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序章 魔術師たち1



 遠くから悲鳴と歓声が響いており、ジャクソンはやり場のない怒りを近くの木にぶつけた。


 多少は加減したのだが、にぎった拳に尖った木の表皮が刺さって、鋭く痛む。血の滲んだ指を見下ろして舌打ちをしたところを、セリーナに見つかった。彼女はちらりとジャクソンを見ると、冷ややかに言い放つ。


「馬鹿じゃないの」


 うるさい、と言い返しながら、刺さった木の棘を抜く。いつもの癖で思わず青色の鳥を探してしまったが、近くに気配はないし、そもそもこんなところで水の民(ウンディーネ)の魔術を使ってヘレナの邪魔をするわけにはいかない。


 ヘレナはずっと一点を見つめたまま全く動かない。


 いや、その青い瞳からはぽろぽろと絶えず涙が流れ続けているのだが、それを拭うつもりもないようだった。それとも自分が涙していることにも気づいていないのかもしれない。彼女は陶器でできた人形のように、青白い顔でその場に立ち尽くしていた。


「いつまでこんなところにいるつもり?」


 それはセリーナがヘレナに言った言葉だろうが、それが聞こえているのかも怪しい。全く反応がないヘレナに彼女は顔を顰めた。セリーナは改めて周囲を警戒するように見回しながら、ため息をついた。


「……いったい何が楽しくてここにいるのかしら」


 泣いている彼女に対してひどい言葉だが、別にセリーナもヘレナを馬鹿にしているわけではないだろう。強い口調ではあるが、さすがのセリーナもいつもほどの元気はない。


 実をいえばジャクソンもセリーナに全く同感であり、ヘレナが何のためにここにいるのか分かっていない。


 今まさに処刑されているのは、ジャクソンたちのいた村と交流のあった村人達で、ジャクソンたちも子どもの頃から顔見知りだ。彼らはオリファント王が魔術師を処罰する法を発令し、魔術師を匿った人々も同様に魔術師とみなす——などというふざけた法律ができた後も、ひそかに食料や薬品などを融通してくれていた。


 全く罪もない善人である彼らを何とか助けられないか、と魔術師内で話し合ってはいたものの、結局のところ大人たちは静観を決めている。王子が処刑に立ち会う、ということがわざとらしく直前に発表されたからだ。王宮の直接的な狙いは分からなかったが、何にせよ警護は膨らむだろうし、単なる見せしめの処刑ではないのだろう、と考えられる。ジャクソン自身も実のところ彼らの決定には賛同しており、今回は動くべきではない、と考えていた。


 そんな中、ヘレナがひとりで村を抜け出したので、ジャクソンとセリーナは、あわてて彼女を探しに外に出たのだ。そして離れた森で見つけてからは、しぶしぶ彼女に従っている。


 ヘレナはまだ十四で、ほとんど村を出たこともないのだが、それでも単なる子どもの家出ではない。処刑場の場所など知らなくても、どうにかして一人でたどり着いてしまうだろう。魔術師としては超一流——というより、彼女は魔術師の中でも特別なのだ。


 ジャクソンたち魔術師は、風の民(シルヴェストル)水の民(ウンディーネ)土の民(グノーム)火の民(ザラマンデル)と呼ばれる四つの精霊を操ることで、自然界にある様々な力を使うことができる。とはいえ、もちろん万能ではなく、基本はその土地に住む精霊の力を借りるしかない。魔術を使いたい時、使いたい場所に目的の精霊がいなければ手も足も出ないのだ。仮にいたとしても精霊が強すぎては使役できないし、下手をすれば命を落とすこともある。反対にどこにでもいて簡単に使役できるような精霊は、弱すぎてほとんど役に立たない。


 一方でヘレナは、幼い頃から水の民(ウンディーネ)風の民(シルヴェストル)に愛されており、仲間内では精霊の化身とまで呼ばれていた。彼女の周りには絶えず精霊が集まってくるし、集まってきた精霊は非常にヘレナに協力的らしい。ヘレナは常に精霊たちから色々な情報を得ているようなのだ。


 今もヘレナは風の民(シルヴェストル)を飛ばし、その精霊の目を通して世界を見ているはずだ。


 ——そして顔見知りの優しいおじさんたちが、次々と斬首されていくという凄惨な地獄を、涙を流しながら見つめている。


 本当になぜ彼女はこんなところまで来て、人々が人々を殺すこんな残酷な現場を見なければならないのだろう。もしもジャクソンに精霊の目を使うヘレナの力があったとしても、わざわざ処刑される瞬間を見たいとは思えない。さすがの彼女でも、ここから助けられるわけではないのだ。


