよく突き刺さった剣はヘレナからは離れている。だが、やろうと思えば、すぐにその剣で彼女の首を斬れるのだろう。こちらが魔術を使う暇もないし、ヘレナも同様だ。


 男はジャクソンよりは年上だろうが、さほどは離れてもいないように見える。身につけているのは軍服で、落馬でもしたのか、かなり土に汚れてしまっていた。先ほどの五名より偉そうに見えるのは、立派なマントを纏っているからか。


 彼が握る剣には赤い血が流れている。


 見ると彼の右腕を覆う袖はばっさりと切られていた。さきほど風の民(シルヴェストル)が動いたから、セリーナの魔術が切り裂いたのだろう。腰のあたりもべっとりと血に濡れたようになっており、見ている間にもその染みは広がっている。軽くはない怪我をしているのだろう、とは思うのだが、彼の視線は鋭くセリーナを向いたままだ。


 どうすればいい——と焦る思考だけがぐるぐる回るが、全く解をなさない。


「馬鹿じゃないの」


 そんな中で冷たいセリーナの声が聞こえて、ジャクソンは思わず息を飲む。何を考えているのか、と名前を呼んで制止しようとするが、彼女の言葉は止まらない。


「兵士に捕まったら、目玉を抉られて舌を抜かれて殺されるのよ。どうせ死ぬなら、彼女もここで私に殺された方がいいに決まってる」


 そう言って彼女は腕を男に向ける。そして彼女が大きな風の民(シルヴェストル)を構えているのが見えて、ジャクソンはやはり息をのんだ。


 たしかにここで捕まって拷問されるくらいなら、殺されたほうがマシだ。そしてここで三人とも捕まって殺されるくらいなら、ヘレナを犠牲にしてでも二人で助かる方が意味がある。——そうは理性で分かっていても、それでもヘレナを犠牲にする選択など、いまのジャクソンにはできない。セリーナがどこまで本気なのかも分からない。


 ジャクソンは何を言うこともできず、ただ対峙する二人を見つめる。


 やがて、なぜだか男は短く笑った。命のかかった極限の場面に耐えられず、おかしくなったのかとも思ったが、彼は静かに剣を手放してヘレナから離れていく。


「何のつもり?」

「俺はどうせ死ぬなら、一人で死にたいな。こんなところで子供を巻き込んで死ぬのは嫌だ」


 男の言葉に、セリーナが奇妙な顔をするのが見える。


 セリーナの魔術をものともせずに単独で突っ込んできた男は、魔術に切り裂かれながらもヘレナを人質に取ったのだ。人質が人質としての機能を果たしていないと考えたのかもしれないが、命乞いをするようなタイプには見えないし、実際、彼は自身の命乞いをしているわけではない。


 ヘレナに剣を向けておきながら、子供を巻き込んで死ぬのは嫌だなどと言う男の言動が理解できなかったのだが、それでもこの状況がチャンスには変わりはない。


「ヘレナ、動けるか」


 ジャクソンの近くに呼び寄せると、彼女は起き上がって駆けてきた。その動きに不自然なところはなく、見た目にも傷はない。大きな怪我はしていないのだろうと安堵する。


「殺す?」


 そんなことをセリーナに問われてどきりとする。


 彼女のその言葉は男に対する脅しなのか、本当にそう考えているのかわからない。本気なのだとしたら、それは彼女とジャクソンの覚悟の差なのだろう。いまの魔術師たちの置かれた状況は、綺麗事など何ら意味がない。殺すか殺されるかの事態なのだ——ということはジャクソンにも十分に分かっているのだが、自身は今のところ人を殺したいとは思っていないし、彼女の手を汚させるのも嫌だ。


「いや。ろくに動けないだろうし、馬もない。騒ぎが大きくなる前に逃げよう」


 そう言ってセリーナを促したのだが、彼女は納得していないようだった。だが、それを見たヘレナが口を開く。


「大丈夫」


 何が大丈夫なのかは分からなかったが、ヘレナの瞳はあくまで真剣だった。それを見て、ヘレナがそう言うのならば大丈夫なのだろうと言う気がしたし、セリーナもそう思ったのだろう。セリーナは短く息を吐き、腕を下ろした。


 予言というわけでもないのだろうが、精霊たちのすぐ近くにいるヘレナの言葉は不思議とあたる。これまでに何度も救われてきたのだ。


「さっさと行こう」


 セリーナは先頭を進むように森へと入っていく。


 馬は全て逃げてしまったが、今のヘレナは一応、歩けてはいる。大規模な森狩りなどをやられると困るが、その前に森の奥に逃げ込めば、何とかなるはずだ。ヘレナが回復して魔術が使えるようになれば、周囲の人の様子が見渡せる。兵に会わずに逃げ切ることも難しくはないし、ヘレナが動けなくとも濃霧で追手の視界を奪うことくらいなら、ジャクソンの魔術でもやれる。それでも逃げきれない場合は、最悪、森に火を放って風を操れば良いのだ。


 静かな森の中を、ヘレナに合わせて遅すぎるほどの歩みで進んでいく。


 だが、今のところ森に追手は放されていないのか、人の動くような気配はなかった。音も自分たちの足音と息遣いしか聞こえない。周囲を注意深くみまわしてから、ジャクソンは口を開く。


「ヘレナ、平気か? 怪我はしていないか」


 逃げることに精一杯だったが、ヘレナはだいぶ乱暴に倒されているように見えた。動けないほどの怪我はないにせよ、痛むところくらいはあるだろうとようやく思い至る。


「大丈夫」


 そう言ったヘレナだが、息が上がっているようには見える。怪我がどうというよりは、魔術を使った疲労の方が酷いのかもしれない。本当なら背負って歩ければ良かったのだが、と考えていると、ヘレナは意外な言葉を足した。


