三章 精霊たちの聖地5
「わがままを言ってすまないな。ヘレナのところまで案内してもらえるか?」
のんびりとした口調で言われて、ジャクソンはヘレナがいるだろう診療所に案内をする。歩きながら、気になったことを聞いてみた。
「リンジーさんはここに残られるんですね」
サスのナンバー3とか4とかいうのが単純に魔術師としての腕前ではないだろうが、序列というくらいだからそれなりに強さが求められるのではないか、という気はしていた。纏う雰囲気もそれなりのものがあるし、アルビオンの占拠にそのまま参加するのではないかと思ったのだが、さすがにサスから移動してきたばかりでは辛いのだろうか。
「一緒にアルビオンに行きたい気持ちはあるが、アルブの主力が向かうと聞いてるからな。ある程度の連携がいるだろうから、余所者の俺は第二陣の援護だ」
第一陣というのがアルビオンの占拠を行う百名近くの魔術師だとしたら、第二陣は占拠後のアルビオンにアルブから残りの魔術師全員を移動させるというものだ。第一陣は何班かに分かれて夜間に出立し、周囲の目をごまかしてこっそり移動する予定なのだが、第二陣は町を空にして残り百名を移動させるため、気づかれるリスクが高い。
「なんならそっちの方が大変そうですね」
「どうかな、こっちには船があるからな。海にまで出られれば移動は楽だ。なんにせよ俺はぎりぎりまでサスの情報も受けられるように、ここにいた方がいいと思う」
なるほど、とジャクソンは頷いた。ジャクソンが考えるまでもなく、人の配置などは十分に考えられているはずだ。
そのままリンジーを伴って診療所に向かっていると、診療所を目の前にして、リンジーが明らかに雰囲気を変えるのが分かった。
「たしかに尋常じゃないな」
「もう分かります?」
「分かるだろ。圧が半端ない」
ヘレナがいる部屋に入って精霊達の姿を見るまでもなく、水の民や風の民の気配が強いということだろう。彼女の近くはいつも水の気や風の気が強く、澄んだ水辺の空気のような雰囲気がジャクソンには心地良いのだが、圧と言って顔を強張らせるリンジーには心地良さでないものを感じている気がする。
部屋の前まで行ってから、ドアをノックする。
「ヘレナ、入っていいか?」
「ええ。いまは私だけだから」
応答があってから、小さな部屋に入る。
部屋にはベッドと机と椅子しかなく、ヘレナは椅子に座って針仕事をしていた。
もともとアルブは若い人間が中心で、それも二百名ほどしかいないから、診療所に人が来ることはほとんどない。ヘレナは一応ここで待機をしてはいるが、実質はここで繕い物など針仕事をしていることが多いのだ。ヘレナはあまり手先が器用だというわけではないが、それでも一人で黙々とやれる針仕事や編み物は嫌いではないらしい。
リンジーに視線を向けるヘレナに、ジャクソンは彼を紹介する。
「サスから来たリンジーさんだ。リンジーさん、こちらがヘレナ」
「初めまして、ヘレナ。お会いできて光栄だな」
ヘレナが座っているところまで進んで、恭しく手を出したリンジーに、ヘレナは立ち上がってから薄く手をとった。
「はじめまして」
「アルビオンに同行して協力いただけるとのことで感謝します。エヴァンからは是非とも引き入れたいと何度も聞いてましたが、実際に見ると想像よりもはるかにすごいな」
そんなことを言われても、ヘレナは困るだけだろう。実際、表面上は表情を変えなかったものの、ちらりとジャクソンを見たから、ジャクソンは口を開いた。
「今夜、アルブを出てアルビオンに向かうらしい」
「そう」
いずれ出ることは分かっていたからだろうか。ヘレナは特に驚きもせずに静かに頷いた。
「なにか準備があるなら、ここは閉めて部屋に戻ってもいいよ」
