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終章 カエルム国(兵士たち)


「またね」


 そんな短い別れの言葉だけで、あっさりと笑顔を見せて船に乗り込んでいくセリーナを見て、アランは言いたかった色々な言葉を飲み込んだ。


 アランはこのまま船が出ていくまでぼけっと見送っているのだが、きっと彼女は甲板に出てこちらに手を振ることすらしない。セリーナが船に乗るときには魔術師の一人としてカウントされているらしく、船の進行や有事の際の対応などをやると聞いているから、外の様子を確認しても良い気はするのだが、前に船で帰って行った時にも一度も顔を出さなかったし、甲板からいつまでも手を振り続けるような姿は想像もできない。


 それでも船を見送る自分は彼女よりもだいぶ女々しいような気はするが、ひとまず船が見えなくなるのを確認してから家に帰った。


「可哀想だね」

「なにが」

 

 ロジャーから本気で憐れむような視線を向けられて、アランは眉根を寄せる。


「久しぶりに兵舎に戻ってきたかと思ったら、まっすぐ俺の部屋に来るあたり、慰めてくれる恋人も友達もいないのかなって思っちゃう」

「……慰めてくれる部下もいないらしいな」


 アランの言葉に、ロジャーは首を傾げる。


 恋人や友人がいないのは間違いないが、慰めてくれそうな部下は有難いことにたくさんいる。セリーナが来ているのを知っている部下は多いし、セリーナが帰ったといえばきっと元気づけてはくれるはずだ。が、そんな気分でもなかったのでロジャーの部屋に来たのだ。


「そもそもアランの部屋はこっちにないからね。こんなんでも仮にも部隊長なんだから、気安く兵舎に戻ってこないでくれる?」

「……俺の部屋はまだあるぞ」

「可哀想だから残してあげてるんでしょ?」

「そうなのか?」


 アランには兵舎の部屋以外にも家が与えられているのだが、兵舎の部屋の方が職場にも仲間達との距離も近くてありがたい。ロジャーからは「上官が近くに住んでたら部下はたまったもんじゃないよね」と言われてはいたが、家を持っているのはそもそも部隊長以上だ。末端の兵士たちにとっての直属の上司は一緒の兵舎に住んでいるのだから、とアランも兵舎に住み続けていた。さほど嫌われてはいないのではないか、と自分では思っているのだが、それでも目障りと言われれば目障りだろう。それでも誰もいない一軒家には帰りたくないのだから、そこは頭を下げてでもおいてもらうしかない。


 そもそも家など使わないし必要ないと言ったのだが、レックスに「誰か訪ねてきた時のためにもあったほうがいいんじゃない」と言われたので、そのままにしていた。


 彼がセリーナのことを意図したのかは分からないが、たしかに彼女が訪ねてきた時に兵舎に連れ込むわけにもいかない。ふた月ほど前から昨日までは、実際にセリーナと二人でそこにいたのだ。真新しい家で二人で過ごしていると、まるで新婚のようだと思ってしまったし、セリーナが飾った小さな花や、彼女が買ったテーブルクロスやカーテンで一気に生活感が出た。


 一応、セリーナは他国からの使者という形で入国していたから、アランが仕事をしている間はレックス達と会っていたり、エイベルやクリスらカエルムの国の魔術師達と話したりしていた。先日は暇だったからと、クリスと一緒に雨を降らせに行ったと言っていた。クリスが水の精霊を操り、セリーナが風の精霊を操って広大な田畑を潤したらしい。


 貴重な魔術師であるセリーナは、この国では特に重宝されるのだし、アランなどはいっそこちらで暮らせないかと思ってしまうのだが、それはアランの勝手な思いだろう。


 そんなことを考えていると、考えを読まれたかのようなタイミングでロジャーが口を開く。


「なんで一緒に船に乗って行っちゃわなかったのさ。今さらアランが逃亡したところで俺は驚かないけど」


 そんな言葉にため息をつく。


 セリーナをここに残すのではなく、アランがあちらに行くという選択肢ももちろんあるのだ。だが、アランにそれが出来ないのだから、セリーナにここに残ってくれとも言えないのだし、現状では時間を作ってわざわざ会いにきてくれるセリーナに感謝するしかない。お互いに恋人ができたらその時はその時ね、なんて怖いことを言われるので、それも祈るしかないのだ。


 アランの方は、とても他の恋人のアテはない。


「……明後日からは東領に行くからな。さすがの俺でも今の時期に逃亡はできないな」

「なんだっけ、それ」

「嘘だろ。当然、ロジャーも一緒だよ」


 新しくカエルム国に組み込まれた東領と、新しく自衛軍に組み込まれた東軍は、地理的にも離れているところもあり、同じ国とはなっていても実質的には自治領に近くなってしまっている。


 東領の領主はたびたびカエルムの中心に呼ばれて話はしているようだし、東軍の将軍や主要なメンバーもたびたび中央に召集されてはいるが、上部だけといえば上部だけだ。東に国境を接した国の動きが活発になりつつあるので、牽制もかねて今回はアランら自衛軍の部隊でしばらく東軍に留まる予定にしていた。一緒に演習などを行うことで、東軍とも一体感を持たせるということと、その間にいざとなったときに派遣する援軍の編成などを検討するという狙いがある。


