二章 ヘレナの導き7
ジャクソン達がいるのは建物の裏側だった。
もともと魔術を使ったり剣の鍛錬をしたりする目的があるのか、町の中心地であるにも関わらず、ただの原っぱで何も置かれていない。先ほどまでは余所者のジャクソン達が魔術を使うからといって、建物の内外から人々が見物しているようだったが、先ほどセリーナ達が戻って行ってからはほとんど誰もいなくなっていた。目当てはヘレナだったのだろう。
「あんたら本当に家族みたいなものらしいな」
オーウェンはそう言って、建物の壁に背をつけた。
話をするなどと言われて、ジャクソンは身構えてはいるのだが、それでもここで暮らすためには彼のことは知りたいと思っていた。セリーナもオーウェンと親しげに見えていたが、さほどここの話は聞けていないと言っていたから、話をできる機会はジャクソンとしても好都合ではある。
「身寄りのないもの同士だ。ヘレナとは彼女が赤子の頃から一緒だし、セリーナはクーロに身を寄せる前から一緒に暮らしてる。カーティスはクーロで初めて会ったけど、それでももう四年にはなるからな」
「ヘレナに両親がいないって噂は本当なんだな」
「さすがに精霊から生まれてはないと思ってるけどね」
ヘレナは赤子の頃に捨てられていた。親が誰かは誰も知らないし、彼女は赤子の頃からたくさんの精霊に囲まれていたから、彼女は本当に人間ではなく精霊の化身なのではないか——なんて噂があるほどなのだ。
「だが、それを言いたくなるほどヘレナの精霊は特別だな」
オーウェンが魔術を見せてみろと言ったのはジャクソン達だけで、彼はヘレナにはそれを言わなかった。どれほど特別かは、彼女が連れている精霊達を見れば分かるということなのだろう。
「ヘレナを何かに利用したいのか?」
初対面から戦力などと言って挑発しているように見えていたから、そう警戒して聞いてみたのだが、オーウェンは軽く首を傾げただけだった。
「別に兵器にしたいわけじゃないが、役には立つんだろ。ジャクソンとカーティスの力は認めるが、それでもあんたらだけ生き延びられたのはヘレナがいたからだと思ってるんだが」
「俺らだけじゃ、とても頼りなくて逃げられないだろって?」
「あんたらの力は認めるって言ったろ。仮にヘレナが一緒でなくとも、残り三人のことは歓迎してたよ。戦力が欲しいってのは、別にヘレナだけを指して言ったわけじゃない」
そんなことを言われて、ジャクソンはヒヤリとした気分になる。単純に力のある魔術師で固まりたいという気持ちは分からないでもないが、ここにはもう二百名以上の魔術師がいるのだ。物資も豊富ではないと聞いているが、それでもさらに戦力が欲しいというのは具体的な戦いを想定しているのか。
「それだけここにも危機が迫ってるってことか?」
「まあ、クーロがやられたからな。あそこは狙いやすくはあっただろうが、それでもあれだけの規模の派兵の実績ができたんだ。次はここやサスかもしれないって警戒は当然ある」
彼はそう言ってから、少し考えるようにして言った。
「これをあんたに言うのは無神経だとは思うが、クーロは予想外に善戦してる。軍としては簡単に捻りつぶすつもりでの大量派兵だったようだが、かなりあっちにも被害は出たようだからな。指揮を取ってたどっかの偉い軍人が責任を取らされて更迭されたくらいだ。それで相手がこれ以上の犠牲は払いたくないと手控えてくれるか、今後はさらに戦力を増強して当たってくるかは、全く読めないけどな」
そんな言葉に、ダレルたちの顔が浮かんで憂鬱な気持ちになる。
きっと足止めをしてくれたのだろうダレルや、あの集落を纏めて人々を率いていたイライアス達は本当に優秀な魔術師達だったのだ。だが、じっとこちらを見ているオーウェンが言いたいのはその事ではないだろう。ジャクソンは彼が聞きたいのであろう答えを返す。
「……ヘレナの存在はあるだろうな。闇討ちのような格好だったが、本隊が到着する前には察知してた。兵士達の配置もある程度は見えてたからな」
「どうやって?」
「ヘレナは精霊の目を使える。精霊たちの届く範囲なら、上空からでも先行してでも索敵できるからな」
「精霊の目か。それができるという話を聞いたことはあるが、実際に使えるやつは見たことないな」
そうなのか、とジャクソンは密かに驚いた。
ヘレナの近くにいれば当然のように使っているし、ジャクソンは他にも精霊の目を使える魔術師を知っている。強力な精霊を使える魔術師なら可能なのかとも思っていたが、このアルブに一人もいないということは、実際はかなり珍しいのだろう。
「あの感じじゃ、ヘレナは相手に攻撃をしたくはないんだろ」
「ヘレナが魔術を人に向けたのを見たことはないよ」
「まあ、精霊の目が使えるなら、そっちが貴重で有用だ。単純に魔術をぶつけるなんて勿体無い使い方をする必要もないしな。ヘレナの水の民で瀕死の重傷を負った人間も回復したなんて話もあるが」
