二章 ヘレナの導き5
「いや。戦力になるなら大歓迎だな」
さらりと言われた言葉に、ジャクソンはどきりとする。
戦力ということは何かしら魔術を使って戦おうとしているということだ。自分達の身を守るためか、それとも敵を倒すためなのかは分からないが、どちらにせよヘレナの力をアテにしているのだろうか。ジャクソンが何かを口にする前に、セリーナが牽制するように口を開く。
「ヘレナは兵器にはならないわよ」
「それは心情的な意味でか? 別に女だろうが子供だろうが、そんな強力な精霊を従えて戦えないわけがない」
「精霊達は争いを望んでいないもの」
そう言ったのはヘレナ自身だった。
同じ集落にいた魔術師でも、エヴァンなどはヘレナを使えば軍隊にも対抗できると主張していたが、そのたびにヘレナは同じことを言っていた。実際、これまでヘレナは魔術を使って自分や仲間の身を守ることはあっても、人を傷つけるために精霊を使ったことはない。
ヘレナの言葉を受けて、オーウェンの鋭い視線がヘレナに向かう。
「別に俺も望んじゃいないが、それじゃあんたは仲間達が殺されるところをただ指を咥えて見てたのか? それで自分とお供だけ連れて逃げてきたって?」
嘲笑うような口調で言われた言葉に、ジャクソンは息を飲む。ヘレナを嘲笑されたという怒りはあったが、男が言ったとおり自分達は仲間達を見捨てて逃げてきたのだという後ろめたさもあって、ジャクソンは咄嗟に反応ができなかった。
「火の民」
すると近くにいたセリーナが精霊を呼ぶ声がして、ジャクソンははっと振り返る。オーウェンも驚いたような顔をした。
「やめて」
そう叫んだのはヘレナだったが、セリーナは躊躇わずに「燃やしちゃって」と精霊に命じる。
「風の民、散らせ!」
セリーナが放った炎は、オーウェンが咄嗟に呼んだ風の魔術に一瞬で掻き消された。男が防ぐことまで狙っていたのかどうかは分からないが、いきなり魔術をぶっ放したセリーナの方は、さほど表情も変えていなかった。それを見て、オーウェンは不機嫌そうに眉根を寄せる。白い前髪をかき上げた。
「お前、ふざけんなよ」
「外野がうるさいわね。あなたがいたら全員が死ななくて済んだのにってふんぞり返りたいなら、仲間内でやってくれる?」
「……まじでふざけんなよ」
オーウェンはそう言ってずかずかと近づいてくる。ジャクソンは思わずセリーナの前に出て、オーウェンから彼女を庇うようにした。それを見て、彼は足を止めた。そして冷たい視線でジャクソンを見据えてくる。
「セリーナもこいつらに見捨てられたクチだろ」
そんなことを言われて、今度は心臓が痛くなる。彼がそれを知っているということは、セリーナ自身がそう言っていたということだろうか。
「それこそ外野は黙ってて。あれが四人とも助かる唯一の道だったってことでしょ。あの場にいなかった人間にどうこう言われたくないわ」
「お前のその強気はどこから来るんだ? 本気で絞めるぞ」
そう言って彼がセリーナに腕を伸ばしたので、慌ててそれを止めようとすると、オーウェンの手はそのままジャクソンの胸ぐらを掴んできた。
「あんたはさっきから黙ってるが、口がきけないのか? それともそんなでかい形で、ヘレナとセリーナの後ろに隠れられてるとでも思ってるのか」
ぎゅっと襟元を絞めながら、男はジャクソンを真正面から睨みつけてくる。
「やめて!」
ヘレナの言葉とともに、彼女の周囲にいた精霊たちが一斉に羽ばたいた。それらはジャクソンの背後からオーウェンの顔面にぶつかるように迫ったから、彼は目を見開いて後ろに跳ぶ。長身だが、全く体重を感じさせないバネのような動きだ。
「ヘレナ。大丈夫だ」
