三章 精霊たちの聖地3
「ただいま」
部屋に戻ると、ヘレナとカーティスが二人で黙って座っていて、ジャクソンは首を傾げた。
普段はジャクソンとカーティスが同じ部屋を使っていて、ヘレナはセリーナと隣の部屋だ。ジャクソンやセリーナは勝手にお互いの部屋を行き来しているが、ヘレナやカーティスが自分たちの部屋から出てくることは少ない。しかもジャクソンもいない部屋に、カーティスと話すわけでもなく、二人で静かに座っている姿は違和感しかない。
「ヘレナ、俺に何か用があったか?」
「部屋にエヴァンが来てる」
「は?」
慌てて部屋を出て隣のドアを開けると、そこには確かにエヴァンがいた。
しかも彼はあぐらをかいて床に座り込んでいて、セリーナが近くの椅子に座っている。勢いよくドアを開けたせいか、二人分の視線がジャクソンに刺さった。エヴァンは相変わらず不機嫌そうな顔をして、床からジャクソンを睨み上げる。
「バタバタとうるさいな」
「……こんなところでなにしてる?」
「見て分からないのか」
そんなことを言ったエヴァンは、先日会った時には束ねていた髪を下ろしていた。そしてセリーナの手には鋏が握られていて、床には細い髪が散らばっている。
ぽかんと二人を見ているジャクソンを見て、セリーナは平然と肩をすくめる。
「エヴァンが髪を切ってくれって土下座して頼むから」
「誰がそんなことをしたよ」
そう言ってぐしゃぐしゃと自身の髪をかき回したエヴァンの手を、がしっとセリーナが上から押さえる。
「ちょっと、髪が飛び散るからやめてよね。もうちょっとだからじっとしてて。首から切り落とすわよ」
「相変わらず怖い女だな」
「それなら可愛いヘレナに切ってもらう?」
「あいつに切ってもらう方がよほど怖いが、あいつは俺の顔を見るなり逃げ出したじゃねえか」
「エヴァンが虐めるからでしょ。もう子供じゃないんだから仲良くしてくれる?」
はっ、と鼻で笑うようにしたが、エヴァンは大人しく髪を切ってもらうつもりはあるらしい。土下座は嘘だろうが、彼がわざわざ自分からここにやってきたのは確かなのだろう。頭にやっていた手を下ろしてから、彼はジャクソンを見上げた。
「元気そうだな。こないだ泣きそうな顔してたわりには」
「セリーナに丸坊主にされに来たのか?」
「それはそれで楽で良さそうだな」
「いやよ、そんなの。エヴァンは昔から顔だけは良いのに」
「……この顔が?」
ジャクソンは首を捻って、足元の男を見下ろす。
鼻すじが通っていて、凛々しい眉と強い目元が男らしいといえば男らしいのだが、ジャクソンから見ると目つきが悪く、いつでも挑戦的に睨みつけられているようにしか見えない。
エヴァンはセリーナに顔を褒められたところで嬉しくもないのか、うんざりとした顔で肩をすくめた。
「いつも目の前にいる男の崩れた顔を見すぎて、目と頭が悪くなってるんだろ」
「後ろから首を切られるぞ」
「ま、近くに全く良い男がいないのは確かよね。こんな暴言しか吐かない口でも、一応は取っておこうかと思うもの」
「人の顔で遊ぶな」
唇を指で摘んだセリーナの手を乱暴に払ったエヴァンを見ながら、ふうん、とジャクソンは首を捻る。
別にジャクソン自身はどうでもいいが、エヴァンなどよりはずっとオーウェンなどの方が見目は良い気がするのだが、年齢的に十も上だと対象外なのか、はたまた単に好みの問題か。
そしてエヴァンも別に丸坊主でよければ自分で切るなり人に頼むなりすれば良いものを、わざわざセリーナに頼みに来るのだから、彼は彼でセリーナのことは好きなのだ。もしくはそれを口実にヘレナの顔を見に来たのか——それともオーウェンが言ったように、ジャクソンに話があったのか。
