三章 ウィンストンの目的8
「お約束どおり、協力いただけるのならなんでもお話できますが」
ウィンストンはお茶に口をつけてから、レックスに視線を向けた。
「さきほど勝算はない勝負はしないだろうと仰っていましたが、レックスは我々の目的はなんだと考えています?」
「北軍を取り込むか、もしくは撃破したうえで、ヘンレッティ領地の国からの独立かな」
「ご明察です。ほぼ正解ですが、父にはもう少し欲がある。取り込みたいのは北軍ではなく北方の領地そのものですよ」
北軍を取り込むというのも、クリスからすると結構なことだ。国が保有する軍は東西南北それぞれの方向に展開する四つの軍と、王宮の警護を行う近衛も含む中央軍だ。中央軍が規模としては一番大きいが、それでも北軍を丸ごと取り込むことができれば、国の軍力の一割以上を削ぐことにはなる。
それでそのままカエルム地方の独立を宣言し、領土を防衛するつもりなのだろうと考えていたが、ヘンレッティ公爵はそれだけでなく、領土を広げたいと考えている、ということだ。
「北方の三領地が欲しいの?」
レックスがそう言って首を傾げる。
「意外ですか?」
「うん。国もね、いざとなればカエルムが独立することは許容しそうだけど、他領を削られるとなるとかなり抵抗するんじゃないかな。それに対して、北方の三つの領地は広大ではあるけれど、さほどの旨みがない気はする。山や谷が大半だし、全体的に荒れてる領が多い」
「ある程度は私も同感ですね。どうせ荒地なら、中央が攻めてきたときの緩衝地帯として放っておきたい」
「緩衝地帯を内部で保持しておきたいって意図なのかな?」
「それもあるとは思いますよ。あの地形を使えば、有効な防衛拠点を築ける」
「他の意図は?」
「荒れてるからこそ、でしょうね。水や食料もろくに確保できないし、治安も悪い。あそこはほとんど中央の目が届いていないし、領主たちは中央に入り浸って領地に戻ってきません。逆に、少し手を入れてみたいんじゃないでしょうか」
「手を入れたいというのは、ヘンレッティ公爵が?」
「ええ。父上は物好きですからね。昔からお忍びで各地を飛び回ってます。少し人と金をかければ改善するのに、なんてよくぼやいてますよ」
荒れた土地をあえて自領に取り込んで、再建したいということなのだろうか。確かに元々の土地の特性はあるだろうが、ヘンレッティ家が管轄しているカエルム地方はこれほど豊かなのは、ちゃんと手をかけているからなのだろう。
「たしかに先日は、自分の領地を放棄している領主が多いって憤ってたよね」
「ええ、レックスがなんでも真剣に話を聞いてあげるので、かなり上機嫌に語ってましたね」
「面白い話ばかりだったよ。なんとなく陛下に嫌われるのは分かる気がする」
レックスの言葉に、ウィンストンは笑った。
先日の食事会のことを言っているのだろう。ヘンレッティ公爵はウィンストンとよく似た顔と声で、似たように辛辣な毒を吐いていた。大半が中央に対する不満や領主たちに対する不満で、さすがに本人たちを前には言わないだろうが、きっとウィンストンと同様に冷ややかな視線を向けているのだろう。
「何にせよ多少は手を広げたいのでしょう。国から独立すれば、これまで中央に吸い上げられていたお金が浮く。お金をかければ人は増やせますし、人が増えれば土地は必要だ」
「中央に興味はないの?」
「父に玉座の簒奪を唆しておられます?」
「そういうわけではないけど、国内には荒地もたくさんあるし、食べるものにも困っている人もたくさんいるから。ここヘンレッティ領内は、それに比べればきっと天国だ」
どこか切ない口調で言ったレックスに、クリスはここに来る前に寄った村のことを思い出す。