ジャクソンはヘレナに向けてそう声をかけてから、一瞬でジャクソンから距離をとっていた男を見る。オーウェンは可笑しそうに口元を歪めた。
「精霊をそんな使い方するやつ初めて見たよ」
たしかに普通は精霊を操ってから魔術を使うが、ヘレナがやったのは精霊そのものを魔術師にぶつけるというものだ。実体があるわけでもないから痛くも痒くもないはずだが、さすがにヘレナの精霊たちは存在感だけでも強力だ。側にいたジャクソンにすら、ばちっとした静電気のような衝撃はあった。
警戒するようにヘレナを見ている男に、ジャクソンは改めて言葉をかける。
「初めまして。ジャクソンです」
出来るだけ丁寧にそう言って、オーウェンに握手を求める。相手はこちらの手を眺めはしたが、眉根を寄せたまま手を出してはこなかった。
「オーウェンだ」
「セリーナを助けていただいてありがとうございます。俺たちもしばらくここに滞留させていただいても良いですか?」
「戦力になるなら歓迎すると言ったぜ」
「俺はまだあなたを知らないし、この町の事情も知らない。急に戦力などと言われたところで、今すぐには答えられません」
「なら出てけよって言ったら、出ていくつもりか?」
冷たい口調で言われた言葉に、ジャクソンはどきりとした。が、首を横に振ってから頭を下げる。
「仕事があるのなら働きますし、俺にできることであれば何でもやります。出来ればここで暮らしたいし、それが許されないのであれば、せめて話だけでも聞きたい」
そう言ったが、オーウェンは何も言いはしなかった。顔を上げた時にも、彼はつまらなそうな顔でこちらを見ているだけで、ジャクソンが続ける言葉を探す。だが、こちらが口を開く前に、彼は短く言った。
「話って?」
「ここやここ以外に住む魔術師達の状況や、クーロや軍の状況を教えてください」
「随分と虫のいい話だな。情報だけよこせって?」
不機嫌そうな口調ではあったが、言った後に何を思ったか男はふっと笑った。ジャクソンがその顔を見返していると、しばらくして彼は軽く肩をすくめた。
「カーティス、お前は何歳だ?」
急に話を振られて、カーティスは怪訝そうな顔をする。しばらく口を開くか迷っているように見えたが、じっと視線を外さないオーウェンに根負けしたように小さく口を開いた。
「十二」
「そうか。せっかくクーロからこんなところまで逃げてきたんだろうからな。四人で住める場所くらいは準備してやる」
まだ小さなカーティスやヘレナに免じて、と言うことなのだろうか。ジャクソンは幾分かは安堵した気分で頭を下げる。
「ご配慮ありがとうございます」
ジャクソンの言葉に頷いたオーウェンだったが、すぐに眉根を寄せた。
「あんたのその丁寧な口調は、せいぜい下手に出てやろうって魂胆が見え見えで鬱陶しいな。知らない土地で礼儀正しくするつもりがあるなら、敬語なんかいいからセリーナを黙らせておいてくれ」
そんなことを言われて、ジャクソンは苦笑する。
セリーナもオーウェンも最初から喧嘩腰だったので、確かにジャクソンだけでもなるべく下手に出ようという意思はあった。そばでセリーナが子供のように口を尖らせるのが見える。
「私のどこが礼儀正しくないっていうのよ」
「いきなり人に魔術をぶっ放す女が礼儀正しいわけがないだろ」
「いい年をした大人が、余所から避難してきた子供達に対してマウントをとろうとするからでしょ」
そんなことを言ったセリーナに、オーウェンは盛大に顔を顰めてから、ジャクソンを睨んだ。これを黙らせろということなのだろう。
「……セリーナを黙らせるのは難しいが、努力はしよう」
「よろしく頼むよ」
彼はため息と一緒にそんな声を出した。