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序章 にせもの王子たち3


 長居をするつもりはない、と言った言葉は本心だったのだろう。クリスが飲み物を届けに戻ってきた時には、すでに部屋にレジナルド殿下の姿はなかった。


 一人になった部屋でソファに腰をかけたレックスを見て、クリスは首を傾げる。


「殿下はいつの間に帰られたのです?」

「ほんの少し前だよ」


 それにしては出会わなかったが、裏口から出たのだろうか。裏口に詰めている護衛は殿下の正体を知っているし、そもそもお忍びで来ているのだろうから、目立つわけにはいかないのだろう。


 殿下のために準備された温かな蜂蜜湯や冷たいワインなどをテーブルに並べていくと、レックスは背もたれに預けていた体を起こしてから、温かなカップを手に取った。


「ありがとう」


 そう言って彼はにこりと笑う。それは先ほどまでレジナルド殿下と会っている時とも、王子として人々を見下ろしていた時とも違う、どこか子供っぽさを感じさせるような無邪気な笑顔だ。


 だが、それすら王子を演じているのだろう、とクリスは思っている。レックスは屋敷の外では利発で聡明な王子を演じ、屋敷の中では素直で愛される王子を演じている。彼にとっては既にそれが当たり前のことで、特に意識もしていないのかもしれない。


「王太子殿下」


 声と共に扉を叩く音がした。レックスが応じると、入ってきたのはウィンストンだった。


 先ほどと違って上着を脱いでいるから、少しラフな格好になっていた。二十になったばかりだったはずの彼だが、落ち着いているせいかもっと年長に見える。古くから続く名家の嫡男である彼が、王子の側近を任されているというのは、なんらおかしな話ではない——のだが、それはレックスが本物の王太子殿下だったら、の話だ。


 レックスは首を傾げる。


「殿下はいらっしゃらないけれど」

「知ってます。いれば戻ってきません」


 そんなことを言ったウィンストンは、レックスの許しを得てからソファに座る。


 先ほどレジナルドは、ウィンストンがレックスの下につくのは面白くないだろう、というようなことを言っていたが、実際のところ、ウィンストンは常にレックスを立てて行動している。レジナルドのいる時や、三人だけの時を除けば、完全に彼を王子として接しているのだ。


 もとより王子として育てられているレックスだが、レジナルドなどと比べると圧倒的に覇気や王気のようなものが足らない。だがレジナルド同様、生まれながらに人を従える雰囲気のあるウィンストンが側で傅くことで、レックスに王子としての風格が出る。


「殿下は何用だったのです?」

「警備の様子とか魔術の様子を聞かれたかな」

「そんなもの、わざわざレックスを叩き起こして聞かずとも、内にも外にもいくらでも耳目を置いてるでしょうに」

「そうだろうね。それなら単に弱ってる僕を笑いに来ただけかな」


 レジナルドがそんな無駄なことはしまい、とは思いつつ単に嫌がらせのためだけにわざわざ訪ねてきそうな気もして怖い。


 明るく言ったレックスの言葉に、ウィンストンは少しだけ頬を緩めた。レジナルドはウィンストンとレックスの仲が良いはずがないと考えているようだったが、決して二人は不仲ではない。お互いの立場のために、レジナルドの前では敢えて距離をとって見せているだけだ。


「クリス」


 声をかけられてレックスを見ると、彼は自身の隣を指差して、ソファに座るようにと示す。給仕して立ったままだったのを気にしてくれたのだろう。お礼を言ってからレックスの横に座った。ワインを手にしたウィンストンを見てから、クリスも同じものを手にする。


「レックスの体調はもう大丈夫ですか? せっかくお休みだったのに」


 疲れて伏していたところを起こされたのだろうに、今のレックスに疲れは見えない。顔の傷には薬が塗ってあるし、昼間は赤く見えていた肌の色も、蝋燭の灯りの下だからか普段の顔色に見えていた。


