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序章 軍の兵士たち2


 口を開くな、と人質をとって牽制したにも関わらず、先ほど魔術を使った女性が口を開くのが見える。


「馬鹿じゃないの」


 出てきた言葉は、精霊の名前ではなかった。金髪の彼女は地面に倒した少女よりは年長に見えるが、それでも十分に若い。まだ十代だろうか。仲間の少女に剣を突きつけられた状態であるにも関わらず、緑の瞳には怯えや恐怖ではなく、冴え冴えとするような色がある。


「セリーナ」


 男性が短く制止するような声を出すが、女性は睨みつけるようにアランを見たままだ。


 次に彼女が口を開く時には、今度こそ精霊の名前を囁くかもしれない。そう思いながらも、アランは思わず聞き返していた。


「……なにがだ?」

「兵士に捕まったら、目玉を抉られて舌を抜かれて殺されるのよ。どうせ死ぬなら、彼女もここで私に殺された方がいいに決まってる」


 自分よりもずっと若い女性に、真っ直ぐな視線でそんなことを言われて、アランは息を飲みこんだ。見慣れない色をした瞳は、とても綺麗で、当然だがとても真剣だった。そんな場合ではないと思いながらも、何故だかアランは笑いたくなる。


「なるほど」


 声と共に、長い息を吐き出す。


 アランは剣から手を離すと、その手で血が流れ続けている脇腹をぐっと抑えた。それで多少は痛みが和らぐかとも思ったが、どくどくと脈打つような痛みは激しくなっただけのような気がする。そもそも抑えた腕の方にも傷があるのだ。


 女性の風の魔術でざっくりと斬られているのだろう。別にこれが命に関わる傷だとは思わないが、動き回って血は流れ続けている。ここで死ねば、止血の心配をしなくていいのは楽かもしれない。


「何のつもり?」


 人質であり、実質的なアランの命綱だった少女から離れたからだろう。女性は訝しげに眉根を寄せる。これをチャンスとして魔術を放たないのは、まだ彼女が子供だからか。アランの場合は、隙とみるや迷わず一番弱そうな少女を引き倒して人質にしたのだが。


「……俺もどうせ死ぬなら、一人で死にたいな。こんなところで子供を巻き込んで死ぬのは嫌だ」


 人質など気にしないという彼女の言葉ははったりだったのかもしれないが、それでも言っている内容は正しい。もしもアランが彼女達を捕らえてしまったら、彼女達は先ほど処刑台にいた彼らと同じ運命を辿るのだろう。


 それを考えると、自分は子供相手に何をしているのだろう、という気になった。恩人をなんとか助けられないかと命の危険も顧みずに駆けつけた三人の子供——かどうかは知らないが、何にせよアランが自らそれらを捕らえて突き出す気にはなれない。


「ヘレナ、動けるか」


 男の言葉に、地面に倒れていた少女は起き上がって側に駆け寄る。女性はそれを見ながら、当然のように短く問う。


「殺す?」

「いや。ろくに動けないだろうし、馬もない。騒ぎが大きくなる前に逃げよう」


 魔術を放つ準備なのか、腕をこちらに向けたまま言った女性に、男性は首を横に振る。よく見ると彼も、女性達と同じで綺麗な金髪碧眼だ。数年前ならいざ知らず、魔術師を死刑だと決めた今の国王陛下治世の下では、外を出歩くことも困難なはずだ。


「こいつが騒ぎを大きくするかも」

「大丈夫」


 そう言ったのは、何故だか少女だった。それしか言わなかったにも関わらず、女性は少女の方をちらりと見てから、今度は素直に腕を下ろす。


「さっさと行こう」


 残りの二人を促すようにして、あっさりと森の奥へと向かっていった女性を見て、すぐに男性は追いかけようとしたのだが、少女は未だ立ち止まったままだった。


「あなたの仲間達も無事だから」


 一瞬、何を言われたのか分からなかったが、少女はアランを見ていた。仲間、というのが彼らの背後にいるアランの部下達だと思い至った時には、すでに三人の姿は森の奥へと消えている。


