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一章 魔術師たち3


「ほら、五割増しくらいで不細工でしょ」


 水に映った自分の顔を見下ろしていると、セリーナが頭上から覗いてきた。


 やたらと右目が開けづらいと思ったら、右側だけ不自然に腫れている。顔を蹴られた記憶はないのだが、どこかにぶつけるなりなんなりしたのだろう。体のあちこちが腫れ上がっているのだが、やはり顔は目立つ。ジャクソンは腫れた目元を撫でながら、水面に映るセリーナの顔を睨んだ。


「五割ましって、もともとブサイク前提か」

「美男子が台無しね、って言って欲しかったの?」

「今からでも少し冷やすといいわ」


 ヘレナはそういうと、水桶で濡らした手拭いを優しく目元に当ててくれる。ぺたりと肌に触れる布が心地良かったのだが、何故だかカーティスはそれをヘレナから受け取ると、風の民(シルヴェストル)を呼んだ。そして彼が当ててくれた布はびっくりするほどに冷たくて、ジャクソンは目を瞬かせる。


「なにしたんだ、カーティス」

「濡らした布に風を通すとすぐに冷やせるよ」

「頭いいな」


 本気で感心してそう言ったのだが、彼にとっては当然のことだったのか、カーティスは小さな肩を大人のようにすくめた。


 他にも子供たちは山で薬草を取ってきたのだと言って、ジャクソンの全身にできた擦り傷に、競うようにしてよく分からない草を塗りこんでいる。しみるし痛いし効果があるとも思えないのだが、心配してくれているのだろう。そう思って大人しくしていたのだが、痛そうにするとみな楽しそうに笑っているから、単に遊ばれているだけかもしれない。


 一番痛かった右足については、ヘレナが魔術で治療してくれたことでだいぶ動かせるようになったし、他に深刻な怪我もない。一度はこのまま処刑されてしまうのだろうと覚悟をしたのだから、そこから考えると随分と幸運なのだ。


「ジャクソン、ダレルが戻ってきたみたい」


 外からそんな声がかけられて、ジャクソンは立ち上がる。そして子供たちから剥ぎ取られていたシャツを引っ掴むと、頭から被って外に出た。彼の家に向かおうと思っていたのだが、ダレルはジャクソン達の家のすぐ近くに立っていた。


 彼はジャクソンの腫れた顔を見て、暗い表情をさらに暗くする。


「大丈夫か?」

「ああ。ヘレナとセリーナ達に助けられたよ」

「聞いてる。ヘレナは相変わらずジャクソンのことが大好きだな」


 真面目な顔をして言ったダレルに、ジャクソンは苦く笑う。


 当然だがヘレナがいなければ、遠く離れたジャクソンの危機が分かるわけも、居場所が分かるわけもないのだ。今回も彼女は急にジャクソンを探すのだと言い出して、セリーナと近くにいたカーティスを連れて集落を抜け出したのだと聞いた。


 彼女はジャクソンがクェンティンと落ち合うはずだった村までくると、精霊の目を使って村中を探し回り、ジャクソンが囚われている場所を見つけたらしい。そこまででも他の魔術師には到底出来ない真似なのだが、彼女はさらに、ジャクソンが引き渡された軍人の中に以前出会った男を見つけ、彼と交渉をしてジャクソンを外に連れ出させたのだと言うから、もはや何から突っ込めば良いのか分からない。

 

 その一方で、クェンティンのことを話すと、ヘレナはかなりの衝撃を受けていた。ジャクソンの危機は察しても、クェンティンの行動も思考も読めないのだから、当然だがヘレナは全知全能の神というわけではないのだ。だから今回のことも、単に運が良かったと言うべきか、それともよほど精霊の加護があったと言うべきか。何にせよジャクソンとしては、ヘレナと精霊とセリーナ達に感謝をするしかない。


「クェンティンの行方は分からないな。さほど探せてるわけでもないが」


 ダレルはそんなことを言って、皺の多い顔にさらに皺を刻んだ。普段は穏やかに笑んでいることが多く、そうした厳しい顔を見せることはほとんどない。彼はゆっくりと歩き出したので、ジャクソンもそれについていった。


 ダレルにとっては、クェンティンは息子のようなものだ。彼は身寄りがなかったジャクソンやクェンティンを本当の子供のように育ててくれた。ジャクソンとしても物心ついた時にはいつもダレルとクェンティンが一緒にいたから、本当の家族のように過ごしてきたのだ。


