一章 軍の兵士たち6
「何を迷ってるの?」
下から声をかけられて、アランは思わずびくりと体を震わせた。
「お願い。ジャクソンを助けて。あなたならそれができるとヘレナが言ったから、私たちはここにいるの。それが出来ないなら、私は全力で戦って仲間を取り戻すだけよ」
アランなら助けられるとヘレナが言ったとは、どう言うことだろう。たしかに最初から彼女たちの狙いはアランだった。そしてたしかにアランは男を助けられるのだが、それをヘレナという少女が知れるのは何故だ。
「……この体勢で、よくそんな威勢の良いことが言えるな」
「私を殺すつもりならとっくにやってるでしょう。あなたがその気になれば、私もヘレナも簡単に殺せる。それとも女の子を押し倒して上から見下ろすのが趣味なの?」
そんなことを言われて、アランは眉を上げる。挑発されているのかもしれないが、前回はともかく、今回は剣を向けてきた危険人物を転ばせただけだ。
「まあ、紳士的に扱っていない自覚はあるが」
「変態」
「うるさいな」
なんだか馬鹿馬鹿しくなって、アランはセリーナから手を離して立ち上がった。
どうせ脅しにもなっていないのだし、そんなことを言われてしまうと、彼女の上半身を押さえつけていた手のひらの置き場にも困る。
それに手を離したところで、彼女たちも攻撃してこないだろう、と思った。理由は分からないが、彼女たちはアランなら仲間を助けられることを知っている。そしてアランがいなければ容易に助けられないことも分かっているだろう。セリーナが言ったように、最初から魔術をぶちかましていれば我々は敗走したかもしれないが、それは仲間の命をも危険に晒す行為だ。そして女と子供二人では、男一人を担いでいくのも難しいだろう。
そんなことをちらりと背後を見ながら考える。
カーティスというのは、アランの想像とは違い、先日の男性ではなかった。ヘレナと呼ばれた少女よりもまだ幼い男の子なのだ。セリーナの言葉ははったりだった可能性はあるが、魔術師なのだとしたら別に歳は関係ないのかもしれない。彼は硬い表情でアランを見ていたが、目を合わせようとすると視線を逸らされた。
だが、ほんの子供である彼もまた、こんなところまで仲間を助けに来たのだ。
「……金髪を連れ出してやれば満足か?」
「ええ」
「分かった。ここで待ってろ」
嘆息しながら言ったのだが、彼女は上体を起こしながら何故か顔を顰めた。
「それが信用できるの? 仲間のところに戻って、仲間を連れて私たちを追う気かもしれない」
「そちらが俺を信用できるかなんて、俺の知ったことではないな」
言いながらもセリーナに手を差し出してやると、彼女は少し迷うような顔をしたが、素直に手を掴んで立ち上がる。子供ではないものの、自分のものよりもずっと小さくて薄くて頼りない手のひらは、とても冷たい。
「彼は大丈夫よ」
それを言ったのはやはりヘレナだった。彼女は前にもそんなことを言って、そしてセリーナはそれで納得したのだ。
「なんでそんなことが分かる? そもそもなんで俺が一人で出てくるとわかったんだ?」
透けるような白い肌に、華奢な体。青い瞳のはまった幼い顔は、まるで物語に出てくる精霊そのものの姿のようだ。白くけぶるような林のこの雰囲気もあり、全く人と向き合っているような気がしなかった。
何となく彼女は魔術師の中でも異質に見える。全く鍛えた様子もないただの少女なのに、あの時、彼女だけは全く気配も足音も感じられなかったのだ。
「精霊が教えてくれるの」
「……魔術師にはそんなことができるのか?」
「いいえ、私は特別。普通の魔術師には出来ないから安心して。あなた達の脅威にはならないわ」
ヘレナはそう言ってから、少しだけ首を傾ける。金糸のような長い髪が、さらりと肩を滑った。
「そもそも精霊たちは争いや悪意を好まない。魔術を使うにはその精霊が力を貸す必要があるのだから、あなたたちのいう悪い魔術師なんて、どこにも存在しないと私は思ってる」