 アランは何とか歩みを進めて、倒れた人々の元へと移動した。そこにいたのは大の男が五名で、全員がアランの部下だ。怪我も何も見えないが、彼らは昏倒するように地面に伏していた。ただ、少女の言うとおりに生きてはいるようで、呼吸は正常にしているように見えるし、まるで眠っているかのように乱れもない。


「これも魔術か……?」


 彼ら三人で屈強な兵士五名を、怪我もさせず仲間も呼ばせずに倒せるわけがない。


 表が騒がしくなってきて、思わずアランはその場に座り込む。先ほどの魔術に気づいたのか、それとも逃げた馬に気づいたのか、何にせよ応援がきたのだろう。それに安堵しながらも、アランは痛む腹を押さえる。


 空の見えない暗い葉の茂る森を見上げながら、首を落とされるのはもっと痛いのだろうか——なんて、愚にもつかないことを考えた。



***



「下手に刺激して、近くで魔術をぶちかまされたくない——じゃなかった?」


 どうもさすがに血が足りなかったようで、兵士たちが駆け寄ってきて会話をしたところまでは覚えているのだが、その後の記憶が曖昧だった。


 気づけば実家の自室の寝台で横になっており、それをロジャーが覗き込んでいた。いつも使っている兵舎の部屋でないのは、単にこちらが近かったからか。アランは腕を持ち上げてみて、指が動かせることを確認する。利き腕に怪我をしたことが気になってはいたが、痛みはあるものの今後に支障はないのではないだろうか。


「だいぶ下手に近寄って、まんまと魔術をぶちかまされたな」

「だろうね! 探すフリするんじゃなかったの?」


 そんなことを言われて、肩をすくめようとしたが全身が痛んで途中でやめた。風の魔術に斬られて出血していたのは腹と腕だけだった気がするが、その前にも勢いよく馬から落とされたのだ。擦り傷や打ち身などは当然あるのだろう。横になったまま一つ一つ痛みの箇所を確認しながらも、アランはロジャーの言葉に内心で首を傾げていた。


 探すふり、で良かったはずのアランが、咄嗟に彼らの前に出て行ったのは何故だろう。仲間がやられたと思って逆上したのか、それとも仲間の無事が分からずに焦ったのか。それとも魔術師を見つけて、思わず舞い上がったてしまったのだろうか。手柄が欲しいわけでも魔術師を捕まえようとしたわけでもない——はずだが、自分でも自分の行動がいまいち説明できない。


「みんなは無事か?」

「みんなっていうのが僕たちの隊のことを言ってるなら、みんな無事だよ。アランと一緒に倒れてた五人なんか、全くの無傷だね。なんで倒れてたか覚えてないって言ってるけど」

「なんだそれ」

「ほんと、なんだそりゃだよね」


 わざとらしく眉根を寄せてそんなことを言ったロジャーに、アランはため息をつく。


 覚えていない、というのもなんらかの魔術なのだろうか。そんな魔術は聞いたことがないし、それが本当なら大騒ぎになる。もしくは自分達が知らされていないだけで、魔術に対する既知の事実なのだろうか。


「俺ら以外の人間は? 殿下はどうなった」

「王子は軽い怪我くらいだって。あとは民衆にも兵士側にも怪我人は多数だけど死者はなし。もしかしたらアランが一番の重傷者かもね」

「それは嬉しくないが、あの混乱で死者が出なかったのなら、軍としては上々なんだろうな」


 そう言ってから、いや、と内心で自身の言葉を否定する。


 死者はなし、ではない。首を斬られて断末魔の叫びを上げていた人々は、当然だが殺されたのだ。家族も友人も未来もあったはずの、大した罪もない民間人が六名。それを見ていた人々がどう思ったかは知らないが、悼み悲しむ人間がいないはずはない。


