三章 ウィンストンの目的3
「父上、入ります」
ウィンストンは軽くノックをしただけで、部屋のドアを開けた。取次も存在せず、部屋の前で立っている護衛のような人間もいない。ウィンストンが部屋に入って行き、そこにレックスが続いたのでクリスもその後をついていった。エイベルは部屋の前まで案内してくれたが、入るつもりはないようだった。
部屋の中にいた男性は二人。一人は壁際に控えていたから、護衛か側近か。もう一人、ヘンレッティ公爵は中央の執務机のようなところに座っていた。
「遅くなってすまないな」
開口一番にそう言った公爵は、ウィンストンにとてもよく似た男性だった。
ウィンストンをそのまま二十ほど歳を取らせたような見た目で、武断的というよりは、役人のような容姿をしていた。私室だからか、上着も着ておらず、随分とラフな格好に見える。いきなり息子に対して自ら謝ったこともあるし、見た目にも柔和で優しげな人物にも見える。が、それでいて黒い瞳の光は強く、そこにいるだけで人を圧倒するような雰囲気があった。
「いえ。何か問題がありましたか?」
「問題は恒常的に起こるが、どれも中央に比べれば大したことはないな」
「平和でなによりですね」
和やかにそんなことを言ったウィンストンは、改めて公爵に礼をとる。
「お忙しいところ、時間を割いていただきありがとうございます。二人を紹介させてください」
ウィンストンがそう言ってレックスの名前を呼んだので、レックスはその場に跪いた。
「ご無沙汰しております……と言って良いものかは分かりませんが、ふたたびお会いできましたこと、とても光栄です、公爵」
微妙な言い回しにクリスが内心で首を捻っていると、公爵は楽し気に笑った。
「たしかに前に会ったときは、君はレジナルド王太子として紹介されたな」
「はい。申し訳ありません」
「謝る必要はない。私に対して本物を出し惜しんだのは国王だし、まだ君もレジナルド王太子本人だと言われていた頃だろう」
レックスがまだ十になる以前に、レジナルド王太子としてヘンレッティ公爵とお会いしたということなのだろう。ヘンレッティ公爵ほどの人物であれば、レジナルド本人が出ても良かったのではないかと思うが、それでもレックスを出したのは王宮が公爵を信用できなかったからなのか、公爵が言うように出し惜しんだのか。
「随分と雰囲気が良いから、どうせ本物ではないだろうと思ってた。長らくウィンストンが世話になったようだな」
「こちらこそ、ウィンストンさまには常に助けていただきました。感謝してもしきれません。本当にありがとうございます」
「愚息が君の役にも立ったなら何よりだ」
はい、とレックスは頭を下げてから、跪いたままさらに深く頭を下げる。
「それだけに、私のせいでウィンストンさまの立場を危うくさせ、ヘンレッティ家にも多大なご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ありません。私などが謝れるような問題でないとは重々承知していますが、それでも謝罪をさせてください」
そんな言葉にクリスは息を飲み、少し迷ったが自らもレックスの後ろに身を伏せた。
ウィンストンはレックスとクリスが殺されそうになったのは自身のせいだと言って、レックスを助けたことを罪滅ぼしだと言った。だが、その事件のせいでウィンストンは処刑されそうになっているのだし、ヘンレッティ家には懲罰が課されている。それをレックスが謝罪する必要があるのかどうかはクリスには分からなかったが、それでもレックスが頭を下げるなら、クリスもそれに追従する必要があるだろう。
「なるほど」
意味は分からなかったが、ヘンレッティ公爵はそう呟くと、立ち上がる音がした。歩き出す気配に、クリスは思わず身を固める。
「顔を上げてくれ。それについても特に謝罪は不要だ。迷惑をかけたのはうちの方だからな。私が言うのもなんだが、三人とも命があって何よりだ」
そんな言葉にほっと息を吐きながら視線を上げると、公爵は奥のソファに移動したようだった。ウィンストンに促されてレックスとクリスが移動すると、ヘンレッティ公爵は椅子に座ったままこちらを見上げた。
「座ってくれ。クリスティアナ=ロイズ?」