「そろそろ腹は括ったか」
ジャクソンを見上げた男にいきなりそんなことを言われて、ジャクソンはどきりとする。気づかれないように、軽口で返した。
「エヴァンを後ろから蹴り付ける腹なら、いつでも括ってるよ」
「ふざけてるなよ。クーロの次に軍が狙うのは、ここかサスだ。さすがのジャクソンでも、また全員を見捨ててヘレナだけを連れて逃げてやる気はないだろ」
エヴァンの言葉に、顔を顰める。
「それなら、何の腹を括れって?」
「いつまでも軍に大人しくやられてやる必要はないだろ。そろそろこっちから仕掛ける。お前はどうでもいいが、ヘレナを動かせよ」
「こっちというのは誰のことを言ってる? エヴァンが一人でまた特攻するつもりなら、勝手にやってろよ」
「オーウェンからは何も聞いてないのか? あいつは仕事をしねえな」
ちっと舌打ちをしたエヴァンに、ジャクソンはため息をつく。
「……オーウェンからは、もうじきここから移動すると聞いてるよ」
「なにそれ。みんなで引っ越すの?」
「だな。アルビオンを落として占拠したいんだって」
ジャクソンの言葉に、セリーナは目を丸くしたが、エヴァンは楽しげに笑った。
「ちゃんと聞いてるじゃねえか」
「アルビオンって、あれでしょ。精霊たちの聖地。あそこに住んでた魔術師たちはみんな法の制定後に逃げ出したんじゃなかった?」
「近くに散ってる。あそこを取り返せば、戻ってくるだろ」
エヴァンの言葉に、セリーナは首を傾げる。ジャクソンも少しオーウェンに聞いただけで、全てを分かっているわけではない。詳しい話はまた別にすると言われていたが、彼女のために言葉を足す。
「アルビオンに攻撃を仕掛けて住民を追い出して、魔術師だけで暮らすんだそうだ。アルブにいる魔術師たちもそちらに移動させると言っていた」
「大胆なこと考えるわね。アルビオンってクーロよりもクラウィスに近いんじゃない?」
「クーロが狙われたのは中途半端な力しかなかったからだよ。アルブとここの周辺の住民と、アルビオンから逃げた魔術師たちを集結させれば、サスの規模と並ぶ。軍からも容易に手出しはされないよ」
「物資の調達は?」
ジャクソンが聞くと、エヴァンは肩をすくめる。
「小難しいことを俺に聞くな。その辺は誰かが考えてるだろ」
「そこが一番だ。手出しができないとしても、外から物資の流入を止められたら飢えて死ぬしかない。あとは地形と攻められにくさだな。魔術師の力がいくらあったとしても、何十倍の兵士になだれ込まれたらおしまいだ」
「見晴らしはいいから容易に近づかれないし、あそこで精霊に困ることはないぜ。俺もこないだ覗いてみたが、聖地ってのは過言じゃないな。強力な精霊がうようよ湧いてる。使いこなせるヤツの頭数さえ揃えれば、それなりに戦える」
「それでも籠城しての持久戦ならこちらが不利だ。数も物資も相手は無尽蔵だからな」
「その辺は知らん。とった後のことは誰かが考えてるよ。別に俺の思いつきでもなければ、一朝一夕で出た案ってわけでもないらしいからな」
他人事のようにそんなことを言ったエヴァンに、ジャクソンは首を捻る。
「誰かって誰だ? オーウェン達じゃないってことだろ」
オーウェンはさほどエヴァンを知らなさそうだったし、ヘレナとジャクソンを説得するためにわざわざエヴァンがアルブに来たのだと言った。オーウェンの口ぶりではアルブから呼んだわけでもなさそうだから、アルブの外に誰かそれを指揮をする人間がいるということだ。
「あんたはクーロに篭ってて知らないだろうが、意外と魔術師たちは繋がってるよ。そして魔術師達のことを真面目に考えてる。逃げ回ってても意味がないし、そもそも逃げる理由もないってな」