「俺らの魔術と格が違うことは確かだが、そんなに期待はしないで欲しい。回復した事例はあるが、ヘレナが毎日のように通って、ようやく少し話せるようになったって程度だよ」
「セリーナを置いてったくらいだからな」
冷たい青の瞳が向けられ、ジャクソンはどきりとする。セリーナを見捨てたことを責められているのかと思ったが、彼は首を横に振った。
「セリーナがそう言ってたわけじゃない。どうやって逃げてきたんだって聞いて、俺が勝手にそう解釈しただけだよ」
「……セリーナが何て言ってたかはわからないけど、否定する気はないよ。実際、見捨ててきたからな」
ジャクソンは苦い口調でそう言う。
セリーナが生きていたのは単なる奇跡と、セリーナ自身の力によるものだ。ジャクソンはセリーナが死ぬのだと分かっていながらも、あの場所に置いてきたのだから、一度は見殺しにしたのと同様だと思っている。
「ヘレナの魔術を使っても、動けないセリーナを回復させられはしなかったってことだろ。セリーナが動ければ戦力にでも何でもなっただろうが、それを選択できないほどに追い詰められていたのか、そもそも不可能なのか。なんにせよ、みんなで仲良く死ぬよりはずっといい判断だと思うぜ」
彼はそう言ってから、僅かに瞳を細める。
「倒れたのがセリーナじゃなくてあんたなら、今ごろみんな仲良く死んでたかもしれないけどな」
急に言われた言葉の意味がわからず、ジャクソンは首を捻る。
「俺よりよほど、セリーナの方が頼れると思うけどな」
ジャクソンとヘレナとカーティスの三人で逃げてきたのだが、別にジャクソンがセリーナに変わったところで何も変わらないだろう。ヘレナとカーティスだけだと確かに危なっかしいが、セリーナがいれば安心して二人を任せられる。
「そう言う意味じゃない。ヘレナはセリーナを見捨てることは出来ても、あんたを見捨てられはしないんじゃないかって意味だ」
意外な言葉を投げられて、ジャクソンは目を瞬かせた。
「そんなはずはないよ。セリーナはヘレナにとって実の姉のような存在だからな」
「じゃ、あんたは?」
「兄じゃないか」
「ふうん」
オーウェンはそう言うと、腰に下げた剣に触れた。
「気づいてたか? さっき俺がジャクソンと剣で打ち合ってる時、ヘレナの精霊がかなり騒いでた」
そんなことを聞かれても、ジャクソンはそれどころじゃなかったと言うしかない。周囲の精霊達の動きを見られるような余裕はなかったのだ。
「それが? ヘレナが俺のことを心配してくれてたんだろう」
「そうだろうな。風の民と水の民の精霊達の圧力がすごかったんだが、セリーナに剣を突きつけた時には、何も感じなかったからな。よほどあんたはヘレナにとって特別なんだろうと思っただけだ」
オーウェンに意味ありげな視線を向けられるが、ジャクソンとしてはやはり首を捻るしかない。
ヘレナがセリーナを心配していないなどと言うことはないはずだ。そしてあそこで倒れたのがジャクソンであったとしても、ヘレナはセリーナの手を引いて行くのではないだろうか、と思っていた。
「……それを確認するために、わざわざセリーナに剣を渡したのか?」
「昨日もあんたに手を出そうとした時に、ヘレナに邪魔されたからな。相手がセリーナやカーティスでも同じかと思って試してみただけだ」
その結果、ヘレナの精霊が動いたのはジャクソンの時だけだったと言いたいのだろう。しかし、そんなことを言われても、ジャクソンにはいまいちピンとこない。
「セリーナはオーウェンと親しげに見えるからな。単に怪我はさせないだろうって思ってるんじゃないか? もしくはよほど俺が危なっかしいか」
「よほど危なっかしいのはセリーナの方だと思うけどな。ま、理由なんか、俺にとってはどうでもいいが」
オーウェンはそういうと、壁にもたれていた背を浮かせた。こちらに近づいてくる。
「見た感じ、あんたは一番まともそうに見える。で、ヘレナやセリーナ達を動かせるのもジャクソンに見えるからな。せいぜいよろしく頼むよ」
「……なにをよろしく頼むって?」
「まずはアルブの防衛だ。争いたくないって言っても、自分や仲間達の身を守る気くらいはあるんだろ。ここでまた軍に攻め入られて、自分たちだけ逃げ落ちたくはないはずだ」
ぐさりと刺されるような言葉に、ジャクソンは返す言葉を見失う。きっとオーウェンには、仲間やセリーナを置いて逃げた後ろめたさを悟られているのだろう。
「日暮れ前に、毎日ここで仲間達と集まって色々話してる。あんたを紹介するから出てこいよ」
ぽんぽんと肩を叩いてから、オーウェンは建物の中に戻っていく。
それを見送ってから、ジャクソンはため息をつく。一応は受け入れてもらえることを感謝すべきなのだとは思うが、やはりここでも軍に怯えるという生活は変わらないのだろう。