「準備は必要ないから大丈夫」
何か不測の事態が起こらない限りは、もうアルブには戻ってこないだろうが、荷物なんか何もないのはジャクソンもヘレナも同じではある。ジャクソンは頷いたが、代わりにリンジーが口を開いた。
「それなら少し早く戻って夜まで休んでいればいいよ。夜間の移動になるし、移動もそれなりに距離があるからね。——もしかしたらヘレナには、そんな心配は無用なのかもしれないけど」
心配しているのか、それとも探っているのか、そんなことを言ったリンジーに、ヘレナは静かに首を横に振る。精霊の化身と言われるヘレナについて、疲れも眠りもしないのではないか、なんて馬鹿げた噂もあるくらいだ。ジャクソンはヘレナを見て言った。
「そうだな、早く休んだ方がいい。俺も準備をしたら夜までのんびりしてるよ」
「分かった」
「ヘレナはなかなか協力してくれないってエヴァンが言ってたけど、今回は特別なのかな」
リンジーがそんなことを言ったが、ヘレナはやはり静かに首を横に振った。それがどういう回答かはジャクソンにもわからないが、答える気のなさそうなヘレナに代わって、ジャクソンが苦笑して見せる。
「別にヘレナが協力しなくても、ここが丸ごとアルビオンに引っ越すのは変わらないんでしょう? サスが軍に対して攻撃をして、魔術師がアルビオンを占拠するのであれば、俺たちに残される道なんてない」
魔術師達がアルビオンに集結するということになれば、逃げたところで身を隠す場所などないのだ。そしてどうせ一緒に移動するのであれば、ヘレナの力を使って少しでも犠牲を減らした方が良いとジャクソンは思っているし、ヘレナも同じだろう。
「まあね。一人で置いて行かれても困るか」
リンジーはそう言って笑うと、近くにいた水の民に対して腕を伸ばすようにした。当然ながら精霊は触れるような存在ではないが、ヘレナの周りにいる強力な精霊たちは、どれも近づくと何かしらの抵抗を感じるような感覚がある。
「ヘレナの精霊はエヴァンでも使えるって言ってたけど、俺でも使える?」
「たぶん無理ですね。長くヘレナの近くにいる俺たちは使えるけど、ヘレナが許可をしてもオーウェンは使えなかったから。線引きはよく分からないけど」
「ふうん。是非ともいつか使ってみたいな。なかなかこんな精霊にはお目にかかれない。精霊の聖地にはいるかもしれないけどね。それはそれで行くのが楽しみだな」
リンジーはそう言ってから、本当に楽しそうに口の端を上げる。この状況で楽しみだなんて言える彼は、やはりそれなりに大物なのだろう。彼は本当に精霊を従えられないか試してでもいるのか、しばらく精霊の方を見つめていたが、やがて諦めたようで手を下ろした。
そしてヘレナに対して改めて頭を下げる。
「お邪魔してすみません。改めまして、今後ともよろしくお願いします。——ジャクソンも。案内ありがとう」
「スミスさんのところは分かります?」
「ああ。そっちは分かる」
彼はそう言ってふらりと部屋を出ていった。
二人きりになった部屋で、ヘレナは椅子に座ったから、ジャクソンも患者用に準備された椅子に腰掛ける。彼女は何も言わずに、リンジーが出ていったドアを見つめていた。
「移動が大変そうだな。夜にアルブを抜け出して、朝方まで歩かなきゃ」
「そうね。なるべく速く歩くようにする」
「たしかにここにいるオーウェン達は足が速そうだな」
ジャクソンはそう言って苦笑した。
カーティスと三人で移動している時は、ヘレナの歩く速さに合わせて歩いていたが、大人数の移動ではヘレナの歩調に合わせてもらうのは難しいかもしれない。
とはいえ、ヘレナもここに来るまでは何日も歩き尽くめだったこともあり、移動には慣れているだろう。明日の朝、馬車を入手すればヘレナを優先的に乗せてもらえることになっているから、半日だけだ。彼女が疲れたらジャクソンが背負って歩けばいい。