 あの魔術師たちは、本当に彼らを助けようと思ってあんな場にノコノコとやって来たのだろうか。


「どうかな。魔術師達を逃したってのは、やっぱり痛いみたいだけどね。将軍はさっそく査問のために王宮に呼ばれたみたいだし、アランも怪我が治ったら怒られると思うけど」


 そんな言葉と共に、真上から面白そうな瞳で覗き込まれて、アランは彼の頭を手で払う。どうせ怒られることには慣れているし、派兵された時点でそれを覚悟はしている。


「魔術師は全員逃げたのか?」

「ああ。飛んでった魔術師はそのまま捕まってないし、アランを襲った方もね。アランの証言をもとに随分と探し回ったらしいけど」


 それはご苦労なことだ、と密かにアランは苦笑した。あの時の記憶は曖昧だが、彼らが逃げた森の方角とは違う方角を指し示して、そちらを探せと指示したことだけは覚えている。


 逃げきれたのか、と思うとどこかほっとするような気持ちはある。


 もしかしたら彼らは単に王子の暗殺にきただけの悪い魔術師であり、国が言うようにいずれ人々を傷つける()()()()()()悪い人種なのかもしれなかったが、その時はその時にまた考えれば良い。


 罪があるのかないのかも分からないうちに、彼女たちのあの瞳や小さな体に刃を向けることなど、あってはならないはずだ。——いや、魔術師は存在すら否定されるこの時世下では、仮に彼らが何かしらの罪に手を染めていたのだとしても、それが彼らの責だとは到底思えない。


「あんまり動かない方がいいと思うけど」


 アランが半身を起こそうとしていることに気づいたのだろう。ロジャーはのんびりとそう言ったが、止める気も手を貸す気もないようだった。


「喉が渇いた」

「僕が代わりに飲んであげようか」

「意味が分からん。いいから水をこっちに寄越せ」


 ベッドサイドに置かれたグラスを催促すると、彼はそれを手にしたが、アランには渡さず本当に自分でそれを飲み干してしまった。一瞬、絶句してしまってから、アランはロジャーを睨みつける。


「お前……動けるようになったら覚えてろよ」

「早いところ頼むよ。隊長がいないと隊が締まらないんだよねー」


 それはアランがいないからではなく、副官であるロジャーが臨時の隊長だからだろう。そう言おうと思ったが、彼が先ほど空になったグラスに水を入れているのが見えて止めた。黙っていると、ロジャーはそれを今度はアランに差し出してくる。


 アランがそれを引ったくるようにして受け取ると、彼はおかしそうに笑った。怪我人をおちょくって何が楽しいのだろうか。上官の命令は絶対のはずなのだが、副官である彼が隊長であるアランを敬っているところなど見たことがない。


「そういえばアランが起きたら教えてくれって言われてたんだけど、もう教えてもいい?」

「誰に」

「アランのお兄さん」

「勘弁してくれ」


 アランは苦い声を出す。こんな状況では一番会いたくない人間なのだが、ロジャーは軽い調子で首を傾げる。


「そう言われてもね。西軍一部隊長のトリスタン=クリフォード様の命令に背けると思う?」

「……お前、面白がってるだけだろ」

「まさか。僕みたいなのが口答えしたら一瞬で首が飛ばされるよ。やっても良ければ簡単に叩き斬れるけど」


 そんなことを言われてため息をつく。こう見えてもロジャーはかなりの腕利きだ。大した腕もないトリスタンなど一瞬でたたんでしまうだろうが、さすがにそれをやらせたら二人で断頭台に並べられることになる。


「じゃ、そろそろ僕は兵舎に帰るね。本当に早く帰ってきてよ。でもまあ、怪我が治るまではお大事にね」

「迷惑かけて悪かったな」


 アランが怪我をしてきっと一番迷惑を被ったのは、副官だろう。上官の怒りの向き先は寝ているアランには向けられなかっただろうから、彼が対応したはずだ。そして派兵の事後処理等は意外と手間取るのだし、ロジャーがそれらを得意にしているわけもない。


 彼はひらりと手だけを振ると、軽い足取りで部屋を出ていった。


 その際に外で誰かに声をかけているのが聞こえて、アランはため息をつく。水を飲んでから、わざわざ起こしたばかりの体を慎重に横たえる。今から寝たふりをしたら怒られるだろうか——ともちらりと思ったが、別に怒られはしないだろう。ただただ叩き起こされるだけだ。


 アランはもう一度ため息をついてから、一応、本当に眠ろうと努力はしてみた。




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