腰をかけるなり名前を呼ばれてどきりとした。頭を下げると、ウィンストンの声がする。
「クリスですよ」
「それは失礼、クリス。はじめまして」
ウィンストンが敢えて名前を言い直したのは、クリスがロイズの名を使いたがらないことを分かっているからだろうか。ロイズ司祭はそれなりに顔も広く、もしかしたら公爵は父には会ったことがあるのかもしれなかったが、ウィンストンの言葉を受けてか何も言わなかった。
クリスが視線を上げると、公爵の黒い瞳がある。ウィンストンのものよりもずっと鋭く見える、その視線を見返して、クリスはできる限りにこやかに挨拶をした。
「お初にお目にかかります、クリスです」
「君もウィンストンが世話になったと聞いている。感謝する」
とんでもない、とクリスは首を横に振ると、ウィンストンが口を開いた。
「レックスもですが、今のところ二人は私の友人だと紹介させてください」
「ああ。それで構わない。ウィンストンに預けよう」
「ありがとうございます」
二人のやりとりや雰囲気はやはり親密そうなものだ。中央では王族や貴族は地位が高くなればなるほど、親も兄弟も別で暮らしていることも多く、険悪だったり、事務的だったりするのだが、ここではそうした雰囲気はない。土地柄なのか、それともヘンレッティ公爵やウィンストンの人柄なのかは分からないが、側近や使用人たちとも仲が良さそうであるし、クリスからするととても眩しく見える。
「君たちのことはウィンストンから聞いてる」
公爵はウィンストンとよく似た切れ長の目を眇めて、レックスを見た。
「が、ウィンストンが君たちを単なる友人だと言うのなら、それ相応に扱おう。ここは中央に比べれば堅苦しくはないつもりだ。別に好きにいてもらって構わないし、気楽にやってくれ」
そんな言葉にクリスはほっと安堵する。
ウィンストンがここにいても良いと言ってくれても、公爵が反対するようなら居場所がないだろうが、ヘンレッティ公爵は思った以上に寛大で優しい人物に見える。
「ご厚意に感謝します」
レックスがそう言って頭を下げるのを見て、クリスも同様に頭を下げる。
「ああ。息子の友人など紹介されるのも初めてだ。それはそれで感慨深いものはある。特にウィンストンは他人を友人などと気安く呼ぶタイプではなかったしな」
「五年も一緒にいた相手を、単なる知人と紹介するのも失礼でしょう」
「気に入らない相手であれば、何年一緒にいようとお前なら赤の他人と言うだろうに」
「気に入らない赤の他人であれば、何日も顔を合わせずこっちに帰ってきてますよ」
そんなことを言ったウィンストンに、ヘンレッティ公爵は楽しそうに笑う。そしてレックスとクリスを見た。
「この後、予定がなければ一緒に夕飯でも食べよう。ウィンストンが気に入った友人たちに、私も興味がある」
そんなヘンレッティ公爵の言葉に、レックスが本当に嬉しそうに笑った。狙っているのかどうか分からないが、そうした笑みは、無邪気な子供のようでとても愛らしい。
「私たちで良ければぜひ」
「事前に言っておきますが、父上は酒が入るとかなり話が長いですよ」
「ウィンストンさまより?」
「それは私の話が長いということですか?」
そんなことを言って眉を上げたウィンストンを見て、公爵はなぜだか首を横に振った。
「仲が良さそうで心底羨ましいな。私が中央で王室に仕えていた時には、本当に面白くもない人間ばかりだったからな」
「面白くもないって、父上が仕えていたのは前国王陛下でしょう。父上の中央での態度が悪すぎたせいで、私がレックスに仕えることになったのでは?」
「それなら私に感謝すればいい。それがなければ今ごろは陛下か王太子に仕えさせられていただろうからな」
そんなことを堂々と言った公爵に、ウィンストンは楽しげに笑う。
それを聞いて、クリスは内心で少し驚いていた。ヘンレッティ家は、レジナルド王太子殿下でなくしぶしぶレックスに仕えさせられていたのかと思っていたのだが、公爵もウィンストンと同様に、王家に仕えるなどと言うことは最初から望んでいなかったのかもしれない。
「それでは父上に感謝しましょう。おかげでレックスやクリスに会うことができましたし、それなりに楽しく暮らしていましたよ」