一章 魔術師たち7
「魔術師たちだ、撃て!」
そんな声と悲鳴がいくつも響いて、ジャクソンは体を縮める。子供も含めて百人近くの民間人が山に入っているのだ。警戒している兵士たちに気付かれずに移動できるわけもないと思っていたから、最初から見つかることは覚悟していた。あとはいつ相手が仕掛けてくるか、と言うところだったが、兵士たちは弓の射程に入るやいなやすぐに弓を射かけてきた。
こちらには木々があるから、簡単に的にはならないとは思うが、それでもすぐそばを矢が通って肝が冷える。
「水の民、視界を奪え」
「風の民、風だ!」
「土の民! 舞い上がれ!」
先頭付近を行くイライアス達が魔術を使ったのだろう。彼らの使った精霊達により、高台にいた兵士たちの姿がみるみると白い煙の中に消えていく。土埃と霧によって彼らの視界を奪ったのだ。上から兵士たちが騒ぐような声が聞こえてくる。
今の隙に彼らの脇をすり抜けたいと、ジャクソン達は足を速める。
「怯むな! 進め!」
だがそんな声が響いて、白い霧の中から兵士たちが飛び出してくる。
「風の民、切り裂け!」
「火の民、燃やせ!」
走り降りてきた兵士たちは、すぐに誰かの魔術に迎え撃たれる。だが、それでも背後からまた大量の兵士たちがやってきて、彼らの剣が先頭の誰かに届き、悲鳴が聞こえる。
「こっち」
そう言ってヘレナがジャクソンの袖を引いたので、ジャクソンは大声で周囲に呼びかける。ヘレナは今もずっと空から兵士たちの動きを見ているはずで、逃げ道があるならヘレナが指示してくれるはずだと思っていた。
「こっちだ、付いてきてくれ」
ヘレナを背後に庇いながら進む。先ほどまでと違って今度はジャクソン達が先頭で、目の前に兵士が飛び出してくるのではと思うと気が気ではなかったが、精霊を捕まえたまま歩くには足元が悪い。精霊と同調したまま歩き回るのは消耗するのだ。せめて、ダレルの家で受け取った剣を握りしめる。相手が急襲してきた時に、背後のセリーナに魔術を使ってもらう時間くらいは稼ぐ必要があった。
「後ろから追ってくる」
ヘレナの言葉にどきりとする。後ろを振り返ると、ジャクソン達についてきている仲間は、全体の半数ほどか。他の仲間達はあの場に留まらざるを得なかったのか、別の場所に逃げたのか。そして仲間達の遥か後ろに、ヘレナの言うとおり兵士たちの姿が見える。
「火の民」
言ったのは、セリーナだった。彼女は走って少しだけ人々の中から離れると、火の精霊を使って後方に火の玉を放つ。そして風の精霊を呼んだ。
「風の民、走れ!」
風を使って木の葉に落ちた火を大きくする。兵士たちの方角に火を放とうというのだろう。後方にいた他の誰かも、風の民を使って火の勢いを強くする。だが、もともとこの季節の山はさほど乾いていない。火の民の力も弱いから、思うようには燃え広がらず、兵士たちは足を止めずに向かってきた。そのうちの何人かは木々をものともせず、弓矢を射てくる。そして猛然と駆けてきた。
もともとジャクソン達は魔術師と言っても集落で平和に暮らしていただけなのだ。そしてここには女性も子供も老人もいる。軍人と比べて体力があるわけがなく、足が速いわけもない。すぐに追いつかれてしまい、魔術と悲鳴が響く乱戦になった。
ジャクソンもヘレナを仲間に任せて、背後の敵に向かった。が、そこには多くの敵と多くの仲間がいて、迂闊に魔術も使えない。
「土の民、捕えろ!」
