三章 精霊たちの聖地9
「どの方角を探ればいい?」
馬を走らせながらジャクソンが聞くと、リンジーとオーウェンが馬で横に並んだ。
「方角はぱっと出ないが、方向ならあっちだ」
リンジーが指を刺した方向に、ヘレナが顔を向ける。
「あちらには森と川と小さな町がある」
「普通に逃げるなら森の中だろうな。身を隠すにもいいし、兵士たちにも追われづらい」
「町は軍が駐屯してたっていうカルサか?」
「ヘレナがどこを見てるかは分からないが、カルサは小さな町って感じじゃないな。たぶんカルサはもっと先だ」
「キャシー達ももっと先か?」
「いや、カルサの近くで軍とやり合った時には、キャシー達はいたと思う。相手は一中隊だったから、俺たちで相手をしてる間に他の仲間は進んでもらってた。だが、その先でまた別の部隊に遭遇したらしいな。そこで逃げる時に隊が割れたようだ」
オーウェンの質問にリンジーが答える。馬蹄が響く中でかなり聞き取りづらくはあるが、なんとかジャクソンは彼らの会話に耳を傾けながら馬を走らせた。カーティスがどこかで倒れていたり、兵士たちに捕まってしまったのではないか——なんて不吉なことを考えてしまうと、手綱を持つ指が強張る。
「相手は二中隊……五、六十人といったところか? 軍が駐屯してた理由は分かるか」
「俺たちが狙いじゃなかったのは確かだな。それにしては少なすぎるし、相手の方も俺たちに驚いてた」
「相手が中隊くらいならキャシー達でもなんとか撃退しそうな気はするが、そもそも複数の隊がいたなら、ほかに増援を呼ばれてる可能性はあるな」
「といっても、キャシーの下にいたのは割と動けなさそうな仲間が多いだろ。遅れるとしたら、もともと彼女のところだ」
「それを言われると辛いが」
オーウェンはそう言って、長く息を吐くような間を開けた。
アルブに残っていた人々や、周辺の町で潜んでいた魔術師たちは、まとめて大きな船で移動することになっていた。百人以上が乗れるような船など、一体どこから調達するのかジャクソンには想像もつかなかったが、何にせよ港に船がついたら、そこに乗り込めばいい。海上に出さえすれば風と水を操って全速力で南に降れるから、もしも軍船に見つかっても追い付かれることはないだろう。
そのため、彼らにとっての難所は、船に乗るところまでの移動と、船を降りてからアルビオンまでの徒歩の旅程だった。いくつかの隊に分かれて動くことになっていたはずだが、魔術師とはいえもちろん元気に戦える仲間だけではなく、老人や子供や病人や怪我人はいるだろう。彼らを完全に庇いながら動くのは大変なはずだ。
「別に囮にしたり、置いてくことを想定した配置じゃないしな」
「そりゃそうだろうな」
リンジーはそう言って肩をすくめるような仕草をしたが、すぐに真剣な顔をした。
「そこにオーウェンの子供もいたんだろ。我々の想定の甘さがあったのと、配慮が足りなかったということだ。すまないな」
「ウォルターのことは気にしなくていい。子供だが別に戦力外と思ってたわけでもない。もう一人の子供——カーティスも、見た目によらずかなり有能な魔術師だよ」
「なるほど」
リンジーはそう言って頷いてから、ヘレナを見た。
「近くに兵士たちがいそうかどうかは分かるか?」
「川の近くに」
「川?」
川というのがどこにあるのか、ジャクソンからは見えない。平に開けた大地に見えるのは、左手前方にある森だけで、町のようなものも道のようなものも見えなかった。リンジー達はひとまずは森の方へと向かっているようだから、川はその先にあるのだろうか。
「川で兵士たちが何してる? どの程度の人数だ?」
質問をされたが、なぜかヘレナは全く答えない。黙ってしまったヘレナに首を傾げていると、しばらくして彼女ははっと顔をあげた。
「カーティスを見つけた」
