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二章 アランの遁走5


「この傷はどうしたんだ?」


 セリーナの傷はちょうど鎖骨の下あたりにあった。白く滑らかな肌に痛々しいほどの傷で、慎重に消毒してやっていたのだが、傷んだようで彼女は顔を顰める。


「弓矢で射られた」


 そんなところだろうと思ってはいたが、改めて聞くとより痛そうに思える。


 そして治療をするためにこうして近くで見ていると、彼女は本当に華奢で細かった。魔術師としての彼女と対峙している時は、これまで見たどの魔術師より強そうで頑丈そうに見えたのだが、実物は鎖骨も浮き上がっているし、首も細すぎるほどに細い。髪が治療の邪魔にならないようにと片手で束ねてくれているが、その腕や手指も細いのだ。


 あの集落に暮らしていたのなら、家も崩れかけそうなものしかなかったし、田畑もろくになかった。食料が十分にあったようには思えないから、そもそも食べられていなかったのかもしれない。


 その上でこうして怪我をして弱ったセリーナを見ていると、こんな少女を狙うなんて——とは思わないでもないが、実際に対峙した兵士たちからすればきっと脅威だっただろう。兵士側にも怪我人などは多く出ていると聞く。アランだってセリーナが魔術を使って狙ってくれば、なんとか接近して引き倒すか、弓矢で応戦していたに違いない。


「矢はどうした」

「動くのに邪魔だから抜いた」

「自分で?」

「ええ」


 さすが、とアランは苦笑する。こんなに細くてか弱そうに見えるのに、やっていることは歴戦の兵士のようだ。


「足の怪我は?」

「さあ。走ってたらいつの間にか怪我して転がってたから、尖った枝でも飛び出してたんじゃないかしら」

「それは運がないな」

「そうね」


 枝が刺さったのなら剣で斬られるよりも痛そうでもあるし、そちらでもかなり出血したように見える。それにしては回復しているように見えるのは、彼女がしばしば魔術を使っているからか。


 魔術を使って回復するのは消耗するのだと彼女は言ったし、彼女の使う回復の魔術なんて気休め程度だと言ったが、それでも使っているということは意味があると言うことなのだろう。


 とりあえずは自分で起き上がれるようになっているし、食事もとれている。生死も分からない彼女の仲間の話や、襲われて兵士たちに踏み荒らされているはずの集落の話をしても良いものか分からないので、適当にアランの話をしていたのだが、彼女もそれなりに聞いてくれているようだった。


 一昨日は大丈夫じゃないなんて言っていたが、それ以降で彼女が弱音を言ったり、後ろ向きな発言をしたことはない。


「歩けるようになったらすぐ出て行くわ」


 彼女はそう言って、太ももに巻いた包帯を触った。傷としては胸の傷の方が深そうには見えるが、動くのに支障があるのは足の方なのだろう。


「行くアテはあるのか?」

「とりあえずは魔術師がいそうなところに行って、身を隠すつもり。もしヘレナとジャクソンが生きてれば、迎えにきてくれるかもしれないから」


 そう言ったセリーナは何故か宙を見ていた。どこも見ていないというよりは何かを見ている気がして、そこに精霊がいるのかと思う。魔術師である彼女は、アランとは全く違う世界が見ているはずなのだ。


「ヘレナなら、セリーナの場所が分かるのか?」

「たぶん。ここに彼女の置いていった水の民(ウンディーネ)がいるから」

「そこに?」


 セリーナが見ている宙を示すと、彼女は頷いた。魔術師たちは精霊を使って仲間と交信のようなことが出来るのだろうか。そう思って聞いてみたのだが、セリーナは首を横に振った。


「まさか。ヘレナでもさすがにそんなことはできないわ。近ければこの水の民(ウンディーネ)の目を通して私の様子は見られると思うけど、遠かったらそれも無理ね。ただ、それでもヘレナが彼女の水の民(ウンディーネ)をわざわざ私に付けてるということは、何か意味はあるはずだと思う」


 確信的な口調で言われた言葉に、アランは首を傾げる。最初から彼女はヘレナという少女の言葉を随分と信用しているように見えている。


「それもヘレナにしか出来ないことか?」

「私には出来ないし、他に聞いたこともないわね」

「なんでヘレナは魔術師の中でもそんなに特別なんだ?」


 彼女は自分でも、自分だけが特別だと言っていた。他の魔術師は脅威にならないと言っていたが、それならば彼女だけは脅威になりうるということではないのだろうか。あの状況で逃げ出したのかどうかはアランには分からないが、逃げ出すことができたのならやはり彼女は特別なのだろうし、そもそも軍の動きを察知して逃げ出せたのも、ヘレナがいたためではないだろうか。


「さあ。そんなことヘレナ本人にだって分からないんじゃない?」

「そういうものか?」

「少なくともあの子は人間だもの。いくら精霊が味方していたとしても、ヘレナ自身は優しくて小さくてか弱い普通の女の子よ。屈強な兵士たちが——」


 セリーナはそう言ってから、言葉を飲み込んだように見えた。だが、アランの方をちらりと見てから、静かに言葉を続ける。


「踏みつけていい存在じゃない」


 続く言葉をためらうようにしたのは、その兵士であるはずのアランに遠慮したためだろうか。


 だがそんな言葉は、ヘレナだけでなくセリーナ自身にも当てはまるのではないだろうか、などと考えてしまってアランは胸が痛くなる。話を聞いている限りでも、セリーナもヘレナも他の魔術師たちも、戦いたくて戦っているわけではない。逃げても逃げきれず、自分や仲間を助けるための最後の抵抗として、魔術を使っているだけなのだ。


