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一章 軍の兵士たち7


「何で逃しちゃったの?」


 朝になってロジャーに聞かれて、アランは肩をすくめる。


「もともと予定外だ。問題があるか?」

「いや別に。どうせ怒られるとしたらアランだし」


 そんなやりとりで終わってしまうほど、ジャクソンという男の命のやり取りは軽い。


 それが逆にアランの胸に、太い楔のように刺さった。


 夜間に馬車に近づいて、見張りの人間に連れ出すことを告げた時も「そうですか」と言われただけだ。もともと部下達の誰に咎められるとも思っていない。もしかしたら後で問題になるかもしれないが、この程度の規定違反なら「またお前か」と言われて罰金と謹慎をくらうくらいだろう。


 それでも素直にセリーナ達の願いを聞かなかったのは、単にそれを認めるのが怖かっただけだ。


 アランはやろうと思えば自分の力で助けられるような人間を、白々しくも可哀想だなどと言いながら、自ら処刑台に送っているのだ。




 その日アランが訪ねたのは、アランが所属する中央軍三部の隊長の家だった。アランのような中隊長や、アランの上司であるデイミアン大隊長などは兵舎に部屋を持っているが、その上の部隊長にもなるとクラウィスの城下町に部隊長専用の邸宅が支給される。


「なんだその格好は」


 部屋に通されるなりそんなことを言われて、アランは自身の格好を見下ろす。


「何かおかしいですか? 精いっぱいおしゃれしてきたんですが」

「女でもひっかけて帰るつもりか?」


 さほど派手な格好をしているつもりはないが、普段出歩くときは軍服が多い。他の軍人も似たようなものだから、私服というだけで違和感があるのだろう。アランは着慣れないシャツの襟元をひっぱりながら、肩をすくめる。


「これに引っかかる女性がいれば連れて帰ってもいいですが、とりあえずはエグバード部隊長にお会いするための正装ですよ」

「それは光栄だと言いたいところだが、よほど私に会うところを見られたくないらしいな」

「デイミアン大隊長が嫉妬するんですよね」


 アランの言葉にエグバードは楽しそうに笑った。


 軍服でなく私服にしたのは、たしかに兵士たちにアランだとバレたくないからだった。いつも着ている軍服は所属や階級によって微妙に異なるから、部隊長を訪ねたのが誰なのかはすぐに知れてしまう。


 そしてデイミアン大隊長に知られたくないというのも本当で、彼は中隊長のアランが大隊長のデイミアンを飛び越えて、部隊長に話をするのを異様に嫌う。相談や報告なら直属の上司にすべきだし、雑談をして交流を深めたいのならデイミアンも呼べという寂しがりやだ。よほど自分の悪口を密告されたくないのだろうか。


「あいつは相変わらず狭量だな。たまには三人で飲もうと誘ってやればいい」

「大隊長の介抱役も、酔った勢いで殴られるのも勘弁ですよ。ようやくこの間、鞘で殴られた青あざが消えたところなんですから」


 シャツの上から肩を撫でると、彼は人懐こい顔で笑った。


 中央三部の部隊長であるエグバードは現在、四十代半ばくらいか。前々任の中央軍将軍の息子であり、血縁や家柄やコネが重要な軍部ではかなり恵まれている立場にある。年齢的に若いというわけでもないが、さほどの功績もないのに部隊長に任じられたこともあり、完全に親の七光だと周囲から思われている。が、彼自身が七光なのだと公言しており、アランがそれを面と向かって言っても怒らなかったから、別に周囲の評価など気にしていないのだろう。


 デイミアンが狭量なのだとしたら、エグバードは器がデカい。


 もともとの七光があるおかげで、上の人間に必死に取り入る必要も、アピールするために功を焦る必要もないのだし、他人を貶める必要もないのだろう。部下との距離も近いし、何かと目をつけられがちなアランのことも、面白がって見ているようなところがある。アランとしては軍の中で唯一、好感の持てる上官なのだ。


