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一章 軍の兵士たち3


 そもそもアランは、魔術に対して良い印象の方が強いのだ。それはもしかしたら人を傷つけることにも使えるかもしれないが、人の役に立つこともたくさんできる。


『水の民、アランを助けて』


 そう言って必死に手を握ってくれた、小さな手のひらを思い出す。


 彼女の声と共に、痛みと苦しみと悲しさだけが溜まって沈んだ感情の底から、温かい何かが水泡のようにぽつりと浮かんだ。それは澱んだ暗い意識と、冷えて固まったような体に、かすかな息吹を吹き込んでくれているようだった。そんな小さなきらきらとしたかけらが集まって、アランは目を開けることができたのだ。きっとそれは、アランの命を救ってくれたのだろう。




 アランは軍属の学校を出てからすぐに、レックスの専属の護衛となった。まだ十代半ばの若いアランが選ばれたのは、王子の近くにいる護衛は年が近い方が良いだろう——などという訳のわからない理由を聞かされたが、実際には何かもっと別の理由があったはずだ。


 例えば、クリフォード家の人間を失脚させたい誰かの思惑が働いたのだとか、同時期に学校を出ていた東軍の将軍の息子が断ったからだとか、息子を売り込みたい父の思惑が働いたのだとか、きっとそうしたくだらない理由の集合だ。


 アラン自身は、そうした争いに大して興味もなかったから、勝手にしてくれという気分だったし、王子の替え玉というものに多少の興味はあった。どんな子供なのだろうと楽しみにしていたのだが、最初に会った時から随分と暗くておどおどとした少年で、果たしてこれが本物の王子などと誰が信じるのだろうと首を傾げてしまった。


 だが、ちょうどその頃に本人はにせものだと知らされたのだと聞いて、アランは納得すると同時に大いに同情する。自分が本物の王子だと信じていたのなら、それは驚くだろうし、この世の終わりのように暗くもなるはずだ。


 屋敷の人間はそれでも彼のことを本物の王子だと思っているから——正確には、本物の王子が正体を隠して普通の少年として育てられていると思っているので——いったい彼に何があったのかと心配しているようだったが、ひと月もすればレックスもさすがに落ち着いた。


 全く暗い表情を見せなくなり、にこにこと常に楽しそうな笑みを浮かべるようになった。そして誰に対しても丁重に接するようになり、他人の反応を見ながら、その相手が望む王子を演じているように見えた。


 レックスに両親はいない。側近のような大人は何人もいるのだが、長続きはしないようだった。レックスに指示を出す大人もころころと変わるし、護衛も使用人もすぐに変わる。レックス本人に問題があるとは思えないから、それこそ大人の事情なのだろう。


 定着させられない理由があるのか、それとも定着させたくないのか。定期的に同じ年頃の貴族の子弟を近づけたりもしているようだが、そちらも友人と呼ぶにはよそよそしい。にせの王子と知っている子供はあからさまに馬鹿にした態度を取るし、知らない子供はなんとか王子に取り入ろうとする。そしてレックスは必死にそんな相手に合わせようとしているのだから、仲良くなれるはずもない。

 

 だから護衛としてそばで見ている限り、レックスに味方はいないように見えていた。まだ十歳くらいの年齢で周囲の顔色ばかりうかがっているレックスが可哀想な気がして、アランは周囲に人が少ない時にはできる限り親身に接するようにしていた。


 アランももしかしたらすぐに配置換えになるかもしれないが、それまではなるべく彼に信頼してもらえるようにしよう——と、考えている矢先に、レックスは襲撃者達に襲われて大怪我を負ったのだ。


 これまで何度も殺されかけたとは聞いていたが、それでも今回は危ないかもしれない、と。あまりに青い顔をした子供を見下ろしてアランは思った。


 大きすぎる寝台に横たわる、小さくて華奢な体。


 たぶん内臓にまでは達していないだろう、と医師達は言ったが、それでも横腹を刺された傷があり、腕と足にもそれぞれひどい傷を負っている。


 ——どうしてこんな小さな子供を狙えるのだろう。


 王子を殺すとさほど良いことがあるのだろうか。彼を襲った人間は、これが本物だと思っていたのだろうか。それともにせものだと分かっていたのだろうか。それとも上官に指示されれば、相手が子供だろうが赤子だろうが断ることなど出来ないのか。


 そして、レックスは幼い頃から常にこうした恐怖に晒されているのだ、ということに改めて気づかされる。


 そのための身代わりなのだ。王子の代わりに危険をぶつけられるためだけに、彼はここで育てられている。いつどこで誰にどんな理由で襲われるかもわからない。かつては護衛や給仕の中にも刺客が紛れていたこともあるという。