軍服だけを素早く視線で捕捉して、彼らの足を地面に縫い止める。急に足を止められて動けなくなった兵士たちを見て、攻撃されていた仲間たちは慌てて逃げ出す。そこの隙に誰かが風の魔術を使って彼らの肌を切り裂く。小さな切り傷くらいしか与えられていないが、それでも怯ませるには十分だ。
「土の民!」
続いて呼んだ精霊で、まだ追おうとしていた敵の足を止める。次の瞬間、セリーナが風の民を使って、彼らを一斉に薙ぎ倒した。これほどまでに強い魔術が使えるのは、ヘレナの精霊を借りているのだろう。彼女についている強力な精霊のうちいくつかは、ヘレナが依頼すればセリーナやジャクソンのような身近な人間にも協力してくれる。
一気に背後の敵が消えたのを見て、ジャクソンは走ってヘレナのいる場所に戻った。
「逃げるぞ。このまま真っ直ぐでいいか?」
ジャクソンの言葉に、彼女はかなり迷うような顔をしてから「たぶん」と言った。
精霊の目で見ていると言っても全ての状況が把握できるわけもないし、兵士が多すぎてどちらに逃げて良いのかわからない可能性もある。ヘレナとしても皆の命を預かるのは辛いはずだが、それでも彼女の意向は確認したかった。
ジャクソンは頷いてから、剣を持っていない方の手でヘレナの手をつなぐ。走り出そうとしたところを、急に腕を掴まれてどきりとした。
「ヘレナ、カメロンを助けて」
ジャクソン達に泣きながら縋りついてきたのは、隣の家に住んでいた女性だった。彼女の視線の先には、血まみれで倒れたカメロンが見える。彼の背中には斬られたような赤い痕があり、ジャクソンは息を飲む。生きているのか分からないが、とても動けるようには見えない。
「ジャクソン」
呟くようなヘレナの声がして、ジャクソンは強く首を横に振った。
「ダメだ」
ヘレナに泣きついたのは、いつものようにヘレナの魔術で癒して欲しいということだろうが、この状況でそんなことができるわけがない。彼女は起きてからずっと精霊を使ってかなり消耗しているはずだし、それでこんな山奥を連れ回している。そしてこれからも彼女の目は必要なのだ。
ジャクソンはヘレナとジャクソンを強い力で捕まえている腕を、なるべく丁寧に振り払う。
「ごめん……カメロンは助けられない。逃げよう」
兵士たちはまたすぐ追ってくるだろう。カメロンを助けることなど出来ないのだし、ここで止まっていては彼女自身の身も危うい。一緒に逃げようと促したのだが、彼女は足を止めてしまった。カメロンを振り返って動かない彼女に焦っていると、勢いのあるセリーナの声がした。
「ジャクソン、ヘレナ、行くわよ!」
その言葉に引かれるように、ジャクソンは振り返らずに足を進める。泣いていた女性が付いてきているかは分からなかったが、そもそも他の怪我人や死者の確認もできていない。もしかしたら手を貸す必要がある人がいるかもしれなかったが、動ける人間だけでとにかく後ろを振り返らずに逃げることしか、今のジャクソンには出来ないのだ。少なくともジャクソンが託された子供達が近くに固まっていることだけが、唯一の希望だ。
ヘレナの言うとおりに進むと前方に敵の姿は見えなかったが、だが後方はすぐに敵に追い付かれてしまった。
みんなもう疲れて限界なのだ。命の危機に晒される緊張感にも、恐怖感にも、それからずっと悪路を走り続けていることも。そのうえで魔術を使って応戦している人々は余計に消耗しているはずで、わいてくる兵士たちとは体力の減りが違うだろう。
背後から斬りつけられるよりは、とジャクソン達は再度、足を止める。
