三章 ウィンストンの目的5
「叛逆を王宮が望んでいるとは、どういう意味です?」
「聖堂の火事は、完全に僕たちを殺そうとしたものだと思うんだよね。あそこから普通は逃げられないもの」
レックスの言葉に、クリスは首を傾げる。
あの場から逃げられたのは、あそこにいた強力な精霊のおかげだ。普通の人間は魔術など使えないし、他に逃げ場は無かったのではないかと思えば、たしかに相手の殺意は明らかだろう。だが、それが王宮とどう繋がるのかわからない。
「僕たちが生きているのに対して、いまのヘンレッティに課された罰は大きすぎると思うんだよね。事件が起きたから、罪に対してそれ相応の罰を考えたというよりは、きっともともと国からこれだけの罰を科すことは決まってたんだと思う」
「ウィンストンを嵌めようとしたのは、ヘンレッティ家に対抗する貴族の誰かでなく、王宮だということですか?」
「もしくは国ぐるみだね。ウィンストンを処刑するか、それとも家の財産の半分を献上するか——なんて、まるで喧嘩を売っているようにしか思えない。普通ならウィンストンの処刑の方を選びそうだけど、それはそれで王宮からすれば嫌がらせだし、ヘンレッティ側は息子の命を差し出すのと同時に、公に罪を認めた格好になる」
ウィンストンは資産の一部だと言っていたから、クリスは額面通りに受け取っていたが、レックスは王宮から送られたという書状をまじまじと見ていた。そこには課せられた懲罰の一覧が書かれていたらしいから、それを確認した結果、財産の半分ほどにもなるのではと判断したということだろうか。
「喧嘩を売っているのだとすれば、狙いは何でしょう? 王宮が叛逆を望んでいると仰いましたが」
「中央は恒常的に、財政面で危機的な状況にある。反面、ヘンレッティの持つ財力は大きいし、領地も十分に豊かだからね。加えて、交易での利益もかなり魅力的だ。いっそヘンレッティを排除して直轄領にしたい、と思ってもおかしくはない」
なるほど、とクリスは目を丸くする。
直轄にしたいということは、国がヘンレッティ家から領土など全てを奪いたいということなのだろう。だが、理由もなく自国の貴族に軍を挙げれば、国内外からの非難は明らかだ。そのためヘンレッティ家の方から、国家への叛逆として仕掛けてほしいということか。
「ですが、レックスの言葉によれば、財産の半分を奪われたのでしょう? 財政が厳しいというのなら、そちらが目的だった可能性もあるのでは?」
「財産といっても領地とか船とかが大半だからね。中央からは遠いから、管理にもお金がかかる。手っ取り早くお金を徴収したいなら、本当はヘンレッティに対する税を上げるのが一番だし、そちらの方が国側にもヘンレッティ家側の双方にとってメリットがある」
「それなら、そもそもヘンレッティ家に国に対して兵を挙げてもらうのが目的だったということですか?」
「僕にはそう見える。だからヘンレッティ領に抱えていた兵士の半数が、北軍の配下に組み込まれたんだ。普通に考えれば戦力を削ぐためだけど、今回の場合は北軍の内部から兵をあげやすいように誘ってるんじゃないかな。カエルム地方の自衛軍は、ヘンレッティ家に対する忠誠心が高いと聞いていたから」
そんなふうにレックスに説明してもらうと、確かに国が喧嘩を売っているようにも見えるのだし、何かしらの攻撃を誘っているようにも見える。そしてここに来たばかりのレックスがそう思うのなら、ウィンストンやヘンレッティ公爵は当然、そんなことは分かっているはずだ。
「国がそれを誘っているとして……ウィンストンたちはどう対処しようとしているのでしょう」
国に対して反旗を翻すのだとしたら、当然ながら狙うのは王家の打倒だろう。だが、いくら財政難だと言っても、今の王家を倒してヘンレッティ家が新しく玉座に座るなんてことは、クリスからすると全く想像できない。
「中央にまで出向いて挙兵するのは距離の壁が大きいし、たぶんウィンストン達は中央に興味はないんじゃないかな。僕のそばにいる時にも、ウィンストンがそういう視点で国を見てるようには見えなかったし、カエルム地方はもともと領土も立地も魅力的だ。狙うなら、リスクしかない玉座より独立だと思う」
玉座を狙うというよりも独立の方がだいぶハードルは下がるだろうが、それでも国から独立したいと申し出て受け入れられるはずもない。もともと国は攻撃をけしかけているのだし、何かしらの戦いは必要なのだろう。そしてウィンストン達はその戦いにレックスを何かしら利用しようとしているということなのだろうか。
「ウィンストンは、そのためにレックスをここに連れてきたということなのでしょうか」
「それはどうかな」
レックスはそう言ってから、少し困ったような表情で、クリスを見下ろした。
「クリスはウィンストンのことどう思ってる?」
「どうって……ウィンストンがレックスを利用しようと思っているかどうか、ですか?」
「それでもいいよ」
レックスの言葉に、クリスは首を捻る。
ウィンストンを信用できるのかどうか——というのは彼と初めて出会った時にも、彼に裏切られて殺されそうになったと思った時にも、レックスと共にこの屋敷に連れてこられた時にも、何十回と考えてきたことだった。
ヘンレッティ家の嫡男であり、かつウィンストン自身にも才能がある。そんなウィンストンが、おとなしくレックスに仕えているのには、何か裏があるのではないか、とどうしても考えてしまっていたのだ。
決して、彼のことを悪い人間だと思っているわけではない。彼のことは心底尊敬しているし、彼がレックスやクリスに接する態度も本当に公平で優しい。だから、もしも彼がレックスを裏切るのだとしたら、彼が悪人だからという理由ではなく、立場や信条の違いか、彼に譲れない大義があるからだろう、と思っていた。
