一章 にせもの王子たち8
クリスが向かったのはレックスが住んでいた屋敷だった。レックスが幼い頃から密かに育てられ、密かに王子が育てられているとされていた屋敷だ。
そして三年ほど前からはクリスもここに部屋を持っていた。十五で軍属の学校を出てからは、レックスの専属の護衛として配属され、同じ屋敷に専用の部屋があったのだ。特別な用事がない限りは実家に帰る気もなかったから、毎日のようにここにいたのだが、あの日、あの聖堂にレックス達と向かったとき以来、部屋に戻るのはひと月ぶりだった。
クリスが部屋に置いた少ない荷物を整理していると、ドアが小さく叩かれた。はい、と応じると、ドアが開けられる。そこにいた人物を見て、思わずクリスは息を飲んだ。
「ウィンストン」
驚いたクリスに対して、何故か彼も少し驚いたような顔をする。
ウィンストンは屋敷の外にいたのか、もしくはこれから出かけるのか、立派な外套を身につけていた。中背でさほど鍛えているようにも見えないのだが、それでも立っているだけで何となく雰囲気がある。彼のことを知らない人間が見ても、きっと何かしらの高貴な身分があることはすぐに分かるだろう。
「髪を切ったんだな」
言われて、クリスは何となく髪に手をやった。もともとは背中までの髪をいつも一つにまとめていたのだが、今はかなり短くなってしまっている。なんなら男性にしては少し長めのウィンストンよりも短いくらいで、我ながら少年のようだと思わないでもない。
「燃えてしまいましたので」
「……ああ」
少しだけ苦い表情で言ったウィンストンの顔を、クリスはまじまじと見つめる。
レックスと二人で閉じ込められていた聖堂の地下から、外に出てからの記憶があまりない。魔術を使いすぎた反動か、それとも煙を吸い込みすぎてしまったのか、クリスが目を覚ましたのは三日後だったのだ。
その時には後ろに束ねていた髪の毛はちりちりに燃えてしまっていたのだし、いつの間にか火傷をしていたようで、腕にも水ぶくれのようなものがいくつもできていた。また喉も火傷をしていたのか叫びすぎたのかろくに声も出せなかったし、疲弊しきった体が起こせるようになったのも、目を覚ましてからさらに何日か経ってだったのだ。
レックスとクリスは、当初から合流する予定だった別部隊によって発見されて保護されたらしい。
そしてウィンストンも意識を失ったまま運ばれていたところを発見されたのだと聞いていた。
レックスとクリスを殺そうとしたのはウィンストンの手配した兵士たちに紛れた一部隊で、彼らは周辺の警備を固めていた兵士たちを殺したうえで、ウィンストンを拉致し、レックスとクリスを閉じ込めて聖堂に火をつけたらしい。
クリスが聞かされたのは本当にそれだけで、詳細は何を聞いても教えてもらえなかった。
レックスを殺そうとした目的も、ウィンストンの部下として紛れ込むことができた手段も、ウィンストンだけは生かして拉致した目的も何も分からない。
表向きには単なる聖堂への放火で、レックスがその場にいたことは伏せられた上で、犯行に加担した兵士たちはウィンストンの拉致とクリスへの殺害未遂という名目ですでに処刑されているらしい。犯人をすぐに処刑してしまうというのは、国の上層部の常套手段だ。都合の悪い証拠が出てくる前にさっさと片をつけてしまおうという誰かの意思が見え見えで、きっと裏で手を引いていたのは、王宮や軍上層部にも近い誰かなのだろう。
——たとえばウィンストンとか。
彼は表向きには一応被害者とされているが、主犯なのではないかと噂されているらしい。状況としても、ウィンストンだけが無関係というのは考えづらいのではないか、ということなのだろうが、だからと言って明確な証拠はなく、証拠もなく糾弾できるほどヘンレッティ家は弱小ではない。
「もう動けるのか?」
「ええ。ウィンストンも怪我をしたと聞きましたが」
クリスの言葉に、ウィンストンは無言で首を横に振った。そしてクリスを見て、何故だかふっと口元を緩める。
「いったいどの面を下げて出てくるんだ——と言いたい気持ちはよく分かるんだが」
よほど警戒するような顔で見てしまっていたのだろうか。そんなことを言われてどきりとしたが、かえって気は楽になる。クリスはまっすぐにウィンストンを見返して聞いた。
「ウィンストンがレックスを殺そうとしたんですか?」
「いや」
「それならウィンストンの選んだ兵士たちに刺客が紛れていたのも、わざわざ前日を選んでレックスを移動させたのも、誰もいない地下にレックスを連れて行ったのも、そこに火薬や何かが仕込まれていたのも、すべて『運が悪かっただけだ』とでも仰るつもりですか? そしてご自分だけは運良く助かったとでも?」
出来るだけ冷静に話が聞きたかったのだが、最後は感情が抑えきれなかった。息も継がずに言ったクリスを、ウィンストンの方は冷静に見つめていた。
「運が悪いと言うつもりはないな。全ては私の想定が甘かったせいで、それについては釈明する気もない」
開き直りにも聞こえる言葉に、クリスは眉根を寄せる。
「レックスが危険な目に遭ったのは私の責任だし——そもそも私が関与していないと、信じてもらえるとも思っていないしね。私が君たちの立場なら、信用できるはずもない」
たしかにあの状況に置かれたクリスが、ウィンストンのことを信じられるはずがない。ウィンストンがレックスを殺そうとすることに何か意味があるのかは分からないが、明確に彼が関与をしていないという証拠もないのだ。
もともとウィンストンのことはどこまで信じて良いのか分からなかったし、レックスも信じきれてはいなかったのだと言っていた。
