終章 カエレスエィス(魔術師たち)
高い梯子に登っていたセリーナを下から見上げて、何故かオーウェンが嫌な顔をした。
「セリーナ」
「なによ?」
「いいから、ちょっと降りてこい」
不機嫌そうな言葉に、ジャクソンは首を傾げる。なにか彼女がしでかしたのだろうかと思っていたが、何故かその不機嫌そうな視線はジャクソンにまで向けられた。
「あの女は何をやってるんだ?」
「屋根の上の飾りを取り付けてるみたいだけど」
「見りゃわかる」
理不尽にも盛大にため息をつかれ、困っているうちにセリーナが降りてくる。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃねえよ。ちょっと前から気になってたんだが、あんた腹がデカくなってないか?」
「え?」
ジャクソンは思わず目を丸くしたのだが、セリーナは明るく笑って腹を撫でた。服の上からだとあまり分からなかったが、彼女の手のひらが触れたお腹はたしかにふっくらとして見える。
「さすが仮にもお父さんね。男の人に気づかれたのは初めてだわ。ジャクソンなんて同じ家にいるのにぜんぜん気づいてないと思うけど」
そんなことを言われて、ますます驚いた。
「子供がいるのか?」
「うん」
「なんでそれで梯子にのぼるんだよ」
「だから梯子を使ったのよ。普通だったら魔術でジャンプするんだけど」
そう言われると確かに普段の彼女であれば屋根と屋根を飛び回るから、少しは安全を考えたということか。オーウェンはため息をついてから、聞いた。
「アランは知ってるのか?」
「知るわけないじゃない。しばらく会ってないのに」
「……アランの子だよな?」
「それはそうだけど」
腹を撫でながら言う。少し前にセリーナはアランに会いにカエルムにいったから、その時の子供だということだろう。
「なんで知らせないんだよ」
「子供が生まれてから驚かせてもいいかなと思って。それに、今ごろアランは別の人と結婚してるかもしれないし」
「は?」
「なんだそれ。あいつ浮気してんのか?」
「そういうわけじゃないけど、ずっと一緒にはいられないから、お互いに良い人がいたらその時はその時ね、って言ってるから」
「軽すぎるだろ。いいのかよ、それで」
「だからアランの子供が欲しかったのよね。子供がいれば、他の女に取られても、私のことが嫌いになっても、私が皺だらけのおばあちゃんになっても、一生他人にはならないでしょ?」
「……それは一気に重いな。怖い」
「何が怖いのよ。産むのも育てるのも私なんだからいいじゃない」
「男の方がそんな簡単に割り切れるかよ」
「そりゃ割り切れないからこそ、って狙いはもちろんあるけど」
「まじで怖いよ」
そんなことを言って騒いでいると、ヘレナとアイザックがやってくる。
王になってもヘレナは宣言どおりにほとんど診療所にいたし、別に王様らしい格好をしているわけでもない。変わったのはオーウェンが選んだ専門の護衛がヘレナについたことと、王様目当てに診療所に来る人間が何倍にも増えたことくらいか。怪我や病気で来る人間もいれば、ヘレナに会いに来る人間も、ヘレナに何かを直訴しに来るような人間もいる。患者がいない時であれば、ヘレナもそれにこころよく対応しているようだから、彼女の評判はすこぶる良い。
「どうしたの?」
「セリーナが妊娠してるってヘレナは知ってたのか?」
「ヘレナは私が気づく前から気づいてたわよ。しばらく内緒にしててね、ってお願いしてたの」
「うん。ごめんね、セリーナの体調が落ち着くまではあんまり言わない方がいいと思って」
たしかに少し前に珍しくセリーナが寝込んでいるような時期があったから心配していたのだが、ヘレナに聞いても大丈夫だと言っていた。繊細な問題であるだろうし、ヘレナもそれをジャクソンに告げなかったのだろう。
「子供がいるのか? それはおめでとう!」
アイザックは興奮したようにそう言って、セリーナの体を優しく抱く。
「アランの子供だろう。知らせてるのか?」
「ううん」
「誰かアランのところまで行って引きずってこい。ちょうど明日、船が出るだろ」
「仕事もあるし急に困っちゃうと思うけど」
「困るわけない。アランなら全部放り出してでも飛んでくるよ」
「カエルムはだいたい平和だ。アランに大層な仕事なんてねえよ」
「東から攻めてきそうな国もあるって言ってたけど」
「それなら余計に早く知らせろよ。攻めてきたら動けなくなるだろ」