「アルビオンを占拠して、逃げ回らずにそこで堂々と暮らすっていうのが、その誰かの望みか?」
「いや。アルビオンは単なる足がかりだよ。反撃の第一歩だ」
「……狙いはクラウィスだって言いたいのか?」
わざわざ魔術師達を集結させて中央に近づけるのだ。そこを足がかりとするくらいなら、狙いは王や貴族達のいるクラウィスであってもおかしくはない。
「そりゃそうだろ。魔術師を殺すなんて法を撤回させられなければ、いつまでも俺たちが隠れて逃げ回るのは変わらない」
「……そんな馬鹿なことを本気で考えてるのか?」
「そもそも魔術師をみくびって馬鹿な法を出したのはあっちだ。兵士たちに魔術師を処刑させて、自分たちは高みの見物を決め込んでるやつらの足元に火をつけてやるのは、悪くない」
そう言ったエヴァンに、ジャクソンは眉を顰める。その顔を見てか、エヴァンは頭上のセリーナに視線をやる。
「セリーナはどう思う?」
「勝算がありそうには思えないんだけど」
「なるほど。勝算があればのってもいいってことか。ジャクソン達よりは気が合うな」
にやりと笑って言ったエヴァンに、セリーナはため息をつく。
「このまま逃げ続けるよりは性には合ってるけどね。でも、エヴァンと違って後先は考えるわよ」
「なんで俺が後先考えてないと思うんだよ。別に王子を狙ったのもノリってだけじゃない。王子を狙ったおかげで、多少は敵の目も魔術師達の目も覚めただろうし、俺と同じように国に対抗しようって魔術師達とも接触できたからな」
「崇高な志を持つ仲間ができてよかったわね」
「茶化すなよ、真面目な話だ」
エヴァンはそう顔を顰めてから、セリーナを見て、ジャクソンを見た。
「ジャクソンやセリーナが望もうが望むまいが、事態は動いてる。ヘレナが協力しようがしまいが、アルビオンを落とすことは変わらないし、じきにアルブの連中がそこに移ることも決定事項だ。ここにいる限りは、否応なく巻き込まれることになる」
「エヴァンはここに、俺の説得をしに来たと聞いたが」
「それもあるにはあるが、別にあんたの説得だけをわざわざしに来るほど暇じゃない。仮に協力しないと言われたところで、作戦を実行しないことはないからな。ヘレナがいれば、こちらの被害もアルビオンの住民の被害も減らせるってだけだな」
オーウェンも同じことを言っていた。ヘレナの精霊の目を使えば、町の様子や警備の状況を離れた場所から確認できる。町を落として占拠しようとした時に、なるべく双方に被害を出さないようにするには、ヘレナの存在がかなり重要なのだ。
仲間や相手を傷つけたくないのなら、そのためにも偵察に協力してほしい——というのがオーウェンの希望で、エヴァンもそれを考えたからここにいるのだろう。ジャクソンとしても安全な距離が確保できる遠隔から状況を探るくらいなら、ヘレナが嫌だと言わない限りは協力して良いと思っているが、そもそもアルビオンに移動してどうするのか、というところが分かっていないとなんとも判断できない。
「オーウェンとヘレナも入れて詳しい話を聞きたいな。どうせオーウェンには近いうちに話を聞くことになってた」
「別に俺は構わないぜ。むしろみんなで話す方が手っ取り早くていい。オーウェンと二人で話してたら、思わず魔術をぶっ放してやりたくなるしな」
いつも二人でどんな会話をしているのか、そんなことを言ったエヴァンに苦笑してから、セリーナを見る。
「……セリーナは本当にぶっ放したけどな」
「私の魔術なんて、オーウェンやエヴァンからしたら可愛いものでしょ」
悪びれた様子もなくそんなことを言ったセリーナに、エヴァンは楽しそうに声を出して笑った。
「それで許されるのはセリーナだけだよ。俺らがやったら殺し合いになる」