ヘレナを仲間に預けて、ジャクソンはやはり背後に下がった。だが、先ほどと比べて今度は、魔術が打たれすぎてわけが分からなかった。全員が死にたくないと精霊を探して全力で魔術を使っているのだろう。だが、さほど強力な精霊がごろごろしているわけもない。精霊の取り合いになるような状況ですらあり、軍に対して有効な魔術は撃てていない。
一方で相手はこちらに魔術を使う間を与えまいと剣で飛び込んできたり、弓矢で狙ってきたりする。周囲で血しぶきが舞って、ジャクソンは生きた心地がしなかった。
「風の民、なぎ倒せ!」
セリーナの魔術だけが効果的に相手を下がらせているが、それでも先ほどまでの威力はない。精霊が強ければ強いほどこちらの力も消耗する。彼女の方も限界なのだ、とジャクソンは思う。ジャクソンがヘレナの精霊を借りずに土の民を使っているのも、なるべく自分に合わない精霊を使って消耗しないようにするためだった。
「土の民、舞い上がれ!」
「風の民、風だ」
立て続けに精霊を呼んで、相手に砂塵をぶつける。目も開けていられないはずだと思ったのだが、それでも効果は一時的だった。体勢を立て直して逃げ出す隙も作れない。
気づけば前面に突っ込みすぎていたようで、すぐ目の前に剣を持った兵士がいた。ジャクソンは剣を握ったまま硬直していたかのような腕を動かして、何とか相手の剣を受ける。痛いほどの衝撃に息を止めるが、相手が止まってくれるはずはない。なんとか防戦に徹しているうちに、ヘレナの悲鳴が聞こえた気がした。
一気に血の気が引く。振り返りたかったが、そんな余裕などない。だが、意識がそこに引かれていたのだろう。
もう一人の兵士がジャクソンに向かっていて、その剣がジャクソンに向かって振り下ろされる。防ぐことも出来ずにただ恐怖に固まったその瞬間、体が浮きそうなほどの強い風が吹いた。それは相手の動きを止めるには十分で、その間にジャクソンはなんとか距離を取る。
「水の民」
聞こえたのはヘレナの声だった。彼女の声と共に、一気に視界が真白に染まる。あまりに唐突で強力な魔術に、ジャクソンは一瞬、ぽかんと立ち尽くす。自分の手元すら見えないような濃霧に、敵の姿も仲間の姿も見えなくなった。
敵も戸惑っているのだろう。もしくは魔術が来るのではないかという恐怖で動けないのか。争いも悲鳴も止まった。
今の隙にとジャクソンはヘレナの精霊達の元へと急ぐ。全く右も左も分からないような視界だが、ジャクソン達にはヘレナのそばにいる精霊の光は見える。あまりの混戦でジャクソン達の身が危険だとして、ヘレナがそうして姿を隠したのかもしれない。
「ヘレナ、大丈夫か」
あれほどの魔術を使ったのだから大丈夫だとは思っていたが、先ほどヘレナの悲鳴が聞こえたのだ。しゃがみ込むヘレナの姿を見つけて声をかけると、彼女の瞳から涙が溢れていてどきりとする。
「ジャクソン、セリーナが」
白く霞む視界の中で、彼女の側セリーナが横たわっているのが見えた。ジャクソンも慌てて彼女の元にしゃがみ込む。セリーナの胸の辺りを押さえるヘレナの両手が、赤く染まっていてどきりとする。血を止めようとしているのだろう。よく見るとセリーナの足のあたりにも白い布が巻かれていて、そこにも赤い血が見える。
「セリーナ、大丈夫か!」
「ジャクソン、ヘレナを連れて逃げて」
セリーナの緑色の潤んだ瞳がジャクソンを見上げていた。その瞳はいつものように強くて綺麗だったが、声は少し震えているようだった。ひどい痛みがあるのだろう。
「セリーナも一緒に逃げよう」
「足が痛くて動けないもの。お願い、私よりもヘレナを助けて。ヘレナがいなかったら誰も生きていけないわ」
彼女はそう言ってジャクソンをまっすぐ見上げた。




