二章 アランの遁走3
結局、一睡もできないまま、アランは明け方にロジャーを叩き起こした。
「なに?」
いつもは髪型にも身なりにも気を遣っているロジャーだが、当たり前だが寝起きは寝癖くらいついている。不機嫌な顔で寝癖を押さえるようにする彼を連れて、荷馬車に向かった。そこには不寝番をしていた兵と、寝かさせているセリーナの姿がある。
「俺は隊を抜ける。帰還はロジャーに任せた」
そう言ったアランに、ロジャーは寝癖を押さえていた手を離して、顔を顰める。
「隊長がクラウィスに帰らないって? 正気?」
「正気かと言われれば正気じゃない気はしてるが、少なくとも本気ではある」
「理由は?」
ひやりとするような冷たい声音で聞かれて、アランは一瞬、言葉に詰まる。
クラウィスに軍を率いて戻った際に、大隊長に報告をするのはアランの責務だ。そこにいないとなると、よほどの理由が必要となるだろうが、アランにその答えの持ち合わせはない。
ゆっくりと首を横に振りながら、セリーナを示す。
「ここで彼女を連れて出ることを見逃して欲しい」
「どうして? どうしても衛兵たちに引き渡したくないのなら、その辺に放り出せばいい。この間はそうしていたんだろ」
苛立たしげなロジャーの口調に、アランはやはり首を横に振る。
ここで彼女を放り出すだけなら、衛兵たちに引き渡すのと何も変わらないのだ。セリーナに言わせれば捕まるよりは死んだ方がマシなのかもしれないが、アランとしては、この状況ではどちらもアランが彼女を見殺しにしたことと同義になる。
だが、たしかにロジャーの言うとおり、彼女をここから放り出すだけなら、さほど大きな問題ではないのだ。やろうと思えばなんとでも誤魔化せる。わざわざ念入りに捜索してくれた部下たちには悪いが、頭を下げて頼み込んで、なんとか発見自体を無かったことにしようと思えばできなくもない。
一方で彼女と一緒にアランがここを離れるというのは明らかな規定違反で、本来報告をすべき隊長がいないとなれば、なんとも誤魔化しようもない。副官のロジャーについても、隊長は職務を放棄してどこかに出て行きました、というしかないはずだ。どうあってもアランの懲罰は免れまい。
「よく分からないな。今さら可哀想だと思ったの? これまで捕らえた魔術師の中に、女の人も子供もいたと思うけど」
ロジャーの言葉を聞きながらも、アランは歩いて行って彼女の様子を確認する。
そもそもひどい怪我と出血ではある。荷馬車で運ばれるのも辛かっただろうが、アランが運ぶなら馬に一緒にの乗せていくしかない。そんな体力があるのかどうかも分からないが、少なくとも呼吸はしっかりしているし、ここにいてもどうせ死ぬだけなのだ。
「悪いな。全ては俺の勝手な行動で、隊に迷惑はかけたくないとは思ってる。戻ったら大人しく処罰は受けるよ」
処罰がどのようなものかは分からないが、どうせいつ辞めてもいいとは思っていたのだ。
「魔術師を匿えば、死刑ですよ」
そんな言葉を背後に聞いて、アランは振り返った。
それを言ったのはロジャーではなく、不寝番としてこの場にいたアシュリーだった。彼はこの隊では最年少の兵士で、まだ十代だ。いつも穏やかな彼だが、今はアランを睨みつけるように見つめている。
正直に言えば、ここでアシュリーに何かしらの意見を言われると思っておらず、少しだけ驚いた気分で彼を見返した。
「それともそれは平民だけに適用される法律ですか? 私が同じことをすれば死刑になっても、隊長なら上の偉い人たちに頼んで見逃してもらえます?」
そんなことを年少の彼から厳しい声音で問われて、アランは息を飲む。
アランはたしかに、自分が死刑になるつもりはなかったのだ。それは魔術師を匿っていることが露見しないと思っていたというよりは、自分が死刑になるとは思っていなかった——という方が正しく、自分なら魔術師を匿っていても見逃してもらえると思っていたのかもしれない。
