一章 にせもの王子たち9
レジナルドの住む城はレックスが住んでいた屋敷とは比べ物にならないほど立派で大きかった。
そしてそこは王子としての公務を行う外向きの王城と、生活を行う内向きの宮殿に分かれており、クリスが配属されたのは宮殿の警護だった。警護と言ってもレジナルドについているというよりは、謂わゆる門番のようなもので、宮殿内にある内扉で日がなぼうっと突っ立っているのがクリスの仕事である。
そこは王城側に繋がる通路の扉であり、そこから入ってくる人間などレジナルド達以外にいない。午前中にレジナルドがそこに向かうのを見送って、午後に戻ってくるのを見送るだけだ。レジナルドの側にいたいなどとは欠片も思えなかったし、そもそも近衛として王城に配属されるほどの実力があるとは思っていない。そしてあちこちに配置している警護は、万が一に備えた大切な仕事だと分かっている。レックスの屋敷でもちゃんと各所に配置されていたのだ。
そのため仕事の内容に特に不満はないのだが、それでもレジナルドが通るたびに、彼がクリスに話しかけてくれるのではないかと期待をしてしまう自分がいる。
レックスはどこにいるのか——と。
そう聞きたくても、クリスがここに来てからレジナルドは一度もクリスを見ようともしない。もう半月ほどもここにいるが、クリスはこの場から動くことはできないし、レックスに関する情報を手に入れることもできないのだ。ウィンストンならば王宮にも話ができる人間がたくさんいただろうが、クリスが話をしたことがあるのはレジナルドだけ。
だが、ここでは当たり前だがレジナルドは王太子殿下だった。レックスの屋敷を訪ねてきていた時のように身軽ではない。王家の紋章の入った立派な服を身につけ、常に三名の護衛達が取り囲んで周囲に睨みを効かせ、誰もが跪いて迎える。
そんな王太子殿下がいちいち門番に話しかけるわけはないのだ。
ため息をついた時に、外から足音がきこえた。そしてあちら側から扉が開けられる合図の音がする。中から出てきたのは大きな護衛達で、彼らに挟まれるようにレジナルド殿下が歩いていく。まっすぐに前に向けられた黒い瞳と、すっと通った鼻筋。その横顔がとてもレックスと似ている気がして、ずきりと胸が痛んだ。
だが三秒後には彼らの姿は次の角へと消えている。
クリスの仕事はまだまだ続くのだが、もうレジナルド達はここを通ることはないだろうし、他は誰もこんな通路を通ることはない。
誰もいなくなった廊下でクリスは大きく息をつく。ここに来ればレックスに会えるのではないか——なんて、甘すぎる考えだったのだろう。だが、他にレックスに会う方法など何も思いつかない。
***
クリスが仕事を終えて帰宅する準備をしていると、顔馴染みになっていた宮殿の護衛の一人に声をかけられた。上官から話があると言われて彼について行くと、宮殿の中の一つの部屋に通された。
そこは小さな応接室のような部屋だった。一人掛けのソファが向き合って一つずつ。そこに座っていた人物は上官や近衛の知っている顔ではなく、見たことのない男の人だった。
クリスが中に入ると扉が閉められる。座っていた男性から視線が向けられたので、ひとまずクリスは礼の姿勢をとる。目下から名乗って挨拶をするのが基本で、名前を返すかどうかは相手次第だ。
「クリスティアナ=ロイズです」
「ああ」
男性はそれだけを言うと、おもむろに立ち上がって部屋の奥にあった細長いドアを開ける。見た目には単なる物置のように見えたのだが、そこには道が繋がっていた。暗い隠し通路のようなその廊下に、クリスは密かに息をのむ。
「ついてきてくれ」
細身のクリスですら狭いと感じるドアを通って外に出ると、広い部屋に出た。
そこは先ほどの小さな部屋とはちがって立派なソファと、そして大きな寝台がある。誰かの部屋だろうか、と思っていると、案内してくれた男性はいつの間にか元の道を戻ってしまっており、クリスが一人で残されていた。知らない部屋にきょろきょろと見回しているうちに、ドアがあいてびくりと体を震わせる。
——入ってきたのは、想像通りの人物ではあった。
「やあ、クリスティアナ」
そう声をかけてきたのはレジナルドで、クリスの心臓がどくどくと強く動くのが分かった。
可笑しそうに細められた黒い瞳がまっすぐにクリスを見つめていて、クリスはぎゅっと手のひらを握る。体が震えてしまうのは、ついにレジナルドと話ができるという緊張感からか、それとも体が彼を恐れているのか。
「僕に何か用?」
「え……?」
いきなりこの部屋に連れてこられたのはクリスの方のはずだ。だが、そんなことを言われて、目を白黒とさせていると、彼はクリスとの距離を詰めてくる。壁際に立っていたクリスが背中を壁につけると、レジナルドは口の端を上げた。
「僕のことをずっと見ているでしょう」
上から瞳を覗き込むようにしてそんなことを言われて、クリスはどきりとする。
凝視していたつもりはないが、彼らが扉を通るたびになんとかレジナルドと話ができないかと思っていたのはたしかだ。レジナルドは全くクリスになど気づいていないように見えていたが、実際には気づかれていたのだろう。
こうして二人きりになれる時間が欲しいと思っていたのだが、実際に本人と二人だけになると、何をどう言えば良いのか分からなくなった。
「僕に会いたかった? それならごめんね」
すぐ近くにある深い瞳の黒に、体が震える。跪いて視線を外してしまいたいが、壁とレジナルドの間に挟まれる格好になっていて、身動きがとれない。
彼の冷たい指がクリスの頬にかかって、全身がびくりと震える。それを見て、彼の瞳が可笑しそうに細められる。
