二章 アランの遁走2
「アラン隊長!」
ざわついた声が聞こえたと思って意識を向けたところ、大声で名前を呼ばれた。アランは馬を降りて一気に斜面を下っていく。
数名の部下たちが固まっているところに向かうと、彼らの隙間から、倒れたいるような人の足が見えてアランはどきりとした。
「どうした」
「魔術師、ではないかと」
そこに倒れた人物を見て、アランは一瞬で血の気が引いた。
それはまさしく見たくないと思っていた人物の姿だった。木の葉の上に広がっている金色の髪と、小さくて青白い顔。目を開けていないから緑色の印象的な瞳はみられないし、首から下には外套がかけられているから様子はうかがえない。だが、頭だけでもそれがセリーナだということはわかる。
「……死んでいるのか?」
声が震えそうになるのをなんとか抑える。
彼女のそばにしゃがみ込んでいた仲間は「いえ」と言った。彼も彼女の生死を確認していたのだろう。呼吸や首の脈拍を見ていたようで、首を横に振った。
「意識はありませんが、生きてはいるようです」
アランも彼のそばにしゃがむと、慎重にセリーナにかけられていた外套を取る。肩から胸にかけて大きく血に汚れていて、アランは息を飲んだ。太ももの辺りは服が破れていて、そこにも大きな傷が見える。
これで生きているのだろうか、と思うほどの出血に見えるのだが、たしかに呼吸はしているし、触れると首元も温かい。
「……包帯は?」
「いま取りに行かせてます」
「この怪我で、こんなところまで逃げてきたのでしょうか」
誰かがそんなことを呟いて、確かにと思う。
集落からも少し離れているし、誰も彼女を追っていないということは、なんとか兵士の目を逃れてきたということだ。アランは血が固まってずっしりと重い彼女の服を剣で裂いて、傷口を確認する。鎖骨の下あたりに出来た裂傷は、剣でついたものには見えないから、矢傷だろうか。どっと血が溢れてくるようなことはないが、それでも生々しく痛々しい傷口を見て、アランの指先が震える。
手渡された消毒液を傷口にかけると、彼女の体がびくりと動く。
「……あ」
セリーナの口から声が漏れた。
痛みで目を覚ましたのだろうか。そのままアランが傷口を抑えて包帯を巻こうとすると、さらに苦悶するような声が出る。だが依然として瞳は開かなかったので、無意識なのかもしれない。
「悪いな」
せめて謝ってから処置を続ける。
仲間に手を借りて、彼女の半身を浮かせて包帯をきつく巻く。そして足の傷にも同じように消毒をして包帯を巻いた。途中から彼女の体が痛みに耐えるように震えているのに気づく。
視線を向けると、彼女は目を開けていた。仰向けに寝かされているセリーナの視線の先には、何人もの兵士がいる。それを怯えたように見上げているセリーナに、アランはなんと声をかければ良いのかと迷った。迷った挙句に、普通のことを聞いた。
「大丈夫か?」
声をかけられてセリーナの体がびくりと震える。そしてアランの顔を見て、彼女の緑色の瞳は驚いたように大きくなる。何かを言いたそうに、青白くなった唇をわずかに開けたが、声が出されることはなかった。
「……君が魔術師かどうかは知らないが、頼むから魔術は使ってくれるなよ」
ここでこの状況でセリーナを魔術師でないと主張できるとも思えなかったが、それでも魔術師だと認めればそのまま衛兵に引き渡すしかなくなる。そしてセリーナならば、もしかしたらこんな状態でも魔術を使おうとするのではないかという恐れもあって、牽制するようにそう言った。
部下たちを危険に晒すわけにもいかないし、魔術を使った彼女を乱暴に押さえつけるわけにもいかない。
そう考えていると、すぐに仲間たちは彼女の目に布を巻いた。規定通りに口を塞がなかったのは、酷い傷を負って倒れていた彼女の体に障ると思ったからだろうか。
「悪いが、動かすぞ」
アランはもともとかけられていた外套を彼女の体に改めてかけなおすと、彼女の頭の下に腕を入れる。彼女は身じろぎするように僅かに動いた。それは痛みからなのか、嫌がっているという意思表示なのかは分からないが、それ以上は抵抗しなかった。そもそも動けないのだろう。
両腕で慎重に持ち上げると、彼女の体が強張るのが分かる。そのまま荷を運ぶ馬に慎重に乗せた。
「水を飲めるか?」
口元に水を持っていくと、彼女はそれを素直に飲んだ。そして天幕の布の上などなるべく振動が少なそうな場所に体を横たえてやると、そのまま動かなくなる。大丈夫かと声をかけてみたがやはり返事はない。そもそも怪我といい、ここで兵士たちに捕まったことといい、大丈夫なわけはないだろう。
アランが持ち場に戻ると、様子を見ていたらしいロジャーが声をかけてくる。
「探すフリなのに意外と見つけちゃうもんだね」
「そうだな」
「近くも探す? まだ仲間がいるかもしれない」
「……そうだな」
気は乗らないが、そうせざるを得ないだろう。一人を見つけたということは、他の仲間が近くにいることは当然考えるべきことだ。ここで付近を捜索させない方がおかしい。
部下たちに指示を出しながら、いるとすればヘレナという少女達なのだろうか、と思う。
セリーナの近くにはいつも、ヘレナがいた。彼女は自身のことを特別だと言い、精霊たちが色々と教えてくれると言っていたが、それでもこの危機は察知できなかったということなのだろう。もしくは彼女は無事にどこかに逃げ延びているのだとしたら、セリーナとはもともと一緒にはいなかったのか。どちらにせよ、近くで身を潜めているような気はしない。それならばセリーナをこの状態で放ってはおかないだろう。
仲間が近くを探すのを見下ろしながら、アランはこれからどうすれば良いのかと、ぐるぐると頭の中で考える。
このまま連れて帰ればそのまま衛兵たちに引き渡すしかない。いくら怪我人だろうが、若い女性だろうが、上は必ずそれを命じるだろうし、衛兵たちも全く気にせず処刑の手続きなのかなんなのかを進めるはずだ。
だが、先日のジャクソンとは違って、単に外に逃せば良いというわけでもないのだ。引き渡せる仲間もいないし、とても今の状態の彼女が一人で逃げられるとは思えない。ならばどこかで密かに匿うしかないのだが、動けない彼女を連れていくのも難しいし、そもそも彼女を連れて行ける安全な場所なんか思いつかない。
答えの出ない思考をどれだけ続けていたのか、いつの間にか仲間たちは捜索を完了したようだった。
「他に倒れている人物もいませんでしたし、特に隠れられそうな場所もありませんね」
そんな報告に、そうか、とだけ返す。
捜索を終えれば今度は帰還するしかなく、アランたちはセリーナを乗せたまま移動し、日が暮れると野営の陣を張った。色々と話しかけられて会話をしていたが、正直、何をロジャーや部下たちと話したのかも覚えていない。自分の天幕に戻ってからもとても眠る気になれず、アランは自分はどうするべきなのかとぐるぐると悩み続けた。
朝になればまた移動を開始して、昼にはクラウィスに着いてしまうのだ。そうなればセリーナを引き渡すしかなくなる。