二章 ヘレナの導き2
どれだけ歩いてどれだけ夜を明かしただろう。じきにアルブに着くというところで、急にヘレナの歩みが速くなった。
いつもジャクソン達は、ゆっくりと歩く歩幅の小さいヘレナに合わせていたのだが、今のヘレナは早歩きで野を進んでいて、息が少し上がっているくらいだ。白い頬が上気しているように見えて、ジャクソンは首を傾げる。
「疲れないか?」
「大丈夫。もう少しで着くわ」
そう言ったヘレナの表情は、まるで集落にいた頃のように明るい。
よほど魔術師達と合流できるのが嬉しいのだろうか。もしくは、野宿を続けていたこの生活から脱せるのが嬉しいのか。
そんなヘレナを見ているとジャクソンもほっとするような気持ちになる反面、逆に心配になるような気持ちもあった。
正直なところを言えば、アルブで本当にジャクソンたちが平和に暮らせるかどうかはわからない、なんて思ってしまうのだ。
軍隊は今のところ手を出さないと言っても、国も魔術師が力を持つことを恐れているのだろう。アルブにつながりそうな主要な道には検問がある。ジャクソン達も兵士たちが待機しているような場所を遠目で見ながら、だいぶ回り道をしてやってきたくらいなのだ。
当然だがアルブから人や物が出入りするのも厳しいだろうし、食料や物資などはジャクソンたちが住んでいた集落同様に困っている可能性もある。これ以上、魔術師が増えても養えない、なんてことになっていれば、余所者であるジャクソン達は歓迎はされないだろう。
三人ではあるし、ヘレナもカーティスもまだ小さい。集落ごと引っ越せないかと考えていた時とは全く状況が違って、受け入れられやすいだろうとは思っているのだが、最近のアルブの状況は把握していない。軍が本格的に魔術師たちの集落に手を出してきたくらいだから、もしかしたらアルブも厳しい状況になっていてもおかしくはないのだ。
もやもやとそんなことを考えながら歩いていたのだが、いつの間にか久しぶりに人の姿が視界に入ってきてどきりとした。
アルブの集落の中に着いたのだろう。
そこにいたのは、ジャクソンやヘレナたちと同じような金髪や、薄い茶色の髪をした人々で、ひとまずジャクソンは安堵をする。容姿が浮かないというだけでもだいぶ気が楽なのだが、彼らの方はジャクソンたちの姿を見るなり、驚いたような顔をした。
集落内の限られた人々の中では、顔も知らない余所者の姿は目立つ。が、彼らの視線の先にあるのはきっとジャクソンたちの姿ではなく、ヘレナの連れている強力な精霊たちの方だろう。ジャクソンたちはもう見慣れているが、なかなかお目にかかれないような強力な水の民や風の民が固まって歩いている姿は、最初はどきりとするはずだ。
「こんにちは」
目があった男性にそう言って頭を下げた。
「……ああ。どこからきた?」
「クーロの山から」
ジャクソンたちが暮らしていた集落に名前はなかったが、山の名前をとって魔術師たちの間ではクーロと呼んでいることが多いようだった。そしてジャクソンがそれをいうと、男は一気に表情を変えた。警戒しているようだった顔が、どこか同情するようなものになったから、クーロが軍に襲撃されたことはもう知られているのかもしれない。
「ジャクソンです。こちらはヘレナとカーティス」
「ヘレナ?」
男はそう言ってヘレナの名前を呼んだから、ヘレナのことは知っているのだろう。ヘレナは有名だし、目の前にある精霊たちを見れば、彼女がそのヘレナ本人であることはわかるに違いない。
だが、男が何かを言う前に、そしてジャクソンが何かを話す前に、ヘレナは止まらずにどんどんと先に進んでしまっている。
「ヘレナ」
慌てて声をかけても、止まる気配はない。
ジャクソンの声が聞こえていないことはないと思うが、彼女には別に気になるものがあるのだろう。ジャクソンは曖昧に男性たちに頭を下げてから、ヘレナを追って町の中へと進んでいく。
アルブにある魔術師達の集落の規模は二百名強だと聞いている。ジャクソン達が住んでいた場所の二倍より少し大きいくらいだが、若者が多くて力のある魔術師もそれなりにいるらしい。中央からも西の軍の駐屯からも距離があるから、今のところは軍も動かないだろうと言っていたのは、クェンティンだったか。
今となってはその情報は本当に確かなのだろうか——なんて考えてしまっている自分もいて、余計に暗い気分になる。
クェンティンがジャクソンを裏切ったのだとしたら、彼はいったいなにをいつから裏切っていたのだろう。あの時だけの衝動的な行動であるはずだ、というのはジャクソンの単なる希望だ。実際に集落が襲撃されて、その情報がどこからか漏れたのかもしれないと考えた時に、直接的に軍隊に情報を渡したのは、魔術師であることを詐称して潜入していたギル達が一番怪しい。だが、そもそもギルたちを集落に潜入させた人物なりきっかけがあるはずだと考えた時に、その時にはクェンティンの名前は浮かぶのだ。
だが、だからと言って他にジャクソン達に行ける場所は限られるし、ヘレナはサスかアルブなら、アルブに行こうと言った。規模としてはサスの方が大きいのだと聞くし、より中央からは遠い。安全なのはサスの方ではないかとも思うのだが、ここよりもさらに離れるから、辿り着く方が困難だと思ったのかもしれない。
この状況ではヘレナの言葉しか信じられるものはなかったし、いま町を歩いている限りでは、平和そうに思えた。人々はさほど暗い顔はしていないし、一見して住む場所や食べるものに困っていそうな人もいない。彼らはぽかんとヘレナの後ろをついていく精霊たちを見ているようだが、余所者のジャクソンたちがさほど警戒されているようにも見えない。
「ヘレナ、どこにいく気だ?」
聞いてみたが返事はない。やがてヘレナがジャクソンたちを振り切って駆け出したので、ジャクソンは慌てた。だが、先にいた人物の姿を見て、思わず自分の目を疑う。
「セリーナ!」
ヘレナが駆け寄って抱きついたのは、ジャクソンが山の中に置き去りにしたセリーナだった。大怪我をして動けなかったはずの彼女は、突然飛び込んだヘレナに少しだけ目を丸くしていたものの、ちゃんと自分の足で立っていた。