三章 ウィンストンの目的7
「クリスも同席させるのですね」
ソファの真向かいに座っていたウィンストンが、クリスが腰を下ろすなりそう言ったので、クリスは咄嗟に腰を浮かせてしまった。だが、「うん」と言って隣にレックスが腰を下ろしたので、クリスもその場に座り直す。
「僕だけの方が良かった?」
「いえ。先ほどレックスが『僕たち』でなく、『僕』の身の振り方と仰っていたので。もしかしたらクリスは来ないのかと思っていました」
そんな言葉にクリスはどきりとする。たしかにレックスはそう言っていた気がするが、さほどクリスは気にも留めていなかった。
「もし、クリスがいない方が話しやすければ、席を外してもらうけど」
「そんなことはないですよ。大抵、クリスを仲間外れにしたがるのは私ではなくレックスの方でしょう」
「そうだったかもね。ウィンストンはちゃんとクリスのこと見てるから」
仲間外れというのは、クリスを巻き込みたくないと言って、レックスが距離を置こうとすることだろうか。そうした意味ではたしかに、ウィンストンの方がクリスのことをレックスの護衛として扱ってくれていた気がする。
レックスの言葉にウィンストンはなぜか苦笑するようにしたが、しばらくして少し首を傾げる。
「これは単なる個人的な興味なので、答えたくなければ別に答えてもらわなくても良いですが」
「なに?」
「クリスとは一体どういう関係なんです? 恋人同士にはとても見えないのですが」
「は?」
いきなりそんな言葉を吐かれて、思わずクリスの声が出る。
中央にいた頃には一度も触れられなかった話題で、思わずまじまじとウィンストンを見つめてしまった。興味もないのだろうと思っていたのだが、これまでは敢えて聞くのを避けていたということだろうか。
だがウィンストンは、さほど表情も変えずにレックスを見ていたし、レックスはレックスで、特に動じたような様子もない。彼は可愛らしく首を傾げて言った。
「それは僕たちが恋人同士だと思ってたのにってこと?」
「どうでしょう。あまりそう見えはしなかったですが、あれだけ長い間、同じ屋敷に暮らしていれば、それなりに何かあっても良さそうな気もしますし」
「それはウィンストンとクリスでも同じ条件だと思うけど」
「クリスは私になど最初から興味がないですからね。対抗する気にもなれませんよ」
そう言ってウィンストンは黒い瞳をクリスに向ける。
彼こそクリスになど興味はなかっただろうし、最初こそかなり警戒されていたのだが、すぐに彼はクリスがレックスの側にいたいがためだけに護衛となっていると、理解してくれたようだった。
普通なら公私混同だと怒られそうなところだが、彼は外から見える範囲では怒りも呆れもしなかった。なんなら、クリスをレックスの側にいられるように色々と配慮してくれたくらいで、味方の少ないレックスにとっての数少ない味方と考えて、黙って見守ってくれていたのだろう、と思っている。
そんなウィンストンの意味深な視線に、どんな表情を取れば良いのかと迷っていると、レックスが口を開いた。
「僕の立場でクリスと恋人にはなれないよ。でも、ウィンストンに対抗されちゃうと完敗するしかなかったから、それは良かったかな」
「立場なんかで自制できるのは、レックスの長所だとは思いますけどね」
「なんかって言われちゃうと困っちゃうけど……でも今は立場もないから。これから恋人になれるといいなと思ってるよ」
「え?」
そんなことをレックスに臆面もなく言い放たれて、クリスはまた声が出る。レックスの視線がクリスに向くのを感じて、思わず赤面してしまう。
ウィンストンが楽しそうに笑った。
「クリスが固まってますけれど。こんなところでそんな大切なことを言っても大丈夫ですか」
「もう大丈夫かなと思ってるけど……」
レックスがそう言って視線をクリスに向けてくるが、やはり反応に困る。
たしかにレックスからは大好きだと言われたのだし、恋人同士のようなキスもした。これからと言わず、もしかしたら今だって恋人なのではないかとも思うが、そんな状況が自分でも夢のようで信じられないし、昨夜のキスを思い出すと、ますます顔が熱くなる。
クリスは曖昧に首を振ってから、二人に訴えた。
「あの、私の話はもう結構ですので」
「そうですね。クリスに怒られそうですので、不躾な話題はこの辺で」
ウィンストンの言葉にレックスは「うん」と頷いたが、なぜかすぐに首を横に振った。