「は?」
ヘレナの言葉に、周囲の人たちの視線が集まる。
「どこにいる?」
「無事か?」
「川辺にいる。近くに兵士たちもいるけど無事」
「捕まってるのか?」
無事、という言葉にほっと胸を撫で下ろしたが、近くに兵士たちがいるというのなら、あまり良い想像はできない。思わず聞いたが、ヘレナはジャクソンの腕の中で小さく首を横に振った。
「対岸で睨み合ってる。水面まで高さがありそうな川だから、兵士たちはすぐには渡れないんだと思う」
「対岸?」
「カーティスなら川を飛んだんじゃない?」
そう言ったのはセリーナで、確かにカーティスなら風の民さえ捕まえれば対岸に飛ぶことくらい朝飯前だろう。だが、そんなことができる魔術師はほんの一握りで、あとの仲間達は、兵士たちが渡れない川を渡ることなど出来ないはずだ。
「カーティス一人か? キャシー達は見えないのか」
「側にウォルターがいる。でも二人しかいないように見える」
「ウォルター?」
オーウェンはそう言って眉を上げる。
カーティスとウォルターだけが仲間達からはぐれて逃げているということだろうか。なんにせよ二人が無事だということに安堵はするが、兵士たちと向き合っているなら差し迫った状況なのかもしれない。
リンジーが口を開く。
「とにかく急ごう。まずは二人だ。ヘレナ、兵士たちは何人だ?」
「二十人はいなさそう」
「中隊にしては中途半端な数だが、まあいい。それくらいなら正面からぶつかれる」
そう言って速度を上げたリンジーに続いて、ジャクソンも馬でついていく。オーウェンが後ろから大声で叫んだ。
「森はなるべく大きく迂回しよう。兵士たちが潜んでる可能性はある」
「慎重だな。ヘレナはどう思う?」
「森は分からないけど、カーティスはまだ大丈夫だと思う。私の精霊に気づいてくれたから、近くにきていることは伝わったはず」
「遠くに逃げたり、無茶な真似はしないってことか」
リンジーはそう言って、少しだけ森から距離を取る。木々が並ぶ暗い森の中には、兵士たちだけでなく、もしかしたらキャシー達が隠れている可能性もあるが、外から見る限りでは人影などは見えなかった。
やがて森の終わりが見えてくると同時に、兵士たちの姿も見えてきた。
こちらから見えるということは、相手からもこちらが見えるということで、猛然と走ってくる騎馬の集団に、兵士たちは慌てた様子で弓を取る。
「風の民、ぶっ飛ばして」
最初に魔術を使ったのはセリーナで、まだかなり距離があるにも関わらず、弓を引いた兵士たちが強風に怯むのが見える。その間にも馬を走らせ、一気に距離を詰める。
「土の民、砂塵だ」
「風の民、ぶつけろ」
オーウェンと仲間達が地面から巻き上げた土砂を、風に乗せて兵士たちにぶつける。
「土の民、馬の動きを止めろ。セリーナ、今のうちに吹っ飛ばせ」
何故か相手の馬の足を止めたリンジーが、ヘレナの強力な風の民を操るセリーナに声をかける。セリーナは十分に距離を詰めたからか、手綱を引きながら魔術を放った。
「風の民、全員蹴散らして」
兵士たちが強風に煽られるようにして、一斉に川へと落ちていく。
ジャクソンはそのまま馬を進めて川を覗くが、土手になんとかつかまった兵士はいるが、すぐに登って反撃してきそうな人間はいない。そもそもこれだけの魔術を見せられれば、相手からすると逃げの一手だろう。危険は去ったと判断して、ジャクソンは対岸にいた少年達に声をかける。
「カーティス、ウォルター、無事か?」
ウォルターは急な魔術の攻勢に目を白黒させているように見えたが、カーティスの方は平然と立っている。そもそも彼らの方まで魔術の影響はあっただろうが、対岸にぶち当たった砂塵や強風なども、カーティスが防いでいたのかもしれない。
「ああ。キャシー達は森だよ」