そんな言葉がぐさりと胸に刺さる。
たしかに魔術師たちはこうした大規模な粛清が行われていても、今のところは沈黙している。反発すれば余計に状況が悪くなるだけだからかもしれないが、それを慎重に判断しているあたり、少なくとも好戦的な人間ではないのだろう。
「魔術師がみな精霊に選ばれた正しい人間なら、俺たちのように精霊の見えない人間は、みんな悪い人間か?」
「そんなわけはない、って分かってるでしょう。意地悪な言い方しないで」
皮肉を子供に真顔で諭されて、アランはため息をつく。
みんなが悪い人間かはともかく、アランが意地悪なのは間違いない。別に最初から男を返してやっても良かったのだ。少しだけ考えてから、言った。
「まあいい。このあいだ俺の仲間を眠らせたのは君か?」
「それがなに?」
「いや。傷つけないでくれてありがとう」
あの状況では、殺すことも簡単に出来ただろうし、彼らが普通に魔術を使っていれば、彼らは死ぬか大怪我をしていたはずだ。
あの時の記憶がないと彼らは言っていたので、もしかしたら彼女は人を操ることが出来るのではないかとも思っていたのだが、この状況でアランを操ろうとしないあたり、そんなことは流石に無理なのだろう。
「その礼に君らの仲間を助けよう。——ということなら、少しは信用できるか?」
それはセリーナに向けて言った。そもそもヘレナはアランを信用すると言っているのだから、アランを信用できないのは彼女だろう。
彼女はじっとアランを見上げてくる。
「本当にお願い。助けてくれるなら、私が出来ることはなんでもするから」
「……君に関して言えば、もう俺に魔術も剣も向けないでもらえれば十分だな」
そう言ってから、彼らに背を向ける。だが、一つだけ思いついたことがあって、振り返った。
「やっぱり、ジャクソンを連れてきたら、俺の願いを聞いてくれるか?」
「なに変態」
セリーナはそんなことを言ったので、何か良からぬことでも想像したのだろうか。アランはため息をついたが、特に何も言い返さずに言った。
「北部に君たちの仲間がたくさん暮らしてる。君たちもそちらに移動してくれないか? そこなら、今のところ軍も手は出せない」
彼女たちに遠くの領地のそうした情報は入らないかもしれない、と思って話したのだが、セリーナは特に驚いた顔もせずに言った。
「サスの地方ね」
「知ってたか。移動できない理由があるか?」
「出入りを封じてるのはあなた達の方だと思うけど」
そこまで把握しているのか、とアランは密かに感心する。魔術師同士で何かしら情報網でもあるのだろうか。
確かにサスでは魔術師を合流させないように、軍は主要な交通路を夜通し見張っている。だが、それをやったところで、町ごと封じ込められるわけもない。彼女たちは先日はあの騒動から逃げ切れているのだし、今もこんな林の中を誰にも気づかれずに移動しているのだ。
「君らはだいぶ神出鬼没に見えるけどな。潜れるだろう」
「私たちだけならね」
そんな言葉で状況を悟ってしまって、アランはため息をつく。
彼女達がどこで暮らしているかは知らないが、一緒に暮らしているのは老人や子供もいるかもしれないし、魔術師と言っても精霊が見えるだけなんて非力なものもいる。彼女達のような目立つ見た目をして、軍や周辺の人々の目を逃れたうえで、村ごと遥か遠くの北部領まで引っ越すような真似はできないだろう。
「ならこの先どうするつもりなんだ?」
「それをあなたが聞いてどうするの? 村ごと晒し首にするつもり?」
「……確かにそうだな」
アランはそういってため息をつく。
結局アランは軍人であり、彼女らを捕える立場にある。カーティスは両親を処刑されたと言っているのだし、アランは彼女達の大切な仲間を処刑するところだったのだ。
もう何も言わずに彼女たちに背を向けて、見張りのいる焚き火の明かりの方角へ向かう。
所詮は他人のアランに出来ることは、今のところそれだけしかないのだ。