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二章 レックスの行方4


 クリスは父に会うために、ロイズの実家に帰ることにした。


 上官には体調が悪いのだと言って仕事を休んだが、彼は嫌な顔をしただけで特に何も言わなかった。別にクリスがいようがいまいが関係ないのだろうし、青い顔をしているクリスを見て、本当に体調が悪いのだと思ったのかもしれない。


 午後には実家に着いたが、当然だが父は不在だった。代わりにクリスを出迎えたのは、屋敷にいた義母と妹たちで、彼女たちは嫌なものでも見るようにクリスを見る。


「連絡もなく急にどうしたのです、クリスティアナ」

「申し訳ありません。父上に話がありまして」


 自分の家に帰ってきただけなのに、なぜ謝らなければならないのだろう。そんなことを思いながらも、クリスは重たい頭を下げる。昨日はさほど泣いていたつもりはないのだが、それでも目も頭も重くて、瞼を持ち上げるのも億劫だった。


「夜には帰ってこられますよね?」


 一応、ここに来る前に聖教の支部に寄って、ロイズ司教が遠出をしていないことは確認している。普通であれば家に戻ってくるだろうが、帰ってきたとしても深夜になるか、下手をすれば他の女のところにいっている可能性はある。


「さあ、どうでしょう」


 そんなことを言って、義母は視線を鋭くする。


 本当に分からないのか、クリスなどには教えたくないということか。以前のクリスであれば、そんな厳しい表情を向けられることに、心が削られるような気持ちになっていたのだが、今となってはぴくりとも心は動かない。


 上品で綺麗なドレスを着た義母は、今でもとても綺麗ではあったが、昔よりも化粧が濃くなっているのは隠すべき粗があるからか。代わりに彼女の後ろに立っている妹二人が、若くて瑞々しくて美しかった。一応は父親は同じはずなのだが、クリスとは似ても似つかない。可愛らしいドレスを身にまとい、髪型も綺麗にまとめられているのを見て、なんとなくクリスは自身の軍服の硬い襟元を引っ張った。


「父さまになにかご相談ごと? いつにも増してひどい顔じゃない。どうなさったの、お姉さま」


 そう言ったのは上の妹で、声音は心配そうなものにも聞こえたが、顔は可笑しそうに口元を歪めている。クリスはちらりとだけ視線を向けてから、平然と言い返す。


「そう? いつも通りだと思うけど」

「そんなに目を腫らしているのに? 部屋に鏡も置いていないのなら、私のものをさしあげましょうか」

「顔色も悪いし目の下のクマもひどいわ。ただでさえ、そんなみすぼらしい髪で、そんな野蛮な服を着てるのに、余計にひどい顔をしてる」

「もちろん、ここまでは馬車できたのよね? そんなひどい顔で外を出歩けるわけがないもの。ロイズの品位が疑われてしまうわ」


 妹二人が口々に言うのを聞き流しながら、彼女たちはそんなに暇なのだろうか、なんて考える。クリスが廊下に立ってただ壁を眺めているように、ずっと家で鏡を眺める日々というのも、なかなかに退屈なのかもしれない。


 クリスは二人から視線を離すと、義母に向かって一礼した。


「部屋で、父が戻るのを待たせていただきますね。食欲もないので食事も不要です」


 一方的に言うと、返事も待たずに部屋に向かう。背後から何かを言い合っているような声は聞こえてきたが、もう耳には入ってこなかった。


 クリスは屋敷の端に向かうと、側にいた顔見知りの使用人に声をかける。


「そこの部屋は空いてる?」

「こちらですか? 空いてはいますが」

「今日はそこを借りてもいいかな。仕事を増やしてごめんね」


 クリスがそういうと、彼女は「少々お待ちください」と慌てて部屋に向かっていった。


 別に掃除などされていなくてもさほど気にならないのだが、彼女の方は気にするだろう。彼女は近くの同僚に声をかけて、三名ほどで部屋に入っていく。クリスは部屋の手前まで行って、ドアを開けたままベッドの布などを取り換えてくれている使用人たちの姿を眺めた。


 この屋敷にクリスの部屋はない。


 なんの嫌がらせなのか、義母たちがこの屋敷に来たときに、妹に自室を譲らされていたし、次に与えられていた部屋も、近衛に配属されてあまり屋敷に戻らなくなると、いつの間にか義母や妹たちの衣装部屋にされていた。よほどクリスに屋敷に戻ってきて欲しくないのだろう。


 今、クリスがいるのは聖堂で怪我をした時に療養していた部屋で、使用人たちの部屋のすぐ側だった。部屋の中身も使用人たちの使っているものと変わらないのだろう。だが、ここの屋敷に長居をする気持ちはないし、一人きりで横になれさえすれば、クリスは別に納屋だって構やしない。