「馬車でも眠っていたし、部屋でも横になっていたら元気になったよ。それよりクリスやウィンストンの方が休めていないだろう。夜分に対応させてすまないな」

「全くですね。時間外は誰であろうと追い返すようにと門番に強く言っておきます」


 そう言ってワインを呷ったウィンストンに、レックスは苦笑する。


「そんなことをしたら、屋敷の人間を総とっかえされてしまうんじゃないかな」

「別に支障はないでしょう。どうせ誰に殿下の息がかかっているか分からないし、他の全員が入れ替えられたところで我々はここに残される」


 我々というのはウィンストンとクリスのことだろうか。ウィンストンは敢えて偽物の王子の元に置かれているのだし、クリスも同様だ。屋敷の護衛等は置き換えることができたとして、ウィンストンの立場になり変われるような代役はいまい。


「それは残念だね」

「我々が? それともレックスが?」

「どちらもかな」


 真剣な顔でそんなことを言われてクリスは胸が痛んだし、ウィンストンはため息をついた。


 偽物のお守りから解放されずに残念だとレジナルドは言ったが、レックス自身もそれを何度も口にしているのだ。ウィンストンの立場からすると、レックスの側にいることになんらメリットはないのだし、それどころかレックスの周囲は常に暗殺や襲撃の危険がある。こんなところにいる必要はない——というのがレックスの考えではあるのだが、だからと言ってレックスがどう思ったところで意味はないことを、彼自身が分かっているだろう。


 だからせめてレックスは、人前に出る時にはウィンストンやクリスから離れるようにしているらしい。今回、ウィンストンやクリスが無傷だったのも、狙われたレックスと距離があったからだ。


「そう思われているのは心外ですが、まあいい。それより先ほど殿下の付人から聞きましたが、今回の犯人はまだ捕まっていないようです。どうやら衛兵たちも取り逃したようですね」


 そうか、とレックスは静かに答える。


「単独犯だろうね」

「そうですね。魔術を使ったとみられるのは民衆に紛れた男性一名。フードで顔を隠していたらしいですが、特に目立つ容姿には見えなかったようです。魔術に気づいて逃げ惑う人々の中に紛れて広場を抜け、その後はどこかで馬を調達して逃げたようです」

「処刑された人々に恩のある魔術師なのでしょうか」


 クリスが思わず口を挟むと、ウィンストンは少しだけ意外そうな顔をする。


「なぜそう思った?」

「先ほどレジナルド殿下が、魔術師が助けに来るかもしれないと考えていたと仰られていましたから」


 そう言うと、ウィンストンはしばし考えるように固まった後に、軽く舌打ちをした。それを聞いたクリスでさえ、罪人も王子も全ては魔術師を誘き寄せる餌だったのではないか——と考えてしまったのだから、ウィンストンがそれを考えないわけがない。レジナルドはそれをウィンストンは知っていると言ったが、その反応からすると実際には知らされていなかったのだろう。


「なるほど、どうりで警備が外を向いてるはずだな。あれは王子の護衛ではなく、魔術師を炙り出して追いかけるための配置か」


 苛立つように言ったウィンストンに対し、レックスはどこかのんびりと首を傾げる。


「そう考えると、その殿下の狙いは外れたということかな。僕を狙った魔術師は、罪人たちの救出なんて考えてなかったと思うから」


 確かに罪人を救出しようと考えたのなら、攻撃のタイミングは遅すぎる。狙いが処刑執行人でなく王子だったのは混乱を狙ったとも考えられるが、あの時点ではほとんどが首を落とされていたのだ。


「もしくは思った以上に民衆や警備の数が多くて、手が出せなかったということかもしれません」

「処刑に王子が立ち会うということが周知されたからね。警備も民衆の数も倍以上にはなっているはずだ。それで手が出せなくなった魔術師たちが、それでもその場に駆けつける可能性があると考えての配置かな」

「ならば、あの攻撃は仲間を逃すための陽動でしょうか。あれだけ民衆から距離を置いてもレックスが狙えたことは驚きですが、それでもさすがに王子の暗殺を目論むには威力が足りてない。確実に仕留めたかったなら、自死覚悟で飛び込んできていたでしょう」