「僕がロイズの人間と親密なのを喜ばない人間もいるし、特定の女性に話しかけるのも色々と物騒なんだよね。——でも、ここだったら誰もいないからいいかな」
弄ぶような彼の指が髪先を揺らして、クリスは背筋が冷たくなる。震える声でなんとか言った。
「殿下……お戯れがすぎます」
クリスの言葉に、はは、と乾いた声で笑った。
「ま、実際、建て付けは色々と面倒くさいんだよね。クリスティアナにさほどの興味もないし。せめて髪が長かった時はまだ見れたんだけどな」
面倒くさいというのがどういう意味か分からなかったが、興味がないと言いながらも、彼は短いクリスの髪を遊ぶように摘んでいた。女性として不恰好だと笑いたいのだろうか。
「ねえ、あれとはどういう関係だったの?」
唐突に言われた言葉に対応できずに、クリスは口を開ける。
「……は?」
「別にクリスティアナには興味はないけど、あれのものなのだとしたら、奪ってやりたい気はするな」
悪意しかない言葉に、クリスは一瞬、固まった。
あれというのはレックスのことだろう。レックスとクリスの関係を聞いた上で、レックスのものであるのなら奪いたいなんて言葉に、恐ろしくなる。そもそもレジナルドはレックスから何もかもを搾取しているのだ。それなのにこれ以上、レックスから奪えるものは何かと考えるのは何故なのだろう。
怒りなのか恐怖なのか、体が震えてくる。
思わず聖堂で火の精霊を使った時のことを思い出してしまった。目の前が真っ赤になるような感覚。あの時の自分であれば、迷わず目の前の人間に魔術を向けただろう。
「お戯れを」
できるだけ強い口調で言うと、レジナルドは楽しそうに笑った。
「ま、いいや。また今度ね。今日はクリスティアナに会わせたい人がいるんだった」
「会わせたい人……?」
「ついておいで」
彼はそう言うと、彼が入ってきたドアから出ていく。クリスが外に出ると、そこにはレジナルドの護衛達が控えていた。
三名の屈強そうな護衛達は、昔、レジナルドに初めて会った時から顔ぶれが変わっていないような気もする。それだけ彼らが有能ということか、もしくはそれだけ信用できる人間が少ないということか。
クリスまで彼らに挟まれるようにしながら、ひと気のない廊下を進む。施錠された奥まった部屋に入ると、そこには部屋の中にまたドアがあり、そしてそのドアの鍵を開けると今度は下りの階段が現れる。
暗い階段を降りていくと、そこにはまたドアがあった。重たそうな扉には小さな窓がついており、それがまるで囚人を入れておく監獄のように見えてどきりとした。レジナルドが扉を開くと、そこは小さな部屋だった。
「……レックス」
クリスは思わず呟く。
小さな寝台に腰掛けるようにして座っていたのは、何十日ぶりかに会うレックスだった。彼もクリスがここにいることに驚いているようで、丸い目をさらに丸くしていた。
簡素な服を着て、小さな蝋燭の明かりにだけ照らされていたレックスは、レジナルド達が持っている明かりを一瞬、眩しそうに見た。顔色は分からないが、どことなく痩せたようにも見える。
部屋には寝台や机や身の回りに必要な最低限のものが置いてあるだけで、他には本当に何もない。天井付近に小さな明かり取りの窓が付いてはいるが、昼間であっても外の景色は見られないだろう。
「やあ、レックス。久しぶりだね」
レジナルドが声をかけると、レックスはすっと寝台から降りて床に跪いた。
「お久しぶりでございます」
「ここの暮らしに不自由はないか?」
「はい」
そういって頭を下げるレックスを、やはりレジナルドは可笑しそうに見下ろす。
こんなところで不自由がないわけがないのだし、レジナルドが久しぶりと言うくらいなのだから、ずっとこんなところでひとりで閉じ込めているのだ。クリスは思わず口にしていた。
「殿下……どうしてレックスをこのような場所に」
「どうって僕のにせものなんだから、他人に見られるわけにはいかないだろう。働いてもらう時にはちゃんと出てきてもらうよ」
「ですが、こんな……これではまるで牢に閉じ込めているようです」
はは、とレジナルドは楽しそうに笑う。
「僕も可哀想だとは思うんだけど、でも外に出してまた燃やされちゃうよりマシじゃない? 安全で不自由がないなら、何よりだと思うけど」
彼はそう言ってから、床に伏したままのレックスを見下ろす。
「せっかく連れてきてあげたんだ。何かクリスティアナに言うことがあれば、顔を上げて発言しても良いよ」
そう言っても、すぐにレックスは顔をあげなかった。だが、少し考えるような間を置いてから、彼はゆっくりとクリスを見上げる。
「お元気そうで何よりです。私は本当に不自由なく過ごしていますので、どうか心配されないでください」
レックスは目元に笑みを浮かべる。
その彼の笑顔は本当に嬉しそうなもののように見えて、クリスの胸が痛んだ。
もう彼の作った偽りの笑顔をクリスは見抜けないということかもしれないし、こんな状況でも彼は本当にクリスの無事を知って喜んだということかもしれない。どちらにせよ、クリスに彼をここから出してあげられるような力はない。レジナルドがわざわざクリスをここに連れてきたのも、きっとレックスとクリスの両者に対する嫌がらせでしかないのだ。
「レックス」
名前を呼んだが、何を言えば良いのか分からなかった。二人きりならともかく、側ではレジナルドが可笑しそうに様子を観察しているのだし、外には護衛達が控えてもいる。
「……お体に気をつけて」
それを言うのが精いっぱいだった。クリスの言葉に、レックスはにっこりと隙のない笑顔を返してくる。
「はい。ありがとうございます」