 もしかしたら彼はアランのことなど信用していないのかもしれない、と思った。側にいるアランがそうでないなどと、彼に思えるのだろうか。


 アランはそっとレックスの髪を撫でる。


「おい、何してる?」


 同僚の護衛に声をかけられて、アランはちらりと振り返る。彼はレックスのことをにせものだとは知らない。いつも王子に距離が近いアランのことをよく思ってはいないし、何度か上官に問題行動だとして報告されたこともある。


「別に毒を盛ってるわけでもないですよ。お体に変わりがあれば報告してくれと、医師達から言われているでしょう。生きておられるかを確認しているだけです」


 ため息をついてから、アランは持ち場に戻る。


 こんなひどい状態なのに、彼を心配して縋り付くような家族も友人もいないのだということが、なんとも寂しい。せめて手でも握ってやりたいところだが、アランに手を握られたところでレックスも嬉しくはないだろうし、他の護衛達も座って王子の手を握るアランを見逃してはくれまい。


 そんなことを考えていると、クリスティアナ=ロイズという少女がレックスに会いに訪ねてきた。


 先日、レックスと話をしていた時にはさほど仲良しには見えなかったのだが、何かしらの関係はあったのだろう。彼女は毎日のようにレックスのそばで、必死に彼に話しかけていた。それを微笑ましく見ているうちに、彼女の熱意の甲斐があってかレックスはみるみると回復した。


 自分で体は起こせないまでも、食事や水も取れるようになったし、会話もできるようになった。


「ありがとう。無理なお願いを聞いてくれて」


 そんなことを言われて、アランは首を傾げる。


「無理なお願いとは?」

「クリスと二人きりにしてくれたでしょう。叱られちゃった?」


 ああ、とアランは言ってから、首を横に振る。


 渋る同僚を連れて無理やり部屋を出たのだ。実のところ、あれでまた殿下を危険に晒す問題行動だと上に報告され、上官からも色々と絞られたのだが、アランとしてはさほど気にしてもいない。


 背後からはまた同僚が睨んでいるような気がしたが、彼も直接アランに強くは言ってこない。彼はアランより二倍ほど生きてはいるが、それでもここで一緒に突っ立っている限りは、立場的にも階級的にも同列なのだ。軍隊では序列が全てだと教えられている。


「ゆっくりとご友人とお話ができて、殿下がお元気になられたのでしたら何よりです」


 彼に水を飲ませるために体を起こすのを手伝ってから、同僚達に隠れて唇に指を当てて見せる。小さな声で言った。


「また二人きりになりたい時には声をかけて下さいね。相手がクリスティアナ様ならいつでも」


 実際、彼はクリスティアナと話をしてから、元気になったような気がする。何を話したかは知らないが、子供同士、本音を話したいことくらいはあるだろう。


 王子からは一時も目を離すなと言われているのだが、部屋の外で控えていれば滅多なことはないだろうし、相手が彼女であれば信用できる気はした。仮にレックスの敵であれば、何日も朝から晩まであんなに献身的に声をかけられないだろう。


「ありがとう」


 彼はにっこりと嬉しそうに笑ってから、それから少しだけ迷うような顔をした。


「どうしました?」

「いや、なんでもない」


 彼はそう言って首を横に振ったが、そんなレックスをずっと見ていると、やがて小さく口を開いた。近くにいるアランにしか聞こえないような小さな声。


「アランは……どうして僕なんかにそんなに優しくしてくれるの?」


 本物の王子でもない僕なんかに、ということだろうか。


 白い顔をして、どこかアランの返事に怯えているようにも見えるレックスは、本当に小さなただの子供だった。精いっぱい大人の期待するような王子を演じて、それでこんな酷い怪我をしたのだというのに、それでも不満の一つも言わない。


 こんな健気でいたいけな子供に、優しくしない理由などどこにもない気がしたのだが、彼は真剣に悩んでいるように見える。アランは少し考えてから、言った。


「私はクリフォード家の三男なんですよね。上に兄が二人と姉が二人います」

「え?」


 全く関係のない話をしたアランに、レックスは目を丸くしてから、それでも真面目に「うん」と頷いてくれる。


「ずっと弟が欲しかったんですよね」

「は?」

「だから今が楽しいです」


 そう言ってレックスの頭に手を置いたから、背後に控えていた護衛が慌てたように動く音がして、目の前のレックスはぽかんと口を開けた。


 仮にも王子を『弟みたい』だと言い放つ護衛など、比喩でなく首を切られてしまう可能性はあるが、レックスは楽しそうに笑った。それはアランがここにきてから初めて見るような笑顔で、それだけで心が温かくなる。


 振り返ると同僚はものすごい顔をしてアランを睨んでいたのだが、レックスがこうして笑ってくれるのなら、別に多少アランが怒られるくらいは、痛くも痒くもない。


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