「でも完全に無関係な話じゃないとは思ってる。クリスは僕がどこにいてもついて来てくれるって言ってくれたし、僕ももうクリスと離れる気はないから。今から伝えたいのは僕の身の振り方ではあるけど、僕たちのと思ってもらってもいいよ」
改めて言われたレックスの言葉に、クリスはまた顔が真っ赤になる。思わず顔を伏せていると、ウィンストンの楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「お幸せそうで何よりですね」
「うん。ウィンストンのおかげでね」
レックスは真剣に言ってから、言葉を続ける。
「だから、というわけでは決してないのだけど——僕はウィンストンに協力したいと思ってる。僕がウィンストンのために出来ることは多くはないと思うけど、普段は雑用なり従者なりで使ってもらって構わないから」
そんなレックスの言葉にクリスは顔を上げる。ウィンストンは先ほどの楽しげな表情を崩さないまま、少しだけ首を傾げていた。
「私の方から話をするまでは、協力が出来るかは判断できないと言われていたのでは?」
「でも、協力すると言わないと、話してくれないんでしょう?」
「それもそうでしたね。レックスでしたら、おおかた察していただいてると思ってますけど」
「どうかな。でも、何を聞いても、それなら協力しないって言うことはないと思うよ」
レックスの言葉に、ウィンストンは笑いながら頷いた。そして少し考えるようにしてから、口を開く。
「レックスが私に協力すると仰っていただくのは、半分は想定内です。義理堅いのは承知していますから、レックスなら、私に恩を返そうと言ってくれるのではないかと思っていました」
「それだけでもないけど、想定外の半分は?」
「私のことが信用できないと言われるか、王宮に対してもそれなりに想い入れがあるのでは、というのが一割くらいで、残りはクリスの存在ですかね」
急に名前が呼ばれてクリスはどきりとする。ウィンストンはレックスを見たまま、続ける。
「クリスと一緒にどこか安全な場所に暮らしてもらえれば、という私の言葉を信用してもらっていないだけかもしれませんが、わざわざ改めて危険な立場に身を置く必要もないでしょう」
「そうかな? ウィンストンは勝算のない勝負はしないと思ってるから、危険な場所に身を置くとは思ってないよ。逆に差し迫った問題が起きるのだとしたら、むしろウィンストンの近くにいた方が、自分達の安全をコントロールできると思ってるから」
そんなことを言ったレックスに、ウィンストンは笑う。
「なるほど。わりと打算的な考えですね」
「意外かな?」
「いえ。理由は他に幾つでもあるでしょうが、レックスはその中でも私が納得しそうな言葉を選んでいるでしょうからね。それはそれで打算的ではある」
そんなことを言ったウィンストンに、レックスは静かに笑った。
意識的にやっているのかは分からないが、たしかにレックスは相手を見て反応を変えているのだし、相手に合わせて受け答えも変えているように見える。それは長く一緒にいるクリスに対してですら感じることが多いから、きっとウィンストンが相手でも同じなのだろう。
それを打算というなら打算なのだろうし、不誠実という場合もあるかもしれないが、そもそも王子として振る舞っているところから、レックスは否が応でも他人を欺いているのだ。その中で相手に受け入れやすいように、とすることは彼の処世術であるはずで、それが理由でレックスに幻滅することはない。それはウィンストンも同じはずだ。
「いずれにせよ、レックスが私に協力していただけるということなら、理由はたいした問題ではないです。私はレックスに信頼をおいていますし、他に代え難い人物だと思っていますから」
ウィンストンはそう言ってから席を立ち、外にいる人間に「飲み物を」と頼んだ。するとすぐにグラスや茶器が運ばれてきたから、あらかじめ準備されていたのだろう。
「温かいお茶か冷たい水ですね。アルコールが欲しければ別に頼みますけれど」
「さすがに朝から酔っちゃうと困るから、お水を」
「私がやりますよ」
クリスは立ち上がってから、水さしから水を入れてレックスに渡し、クリス自身とウィンストンのために茶器からお茶を入れる。
「ありがとう」
レックスとウィンストンにそれぞれ礼を言われて、クリスは懐かしい感じがする。レックスの屋敷で三人でいる時にもいつもやっていたことで、彼らはやはり礼を言ってくれていた。
レックスがウィンストンに力を貸したいという気持ちは、クリスもよく分かる。クリス自身、ウィンストンのことが好きなのだし、力になれることがあるのなら協力したいと思わせるだけの人柄はある。