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二章 レックスの行方2


「クリスティアナ=ロイズ。ついてこい」


 仕事中にいきなり直属の上官に呼び出されて、クリスは首を傾げながらもついていった。


 生真面目でいかにも軍人といった雰囲気の上官は、ロイズの名前だけで近衛に入り、軍人には似つかわしくないクリスのことを疎ましく思っている。話かけてもろくに返事もしてもらえないことも多いのだが、今もどこに向かうのだと聞いても完全に無視をされた。クリスは内心でため息をつきながらも、めげずに問いかけてみる。


「私の代わりは?」

「追って、適当に誰か手配する」


 心底どうでも良さそうに吐き捨てられる。


 さほど重要でもない壁に張り付いて突っ立っているだけなので、その場を離れたところで困る人間などいないだろうが、それでもさきほどまで自分が立っていた場所が無人になるのを見ると悲しくなった。自分は本当に毎日、意味のないことをやらされているのだろう、という徒労感のようなものが襲ってくる。


 連れて行かれたのは入ったことがない部屋で、中には侍女のような女性達が何人も立っていた。


「あの……?」

「上からの命令だ。大人しく従え」


 上官は、しかめつらしい顔でそんなことを言うと、すぐに引っ込んでいった。


 何事かと思っていると、すぐに中にいた女性たちに招き入れられ、軍服を脱がされた。手早く着替えさせられたのは首元が大きくあいたドレスで、そのまま化粧をされて髪型のセットをされる。


 大人しく従えと言われても、全く意味が分からない。


 周りの女性に聞いてみても、彼女たちは何も答えてくれなかった。何度か話しかけてみたが、判を押したかのように「存じ上げません」と冷たく言われるだけだ。クリスは嫌な緊張に身を固めながらも、なされるがままに身を任せた。


 ロイズの家にいた頃はそれなりに女性らしい、可愛らしい格好をしていた気がするのだが、最近は軍服ばかりを着て、ろくに化粧もしていなかった。大人っぽいドレスも着なれないし、髪や顔を整えられた自分の姿を見ても違和感しかない。特に髪は精いっぱい髪飾りなどで綺麗に整えられているのだが、もとが少年のように短いのだから、どこか女装しているような気分にすらなる。


 着替えや化粧を終えても、何かを待っているのかしばらく放置されていた。女性たちも手持ち無沙汰なようで、それぞれに針仕事をしたり化粧道具の手入れなどを始めてしまって、クリスの方を見ようともしない。


 やがて緊張しているのにも疲れた頃に、ドアが開いてクリスは連れ出された。通ったことのない通路を通って、宮殿内を進んでいくと、やがて突き当たりの部屋に通される。奥に座っていたのは、レジナルド王太子殿下で、クリスは半ば予想していたことだったにも関わらず息が苦しくなる。


 この王城内で、近衛の仕事をしている途中のクリスを呼びつけて、わざわざドレスアップさせるような酔狂な人間がいるとすれば、殿下くらいしかいないだろう。何が目的かは分からないが、レジナルドに呼ばれても嫌な予感しかしない。


 通された部屋は応接間のような場所で、殿下が座っている大きなソファと、向かい合うように椅子が置いてある。中にいたのはレジナルド殿下と、壁際に立っている護衛だけのようだった。


 クリスは少し迷ったが、ドレスの裾をとって軍人としての礼をする。軍服も着ていないし、女性として要人にお会いする時には違う礼の作法になるのだが、あくまでクリスがここにいるのは上官の命令に従ったからだと言うところを見せたかった。


「クリスティアナ=ロイズです。参上いたしました」

「うん。ここに座ってよ」


 そうして示された場所はレジナルド殿下のすぐ隣で、クリスはどきりとする。


 先日は明らかに不機嫌そうに見えたが、今日は口元に笑みを浮かべている。どこか楽しそうに見えるレジナルドは、ある意味で不機嫌そうな時よりもとても恐ろしく見えた。


「……わたくしのようなものが、畏れ多いことです」

「何が? あれのいた屋敷では隣で食事をとったこともあると思うけど」


 たしかに子供の頃に何度か、そんな記憶もある。


 レジナルドと二人きりでとる食事は、緊張から食べ物が喉を通らなかったし、彼は護衛たちと同じようにレックスを壁際に立たせたままだったから、レックスに申し訳ない気持ちもいっぱいだった。