「ジャクソン」


 短く名前が呼ばれる。それは周囲への警戒を続けていたセリーナの声で、ジャクソンは素早く視線をめぐらせる。


「兵士か」


 木の陰に隠すように、ヘレナの体を引き寄せる。軽い小さな体は全く抵抗なくジャクソンの腕の中に入った。このまま抱えて戻っても気づかないのではないかと思うほどの反応のなさで、本当にそうしようかと一瞬迷う。


「五人か」

「エヴァンがいる」


 森の外を馬で歩く兵士の数を静かに数えたところで、突然ヘレナが声を出した。


「は?」

「エヴァン?」


 思いがけない名前にセリーナが振り返ってきた時、にわかに外が騒がしくなった。どこかで爆発音のようなものも聞こえた気がして、思わず声を上げる。


「何だ」

「エヴァンが魔術を使った」

「どこで?」


 セリーナはそう聞いたが、ヘレナには見えてジャクソンたちには見えていないのだから、場所は当然だが処刑場となっている広場なのだろう。


「あいつの狙いは」

「王子さま」

「は?」


 セリーナの苛立つような声と、ジャクソンの毒づく声が重なる。


「くそ、あいつを忘れてたな」


 ヘレナの行方が知れない、と騒ぎになった時にはまだエヴァンの姿は村にあったから油断していた。が、本来ならこうした際に一番動きを警戒すべき男だったのかもしれない。


 ヘレナとは違う意味で、文句なしに一流の魔術師であるエヴァンは、常々、魔術を使って人々を黙らせるべきだと言っていた。ろくな抵抗をしないから相手がつけあがるのだし、魔術師の中にもピンからキリまでいる。生半可な魔術を見せるから舐められるのだ——というのが彼の主張であり、確かに彼の魔術を見せれば相手を黙らせることはできるかもしれない、とは思う。


 これまで魔術師たちによって支えられてきた人々が、法が変わっただけで手のひらを返したかのように魔術師狩りを行い、処刑台へと叩き込む。力のある彼にとってそれが許せないという気持ちは分かるのだが、大々的に魔術を晒して火力で人々に恐怖を刻んでも、事態が良い方向に進むわけがない。一旦は恐怖で退くかもしれないが、その後は夥しい数の兵士を相手にした全面戦争になるだけだ。


 エヴァンはジャクソンよりも二つ下、セリーナよりも一つ下で十七歳だ。さほど年が変わるわけでもないが、血気盛んな主張をするのは彼がまだ子どもだからだろうとたかを括っていた。ある意味で甘く見ていたのだが、彼の行動力をだいぶ侮っていたらしい。


 しばし黙った後、セリーナがちらりとジャクソンを見る。


「どうする?」

「どうするったって、ここからエヴァンを助けになんか行けるか」

「彼には私の風の民(シルヴェストル)を送った」


 ヘレナの言葉に、ジャクソンは首を捻る。


 使役可能、かつ、強力な精霊を彼のもとに送ったところで、あまりそれで調子に乗って人々を蹴散らしてもらうと困るのだが、そうしたことを言っている場合でもないのだろう。


 エヴァンは暴発の危険がある爆薬みたいな人間だが、魔術師たちにとっては切り札の一つでもある。そして何よりジャクソンたちにとっては、同じ場所で一緒に暮らしている、家族のひとりなのだ。


「あちらはあちらで何とかしてもらおう。それよりこちらも騒ぎが大きくなる前に逃げるぞ」

「——遅い、こちらも気づかれた」


 セリーナの言葉にジャクソンは弾かれたように外を見る。


 外では五人の兵士たちがこちらを見ていた。この状況下で森の中で三人で集まっていれば、それは目立ちもするだろう。しかもジャクソンたちはフードなどで容姿を隠しているのだ。この国では暗い色の髪色の人々が多い中、ジャクソンたちの金髪は非常に目立つ。そして魔術師にはこうした人種が多いのだ。