 彼も何故だかアランを気に入ってくれているから、こうしてたまに酒を飲みに来ることがある。


「それだけ殴られても懲りないのはさすがアランだな。早いところ大隊長になって殴り返してやればいい」


 酒の入った器をこちらに渡しながら言ったエグバードに、アランは笑った。


「部隊長から推薦していただけます?」

「あと五年してまだ私が部隊長だったらな。いま推したところで、素行が云々よりも年齢で蹴られる」


 そんなことを言ったエグバードに、アランは首を傾げる。


「その頃、エグバード部隊長は中央軍将軍ですか?」

「アランでもそんなおべっかが使えるのか? 五年後ならもう引退してる」

「まだ引退には早いでしょう」

「そうでもない。将軍になれるとも思わないし、大隊長達はこっちの椅子を狙ってるからな。老兵は早いところ去る方が周囲のためだ」


 そんな言葉に、アランはため息をつく。たしかにエグバードがさほど地位に執着しているようには見えない。


「私としては是非とも将軍になっていただきたいですけれどね。もしくは永久にその椅子でふんぞり返ってもらって、デイミアン大隊長が座るのだけは阻止してもらえれば」

「そう嫌ってやるなよ。あいつはアランを怖がってるだけで、根から悪いやつじゃない」

「あんだけ人のこと殴っといて、怖がるも何もないと思いますが」

「自分より遥かに優秀な部下がいて、いくら怒鳴っても蹴飛ばしても懲罰会にかけてもけろっとされるのは怖いだろうよ。しかもクリフォードの後ろ盾もある」


 そんなことを言われて、アランは眉を上げる。


「七光ですかね?」

「そんなことはないと思うか?」


 クリフォードの人間や他人に言われれば少しは腹の立つところだが、同じように七光だなどと言われているエグバードに言われると、苦笑するしかない。


「いえ、あるでしょうね。少なくともここを追い出されたところで、どこかの軍に引き取ってもらえる気はしてる。西には行きたくないですが」


 アランの父は西軍の副将軍であり、兄は西軍一部の部隊長だ。そこには行きたくはないが、南軍の上層部にもクリフォードの親戚はいる。多少、上官に逆らったところで怖くないというのも、一応は自分の腕に自信があるということもあるが、追い出されたところで他の場所に行けばいいと考えていることもある。


「西といえば、トリスタン=クリフォードと話をしたことがあるよ」

「兄もそんなことを言っていました。どうでした?」

「弟をよろしく頼むと言われたよ。君が中央軍で出世するのを期待してるらしい」


 なるほど、とアランは苦笑した。


 もとより西には行きたくなかったが、兄からも配属の希望は西と南以外にしろと言われていた。クリフォード家の人間が少ないところにやって、運良く出世できれば、さらにクリフォードの名前を強固に出来ると言ったところか。そうでなくとも内部情報を仕入れる密偵くらいにはなる。


「優秀そうには見えたが、あれだけ一方的に喋ったわりに面白いことを一つも言わなかったな。一緒に酒を飲みたくはないタイプだ」


 そんな言葉にアランは声を出して笑った。トリスタンの方は、三部隊長のことを人を見る目がありそうだと言っていたのだ。まさかそんな感想を抱かれていたとは思うまい。


「つまらない兄で申し訳ないです」

「ああいう真面目そうなのが上にはウケるんだろうがな。アランも少しは見習うと良い」

「そしたら部隊長が一緒に飲んでくれなくなるんでしょう。なら一生、中隊長のままで良いですよ」


 そう言ってアランが酒を煽ると、エグバードはそれを楽しそうに見てから、少し目を細める。


「まあ、その地位も悪くないがな。大隊長になれば、いまのアランのように自分で動くことは出来ないだろう。アランのところの負傷者が圧倒的に少ないのは、隊長と副隊長が自ら動いてるからと聞いてるよ」

「うちは副官(ロジャー)が優秀ですからね」

「優秀な人間ほど後ろでふんぞり返ってるのが軍だ。危険な任務ほど末端の無能を動かして、死傷者を出すってとこが多いからな」


 辛辣な言葉にアランは苦笑する。


 だが確かにそうした中隊や小隊が多いのが実情で、中隊長などは何もせずに指示だけを出すという話もよく聞く。しかし無能というより、経験の浅い人間を育てるためにも、動ける人間こそ手本を見せる必要があるとアランは思っており、そうした意味で人を配置すると隊長(アラン)副官(ロジャー)が大抵出張ることになるのだ。


 隊長は一番後ろで隊を見守らねば指示が出せないではないかとも良く言われるが、先頭は先頭で間近で状況が読みやすいし、今は総攻撃をかけたりかけられたりするような任務もない。敵が少数なら、背後に回さなければ良いだけだ。


「まあ、無能な人間が優秀な人間を動かして殺すってこともある。今はどちらかと言えばそれかな。無能な我々が、アランを負傷させた」

「は?」

「最近は魔術師を捕えようとして返り討ちにあったなんて話が多いからな。——特に私の中央三部配下だ」


 いつの間にかエグバードの瞳は真剣なもののように見えた。彼は手元の酒を、まるで水を飲むかのように飲み干す。


 国には東西南北それぞれの領地と国境を管轄する軍と、王城のあるクラウィスとその周辺の町や村を警備するための中央軍がある。要人の身辺警護を主とする近衛も中央軍内部の組織であり、中央の治安と国の中枢を守るのが中央軍の任務なのだ。