「お待たせして申し訳ありません。ご準備はいたしましたが、行き届かない点はあるかと思いますので、何かあればお申し付けください」

「ありがとう。慌ただしくさせちゃってごめんね」


 クリスは頭を下げてから、申し訳ないけど、と言ってお願いごとをする。


「父が帰ってきたら、誰でもいいから知らせに来てもらってもいいかな? もし私が寝ちゃってても、起こしてもらっていいから」


 どうせ義母や妹たちは伝えてくれないだろうと思ってお願いすると、彼女は快く頷いてくれた。義母や妹はもとより、父や兄よりもよほど使用人たちの方がクリスに対して優しいし、先日寝込んでいた時には心配もしてくれていた。


「承知しました。周囲のものに伝えておきます」

「ありがとう」


 礼を言って部屋に入ってから、クリスはごろりとベッドに横になる。


 移動するだけでも疲れたが、義母や妹たちの顔を見るのもどっと疲れた。体はまるで錘が入ったかのように重く、固いベッドに吸いつけられるような気持ちさえする。どうせ父は帰ってくるのは遅くなるだろうし、仮眠でも取れないかと瞳を閉じてみたが、眠気は全く訪れる気配はない。


 レックスがいなくなったと言われてからは、ほとんど眠くもならないし、食欲もない。


 妹たちに言われるまでもなく、ひどい顔をしているのは分かっていたが、だからと言って部屋に閉じこもっていては嫌なことばかりを考えてしまう。なるべく何も考えないようにと、一日は仕事にも行ったし、レジナルドの護衛に教えてもらったボームスマ隊長にも会いに行ったのだ。

 

 ボームスマというのは近衛の中隊長だった。レックスの護衛として視察先に向かっている途中で、襲撃にあって負傷したらしい。


 三十くらいに見える男性で、かなり鍛えているのかベッドから起こした上半身だけでも大きく見えた。太い腕や首と真面目そうな太い眉がとても怖そうではあったが、急に訪ねてきたクリスを療養中の寝室に入れてくれて、真剣に話を聞いてくれたのだから、実際はとても優しい人に違いない。


 ボームスマはその時の状況を話してくれはしたが、急なことで彼自身もあまり良く分かっていないと言った。


 レックスを乗せていた馬車を走らせているうちに、霧が濃くなり、足元すら見えないような状況になったらしい。その状態で急に馬車の幌が燃え、慌ててレックスを外に出したところを十名ほどで襲撃され、連れ去られたようだ。もちろん護衛はそれ以上の数がいたが、ほとんど視界が利かずに敵も味方も分からないような状況だったのだ、とボームスマは言った。


 彼はレックスの側にいたから、なんとかレックスを取り返そうと追いかけたらしいが、呪文のようなものが聞こえて風の魔術に足や腕を切られたのだという。そこで初めて視界を覆う霧や、馬車を燃やした炎も魔術だったのだ、ということに気づいたらしい。


 彼はレックスがレジナルドの替え玉だと知っていながら、全力でレックスを守ろうとしたのだし、それでもレックスを守れなかった自分を責めていた。そしてレックスを心配して来たクリスに対して、申し訳ないと詫びたのだから、本当に良い人なのだろう。


 もしもレックスが、護衛たちにも見捨てられるような形で拐われたのだとしたら、本当にやりきれないと思っていた。が、少なくとも現場ではひどい怪我を負ってまでもボームスマ隊長はレックスを取り返そうとしてくれたのだ。


 魔術師が王子を狙うというのは、初めてではない。


 魔術師を匿った罪で処刑されようとしていた村人たちの処刑場でも、レックスは魔術師に魔術を向けられたのだ。当然だが、それだけ魔術師たちは王家を憎んでいるのだろう。それを考えると、魔術師たちに連れ去られたレックスがいったいどんな状況にいるのか、嫌な想像しか浮かばなかった。


 ボームスマに話を聞いても、当然だがクリスの気は晴れなかったし、レックスの居場所が分かるような情報もない。他にもクリスにできる限りの情報を集めようと思ったのだが、犯人たちを探しているはずの部隊の進捗などは分からないのだし、仮にレックスが見つかっていたとしても、クリスにその情報が入るかどうかも怪しい。レジナルドなら分かるだろうが、彼に何を聞けるとも思えない。


 そんな八方塞がりの状況で、クリスが頼れるのはもはやロイズ司教しかなく、クリスは実家に戻って来たのだ。父は聖職者でありながら王家にも近いから、もしかしたら何か最新の情報を持っているかも知れないし、持っていなくても探ることはできるかも知れない。


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