「あまり無理はしなくていいよ。移動も、それから町についてからも」
「うん」
素直に頷いたが、そうは言ってもヘレナは出来る限りのことはしようとするだろう。クーロから逃げた時にも、ジャクソンを探しに来てくれた時も、寝込んでしまうまで精霊たちを操っていたのだ。
「私は何が正解かよく分からないけど」
そんなことをヘレナが言ってどきりとした。
彼女とはクーロのことやアルビオンのことを色々と話をしたが、ジャクソン自身の考えをどこまでヘレナに伝えて良いのか、いまだによく分からないでいる。ジャクソンの考えがヘレナに影響を与えてしまうのなら、話さない方が良いのではないかと思う反面、ヘレナが何か決断をしなければならないのなら、ジャクソンも自身の考えを伝えたうえで、一緒に背負うべきなのではないかとも思うのだ。
「この子たちはアルビオンに行くのが楽しみみたい」
「え?」
ヘレナの視線の先には、白や青の精霊がいる。
それは精霊たちの意思ということだろうか。もしくは単にヘレナの近くにいる精霊も、聖地と呼ばれる精霊たちの丘には興味があるのか。精霊たちの生態など何も分かっていないが、彼らにも家や家族や友人があるのだとすれば、それは聖地にあってもおかしくはない。
「それが何かの導きなのか、単にこの子たちの感情なのか、単なる私の願望や妄想なのかは分からないけど」
「別に導きでなくてもいいんじゃないか。ヘレナの精霊たちが楽しみなら、俺は連れてってやりたいな。個人的にはかなり世話になってるから」
「……そうね、私もいつも助けてもらってる」
そう言ってヘレナは精霊に向かって手を伸ばした。
先ほどリンジーがやった時には精霊たちは反応しなかったが、ヘレナの手の動きに合わせて踊るように揺れる。ジャクソンはそれを眺めながら、少し迷ったが口を開いた。
「それに俺の願望でもあるよ。なにが正解かなんて、ヘレナ以上に分かってないと思うけど……それでも魔術師達が声を上げるつもりなら、俺も一緒に戦いたい」
クーロから軍に追われてここまで逃げてきて、アルブでセリーナやオーウェンやエヴァンや町の人と色々な話をして、それでアルビオンに向かうのだと聞いた時、ジャクソン自身はなんとなく納得してしまったのだ。
魔術師たちは、魔術師達を見つけ次第に処刑するなんて酷い法を出した国に対して、五年越しに正式に抗議をするつもりなのだ。戦って玉砕するくらいなら国外に逃げる方が良いと思ってはいるのだが、もしも力を合わせて現状を変えられる可能性があるのなら、それに賭けてみるべきではないか、とも思うようになった。
クーロでは、何の罪もない子供たちが殺されてしまったのだ。いまジャクソン達が動かねば、これからも魔術師達が殺され続ける。ここで何もできなかったら、死んでしまった仲間たち——ジャクソンが見捨てて逃げた仲間たちに対して、顔向けができないような気がする。
だが、そんなジャクソンの考えが、争いたくないと主張する精霊やヘレナの考えと矛盾するのか、それとも妥協出来るものなのか、ジャクソンには分からない。精霊の意思とジャクソンの思いがずれてしまうと、ヘレナは板挟みになってしまうのではないか、という気もして、ジャクソン自身も何をどう伝えれば良いのか分からないのだ。
ヘレナはまじまじとジャクソンの顔を見てから、長いまつ毛を伏せる。
「そうね」
彼女はそれだけを言ってから、机から布をとる。繕いものに戻ったヘレナをしばし見ていたが、彼女はこれ以上の話をするつもりはないようだった。
ジャクソンはヘレナにことわってから、セリーナ達に今夜の出立を伝えるために部屋を後にした。