序章 軍の兵士たち1
「趣味が悪いな」
処刑場を無表情で見下ろす王子を、アランは見上げた。この国の唯一の王子であり、唯一の王位継承権を持つとされるレジナルド=オリファントはたしか十七だったか。国王譲りの聡明さと王妃譲りの美貌を持つとされる男子だが、実のところアランは本人を見たことはない。
「別に王子も趣味で処刑を見下ろしてるわけじゃないと思うけどね」
アランの呟きを聞いたのだろう。副官であるロジャーにそんなことを言われて、静かに頭を振った。
別に王子が処刑の場に臨むことを趣味が悪いと言ったわけではない。
ロジャーはあそこにいるのが本物の王子だと思っているのだろうが、アランにはあれが偽王子だということは一目で分かった。遠目ではあるし、もしかしたらレジナルドとレックスが見間違うほど似ている可能性はあるが、それでも本物はこんなところに出てこないだろう。
「特に動きはないな」
アランは馬上から周囲を見回しながら、傍のロジャーに話しかける。今まさに処刑の行われている広場ではうるさいほどの喧騒と、それに紛れることはない断末魔の悲鳴が響いているのだが、二人のいる場所は少し離れていた。大声を出さずとも隣との会話くらいはできる。
「今のところはね。まあ、いくら魔術が強力だったとしても、目を潰されて拘束された罪人六名全員をかついで逃げるなんて芸当はふつう無理だよね」
ロジャーらしい軽い物言いにアランは笑う。どんな場所でも全く緊張感が感じられない副官を、兵士に向いていないと叱責する上官は多いのだが、アランとしては気に入っている。
「そうだろうな。何も起きなければそれに越したことはない」
心の底からそう言った。
本当に趣味が悪いのは、こんな場を作らせた人間だ。恩のある村人を処刑することを餌に魔術師を誘い出し、王子の名を餌に民衆を集め、その周りを兵士たちに取り囲ませる。そうすれば何かが起こるのではないか——と期待している誰かがどこかにいるのだろう、とアランは思っている。
仮に魔術師による攻撃があれば、民衆に魔術師の絶対的な悪を訴えることができる。それで魔術師を捉えることができれば手柄になるし、取り逃したら取り逃したで誰かを責め立てる材料になる。もしくは処刑に反発した民衆達の暴動が起きようが、王太子暗殺の企てが起きようが、望むところなのだろう。取り押さえようが取り押さえまいが、それで得をする誰かがいるから、わざわざこうして役者が揃えられているのだ。
それを企てたのが王宮なのか軍部上層なのかはアランはわからないが、なんにせよ餌となるために処刑される人々も、あそこで感情を殺すようにして立っている偽物の王子も、それからこの場に派兵されているアラン達も、彼らにとっては単なる駒でしかない。
彼らは安全な宮殿内で美味しい食事でもとりながら、血と汗にまみれて走ってきた伝令の報告を伝え聞くだけだろう。
そんなことを考えていると、何かが爆発するような音が聞こえた。咄嗟に視線をやると、そこは王子達がいた城壁だ。一部が破壊され、粉砕された壁石が彼らの居場所を白く染める。
「なんだ」
王子への襲撃かと思った瞬間、広場に集まっていた民衆が割れた。同時に叫び声や怒号が響き、それから炎の矢のようなものが一直線に宙へ伸びた。
赤い炎は、正確に先ほどと同じ場所にぶち当たる。
魔術師だと思いついたのは、呆けたようにそれを見てしまった後だった。城壁の上にいる人々の安否は気になったが、アランの役割はそちらではない。視線だけで民衆の中に紛れていたのだろう敵を探すが、逃げ惑う人が多すぎてそれどころではない。
「いた、魔術師だ!」
そんなことを誰かが叫んで兵が割れるが、追いかけるにせよアランの位置からは遠い。それよりも配下の兵を当初の目的通りの配置につかせることが重要なはずだ、とロジャーに目配せをしてから走り出す。
アランは指示を飛ばしながら馬を駆け、走って逃げる人々の先回りをするように兵を置く。広場へと続く道は別の部隊が雁首を揃えているから、アランの隊は道を逸れて逃げ出す人々が通りそうな場所に配置すれば良い。目的は一人も逃がさないようにすることではなく、顔を確認することだ。魔術師は金髪や碧眼など一般的に目立つ容姿をしたものが多いから、顔や髪を隠していることが多い。黒目黒髪の魔術師もいないではないが、その時はその時だろう。
「アラン!」
ロジャーの大声に何かあったのかと慌てて振り向くと、彼の視線の先の空に人が見えた。ひらりとした外套を羽根のように広げて空高く飛ぶ男性の姿に、思わずアランは呆気に取られる。彼は放物線を描くように落ちて着地した後、またすぐに空へ飛び上がる。
咄嗟にアランは背の弓を取り矢を番えたが、さすがに狙える距離ではない。配備された兵士達の頭上を悠々と超えた魔術師は、鬱蒼と木々のしげる森の中へと消えていった。そちらの方角へ多くの兵士たちが馬を向けるのを見ながら、アランは黙って弓を下ろした。
「俺たちは追わなくていいのか?」
ロジャーに聞かれて、アランは肩をすくめる。
「空まで飛ぶ魔術師を追いかけたいと思うか?」
「なんだか夢はあるけどね」
「……意味がわからん。追いたいなら一人で追って燃やされろ」
ため息をつきながら、男の消えた森を見る。
あの炎の魔術が発射された場所は、王子達のいた城壁までかなり距離があった。魔術というのはある程度、使用距離が制限されると聞いていたが、あの距離で狙えるのならかなり強力な魔術師なのだろう。そもそも魔術師が空を飛べるなんて聞いていなかったが、風を操ることもできると聞くからその延長だろうか。
