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二章 ヘレナの導き3


「ヘレナ、遅かったじゃない」

「うん。ごめんなさい」


 泣きながらセリーナに抱きつくヘレナの頭を撫でながら、セリーナがジャクソンを見た。緑色の瞳はじっとジャクソンを見てから、にっこりとした形を作る。


「ひさしぶり」


 それはどう見ても普段のセリーナだった。

 ジャクソンは思わずその場に崩れ落ちそうになるのを、なんとか耐える。


 ——ジャクソンが彼女を見殺しにしたのだ、とずっと思っていたのだ。


 彼女はあそこで誰にも見つけられることもなくひとりで死んでしまったか、兵士たちに捕まって処刑されてしまったか、どちらかだろうと覚悟していたのに。


 かたわらにいたカーティスも、ぽかんとした顔でセリーナを見つめていた。セリーナも彼の存在に気付いたようで、カーティスに駆け寄ってくる。


「カーティス、無事で良かった」


 そう言ってセリーナがカーティスの体を抱きしめても、カーティスは未だ幽霊でも見ているかのような顔をしていた。


 服を大量の血に染めて、血の気の失った青白い顔をして動けないセリーナを、山の中に置き去りにしたところをカーティスも見ているのだ。それが普段と変わらない様子で、しかもこんな遠くの町まで先回りして着いているのだから、彼女に何があればこんなことになるのか想像もつかない。きっとジャクソンも同じような顔をして突っ立っているのだろう。


「元気そうだね」


 久しぶりに聞いたカーティスの魔術以外の言葉は、そんなものだった。途方に暮れたような表情でつぶやかれたその言葉に、ジャクソンも呆然とした気分で同意した。


「……だな」

「そうね、もうとっくに怪我も治ったかも」


 そう言って怪我をしていたはずの腕を回したセリーナを、ジャクソンはぽかんと見たし、カーティスもなんとも言えない顔で見上げている。


「カーティスも無事で良かった。ジャクソンとヘレナを守ってくれてありがとう」

「俺は何も」

「そう? そんなはずはないと思うけど」


 そう言ってセリーナはカーティスの頬をぎゅっと両手で潰すようにする。困ったような顔をしたカーティスを見て、セリーナは楽しそうに笑う。


 それはまるで集落で暮らしていた頃のようで、あまりに自然に笑ったセリーナに、ジャクソンはどきりとした。


 セリーナと別れてから三人でずっと一緒にいて、誰かの笑顔なんて見たことがなかったし、ジャクソンも笑えたことなどなかったはずだ。


 純粋にそんな余裕はなかったということもあるし、仲間たちを見殺しにして自分達だけが逃げているような後ろめたさもあった。そうでなくとも殺されたかもしれない仲間たちや、兵士たちに捕まって処刑されたかもしれない仲間たちやの顔や名前が浮かぶたびに、暗く重くのしかかるような感情の蓋がある。


 特に、ダレルや同じ家で暮らしていた子供たちや——ジャクソンが助けられなかったはずのセリーナだ。その彼女がここにこうして生きていて、笑っていることが、奇跡のようで信じられなかった。


「セリーナ、どうやってここまで来たの?」


 そう聞いたのはヘレナだった。


 一目散にセリーナの元に駆けてきたヘレナは、セリーナがここにいることは分かっていたのだろう。彼女はセリーナが生きていることをいつ知ったのだろうか。


「物好きな人が拾ってここまで送ってくれたの」

「あの軍人さん?」

「やっぱり分かってた? ヘレナがそうしてくれたの?」

「まさか。そんなことが出来るわけないわ。私に出来たのは、少しでも安全そうなところまでセリーナをジャクソンに運んでもらったことだけ」


 何を言っているのか全く分からなかったが、ジャクソンは自分の名前が出てますます首を捻る。


 セリーナも少し首を傾げていたが、何故だか「ちょっと待っててね」と言うと駆け出した。走れるほどに元気なのだとますます驚いて、どこかへ消えた彼女をぽかんと見やる。ジャクソンはヘレナを見た。


「ヘレナはセリーナが生きてたことを知ってたのか?」

「セリーナには私の水の民(ウンディーネ)についていてもらったから」


 ヘレナはそう言って肩の上に乗っていた青い鳥を、指の上に乗せる。そういえばあの時、セリーナと別れる時にヘレナは水の民を使っていた。


「精霊が戻ってこないということはどこかで生きてるとは思ってたけど……でも、もしかしたら兵士たちに捕まってる可能性もあると思ってたから。ジャクソンに内緒にしててごめんなさい」