それは軍人として地位があるからか、それともクリフォードの家が守ってくれるとでも思っていたからか。自分でも分からないが、なんにせよ認識が甘かったといわれれば、それは間違いないだろう。アランが処刑される可能性はたしかにある。ロジャーなりアシュリーなりがアランを告発すれば、少なくともアランは軍の懲罰会議にかけられるのではなく、衛兵に捕らえられて投獄されるはずだ。
「……どうかな。見逃してもらえれば嬉しいが、無理ならどこかに逃げるしかないな」
ただどちらにせよ、セリーナを衛兵に引き渡すという選択肢はない。
夜中じゅう悩んではいたのだが、それはどうすれば彼女を助けられるか、どうすればロジャーや他の部下や部隊長や大隊長に迷惑をかけずに済むか、ということだった。彼女を見捨てるか見捨てないかで言ったら、見捨てるつもりはなかったのだ。
これまでさんざん魔術師たちを捕らえてきたのにとか、なぜ彼女だけ特別扱いをするのかとか、自分でも理由はよく分からない。だがここでセリーナを衛兵に引き渡してしまったら、二度とアランは自分を許せないだろうという確信だけはあった。
未だに彼女のまっすぐな強い瞳が、脳裏に焼きついて離れないのだ。それは腹の傷の痛みと同様に、アランが魔術師を捕えるたびに思い出され、そのたびに何故いまだに自分はこんなところにいるのだろうと強く思わされる。国を守ろうなんて大した志があって軍に属しているわけでもないが、少なくとも自らの出世とか保身とかを考えて国民を処刑するために、体を鍛えてきたわけではないはずだ。
「——私は隊長のことは尊敬していますが、隊長のしていることは許せません」
そう言ったアシュリーの視線も、まっすぐに睨みつけるようにアランの上にあった。
「私たちは国や法や隊長の命令に従って罪もない魔術師たちを捕らえているのに、隊長が助けようと思った人物だけは助けられるなんて、そんなの不公平すぎます」
彼の丸い瞳には、涙が滲んでいた。
悔し涙なのか、それとも彼の中の感情も暴れているのか。彼がアランを糾弾しているのは、今回のことだけではないのだろう。前にジャクソンを逃したことも言っているに違いない。
アシュリーは真面目で心優しい性格をしている。罪もない魔術師を捕えて死に至らしめることに、良心の呵責を覚えて当然なのだ。そして彼はアランやロジャーとは違って、特に家の後ろ盾があるわけでもない市民だ。いくらこんなことはやりたくないと思っても、国や軍やアランの命令に背くことなど出来ないだろうし、もしかしたら退役するという選択肢もないかもしれない。
そんな彼が魔術師を助けようとすれば死刑になり、アランならば助かるのだというのは、たしかに不公平なことに違いない。これまで不満ばかり口にしていたアランとは違って、アシュリーがそんなものを口に出来る性格とは思えないのだ。
「……悪いな。助けられるなら全員を助けたいが、俺にもそんな力はないからな」
アランはそう言ってから、軍服の上着を脱ぎ、彼女の体にかけられていた外套を代わりに羽織る。そしてセリーナの体には代わりに布を巻きつけてから、慎重に体を持ち上げた。
「俺がどうしても助けたいと思った時にだけ助けてる。身勝手な隊長で本当にすまないな」
顔を上げると、涙ぐんだようなアシュリーと、どこか困ったようにこちらをみているロジャーの顔がある。
「もう隊長でもなくなるだろうが……でも、もしアシュリーに何かがあった時にも、俺が何としてでも助けるよ」
そう言ってアランは彼らの横を通り抜ける。
どちらも何も言わなかったし、アランを止めようとはしなかった。アランは彼らを振り返らずに、自分の馬へと向かう。
なんとかセリーナをの体を片腕に抱いたまま馬に跨ると、白みかけた地平に向かって馬を歩かせた。