一章 軍の兵士たち4
——だが、そんなレックスをひどく泣かせて失望させてしまったのも、アランが生まれて初めて持った部下達を死なせてしまったのも、アラン自身が死にそうになったのも、それからほんの数ヶ月後だった。
もともとアランは屋敷内でのレックスの警護にのみあたっていたのだが、レックスの希望もありその日はアラン達も彼の移動に同行していた。
アランは幹部候補ということになっていたから、まだ配属したての新兵ではありながら、小隊長という位置付けで四名の部下がついていた。その四名は元よりレックスの護衛にあたっていたメンバであり、アランは自分が飾りだと思っていたし、他のメンバもそうだっただろう。
そこで何者かの集団の襲撃に遭う。
大木で馬車の行手を塞がれて、両側から挟み撃ちにあった。アランたち小隊がついていたから、王子の護衛たちはいつもよりも余計にいた。仮にも王子の護衛をするのだから全員それなりに腕もあったが、それでも酷い混戦となり、アランはただただ王子を背にして剣を振り回すだけが精いっぱいだった。幼い頃から鍛錬を重ね、それなりに剣も弓も使えたつもりだったのだが、実際に殺し合う場に臨むと頭が真っ白になった。
「アラン」
小さく名前が呼ばれて振り返ると、アランの背後に何人もの人が見える。彼らが弓を構えているのを見て、アランは咄嗟に小さなレックスを抱えてしゃがみこむことしかできなかった。
背中と腕に続けざまに強い衝撃があり、思わず声が漏れる。視界に火花が散る。信じられないほどの痛みに、アランは自身の死を思う。自身の体重がレックスにかかることを心苦しく思いながらも、せめて彼のことは守りたいとぎゅっと強く抱き込んだ。
「アラン!」
腕の中で聞こえる大声を不快に、だがどこか心地良くも感じながら、アランは目を閉じる。
次に覚えているのは凍りついたように動かない体と、強い痛みと、強い吐き気で、もしかしたら地獄というのはこんなところなのかとアランは思った。
熱くて寒くて苦しい中で、アランとレックスは何度も何度も敵に襲われる。そのたびにアランはレックスを守れないまま、細い意識を手放すのだ。そんなことをひたすら繰り返す無間地獄に、叫びを上げたくなる。
『水の民、アランを助けて』
ふと、聞いたことのあるような、ないような女の子の声が聞こえた。心地の良い声で、凍りついたような体と頭にさらりと温かな風が吹き込んだ気がした。何故だか前にずっとそれを聞いていたような気がして、アランは薄く目を開ける。
「アラン!」
そこにいたのは女の子ではなくレックスだった。
必死にアランの顔を覗き込むレックスの顔に、アランは涙がでるほど安堵する。いまがいつでここがどこなのかは分からないが、まだレックスは生きている。もしかしたらこれはまだ何十回目の夢の中かもしれないが、それでも自分とレックスが死んでしまう無限の夢幻から、ようやく抜け出せたのだと思った。
ひどい吐き気や熱っぽさがあり、どこが痛むというより全身がぎしりと痛む。すぐ目の前にレックスの顔とシーツが見えて、どうやらアランはうつ伏せに寝かされているらしい、ということだけは分かった。
「アラン、大丈夫か? 声は出せる?」
「……ご無事ですか?」
うつ伏せで喋りづらかったのと、喋ると背中が動いてひどく痛んだのだが、それでもなんとかそれだけを言う。
「ああ、僕に怪我はない」
よかった、というと何故だかレックスの瞳から涙が落ちた。これまで彼が泣いたところなど見たことがなかったから驚いていると、彼は袖で慌てて涙を拭う。だが、良く見ると泣き腫らしたような真っ赤な目と顔をしている。ずっと泣いていたのだろうか。
アランは見てはいけない気がしたが、視線を逸らすこともできず、どうして良いのか分からなくなり話を逸らした。
「ここは?」
「賊はなんとか撃退して、屋敷に戻った。もう一昨日のことだよ」
「みんなは?」
「五名が死んで、アランもふくめて五名が重傷、他は軽傷だ。……無傷なのはアランに助けられた僕だけだね」
死んだという五名の名前を聞くと、そのうち四名はアランの部下になったばかりの人間だった。
それは偶然ではないだろう。アランたちは一番、王子のそばにいたのだ。本来なら一番安全でもよかったはずの彼らが、アランの指揮がなかったばっかりに、他の班のように連携も取れず、各々が戦って死ぬしかなかったのだろうか——なんて思うと、目の前が真っ暗になる。
咄嗟に声が出なくなったアランの頭に、レックスの手のひらが優しく乗った。
「アランの背中と腕には矢が三本も刺さってたよ。抜いて医師に治療をしてもらってるけど、今はまだ熱が高いんだ。眠った方がいい」
そう言って彼はアランの目を隠すように、優しく手のひらで覆う。
もしかしたらアランも泣きたいのだと思ったのだろうか。もしくは彼の泣き顔を見せないためか。抗わずにアランは重い瞼を閉じる。
今は頭に泥が詰められているかのようで、重くて冷たくて痛い。死んだ四名の顔を思い出すことすら出来なかった。
それよりもレックスの泣き腫らした顔を思い出して、彼は何故泣いているのだろう、なんて思った。アランが死んだと思って悲しかったのか、生きていると思って嬉しかったのか。もしくは死んだ五人を助けられなかったことが悔しいのか、アランたちの傷を思って泣いてくれているのか。
眠ってしまおうと思うまでもなく、うつらうつらと夢現を彷徨う。
『水の民、アランを助けて』
聞こえてくる声の主が誰なのか、ふと思い出した。
クリスティアナ=ロイズだ。彼女は大怪我をしたレックスのために側でずっと、精霊の名前を呼んでいたのだ。そして今度は、レックスの願いを精霊たちへの祈りに変えて代弁してくれている。
さきほどより少しだけ息苦しさが減じたのも、きっとその恩恵なのだろう。
ここでは魔術師というのは基本的に忌避されている。ロイズは聖職者としても名家なので、魔術師が家系にいることなど認められないはずだ。レックスを癒していたときも彼女は隠れて行っているようだったから、今回はレックスがどうにか人を払って、無理をしてクリスティアナをここに呼んでいるのかもしれない。
なんとなく腕を動かすと、小さな両手のひらがぎゅっとアランの手のひらを包んでくれた。レックスの手のひらは未だにアランの頭に置かれているから、それが彼女のものなのだろう。
二つの小さな手の温かさを感じながら、アランは微睡に身を委ねる。もしかしたら、次にアランが目覚めた時には、もう彼らは側にいないかもしれない、と思った。
傷が治っても、レックスはもうアランをそばに置いてはくれないだろう。
そうでなかったとしても、アランはレックスの側にいる資格はないのだと思った。彼は誰よりも自分が狙われることを知っている。そしてアランが彼のために傷つき、他の護衛が彼のために死んでいることを悲しんで泣いているのだ。そんなレックスのそばにいて、彼を護ると言うには、アランは弱くて無能すぎる。
実際、アランは怪我が治ると近衛の任を解かれて中央軍三部に配属された。それ以降ではレックスに一度も会っていない。