 そう言って瞳を伏せたヘレナの頭に手を乗せる。


 たしかにこれだけ距離があれば、流石のヘレナでもセリーナの場所や様子をうかがうことはできなかっただろう。それをヘレナ自身がもどかしく思っていたはずで、もしも捕まってまだ処刑されていないだけの可能性もあるのなら、ジャクソンに言いたくないと思うのも当然だ。


「責めてるわけじゃないよ。セリーナを助けてくれてありがとう」

「私は何もできてないわ。セリーナを助けてくれたのは別の人で、あとはきっとあそこまでセリーナを運んでくれたジャクソンだと思う」


 そんなヘレナの言葉に、ジャクソンは目を瞬かせた。


 それが先ほどの「少しでも安全そうなところまでセリーナを運んだ」ということなのだろう。ジャクソンはたしかにセリーナを背負って、ヘレナの導く場所を歩いていた。そしてセリーナをそこに置き去りにしたのはジャクソンが倒れ込んでしまったからなのだが、ヘレナもそこに置いて行こうと言ったのは、もしかしたら何かそこに感じるものがあったのか。


 セリーナを置き去りにしたことも、そもそもセリーナを背負ってその場を動かしたことも、どちらもジャクソンが間違っていたのではないかとずっと思っていただけに、セリーナがこうして生きていて、こうして再会できたことに、泣きたいような笑いたいような気分で立ち尽くす。


「格好いい上着着てるじゃない」


 いつの間にか戻ってきていたセリーナは、そんなことを言いながら、ジャクソンの背中に何かを乗せた。それはジャクソンがセリーナと一緒に置いてきた外套で、はっと息を飲む。


「……これは他人のものを盗んだんだよ」

「あら、悪党ね」


 そう言って笑ったセリーナを、ジャクソンは思わずぎゅっと抱き込んでいた。


 腕の中にいるセリーナは、ヘレナほどではないにせよ、華奢で細い。こんな体のどこにそんなエネルギーがあるのだろうと思うほど、いつもタフに動き回っているし、ジャクソンが三人でなんとかたどり着いたここに、彼女はあんな大怪我をした状態から一人でやってきて立っているのだ。彼女もジャクソンの背にぎゅっと力強く腕を回す。


「これ貸してくれてありがとう。色々と役に立ったわ」

「それは良かった」

「あの時、私を置いていかないでくれたことも」

「……置いてったんだよ」


 セリーナの意識がなくなって、お別れも出来ないまま、その場から逃げるように立ち去ったのだ。その時の死んだようなセリーナの顔が、今でも脳裏にちらつくことがある。


 苦い声で言ったジャクソンの腕の中から、セリーナはこちらを見上げてくる。


「でも背負ってくれたでしょう。正直なところ、あの時はジャクソンがまた馬鹿なことしてるって思ってたんだけど」

「俺も思ってたよ」

「でも、おかげで助かった。ここまでも馬で送ってもらったもの。歩いてきたジャクソン達よりも楽ができて良かったわ」


 そんなことを悪戯っぽく言われて、ジャクソンは「良かったな」と呟く。彼女が生きていてくれたことも救いだが、彼女が変わらずに明るくいてくれることに、ジャクソンは何より救われる。


「兵士に助けられたのか?」

「ええ。ジャクソンも助けられた人ね」


 そんなことを言われて、ジャクソンは驚く。


 ジャクソンも助けられた「あの軍人さん」といえば、ぱっと浮かぶ顔はある。たしかに陣営からジャクソンを連れ出してくれた彼なら、セリーナを助けてくれるかもしれないとは思うが、彼と出会うのもセリーナは三度目なのだ。そんな偶然があるのだろうか。


 しかも助けてくれただけでなく、こんな遠くまで馬で送ってくれたということになれば、物好きにもほどがある。


「……よほど縁があるな」

「彼は精霊たちに気に入られてるみたい」


 そう言ったのはヘレナで、それを聞くとどんな偶然もそうなのかと納得してしまうところはある。


「また会える?」

「私には分からないけれど。会いたいの?」

「そうね」


 セリーナはどこか遠くを見るようにしてそう言ってから、ジャクソンから体を離す。


「でも、私の家族はジャクソンとヘレナとカーティスだから。生きてると信じてたけど、本当に生きてて良かった」


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