中央からさほど離れてもいない村だったが、あそこには着るものにも困る暮らしをしている少年や、村人全員が強制労働に送られるかもしれないと言った男性が暮らしていた。クリスはあまり外の世界を知らないし、知っているのは豊かな中央と、教会で司祭たちに多額のお布施を払うような裕福な人たちが多かった。一歩外に出れば、これほど困窮している人々がいるのかと衝撃を受けたのだ。
そういえば、ウィンストンがクリスへの伝言をその村に託したのは偶然なのだろうか。使者が伝言の礼として置いていったお金で、男は強制労働を免れることが出来るのだと非常に感謝をしていた。
「もちろん、それは分かってはいますけれどね」
ウィンストンは苦笑するようにしてから、お茶にくちをつける。
レックスが言いたいのは、北方だけでなく困っている人々を助けられないかというものだろうが、そんなものをヘンレッティ家が簡単に頷けるわけもない。
「うん。僕も分かってる。助けたいと思って助けられるものでもないし、ここから中央に手を出すことにはリスクしかない」
「ですね。父も私も同意見です」
「というより、そもそも興味がないんだよね? 別にリスクしかなくても、王になれる可能性があるとなれば、賭けに出るという人物はいるから」
それだけ玉座というのが魅力的だということなのだろう。血で血を洗うような権力争いを行う王家に利用されてきたレックスが言えば、重みは違う。
「仰るとおり、さほどの興味もないですね。我々は目が届く程度の土地で十分ですし、中央に出る難しさは、レックスに仕えた五年で思い知ってますからね」
「僕に仕えたのは、中央の情報を集めるため?」
「国王陛下からの命令で逆らえない、という理由以外でですか?」
「ヘンレッティ公爵は、色々と理由をつけて二年で領地に戻っているのでしょう。ウィンストンも、やろうと思えばすぐに戻れたのだと思うし、王宮側も最初からウィンストンが僕に仕えることを拒否すると思っていたような気もするな」
レックスの言葉に、ウィンストンはふっと口元を緩めた。
「正直なところ、レックスの側近という立場はとても都合が良かったです。レックスの名代で動き回れるし、王宮とも適度な距離が取れる。束縛もされませんしね」
「具体的に知りたい情報があったの?」
「いえ。どちらかと言えば、要人との人脈づくりと人柄を実際に確認するのが主ですね。情報だけならここにいてもそれなりに入ってきますが、人となりは会ってみないと分かりませんから。——結果的には、中央に信用できる人物はほとんどいない、と言うことが分かっただけですけれどね。唯一、信用できると思ったお二人には、もうこちら側にきていただきましたし」
そんな言葉に、クリスは目を瞬かせたし、レックスも少し驚いたような顔をした。だが、すぐににっこりと笑う。
「僕たちがウィンストンに信用してもらえたのなら嬉しいな」
「レックスもクリスもある意味で、分かりやすい人間ですからね」
「そうかもね。クリスはともかく、僕には背景も中身もないから。そういう意味では、ウィンストンは背景も人物も大きくて分かりにくいな」
「中身がないというレックスの言葉には頷けないですが、私のこともまだ信用いただけてはいないですか?」
「ううん。そんなことはないよ。でも、僕が気になっていることを二つ、先に聞いてもいい?」
どうぞ、とウィンストンが話を促すと、レックスは口を開く。
「ひとつは僕の使い道で、二つめは魔術師たちの使い道。ウィンストン達の目的に対して、どんな役割を考えているのかな」
急に魔術師という単語が出て、クリスはどきりとした。
分かりやすい人間とウィンストンは言ったが、それでもクリスが魔術師であるということは知らないはずだ。公になればクリスが処刑されるということももちろんあって、レックス以外の人物には伝えていないのだ。
聖堂から逃げられたことについても、実行犯たちは不可能だと考えるかもしれないが、彼らはとうに処刑されている。レックスは運が良く鍵が開いて逃げられたのだ、と説明していたらしいから、それ以上は何も聞かれてはいない。