「こないだまで私なんかにアランはもったいないって言ってなかった?」
「セリーナほどいい女はいないよ」
ぽんぽんとセリーナの頭を叩いてから、彼は本当にカエルムに派遣する仲間をその場で選定し始める。
「なにその適当な感じ。単にオーウェンがアランに会いたいだけじゃないの?」
「それは否定しない。一生を女と子供に捕まったアランの顔は見たいな」
「俺も会いたいな。アランほどのいい男も中々いないからな。とりあえず連れてこよう。俺が行こうか?」
「お前は自分が外に出たいだけだろ」
「レックスやウィンストンにも会いたいしな。色々と報告したいこともある」
「私の子供を口実にしないでくれる?」
「レックスもめちゃくちゃ喜ぶと思うぞ。俺に任せてもらえれば、どこにいても連れてこれるぞ。どうだ、オーウェン」
好きにしろよ、とため息をついたオーウェンに、アイザックは目を輝かせる。
王がヘレナなら、内務的なところを取り仕切るのが内相であるオーウェンで、外務的なところを仕切るのが外相であるアイザックとなっていた。それぞれに立派な役職は付いているのだし、たびたび外に飛び出すアイザックにはやはりオーウェンが選んだ護衛がつけられているのだが、やっていることや彼らの関係は以前とさほど変わるわけでもない。
ジャクソンにも王の補佐という大層な肩書きが振られていたが、オーウェン曰く「ヘレナのそばで突っ立っているだけの役割」とのことで、内実としてはアイザックの手伝いをしたり、オーウェンの手伝いをしたり、といったところだ。やっていることはやはり変わらないのだが、一応は国はなんとか前には進んでいる。
レックスやエイベルと話をしたことでなんとか方針は決まったし、カエルムからの外交的な支援も受けられている。災害のあった場所や渇水に苦しんでいる村などに、すでに魔術師を派遣しはじめていた。未だにかつての領主たちが勝手に税を取り立てたりとしている場所も多いようだが、そこについても整理をし始めている。まだまだ課題は山積みではあるが、ひとつひとつやるしかないのだろう、というところだ。
いつの間にかアイザックがカエルムでやることについての話し合いが始まり、ジャクソンは二人の会話を蚊帳の外で聞いていたのだが、耐えきれずにセリーナのお腹の方に手を出した。
「触ってもいいか?」
「どうぞ」
手のひらで触れると、見た目よりもずっと膨らんでいるような気がした。服の上からでもとても温かく、動かないかとじっと待ってみたが、そんな感覚はない。お腹の中に人の命が宿るというのは本当に感動的なことで、それが小さな頃から一緒に育ったセリーナのお腹だということに、ますます感動してしまう。
「よろしくね」
セリーナに声をかけられて、視線を上げると明るい碧の瞳がこちらを見ていた。
「別にアランがいなくても、ジャクソンがいればお父さんには困らないと思ってるんだけど。子育て得意でしょ?」
そんな言葉に、ジャクソンは笑った。
「任せろ。それだけは得意だ」
ヘレナを赤子の頃から育ててきたのだ。ジャクソンが力強く頷くと、セリーナも楽しそうに笑った。
「可愛い」
ヘレナは腕の中にいる赤ん坊を抱いてそう目を細めたが、恐る恐る赤子を抱いているヘレナを見て、そんなヘレナが可愛いと思ってしまった。
落とさないように、と両腕に力を入れて、壊れものを扱うように慎重に抱いているのが分かる。そんな抱き方をしていれば疲れてしまうだろうが、すぐ慣れるだろうし、すぐに首も座って抱きやすくなるだろう。
セリーナの出産にも医師のような立場で立ち会っていたし、生後間もない子供を治療することもあるのだが、意外にも赤子を抱き上げたり世話をしたりするのは初めてらしい。一方でジャクソンなどは村に幼い子供が生まれたら、まず抱かせてもらいに行っていたくらいの子供好きだ。セリーナの赤ん坊なら余計に可愛くて仕方がない。
ジャクソンの方がお母さんみたいだとセリーナも含めて周囲に呆れられるのだが、入れ替わり立ち替わり誰かしらが様子を見にくるのだからみな似たようなものだろう。先ほどまではアイザックが子供を抱いていたし、今はオーウェンが顔を出している。
「セリーナとアランは子供を置いてどこに行ったんだ?」
「二人きりでデートですって」
「めちゃくちゃ元気だな、お前の母親は」
そう言ってオーウェンは赤子の頬をつつく。