「森? 身を隠しているのか?」
「そうだと思う。キャシーは怪我をしてる。早く助けに行ってほしい」
カーティスはそう言うとウォルターの肩に、手のひらを乗せた。
「あちらに戻るぞ」
「どうせ飛ぶなら、空を飛ぶみたいにもっと高いところを格好良く飛びたいんだけど」
「放り上げてもいいが、着地は自己責任だ」
子供のようなことを言ったウォルターに、カーティスはにこりともせずに答える。そして、ヘレナの風の民を呼んだ。
ふわりと飛んだカーティスとウォルターは、そのまま川を越えてジャクソン達のいる岸にと着地する。風の勢いをつけてジャンプするのではなく、完全に体を浮かせるように移動するのは本当に難しく、しかもそれを自分だけでなく他人も一緒に飛ぶなんてことは、もしかしたらヘレナにも出来ない真似ではないだろうか。
さらりとそんなことをやってのけるカーティスに、リンジー達はあっけに取られたような顔をしたが、セリーナは馬から飛び降りて抱きついた。
困惑したような顔をするカーティスの体を、ぎゅっと抱きしめながら彼女は息を吐く。
「無事だと思ってたけど本当に無事で良かった」
「ウォルターも大丈夫? 怪我はない?」
ヘレナが馬上からそう声をかけたが、ウォルターが何かを答える前に、オーウェンが厳しい口調で言った。
「なんでお前達だけこんなところにいる?」
「なんでって、あの場に固まってても全員捕まりそうだったから。追ってきた兵士たちを引きつけてきたんだよ」
「囮になったって? お前が?」
「……俺というか、カーティスがだけど。俺はどうせ足手まといの役立たずだよ」
どこか投げやりに言ったウォルターに、オーウェンは顔を顰めるようにしたが、それを見てカーティスが口を開く。
「ウォルターには助けてもらったよ」
それだけを言ったカーティスに対して、オーウェンが口を開く前に、リンジーがオーウェンの肩を叩いた。
「とりあえず二人を連れて森に急ごう。兵士達の増援が来ても困るし、馬もいい感じに手に入った」
「……さすが抜け目がないな」
兵士たちと一緒にいた軍馬は五頭ほどで、リンジーはセリーナが風の魔術を使う前に、土の民を使って馬の動きを止めていた。強風に煽られて川に落ちたり、魔術に驚いて逃げるところを防いでいたのだろう。ジャクソンも人の足を留めることは良くあるが、馬の動きを止めるのは何倍も難しそうな気がする。
「ウォルター」
オーウェンが名前を呼ぶと、少年はびくりと体を震わせる。
「なんだよ」
「お前はこっちに乗れ。カーティスは馬に乗れるか?」
「カーティスは馬に乗ったことなんてないと思うけど」
カーティスを腕の中に抱えたままセリーナが答えると、オーウェンはため息をついた。そして自分が乗っていた馬をウォルターに渡して、彼は兵士たちが残していった馬を受け取る。そちらの馬は魔術の中に置かれてかなり興奮しているから、ウォルターではなく自分がそちらに乗るつもりなのだろう。
「……あれだけ空を飛べれば馬なんかいらないのかもしれないが、馬も剣も練習くらいさせとけよ。甘やかすな」
「うるさいわね、私が乗せてくわよ。あなたはもう少し子供を甘やかしたほうがいいんじゃない。親子の感動の再会を期待してたのに」
セリーナの言葉に、オーウェンは盛大に顔を顰める。
たしかに心配している様子も、無事だと安堵する様子も見せないオーウェンに、ウォルターは途方に暮れたような表情をしているようにも見える。それを見てかどうかは分からないが、カーティスはセリーナの腕の中から抜け出した。
「案内してくれ」
嫌がる馬に難なく跨ったオーウェンはウォルターにそれだけを言うと、すぐに馬首を森の方に向けた。ウォルターは少しだけ固まっていたが、すぐに飛び乗るようにして馬に乗り、オーウェンを先導するように進んでいった。