「……それなら何のためにここにいらしたのです?」
「まあ、顔も見たくないだろうとは思ったが、一応は同僚として挨拶に来た。諸々の手続きが終わって、正式に領地に帰されることになったからな」
「帰される?」
帰る、ではなくて帰される、というのはどういうことだろう。首を傾げると、彼は切長の目を細めた。
「今回の件は明らかに私の責だからな。表向きには——と言ってもレックスが襲撃されたことは伏せられているから表でもないが、レックスの側近という意味で彼を守れなかったことの責任をとっての更迭だ」
「表向き、でない理由は?」
「王宮からの温情だそうだ。今回の件で主犯は私だとしたうえで、公の処断は見逃してやるから領地で大人しくしていろということだな。表には出ないが、ヘンレッティ家には色々と厳しいペナルティが課されている」
なるほど、とクリスは密かに息をのむ。
自業自得だと言う気にはなれなかった。どちらかといえば、やはりウィンストンがレックスを殺そうとするメリットがない気がして、どこか希望を持ってしまった自分がいる。
ウィンストンを信用できない。が、それでもやはりクリスは彼を信用したいのだ。彼がレックスやクリスを殺そうとしたなどと思いたくはない。
「いつ戻られるのです?」
「明日には。レックスには会えないから、せめてクリスの家くらいは訪れようと思っていたんだが、クリスがこちらに向かったと聞いて来たんだ」
「レックスには会えないのですね……」
「さすがに暗殺を企んだとする人物が、会わせてもらえるわけはないな。といっても、クリスも会えていないのだろう」
「ええ」
クリスは暗い気持ちで頷く。
レックスは肩の怪我はあったものの無事だと聞いている。だが、彼はこの屋敷には戻らずに、レジナルドの元にいるのだと言っていた。もともとレジナルドの成人式が終わればどこかに隠されると聞いていたし、その際に影武者としてレジナルドのそばにいることは想定していたが、こんな風になんの準備もなく別れるとは思っていなかった。
「クリスはレジナルドのところに配属されるらしいな」
「はい」
もともとレックスの護衛だったのだが、そのレックスが隠されてしまったいま、クリスの所属はレジナルドに移されている。ひと月の療養期間を経て復帰ということなので、じきに彼の元に参上することになるのだ。
この部屋に来たのも、色々とここに置いていた荷物を整理するためで、もうクリスがここに戻ることはないだろうと思っていた。
「……同情してくださいますか?」
常々レジナルドに仕えるのは死んでも嫌だと言っていたウィンストンにそう聞くと、彼はクリスの言葉に少し固まってから、それからこれまで通りの顔で笑った。
「もちろん同情はするな。あれに見下ろされるくらいなら、身ぐるみを剥がされて領地に帰される方がまだマシだ」
彼はそう言ってから、少しだけ真剣な顔をする。
「だが、レックスには会えるかもしれないな」
「はい」
クリスもそれだけが望みで、レジナルドの元に配属されることを快諾したのだ。レックスはレジナルドの元にいるのだというし、何かレジナルドが動けない時には代わりにレックスが動くはずだ。その時に、クリスもまた護衛として一緒にいられるのではないか、と思ったのだ。
ウィンストンはしばらくクリスを見つめていたが、何を思ったか、片膝をついてクリスに礼をとる。彼がクリスにそんなことをするのは初めてで、突然のことに息を飲む。驚いているクリスの顔を、ウィンストンは視線だけで見上げた。
「話をしてくれてありがとう。私が言えることではないが、お気をつけて。レックスのことも心配だが、あなたのことも心配している」
それが別れの挨拶ということなのだろう。
同僚に挨拶に来たと言ったが、たしかにウィンストンとは三年も一緒にいて、一緒にレックスのことを考えてきた仲間なのだ。レックスとクリスを殺そうとしたのが本当にウィンストンではないのだとしたら、彼が領地に戻る前にクリスに会いたいと思ったのは当然だし、同時に信用されていないと思っているのだとしたら、会っても話すら出来ないと思っていてもおかしくはない。
クリスはしばらくどんな反応を返せば良いのか迷っていたが、素直に笑って見せた。
「私もウィンストンと話ができて良かったです」
そう言ってから、レックスと別れの挨拶が出来なかったというウィンストンに、彼の言葉を伝える。
「レックスはウィンストンのこと大好きだって言っていましたよ」
クリスの言葉に、ウィンストンは一瞬だけきょとんとしたような顔をしたように見えたが、すぐに目を細める。
「それを口に出してクリスに伝える状況が理解はできないが、ありがとう。レックスに会えれば、私も心から敬愛していたとお伝えしてくれ」
敬愛、という言葉に、クリスはなんだか泣きそうな気持ちになる。
レックスに対して本物の王子のように振る舞っているように見えたウィンストンは、本当にレックスを主として仕えていたのかもしれないと思った。
「承知しました。ウィンストンもお気をつけて」
「ああ」
ウィンストンは立ち上がると、優雅に一礼をしてから部屋を出て行った。
彼の領地は遠く、ペナルティがあるということならもうここには来られないのかもしれない。一度は彼に裏切られたのだと確信していたのだが、もう二度と会うこともないのかもしれない、と思うと、胸が苦しくなった。
せめて彼の姿をもう一度見られないかと窓に張り付いたのだが、裏口から出てしまったのか、いくら待っても彼はクリスの前には現れなかった。