魔術師なんて代物にそうそう出会うことはないし、これまでアランが会ったことのある魔術師は、強風や砂嵐で軍勢を怯ませたり、建物に火をつけるくらいがせいぜいだった。それくらいなら弓兵や投石機で対応できるし、魔術を使うためには必ず呪文がいるらしいから、口を開く暇を与えなければ何とかなる。アラン自身はさほどの脅威とは思っていなかったのだが。
遠く離れた城壁を破壊したり、そこに炎を浴びせたことより、人の形をした何かが空を飛んだことの方がインパクトがあった。彼らはやはり人智を超えた存在なのだ——と改めて認知させられる。
「でも、追わないならどうする? 仕事をしてないってあとで誰かに怒られないかな?」
「こっちに逃げてきたのならともかく、あちらは別隊の管轄だ。別に敵が一人と限ったわけではないからな。こっちは当初の計画通りに民衆に紛れた魔術師を探すふりをするだけだ」
アランの言葉に、ロジャーは楽しそうに笑う。
「フリでいいんだ」
「別に見つけてもらってもいいが、下手に刺激して近くで魔術をぶちかまされたくはないな」
「安全第一だね」
「死人を出すくらいなら、敵を逃して上に怒られる方がいいだろ」
アランはそう言って、馬首を男が消えた森と反対に向ける。
一時パニック状態になっていた民衆たちは、先ほどよりは落ち着いて見えた。彼らにも魔術師が飛んで逃げたのは見えていたはずだ。そもそも民衆が散り散りに逃げ出したのは魔術の恐怖があったせいだろうから、魔術師が目に見えて去ったことで、危機は去ったと思ったのかもしれない。
また、この場にいた兵士の半数以上は森に逃げた魔術師を追ったらしい。兵士たちの数が減り、広場を去る民衆を監視する厳しい視線も減っている。未だ殺気だった兵士に声をかけられる恐怖に怯えはしているだろうが、それでも先ほどよりはスムーズに人の流れができていた。
「ロジャー、この場を頼む」
「アランは?」
「あちらの森だ」
視線で示す。もともと誰かが逃げ出すなら、民衆に紛れて何食わぬ顔で下町に抜けるか、先ほど魔術師が飛び込んだ森に逃げ込むか、もしくはいまアランが向かっている森に向かうかだろう、と考えていた。道を外れて荒野に向かう可能性もあるが、その場合はどこかで馬を調達する必要がある。近くにそんなものがないことは事前に確認させているし、町に繋がれた馬については監視を置いているはずなのだ。
それもあって元より森の方にもいくつか兵士達を置いていたから、アランはそちらの様子を見に行こうと思ったのだ。
だが、向かっているうちに様子がおかしいことに気づく。森のそばには明らかに怪しい人影が三つ。どう見ても兵士という格好ではなく、二名はフードを目深に被っている。どちらも小柄に見えるため、女性か子供かもしれない。残りの一名は帽子をかぶっているが男性だろう。
見た目も怪しいのだが、一番は彼らのそばに何頭もの馬がいることだ。そしてこの森に入ろうとする人間を止めるために配置した、アランの部下達の姿がない。あの馬は彼らの乗っていたものか。
アランは咄嗟に弓を手にしていた。猛然と馬で駆けてきたアランに気付いたのだろう。三人は同時にこちらを見る。その瞳が青いことに気づいた時には、思わず矢を放っていた。
馬の嘶く声と女性の悲鳴が聞こえる。
「土の民、沈めろ!」
同時に、別の女性の声が響いた。瞬間、がくんと馬の足を取られるような感覚がして、勢いの乗った馬から放り出される。何とか片腕をついて頭からの落下は防いだが、地面に打ちつけた半身の痛みに舌打ちした。だが、アランは間髪を入れずに、体勢を立て直して起き上がる。
素早く視線を上げると、すぐ近くに三名の姿があった。続け様に攻撃がこないのは、アランの矢を受けて暴れる馬と、それに刺激された馬たちが近くで暴れ回っているからか。一名は馬に蹴られでもしたのか、倒れ込んでしまっている。
アランが近づこうとすると、先ほどの女性の魔術師が声を上げる。
「風の民——」
木に繋がれたまま暴れ回る馬たちと、地面に倒れている男。背に落ちたフードの下から、眩いばかりの金髪を晒して精霊の名を叫ぶ女性、それから青い瞳を丸くして立ちつくす少女。
「切り裂け!」
アランが駆け出すのと、声が聞こえるのと、痛みが襲うのは、ほぼ同時だった。
どこが痛むのかも分からないまま、アランは足を動かして狙いと定めた少女との距離を詰める。足をかけると、彼女は驚いたような表情を張り付かせたまま、簡単に地面に倒れた。そこにアランは剣を突き立てる。
「ヘレナ!」
叫んだのは男の方だったか。
「黙れ!」
アランは剣を持ったまま、残りの二人に向かって牽制する。
「仲間を殺されたくなければ口を開くな」
地面には、首のすぐ近くの地面に刺さった刃の側で震える少女がいる。青く澄んだ宝石のような瞳にどきりとしたが、同時に倒れ込みたいほどの痛みもあり、さらに強く剣を握った。その剣の上を流れているのはアラン自身の血か。
アランが顔を上げると、そこには焦燥のようなものを張り付かせた男の顔と、凍りついたようにこちらを見る女の顔がある。いつの間にか馬がいなくなっていたのは、繋がれていた綱が外れたのか、元より繋がれていたわけではなかったのか。
先ほどまでは馬が暴れていたため気づかなかったが、彼らの背後の方には軍服に身を包んだ何名かが倒れているのが見える。アランの部下達だろう。
動かない彼らの姿を見つけた瞬間、すっと思考が冷えるのを感じた。