 もともと、それぞれの軍管轄下で魔術師の捕獲をしていたが、今回、王子の襲撃があったことから特に中央軍の内部で魔術師の捜索が強化されている。自身達の足元から魔術師を排除しようというのか、それとも国民に見えやすい中央で軍を動かしたいのか。なんにせよ中央軍は現在、多くの兵を魔術師の確保に割いているし、その中でもエグバードの率いる三部は一番、その率が高い。


 それは単純に力関係の問題だろう、とアランは思っていた。


 中央軍には三部まであり、形式的には同列なのだが、慣例的に一部、二部、三部の順で見られることが多い。二部の部隊長から一部の部隊長に変われば事実上の昇格であるから、三部は一番力が弱いのだ。だから安全そうな場所には一部の隊が派遣され、三部は危険そうな場所に派遣されることが多い。先日の処刑場でアランが負傷した時も、三部内の大隊が派遣されていた。


「……他はともかく、私の怪我は完全に私自身の無能さゆえですよ」


 アランが今回エグバードの元を訪ねたのは、この件に関する彼の考えを聞きたかったからだ。配下を魔術師にぶつけて負傷させることも、魔術師を狩ることも、意味もなく火種を作るだけの行為で、彼の本意ではないだろうと思っていた。


 水を向けるまでもなく、彼の方からそれを言い出してくれたのは、エグバードもやはり気に掛かっているからか。アランは彼の瞳を見返した。


「ですがさらに無能なのは、魔術師に手を出す上層だ。返り討ちに会うのが末端の兵だけだと思ってる」

「末端では済まないと思うか?」

「済まないから、王子の襲撃があったのでしょう。あれはきっと彼らからの警告ですよ」


 魔術師というのは考えていたよりもずっと脅威だ、とアラン思っている。ヘレナは悪い魔術師はいないと言っていたが、強力な魔術師は沢山いるのだし、十分に仲間想いでもあり、勇敢でもある。いつ彼らが仲間たちのために立ち上がってもおかしくないのだ。


 セリーナのような魔術師が百人も集まれば、一部隊など容易に倒せるのではないか。そして特別と言ったヘレナがいれば、どんな情報でも入手できる可能性がある。


「……あの空飛ぶ魔術師はもう追ってないからな。市民から密告されるような立場の弱い魔術師ばかりを追い回して、それで成果をアピールするのだから笑わせる」


 そうした悪態は現場の兵士たちでは良く言い合う内容だが、それを部隊長の地位にあるようなエグバードが言うのは、救いだろうか、それとも絶望だろうか。少なくとも彼は配下の部下も魔術師も無為に傷つけたくはないのだし、少なくとも彼がどう考えていたところで事態は全く変わっていないということだ。


「せめてその密告を止めさせたいのですが、何か手立てはあると思いますか? 報奨金を出すなんて馬鹿な触れのおかげで、すでに魔術師でもない民間人が処刑されてるはずです。今後はさらに増える」

「馬鹿な触れでも、出すのは簡単だが撤回するのは難しいからな」


 エグバードはそう言って、目を細める。


「とはいえ、それについてはかけあってはみよう。民衆が処刑されることはともかく、民衆に金をばら撒くなんてもったいない、って声は多い」

「……撤回させられるなら理由はなんでも良いですよ。なんなら軍人の一人でも魔術師だと吊し上げてみれば良い」

「それはすでに南軍で出てる。魔術師かの真偽は分からんが、小隊長が一人投獄された。処刑はされていないが勾留中だな」

「報奨金目当てで?」

「さあ。周囲に嫌われていたようだから、金か復讐か。なんにせよ魔術師の証明は誰かの証言しかないし、魔術師でないことの証明なんか出来ないからな」


 アランがため息をつくと、彼のため息とも重なった。

 

 セリーナたちに会ってから、本当に軍から足を洗ってしまおうかと考えないでもなかったが、辞めることはいつでも出来るし、アランが辞めたところで別に事態は何も変わらない。それくらいなら中で好きなことを言ってやろうと思ってもいたのだが、エグバード部隊長でも変えられないものを、中隊長のアランがどうにかできるわけもない。


 いったいこの国はどこに向かおうとしていて、いったい何と戦っているのだろう。


 アランは少しでも酔えるようにと、水のような酒を喉に流し込んだ。

 


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