「……下手に探すのもリスクだろう」

「だろうな。顔を知られてる人間が近づけば、ジャクソンのように軍に突き出されないとも限らない」


 そんな言葉をダレルが言わなければならないことに、ジャクソンは苦い気持ちになる。


 本来なら、クェンティンがジャクソンを捕らえたことを周囲に話したくはなかったのだが、それでも伝えないわけにはいかなかった。クェンティンは外の世界と魔術師の集落をつなぐ大切なパイプの一人だったし、他の人間が彼に接触しようとして、ジャクソンと同じような目に遭わせるにはいかないのだ。


 そして何かしらの事情を聞こうと接触や監視をしたところで、クェンティンの顔を知っている人間なら、逆に彼に顔を知られている可能性が高い。


「放っておけば良いんじゃないか」

「クェンティンの狙いが分からないからどうかな。少なくとも彼はこの場所を知ってる」

「……クェンティンがここを売る可能性があるって?」

「考えたくはないが、考えられないことはない。そもそもジャクソンに手を出したことから、考えたくない事柄だからな」


 そう言ったダレルの口は重い。


 彼がそんなことをするはずがない——なんて、確かにいまのジャクソンには言えない。もしかしたら彼が嫌っていたのがジャクソンだけで、他の魔術師達に危害を加えるつもりはないかもしれないが、それでも仲間をクェンティンに近づける危険を冒したくはないし、本当にこの場所が密告されてしまった可能性があるのであれば、何かしらの手立ては必要だ。


「ヘレナは何か言っていたか?」

「いや。ヘレナは単純に驚いて悲しんでるよ」


 ジャクソンも、もしかしたらヘレナなら何かを知っているかもしれないと思ったが、青い顔で絶句しただけだった。どうしてクェンティンが、という思いは、彼女も変わらないように見える。彼女にとってはジャクソンと同じでクェンティンも兄同然だったはずだ。


「そうか」

「ヘレナは力が戻れば、村に戻ってクェンティンを探すと言っているが……俺は行かせたくないな。もしかしたらヘレナは目の前に出ていくかも知れないし、クェンティンが本気になれば、ヘレナに魔術なんか使わせない」


 ジャクソンと共に、彼もヘレナが赤子の頃から一緒にいるのだ。当然だが、クェンティンもヘレナの魔術の脅威は知っている。


 ヘレナはクェンティンの魔術を封じることは出来るだろうし、目の前まで行けばクェンティンの意識を奪うことができるかも知れないが、彼がそれを許しはしないだろう。いくら精霊の化身と呼ばれていても、精霊の名を呼んで意識を入れ込んでしか、魔術を使うことは出来ない。無防備のヘレナが接近してくれば、彼女が口を開く前に口を塞ごうとするに決まってる。


「そうだな、私もそう思う。くれぐれもヘレナの動向は見張っておいてくれよ。あの子はすぐに一人で飛び出すからな」

「ああ。周囲の子供達にも頼んでる。いまは俺を助けるのにだいぶ消耗してるようだから、しばらくは動かないだろうが……」

「もう少しジャクソンが弱って見せると良い」


 意味の分からない言葉に、ジャクソンは首を捻る。


「どういう意味だ?」

「私から見ても、ジャクソンはさほど普段と変わらない様子に見える。が、クェンティンのことでも軍に捕えられたことでも、お前が平気なはずはないと思うんだけどな」


 眉を下げたダレルにそんなことを言われて、ジャクソンは目を瞬かせた。


 別に無理をして平然と振る舞っているつもりはない——のだが、色々なことがありすぎて、自分のそんな感情がどこかに吹っ飛んでしまったような感はある。

 

 心配してくれているセリーナやヘレナ達に心配をかけまいとか、どうすれば彼女達を傷つけずにクェンティンのことを話せるかとか、クェンティンがいなくなってこれからどのように生活すれば良いのかとか、そんなことばかりが気にかかっていて、あまり意識してもいなかった。もしくは、そうしたことを敢えて考えることで、自分の感情と向き合いたくなかったのか。