アランと一緒にアイザックがアルビオンに戻ったのは本当に出産間近だった。腹がはち切れそうなほどに大きくなったセリーナを見てアランはとても驚いていたが、「知らせろよ」と言った声はとても優しかった。生まれてからも本当に子供を可愛がっているし、セリーナを見る瞳も本当に彼女を愛おしく思っているのが伝わってきて、見ているこちらまで幸せな気分になる。
「セリーナとアランの娘なら、さぞやじゃじゃ馬だろうな」
「元気なのがいちばんだよ」
「元気すぎるのもな」
そう苦笑したオーウェンの頭に浮かんでいるのは、セリーナだろうか、それともウォルターだろうか。どちらも元気すぎるほどに元気で、周囲までまとめて元気にするパワーがある。
彼はセリーナかアランに用があったのか、すぐに席を立った。部屋を出ていく前に、まじまじとヘレナと赤子を見下ろしてから、なぜだか笑う。
「ヘレナもまだまだガキだって思ってたが、そうやってるとお母さんだな」
仮にも王に対してガキなんて言い放てる国などないだろうと思いながらも、お母さんなんて言葉にどきりとする。赤子だったヘレナを抱いた時の記憶と、ヘレナが赤子を抱いている今の景色が重なって妙な気分になった。
「そういえばオーウェンは今のヘレナくらいの年でウォルターの父親になったんだよな」
「俺は実際、恐ろしいくらいガキだったけどな」
彼は肩をすくめてから、ジャクソンの肩を叩く。
「言うまでもないが、好きに世継ぎは作ってもらってもいいぜ。別にそれが次の王になるって決まってるわけでもない」
「……それはどうも」
微妙な反応を返したジャクソンに笑って、オーウェンは外に出ていった。そもそも、まだ結婚すらしていないし、なんなら婚約しているという話も周囲にはしていない。今のところは保護者と思われているのではないかと思っていたが、少なくとも恋人ではあると気づかれているのかもしれない。
「さすがにまだ、お母さんって気分ではないけど」
赤ん坊とジャクソンと三人だけになり、ヘレナが口を開く。
「小さくて可愛くてなんでもしてあげたくなる。ジャクソンが私を抱いた時にもこんな感じだった?」
「……どうかな。ヘレナは色々特別だから」
なにせ赤子だったヘレナの周りには、幼いジャクソンが見え始めたばかりだった、きらきらと光る精霊達がたくさん飛んでいたのだ。そもそも道端に赤子が落ちている景色から衝撃的で、これまでの人生で一番の衝撃はジャクソンの中で一番過去のその記憶かもしれないと思うほどだ。
「でも本当に可愛かったよ。ずっと見てたから」
柔らかくてふわふわした髪の毛に触れているだけで、愛おしくなる。ぎゅっと閉じられた小さな瞼を見下ろして、彼女の見る未来は明るければいい、と心から思った。
彼女がここに存在するだけで周りは幸せになれるのだ。彼女が何にも怯えずのびのびと暮らせる場所を作るのは、ジャクソンたちみんなの役目であるはずだ。
「こんなに小さな生き物が、こんなに大きくなるなんてすごいよな」
今度はヘレナの金色の髪を指ですいて、頭にキスをする。彼女が上を向いたので、その唇にそっと唇を触れさせようとすると、直前で「待って」と彼女が声を出す。
「どうした?」
「……思わず落としちゃいそうで怖かったの」
「それは怖いな」
ジャクソンは笑って、片手でヘレナが抱いている子供を支えるようにして、もう片方の手はヘレナの背中にまわした。二人で一緒に子供を抱いているような格好になり、いつか将来はここに自分たちの子を抱くのだろうか、なんて幸せな空想にしばし浸る。
「これで大丈夫だよ」
「本当ね」
目を細めて笑った彼女の唇に、アランは改めて小さなキスを落とした。
——fin 魔術師たち
最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございます。
ラストまで読んでもらって、いい暇つぶしになったなーと思われた方が一人でもいれば、それだけで嬉しいです。
この作品は「或いは、魔術師のための国で、魔術を使えない者たちの物語(旧題 精霊たちの歌は聞こえない)」の続編というか、何百年か前の話になってます。あんまり意味はなく、書きたい話はあったのですが世界観が決まらなかったので相乗りしたってノリなので、特に触れてもなかったのですが、完結を機に旧作の方のタイトルをこちらに合わせました。
もし良ければ覗いてみてください。
それでは、しばしでもお付き合いいただいた方々に最大限の感謝を。ありがとうございました。