三章 精霊たちの聖地4
見たことのない人物がオーウェンの近くにいて、ジャクソンはどきりとした。
ひと月近くもアルブにいれば、さすがに住民の顔くらいは覚えられる。オーウェンと同年代に見える男は、アルブの人間ではないだろうし、きらきらと陽を浴びて光る明るい金髪も白い肌も、明らかに魔術師然としている。町の外に魔術師であることを隠して、各地に潜んでいる人間の類ではないだろう。
二人は厳しい顔で話をしていたが、ジャクソンに気づくと会話を止めた。オーウェンがジャクソンを見て呼び寄せるような仕草をしたので、素直に足を進めた。
「今夜出るぞ」
そんな言葉を投げられて、どきりとする。
「彼は?」
「ジャクソンだ。ヘレナの保護者だよ」
保護者なんて言葉にジャクソンはなんとも言えない顔をしたが、男の方は納得したような顔で頷いた。
「リンジーだ。ジャクソン、よろしく」
「ジャクソンです」
にこやかな笑顔で手を出されて、ジャクソンもその手を取った。
今夜出る、と言われたあとに、よろしくなどと言われると身構えてしまうのだが、人あたりが良さそうな雰囲気に少しほっとした。アルブでは軍人のように体を鍛えている魔術師も多いのだが、彼は見た目には全く強そうには見えず、それもジャクソンには好印象だ。
「リンジーはいまサスから着いたばかりだ。サスのナンバー3だったかな」
「今は4だ。3はサマンサだよ」
「どうでもいいよ。相変わらずあっちは序列が面倒だな」
「アルブの方がよほど面倒だよ。誰がリーダーかわからないから、誰と話をつければいいか分からないからな」
「別に誰に話をしてもらってもいい。どうせそっからみんなで集まって決めるんだ」
オーウェンはそう言って軽く肩をすくめる。
たしかにアルブでは毎夕必ず集まって会議をしているし、そこに集まっているメンバーの中で特に序列のようなものを感じたこともない。
ジャクソンからするとオーウェンがリーダーなのだと思っていたが、特にそうした肩書はないらしい。アルブの町長はスミスという男で、町の内政的なところを実施しているし、物資の手配や人の受け入れなど外に向けてはキャシーやデュークが取り仕切っているらしいから、町の外からは誰に話をつけて良いのわからないのかもしれない。
「そちらも相変わらずだな。それで統制が取れるのなら別にうちが口を出すことでもない」
リンジーはそう言って笑ってから、ジャクソンを見る。
「ヘレナにも協力してもらえると聞いたが」
「アルビオンの住人への被害を最小限にするための協力、というのが条件だけど」
ジャクソンは牽制するようにそれを伝えた。
アルビオンの占領をする、という点に関しては、オーウェンにも改めて話を聞いたが、エヴァンも言った通りにすでに魔術師達の間では決定事項らしかった。サスとアルブだけでなく、アルビオンの近くに潜んだ魔術師や、国内外に散っている魔術師達に知らされているとのことで、最終的にはそこに集結したいというのが狙いらしい。
本当にそんなことが可能なのか、とか、アルビオンを占拠したあとに国にどう対応するのか、とか、色々と話は聞いてみたが、占拠後の動きについてはオーウェンも分かっていない部分が多いらしい。
だが、それでも退くという選択肢はない、とオーウェンは言った。
これが魔術師達にとって最初で最後のチャンスなのだ——と彼は言って、サスからの合図がでればアルビオンに向かうつもりだと言った。ここに留まっていてもいずれ軍に狙われる可能性は高いし、どうせ狙われるならアルブよりもアルビオンで迎え撃ちたい、という気持ちがあるらしい。そして仮に失敗して魔術師達が国にいられないことになっても、その時に魔術師達が受け入れてもらえる場所のアテはあるのだと語ったが、それこそジャクソンには信じられない話だ。