「戻ってからも、ジャクソンが色々と動いてくれていたと聞く。こんなところまで連れ出しておいて言うことでもないが、ジャクソンも少し休むといい。そしてヘレナの前で泣いてたら、彼女は絶対にお前の側を離れないよ」


 いつの間にかダレルは足を止めていた。そこは少し高台になっているだけの、何もない場所だ。特にどこかに向かっていたわけでなく、二人きりで話したかっただけなのだろう。


 たしかにヘレナはジャクソンが弱っていれば、必ずそばについていてくれるはずだ。別に彼女の前で泣いて見せなくとも、ジャクソンのために一緒にいてくれと言えば、心配してずっと離れないでいてくれる気はする。


「……ヘレナを足止めするには、良い手かもね」


 ジャクソンはそう言ってから、ダレルも心配してくれてありがとう、と呟いた。


「でも別に無理してるわけじゃないよ。みんな今でも俺のことたくさん心配してくれてるから」


 ヘレナだけでなく、セリーナもカーティスも、それから他の子供たちも、ジャクソンのことを心配してくれている。ジャクソンは大丈夫だと言っているのだし、同じように暮らしてきたセリーナやヘレナもクェンティンのことで傷ついているだろうに、それでもみんなそばに集まって明るくしてくれているのだ。余計なことを考えずに済むというのは、そのおかげだというのもある。


 ——だが、それでも胸に重く溜まる思いがあり、ジャクソンは目を伏せた。


 黙ってしまったジャクソンに何を思ったのか、ダレルの手のひらがジャクソンの頭に乗った。何も言わずに乗せられたそれは、温かくて心地よくて、そして重い。彼は本当はジャクソンの言いたいことを分かっているのかもしれない。しばらくそうされていると、苦しかった言葉がするりと口から溢れた。


「……クェンティンはずっと一人だったのかな」


 ジャクソン達が皆で楽しく暮らしている間、クェンティンはどうしていたのだろう。


 魔術師であるということを隠せる人間は、なるべく集落から出すようにしていた。それは何かがあった時に彼らだけでも逃せるようにという意図もあったのだが、外から仲間を助けられるようにという思惑ももちろんあった。


 クェンティンも一度はこの集落でジャクソン達と暮らしたが、すぐにここを出た。その時の彼は十三か、十四か。彼はとても賢い子供だったし、受け入れてくれて働ける場所があるなら問題ない——と言った。特に嫌そうな様子も気負った様子も見せなかったが、だからと言ってそれを彼が望んでいたかどうかは分からない。


 ジャクソン達を助けるために村を出されて、魔術師であることを隠して過ごすことを余儀なくされていたクェンティンだが、それでも会うたびに彼はジャクソン達の暮らしを心配してくれているように見えていたのだし、ジャクソン達を助けるために色々な情報や物資を集めてくれていたのだ。


 それに甘えて頼りきっていたジャクソンは、外で皆のために働けるクェンティンのことをいつも羨ましいなどと考えていた。しかし、本当に羨ましかったのはクェンティンの方だったのではないだろうか。


「仮にそうだとしても、ジャクソンがそれを気に病む必要はない。クェンティンを外に追いやって利用してたのは、我々大人だよ」


 ジャクソンの頭に手を置いたままそう言ったダレルに、ジャクソンは泣きそうな気持ちになる。


「俺だってもう大人だよ」


 全く頼りないのだし、年下のみんなから助けられてばかりいるのだが、それでもジャクソンはもう十九で、十分に大人と言ってもいい年齢なのだ。本当はとっくに皆の力になるような存在になっていなければいけないのだし、そうでなくとも、少なくともクェンティンよりは大人でなければならなかったはずだ。


「そうか」


 ダレルはそう言ってから、ジャクソンの頭に置いていた手をぽんと動かす。


「それでも未だに、ジャクソンやセリーナやヘレナは私の子供達だと思ってる。——もちろん、クェンティンもな」


 そんな言葉を受けて、ジャクソンは彼の肩に顔を伏せる。


 彼はジャクソンが泣きたいのだと思って、ここに連れ出してくれたのかもしれない、と思った。みんなに助けられてばかりいるジャクソンだが、それでも彼らの前で泣くことはできない。それはちっぽけなプライドなのか、それともジャクソンにできる精いっぱいの強がりなのか。


「俺だってダレルのことは父さんだと思ってるよ」


 そしてクェンティンは大切な弟だったのだ。


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