 彼らはこちらを警戒しているようで、すぐには近づいては来なかった。ヘレナはかなり小柄だから子供にしか見えないと思うのだが、それでも魔術師だと考えれば下手に攻撃してはこないだろう。逃げれば当然追ってくるのだろうが、だからと言って彼らが応援を待っているのだとしたら、ここにこのまま留まるわけにもいかない。


「蹴散らしていい?」

「ちょっと待て」


 精霊たちを物色しだしたセリーナを止めると、今度はヘレナが出ていく。


「私が行く」

「おい」


 フードを目深に被って森の外に出て行くヘレナに、ジャクソンはどきりとはしたが足は動かさなかった。相手は武装した兵士が五人。油断させるなら、どう見ても子どものヘレナの方が適役だし、下手に距離を詰めるよりは少し離れた場所の方が、魔術師としては戦いやすい。


 ジャクソンは近くの風の民(シルヴェストル)に目をつけ、セリーナもすぐそばで土の民(グノーム)を構えている。


 ヘレナは彼らの目の前で足を止める。


「子どもか? こんなところで何をして」

「待て、こいつ目の色が——」


 静かに水の民(ウンディーネ)の名前をヘレナは呼んだが、男たちはそれが魔術だとは気づかないようだった。

 

「ねむれ」


 そんな言葉と共に、五人の男たちがばたばたとその場に崩れていく。


 同じ魔術師であるジャクソンが見ても、いったい何をどうしているのかさっぱり分からなかった。水の民(ウンディーネ)は人との親和性が高いと言われているから、怪我の治療などは出来るとされているのだが、意識を奪うというのはいったいどういう原理なのかよくわからない。


 男たちが倒れた後もヘレナが戻ってこなかったので、ジャクソンは慌てて彼女の元へと向かう。今の魔術も、それからその前までに精霊の目を使っていたのも、かなり力を消耗するはずだ。動けなくなっているかも知れないと思い近づくと、案の定、彼女は真っ青な顔をして立っていた。もともと血管が透けるような白い肌が、病的なまでに白い。


 ジャクソンはかろうじて立っているようなヘレナと、木々の茂る暗い森の中、それから男たちが残した馬を見て、セリーナを見た。


「馬を使うか」

「森の外を? さすがに目立つでしょう」

「いや、これで森を抜けよう。あちらに馬でも駆けれそうな小道があった。ヘレナは俺が乗せていく」


 セリーナはじっと森の中を見てから、一つだけ息をついた。彼女は魔術だけでなく、そもそもの運動神経も良い。乗馬も難なくこなすから多少の悪路くらいならいけるだろう。


 彼女は何も言わずに、主のいなくなった馬を一頭選びとる。そしてジャクソンも馬に手をかけた時に、馬の蹄の音が聞こえた。いつの間に近付いていたのか、はっと顔を上げた時には一人の騎士が弓矢を構えているのが見える。


 猛然と近づいてくる男に、咄嗟にジャクソンは反応できなかった。


 気づけば彼の指から矢が離れ、体中からどっと汗が吹き出す。矢は狙いを外したのか——それとも狙い通りなのか、ジャクソンが選んだ馬の体に刺さっていた。途端、馬は大きく体をくねらせる。


土の民(グノーム)


 それを言ったのはセリーナだ。


 ジャクソンは咄嗟のことに、精霊を捕まえることすらできていない。焦っていると、暴れ回る馬の尻がかなりヘレナの近くにあることに気づく。周囲の馬にも興奮が伝染したのか、大きく体を跳ねさせる。目を丸くして凍りついている彼女を、せめて馬から離そうと突き飛ばすと、代わりに馬の後ろ脚に自身の脇腹を思い切り蹴り上げられた。


 悶絶するような痛みに、身を丸めて地面を転がる。


 一斉に脂汗が出てきて、目の前がちかちかと赤く光る。ごほごほと咳き込むたびに蹴られた脇腹が痛んで涙が滲んだ。早く立ち上がらなければ、と思いながらも、耳がセリーナの声を聞いて体がそれを拒否した。


 相手は一人だった。彼女が二度も魔術を使ったのなら、相手を無力化出来ているだろう——なんて簡単に思っていると、視界の端でヘレナが動いた。


 立っていたはずの彼女が引き倒されるようにして地面に落とされるのが見えて、ジャクソンは思わず顔を上げる。


 そこでは地面に倒されて震えるヘレナと、その小さな体を踏みつけるように立った大男が剣を振り下ろすのが見えて、ジャクソンの思考が凍りついた。


 


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