そんな場所があるのなら最初からそこに向かえば良いだけで、今そこに行けないのなら、そもそもそんな場所などないのではないかと思っているのだが、オーウェンだけでなくアルブの仲間達の意思は固い。それはサスとの連携をはじめとした魔術師達の連帯感のようなものなのだろう。
アルブが奇襲をかけてアルビオンを占拠すれば、今度は軍隊がそこに押し寄せないように、サスが敢えて地形的に離れた場所で軍に攻撃をしかけるのだと聞いている。それで国や軍の注意がサスに向いている間に、アルビオンに魔術師を集結させるのだ。
サスからリンジーが来たということが、その開始の合図なのだろう。それで今夜にもここを立つということなのだ。
ヘレナも一緒にオーウェンの話を聞いていたが、思ったよりも真剣にそれを聞いているようだった。その上で、アルビオンの占拠に彼女も同行すると言ったので、ジャクソンやセリーナも同行することになっている。何かヘレナが危険を察知していれば反対するだろうと思っていたから、その点では今のところジャクソン達にとってはある程度の安心材料にはなっていた。
「住民の被害が少ないのはこちらとしても望むところだ。作戦はいまオーウェンから聞いたが、十分に実現性はあると思う」
「作戦もジャクソンに入ってもらった。ヘレナが何をどこまでやれるか、俺らには分からないからな」
「そんなことがあるかは分からないが、もし仮にヘレナが協力しないと言ったり、不調だった場合は?」
「偵察ならエヴァンでもいけるそうだ。ヘレナよりはだいぶ力は落ちるらしいが、彼も一応は精霊の目を使えるんだと」
「エヴァンが?」
リンジーが驚いたような顔をしてから、盛大に顔を顰める。
「あいつはそんな大事なことなんで言わないんだよ」
そんなことを言ったから、エヴァンのことを彼も直接知っているのだろう。エヴァン本人は何も言わなかったが、オーウェンに聞くと彼は王子を襲撃して逃亡した直後はサスに滞留していたらしい。
「偵察や間諜なんてくだらない真似で消耗させられたくないからだってよ。そんなところに力を使うくらいなら、デカい魔術をぶっ放したいんだそうだ」
呆れたように言ったオーウェンも、エヴァンがヘレナの代わりをやろうと思えばやれる、と言った時には驚いた顔をしていた。
エヴァンも昔から強力な精霊を従えている時には、精霊に魔術を使わせるだけでなく、精霊自体を動かして視線を飛ばせると言っていた。ヘレナの風の民を使えば、ある程度の距離は移動させられるはずだ。だが、ヘレナが何時間でも精霊と同化出来るのに比べれば、エヴァンはせいぜいその十分の一の時間しかもたないだろう。
「まあ、確かにあいつの火力は貴重だが」
「しかも近くにヘレナがいれば、鬼に金棒状態らしいからな。ヘレナがそばにいれば、エヴァンや他の数名のヘレナの仲間でも彼女の従えている精霊が使えると言っていた。いちいち現地で強力な精霊を探す手間が省けていい」
「だからエヴァンはヘレナを連れて行きたがってたわけか」
「それだけじゃないだろうがな。リンジーもヘレナの連れてる精霊たちを一目見れば分かるよ。あれは尋常じゃない」
オーウェンはそれをどこか恐ろしげに語った。
ジャクソンにとっては子供の頃からヘレナと一緒にいる精霊達の存在は、むしろ自然なものだが、初めて見る魔術師達は一様に驚いた顔をするから、やはり異質なのだろう。
「どこにいる?」
「今から行く気か?」
歩き出そうとしたリンジーにオーウェンが聞くと、彼は首を傾げる。
「近くなら案内してほしいな。下手したら俺は会わないままここで留守番なんだろ」
「それならジャクソンに案内してもらえ。俺は今から準備をしろと仲間に指示して回る必要があるからな」
「了解だ。それでは、また後で。俺はスミスさんにも話があるんだ」
リンジーの言葉に、オーウェンはちらりとだけジャクソンを見て「頼む」と言ってから、足早に去っていった。実際、今夜にでも出るというのなら準備はいくらでもあるはずだ。ジャクソン自身も準備というか、心の準備もまだできていない。