「殿下は単なる腹いせって仰ってたけどね」


 レックスの言葉にウィンストンは眉を上げる。


「あそこに立っていたのがレックスでなくレジナルドなら、意味もなく撃ち落としたくなる気持ちはわかりますけどね」


 そんな言葉にレックスは苦笑だけを返す。


 彼らはしばらく昼間の襲撃について話をしていたが、やがて話がひと段落したところでウィンストンは立ち上がった。彼は優雅な仕草で一礼する。


「お疲れのところ、遅くまで失礼しました」

「こちらこそすまないな。明日はお互いゆっくり眠りたいところだけど」

「明朝はもともと謁見の予定がありましたが、先方には断りを入れています。襲撃があったばかりですからね。王宮とも話をしましたが、周囲の同情を買うためにも多少は伏せって見せても良いとの判断です」

 

 いつの間にそんな手配をしていたのだろう。本物でないとはいえ、レックスには王子としての色々な仕事もあれば、王子としてとるべき振る舞いを王宮と調整する必要もある。難なくその橋渡しが行えるというのも、ウィンストンをこちら側に配置している狙いなのだろう。


「さすがだね。ありがとう」

「実際、怪我人でしょう。殿下が来ない限りは起こしませんから、ゆっくりお休みになってください」


 出て行こうとするウィンストンに続いてクリスも立ち上がると、なぜだかレックスに呼び止められた。


「クリス、少しだけ話が出来るだろうか」


 レックスに改まった口調で言われて、なんとなくどきりとする。


 ウィンストンはレックスとクリスを見比べるようにしたが、頭を下げて無言で出て行ってしまった。こんな深夜に寝室で仮にも男女が二人きりだ。何かしら誤解されるのではないかとも思ったが、そんなことは気にしないのか、それともレックスとクリスではそんな過ちがおこるはずもないと考えているのか。


 二人きりになった部屋で、レックスはソファに腰をかけたままクリスを見上げていた。立ち上がってしまっていたクリスは、少し迷ったが彼の目の前のソファに座り直す。


「お話とは……?」


 自ら口を開いたのは、レックスが何も言わずにいたからだ。彼はしばらく言葉を探すようにしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「もしも仮に僕が死んだとしても、クリスの身を危険に晒すような真似はしないと約束して欲しい」


 言葉を選んだ遠回しな言い方だが、レックスの言いたいことはよく分かった。そもそも呼び止められた時から、その話をされるのではないかと身構えていた部分はあるのだ。


「……レックスが死なないと約束していただけるのなら、喜んで」

「もちろんそうするつもりだけど、何かあった時には僕に選択肢はない。ただ、君の場合は選べるだろう。今度、一瞬でもあれを使おうと考えたら、二度と僕に近寄らせない」


 静かな口調だが、こちらを見つめる視線は真剣そのものだ。昼間の襲撃の際に、クリスが迷ったことをレックスは見抜いているのだろう。


 倒れたレックスを見て、クリスは思わず水の民(ウンディーネ)を探した。さすがにあんなに人のいる場所で魔術を使うことなど出来るはずはないが、もしもレックスがあのまま目を開けなければ、どこかで二人きりになれるタイミングを必死に探したかもしれない。


 今の法では魔術師は見つけ次第、光を奪われたうえで死罪となる。目が見えなければ魔術は使えないとされており、昼間に処刑された人々が先んじて目を奪われていたのも、魔術師の仲間かもしれないと思われたからだろう。自身が魔術師であることの証明はいくらでも出来るが、魔術師でないことの証明などできやしない。


 ああした姿を目の当たりにすると、自分もいずれはあのように処刑されてしまうのではないかと、本当に恐ろしくなる。今のところクリスが魔術を使えることを知っているのはレックスだけだが、もしかしたら疑っている人間はいるのではないだろうか。


 その色が綺麗だと、瞳の奥を覗き込んできたレジナルド殿下の顔を思い出すと、背筋が冷たくなる。


「……心配はいりません」


 クリスはゆっくりと頭を横に振る。


「考えていただいているほど、私は強くも優しくもありません。いくらレックスが死にかけていても、たとえどんなにお願いされたところで、自分から処刑台に登る勇気はありませんから」



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