 セリーナも本当なら、優しくて小さくてか弱い存在であり、アランのような兵士たちがよってたかって痛めつけるような相手ではない。


 そうだな、としか言えず、アランは無言でセリーナの包帯の端を小さく結ぶ。処置を終えてから、手を離して体も離れた。


「ありがとう」


 彼女はそう言って、衣服を整えはじめる。


 特にアランのことを意識もしていないのか、もしくは背に腹はかえられないのか、包帯を巻き直す時には肩や二の腕や太ももを躊躇なく出してくる。こちらも特に意識はしていないつもりだが、なんとなく目のやり場には困っていて、なるべく白い肌は見ずに傷口だけを見るようにしていた。


 目を逸らしていると、セリーナから声をかけられる。


「アランはどうするの?」

「なにが」

「早く隊に戻らなくていいの?」


 急に問われた率直な言葉に、アランは苦笑した。


 セリーナを安全な場所に移したら戻ろうと思っていたのだが、ずるずるとこの場に残ってしまっていた。動けない彼女を一人でこんなところに放置して良いのかと考えているということはもちろんあるのだが、一度戻ると二度と出てこられない可能性もあるなんて思ってしまって、クラウィスに戻る踏ん切りもつかない。


「まあ、ぼちぼち戻るよ」

「戻れるの?」

「何とかなるよ」


 アランの言葉にセリーナは僅かに眉根を寄せる。


 もしかしたら心配してくれているのかもしれないが、たとえ軍に戻れなくても、死刑なんて言われない限りは何とかなる。姿を見られただけで処刑台に連行されかねない彼女に比べれば、圧倒的にアランの置かれた立場の方が何とでも生きようはあるのだ。


 そんなことを考えていると、足音が部屋の前で止まってどきりとした。


 ここは町はずれの安宿だがそれなりに盛況らしく、人がひっきりなしに出入りしている。だが、部屋を間違えたのでなければ、他人の部屋の前で止まることはないだろう。


 コン、と小さくドアが叩かれる。


 そこでセリーナも気づいたようで、彼女ははっと強張った顔でドアを見た。アランはそっと立ち上がると、剣を掴んでドアのそばに近づいた。足音は一つだったし、薄いドア越しではあるが、他に人が大勢潜んでいそうな気配はない。


「誰だ」


 アランの言葉に、僕、とすぐ返される。


 その声にアランは眉を上げた。慎重にドアを開けるとそこに立っていたのはロジャーで、アランは外を確認してから部屋の中に引き込む。


 声で誰かはすぐにわかったのだが、こんなところに彼が来るとは思っておらず、副官の顔をまじまじと見る。彼は部屋に入るなり、どこで調達したんだと思うような汚い外套を脱いだ。貴族の中でもそれなりに名家の息子であるロジャーは、どう頑張ってもこんな宿にもこんな場所にも似つかわしくない。目立たないように、どうにか入手したのだろう。


「何しにきた?」

「なに、ってわざわざ僕に場所を知らせてきたのは、訪ねてこいってことじゃないの」

「……そんな文章に読めたか?」


 たしかにここに着いた直後に、彼には連絡を頼んであった。コルヌはクラウィスにも近いし、便りはすぐに届いたはずだ。彼のことは唯一信用していたし、念の為にと場所は伝えたが、よほどのことがない限りは連絡してくれるなと書いたつもりだった。


「アランは素直じゃないからね」

 

 そう言ってから、ロジャーはベッドの上に体を起こしたセリーナに近づいた。警戒しきった顔でロジャーを見上げる彼女に、彼は手のひらを出す。


「はじめまして。ロジャーです」


 名前を聞いて、セリーナは恐る恐るといった様子で彼の手を掴む。


 彼女には、あらかじめ副官であるロジャーという名前を教えていた。もしもアランが捕まるなりして身動きが取れなくなった場合、最悪はロジャーにセリーナに対する何かしらの助けを求めることがあるかもしれないと思っていたのだ。彼はアランが隊を離脱する時に、セリーナを放り出せというようなことを言っていたが、全く悪い人間ではないし、魔術師に対してだろうと通常であれば紳士的に接するはずだ。


「よろしくね」


 ロジャーはにっこり笑ってから、肩からかけていた袋から綺麗な包みを取り出す。そして何故かそれをセリーナに手渡した。


「はい。お近づきのしるしに」

「なんだ?」

「怪我をしている彼女にお見舞いのプレゼント。さすがに手ぶらではこられないでしょ」


 困ったような顔で固まっているセリーナだったが、アランが促すと包みを開けた。中には綺麗な色の部屋着や櫛や髪留めのようなものなどが入っていて、それを見た彼女はさらに困ったような顔で固まった。セリーナのそんな顔を見るのは初めてで、アランは苦笑する。


 そういえばロジャーは女たらしだった。


 育ちが良く物腰も柔らかく、見目もそれなりに良い。そして相手が貴族だろうが平民だろうが魔術師だろうが、女性に等しく優しいのだからモテるはずだ。包に一緒に入っていた赤い小さな切花を摘み上げて、アランは目の高さに掲げる。幾重にも重なった赤色の花弁を見ながら、花なんてものを触ったのも、真面目に見たのも初めてかもしれないと思う。


「俺には?」

「なんでアランなんかに手土産を持ってくる必要があるのさ」

 

 心底、嫌そうに言われた言葉に、アランは苦笑する。


 本来なら手土産を持って参上すべきなのはアランの方だろう。アランが職務を放棄したことで、ロジャーが迷惑を被ったことは間違いない。



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