「彼は悪い人じゃないと思う」


 彼というのは先ほどの馬に乗った兵士だろうか。仲間は無事だと彼女はわざわざ彼に伝えていたようだから、やはり五人の仲間だったのだろう。彼は仲間を助けようとして、危険も顧みず飛び込んできたのだろうか。


「なんでそう思う」

「なんとなく」

「小さな女の子を容赦なく押し倒す大男が、いい人のわけないわ」


 セリーナがそうばっさりと切り捨てて、ジャクソンは苦笑する。


 相手からすると容赦なく魔術をぶっ放してきて、人質もろとも相手を殺そうとしたセリーナこそ悪人に見えているのではないだろうか。ついついそんなことを考えてしまったが、何も言わないでおく。


 そしてヘレナの言葉にも、特に返答しようとは思わなかった。彼女の『なんとなく』は精霊とも繋がっているから、実際には全く意味がないわけではない。が、これ以上、二度と会わない男のことを考えることに全く意味はないだろう。


「人の心配より」


 振り返ったセリーナの鋭い視線がジャクソンに刺さる。


「ジャクソンこそ平気じゃなさそうだけど」

「うん?」


 そんなことを言われて、ジャクソンはわざとらしく首を傾げてみせる。


 実のところ馬に蹴られた脇腹の痛みは全く良くなっていなかった。内臓は大丈夫そうだが、骨にヒビでも入っているような気がする。歩くことも辛いのだが、ヘレナのゆっくりとした歩みに合わせることでだいぶ助かっているのだ。


 どちらにせよ多少痛んだところでこんなところで休むわけにはいかないし、余計な心配をかけてヘレナに水の民(ウンディーネ)を呼ばれても困る。魔術を使うのは消耗するのだ。歩くので必死に見える彼女に、そんな選択をさせたくはない。


 そう思っていると、精霊の名が呼ばれる。


水の民(ウンディーネ)


 だがその声はヘレナではなく、セリーナのものだ。


「私じゃ気に入らないと思うけど、気休め程度でいいから馬に蹴られた間抜けの治療をお願い」


 そんな言葉をそのまま魔術の詠唱にして、セリーナは宙にいる水の民(ウンディーネ)を睨むように見つめた。それはヘレナの周りをとりまいている水の民(ウンディーネ)の中の一つだ。ジャクソンから見ると青い鳥に見えるその精霊は、きらりと光って小さくなって消えた。


 自分で自分に使った時にもいつも思うのだが、治療を行うための魔術は、だからなんだ、というほどに手応えがない。今も痛んでいた脇腹を抑えてみたが、さほど変わった気もしないのだ。


「……くそ長い詠唱だな」

「ごめんなさい」


 そんなふうにヘレナが謝ったのは、本来ならそれはヘレナの仕事だと思ったのか、それとも怪我をしたのがヘレナを庇った時だったからか。


「ヘレナには村に戻って元気になったら頼むよ」


 ぽんと彼女の頭に手を乗せる。


 半ば本気の言葉だった。セリーナやジャクソンのような普通の魔術師が水の民(ウンディーネ)を使ったところで、みるみる怪我が治るわけでも痛みが取れるわけでもない。だが、ヘレナの水の民(ウンディーネ)は明らかに特別なのだ。


 彼女が魔術を使うと、本当に痛みが無くなったり、傷の程度が目に見えて落ち着くことがある。長年病気で臥していた人が、ヘレナが診ることで起き上がれた例もあるほどで、だからこそ彼女は精霊の化身とまで呼ばれているのだ。


 実際、もしもヘレナが疲弊していなければ今も彼女に治療を頼んでいたかもしれないが、それをやらせたくないというのはセリーナも同じ気持ちだったのだろう。代わりに精霊を使ってみせてくれた彼女に、ジャクソンは改めて礼を言う。


「セリーナ、ありがとう。少し楽になった」

「それなら良かったわ」


 楽になった、というジャクソンの言葉を信じていないのか、彼女はほぼ表情も変えずに言った。


 魔術師と精霊には相性があり、セリーナはどちらかと言えば水の民(ウンディーネ)を苦手にしている。気休め程度にと言ったのは本心なのだろうが、それでもジャクソンの体が先ほどより楽になったのは確かだった。


 少なくともヘレナに余計な心配をかけまいと、怪我などしていないフリをして歩く必要がなくなったのは大きい。セリーナはそこまで考えて、怪我について口にしてくれたのだろうか。


 先ほどはヘレナの身を危険に晒すようなことを言っていたし、たいてい口も悪いのだが、彼女は常に仲間の身を案じてくれている。今回もヘレナが行方不明だと言った時には迷わず飛び出してきてくれたのだし、今も歩みの遅いヘレナとジャクソンを気に掛けながら、先頭を進んで敵を警戒してくれているのだ。


 先ほどもセリーナがいなければ、ジャクソンとヘレナ二人で男に捕まっていたかもしれない。


 そういえば、ジャクソンは村を出てからここまで一度の魔術も使っていない——なんてことに気づいてしまい、なんとも絶望的な気分になった。セリーナはもとより、ヘレナも魔術を使って兵士たちを一瞬で黙らせたのに。


 前を進む、自分より遥かに頼り甲斐のある二つの小さな背中を見ながら、自分は何のためにここにいるのだったか、とジャクソンは真剣に首を捻った。


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