「早くしてくれる? 君ほど暇ではないんだよね」


 そんなことを視線を鋭くして言われて、クリスは全身が縮むような思いがする。なんとか立ち上がり、レジナルドのもとに向かった。近すぎても遠すぎても怒られそうで、慎重に腰を下ろす。すると、レジナルドが指を伸ばしてきた。


 髪に彼の指が触れ、髪留めの部分に触れる。どうすれば良いのか分からず、クリスはただ固まった。


「そんな格好をすれば普通に綺麗なんだけどね。何が悲しくて軍服なんか着てるの?」


 そんなことを言われても、クリスにレジナルドに返せるような言葉はない。


 ロイズの家にいたくなかったし、なるべくレックスのそばにいられるように、と考えたときに、クリスの最善が軍属だったのだ。全体として見れば士官しているのはほぼ男性だが、要人の警護をする近衛などでは、身分のある女性の軍人は重宝される。対象が女性ならやはり女性が良いし、身の回りの世話も一緒にできるといったところだろう。クリスもレックスの護衛を志願しなければ、本来はそうした場所に配置されていたはずだ。


「ロイズ司祭も物好きだよね。ロイズ家の令嬢なら、縁談もいくらでもあっただろうに。それよりは陛下の犬になっておく方が都合が良かったのかな」


 それは父がクリスをレックスに近づけていたことを言っているのだろうか。もしくはクリスが軍属になったことも、父の命令だと思っているのか。レジナルドのにせものであり、暗殺や誘拐の危険があるレックスの近くに娘を近づけるのは、確かに物好きだと言えるのかもしれない。


「司祭には僕から言ってあげるよ。クリスティアナには相応の格好をさせて、相応の相手を見つけるようにって」


 いきなりそんなことを言われても、クリスは戸惑うことしかできなかった。


 そもそも何故、クリスがここに呼ばれているのか分からないのだ。以前、『クリスがレックスのものであるのなら、奪ってやりたい気もする』なんて言っていたから、もしかしたら本当にレックスに対する嫌がらせのためだけにクリスに近づこうとしているのではないかとも警戒したのだが、どう考えてもレジナルド殿下が相応の相手であるわけもない。


「私は……父に強いられてここにいるわけではありません」

「それなら何のため?」


 わざわざそれを聞くのは何故なのだろう。クリスがレックスのためにここにいることを、レジナルドは分かっているはずだ。それでいて、クリスがそんなことを口にすることを、彼は許さないだろうという気もする。


 答えを逡巡していると、しばらくしてレジナルドがゆっくりと言った。


「あれのためなのだとしたら、残念だったね。もう必要ないよ」


 黒い瞳を細めてそんなことを言われて、クリスはどきりとした。そのの中にある漆黒を見ていると、まるで深淵に落ちていくような気持ちにすらなる。


 もう必要ない、なんて不穏な言葉に、クリスは返す言葉を躊躇する。どういうことだと聞きたいような、理由を聞くのが恐ろしいような、そんな相反する思いに動けずにいると、レジナルドは唇を開いた。


「あれは先日、魔術師たちに襲撃されて消えたからね。今ごろどこかで死体になって転がってるんじゃない」


 え、とクリスはぽかんと口を開ける。


 言っている意味がわからなかったからで、レジナルドの言葉は頭の中で嫌な反響をひたすら繰り返した。言っている意味を理解したくないのか、頭は全く働かなかったが、背筋は凍りついたようで、心臓はガンガンと早鐘のように鳴った。


「それは、どういう」


 クリスの言葉に、レジナルドは小さく首を傾げる。


「どうもこうもそのままだけどね。視察先で襲撃にあって連れ去られたみたい。敵は本物の王子だと信じて拐ったんだろうけど、とっくに偽物だって気づいてるだろうな」


 襲撃にあって敵に連れ去られた——と言われて、そんなはずはない、なんて思える材料などクリスには一つもなかった。レジナルドが危険だと思う場所にこそレックスは派遣されるのだし、これまでにも命を狙われたことは一度や二度じゃないのだ。


 殺されたのではなく連れ去られたということであれば、もちろん敵はレックスを本物の王子と思っていたのだろう。王子を確保して何をするつもりだったのかはわからないが、もしも相手が交渉しようとしていたのだとしたら、偽物だと気付かれるのはリスクしかない。確保しておく必要もなくなるし、ならば用済みだと生かして放り出すとも思えないのだ。


 レジナルドの言っている意味を理解するにつれて、クリスは目の前が真っ暗になる。



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