それを考えると、ウィンストンが「話せないことはあるが、嘘をついてはいない」と敢えて言ったことに、意味はある気がしていた。本当にレックスを欺こうとしているなら、そんな言い方はしないだろう。
「ウィンストンは、自身の狙いとレックスを助けたことは別問題だと言っていました。レックスに幸せになって欲しいと言った彼の言葉は、嘘ではないと思っています」
クリスの言葉に、レックスはにっこりと笑った。
「クリスがそう言ってくれると心強いな。僕はね、ウィンストンのことが大好きだし、彼のためならなんでもしてあげたいと思うのだけど」
聖堂で焼き殺されそうになっている時にも、レックスはそう言っていた。ウィンストンになら殺されても良いとすら語っていたくらいで、それは信頼であるとか、そうしたものを超えた絆なのだろう。
「それでも彼がクリスを連れてきたことだけが、少し引っかかってたんだ。僕にはもともと何もないから、僕にとって大切なのはクリスの存在だけなんだよ」
「え?」
急にそんなことを言われて、クリスはぽかんとしてしまう。どういう意味だろうと思っていると、レックスは言葉を続けた。
「僕がレジナルド殿下のそばからいなくなれば、もしかしたらクリスは別の場所で幸せになれたかもしれないでしょう。それでも敢えてクリスを連れ出して、もしもクリスをここに連れてきたのが人質という意味なのだとしたら、僕は何を言われても従うしかないから」
レックスの言葉に、クリスは一気に複雑な気持ちが吹き出した。
だから彼はわざわざウィンストンに、なぜクリスを連れてきたのだと聞いたのだろう。クリスとしてはレックスのそばにウィンストンが呼んでくれたのは当然だと思っているし、きっとウィンストンもそう考えてくれたのだと思う。だが、レックスにとってはクリスがここにいることは当然ではなく、そのため何かしらの足枷にするために連れてこられたのだと考えたのかもしれない。
「私が来てご迷惑でしたか?」
「そんなことはないよ。一緒にいられて本当に嬉しいんだ。大好きだよって言いたかったのも本当だよ。でも、やっぱり少しだけ不安はあるかも」
「……不安?」
「うん。僕と一緒にいることで、クリスを危険に晒すかもって。前よりはずっと心配は減ってるけど、それでも僕と一緒にいないほうがクリスにとっては安全に幸せに暮らせるんじゃないかな、っていつも考えてしまう」
それは耳にタコができるほど聞いた言葉のような気がして、クリスは息を吐いた。レックスの護衛としてそばにいる時から、レックスはクリスの身の安全のことばかりを心配していた。
「私をここに案内してくれたのはウィンストンですが、ここに来たのは私の意志ですよ」
「うん。分かってるんだけどね。ウィンストンがクリスを盾にするような、そんな性格じゃないってことも。自分の命ならいくらでも『心配したって仕方ない』って思えるんだけどね」
困ったような顔で言われて、クリスは胸が痛くなる。たしかに、彼はよくその言葉を言っている。だが、仕方ないと思えないほど、クリスの身を心配してくれているということなのだろうか。
クリスはソファに腰掛けていた身を乗り出して、レックスを見上げる。
「レックスが私のことを心配してくれているのは嬉しいですが、私のことを考えてくださるなら、近くにいて欲しいです」
レックスがレジナルドに幽閉されている時も心配でたまらなかったし、レックスが襲撃されて消えたのだと聞いた時にも、気が気ではなかった。
「レックスが姿を消したら、私はまたレックスを見つけるまで、夜も眠れずに探し回らないといけませんから」
クリスの言葉に、レックスは少しだけ瞳を大きくしてから、それから笑った。
「それなら、一緒にいたほうがいいね」
そう言って彼は椅子から立ち上がると、何を思ったかソファに腰かけるクリスの目の前にしゃがみ込んだ。視線の高さに彼の真剣な瞳があって、クリスはどきりとする。
「クリスは僕と一緒なら、どこでも構わないって言ってくれたけど……今も変わらない?」
そんな言葉に、さらにどきりとした。だが、あくまでまっすぐな視線でクリスを見つめるレックスに、クリスも「はい」と頷いた。
「ありがとう。クリスの言葉に甘えるようで申し訳ないんだけど、僕のわがままを言ってもいいかな」
「わがまま?」
「うん」
レックスはそう頷いてから、やはり真剣な瞳でクリスを見た。
「僕はウィンストンに協力したいと思ってる。クリスも一緒にいてくれる?」
はい、とクリスは答える。
クリスとしては考えるまでもない当然の答えだったのだが、それでもレックスは安堵した顔をした。そして見ているこちらがどきりとしてしまうほど、透明でとても綺麗な笑みを浮かべる。
「ありがとう」
レックスの手がクリスの頬に触れてどきりとした。彼の指はそのままクリスの髪に触れてから、さらりと髪先を揺らす。固まっていると、レックスの大きな瞳がクリスの瞳を覗き込んできた。
まつ毛も長くて、ぱっちりとした二重で黒目がちの瞳は、子供の頃からあまり変わっていない。童顔で少年のような顔つきではあるが、それでもクリスを見つめる瞳には熱があり、温度がある。
「キスしてもいい?」
彼の言葉に、微かに体が震えた。
クリスにそんな許可を求められると恥ずかしいのだが、なんとか小さく頷くとレックスの唇が笑みの形を作る。
レックスの指先が、唇に触れた。
しばらく焦らすように細い指が唇をなぞっていたが、やがて彼の唇が触れた。