「いつ帰れるの? 一週間くらい?」

「まじで言ってるのか? 早くて二ヶ月ってとこだよ」

「嘘でしょ!」


 これまで時間をかけて散々準備していたのを、彼はいったい何だと思っていたのだろう。慌てて身支度を始めたロジャーに首を傾げていると、彼は「もう出かけるから」と言った。


「どこそこで声をかけてる女性達に挨拶回りか?」

「そんなとこ。色々と約束してたのにな。あ、そうだ。俺、結婚するかも」

「は? 嘘だろ」

「さっさと結婚しろ、って言って親が連れてきた見合い相手が完璧すぎるんだよね。一目惚れしちゃった」


 そんな言葉にぽかんとしてから、首を捻る。


「他の女性にはもう見向きもしないって? お別れを言いに行くのか?」

「そんなわけないじゃん。これからも好きに遊んでいいなら結婚してもいいよ、って言ってる」

「……王様か。相手の女性にも伝えてるのか?」

「もちろん。うちの父も思惑はあるみたいだし、あちらの家はベインズやヘンレッティ家と繋がりたかったみたいだから、是非って言ってたけど。本人もね、すっごく綺麗で賢そうで計算高そうな女性なの」

 

 それはそれですごく好みだな、と笑ったロジャーに、色々と不安しか抱かなかったのだが、ベインズ伯爵が選んで連れてきたという女性なら怪しげな人間ではないはずだ。そしてロジャーは女性には紳士的だそうだから、相手の女性からしても——嫉妬に狂いさえしなければ——条件的にも悪い相手ではあるまい。


 呆気に取られているうちに、ロジャーは外出用の私服に着替えて、外に出て行った。当然だがアランも部屋を追い出され、自分の部屋に戻ろうとしているところを、今度はアランを探していたらしい部下に声をかけられる。


「……どうしました?」


 よほど妙な顔をしていたのか、あちらから声をかけてきたにも関わらず、怪訝そうな顔で聞かれた。そもそもセリーナと別れてやさぐれているところに、よりにもよってロジャーが結婚するかもしれないなんて話を聞かされて、放心状態ではある。祝福する気持ちはもちろんあるが、なんとなくロジャーだけは一生独身でいてくれると思っていた。


「なんでもない。何か用か?」

「宮殿からお呼びです。時間があれば訪ねてほしいということですが」


 レックスが呼んでいるのなら名前を出すだろうが、宮殿からのお呼びというのはウィンストンが呼んでいるということだろうか。レックスもウィンストンも宮殿で働いていることが多い。


「ありがとう。すぐ向かう」

「……あの、いつでも誘ってくださいね。俺も、みんなもアラン隊長が戻ってくるの待ってたので」


 心配するような声音で言われて、アランは目を瞬かせた。


 アランが普段と違う様子なのは、セリーナがいなくなって傷心のせいなのだと思われているのかもしれない。兵舎にいる時にはいつも色々な部下と飲んでいるから、一緒に飲もうということなのだろう。ロジャーと違って優しい部下に、思わずぽんと肩に手を置く。


「嬉しいよ。本当にありがとう」


 本気で感動した声音でそう告げて、部屋で上着だけをとってすぐに宮殿に向かう。普段からほとんど軍服で生活しているから、身支度もなにもない。


 軍人としては宮殿に用などないのだし、レックスに会う時には彼の家を訪ねるか、彼の方が兵舎や演習場に会いに来ることも多い。立派な宮殿を訪ね、多少は緊張した気分で待っていると、しばらくしてウィンストンの執務室に通された。


「呼びつけた上に待たせて悪いな。前の話がやたら長かった」


 立派な椅子に偉そうな顔で座っていながらも、一応はそんなことを言うからいい主君ではあるのだろう。部屋にはウィンストンだけでなく、レックスもいた。ウィンストンの執務室であるにも関わらず、そばにレックス専用のデスクもあるらしい。


「前って、陛下と二人で立ち話してたんでしょう?」

「それが長かったと言ってるんだ」


 レックスとの不穏な会話はとりあえず聞かないフリをして、アランは膝をついた。簡単な挨拶だけをすると、いきなり相手はとんでもないことを言ってきた。


「東軍の将軍になる気はあるか?」


 は、と開きかけた口をなんとか閉じる。


 相変わらず本気なのか冗談なのか分からない顔をしているのだが、今は余計によく分からない。反応に困ってレックスの方をちらりと見てみるが、彼は彼で穏やかないつもの調子を崩していなかった。驚いているのか、彼も知っている話なのが全く分からない。


 しばし反応に困ってはみたが、返す言葉は決まっている。


「全くありません」

「理由は?」


 間髪入れずに鋭い声が返ってきて、内心で首をすくめる。


「必要があると思えないからです。今の東軍の将軍は実力も人望も信頼もある。叛乱の恐れがあるというなら話は別ですが、あちらは常にカエルムに庇護を求める姿勢です。わざわざ彼を引き剥がして、自衛軍の人間を将軍に据える意義はないと思いますけれど」


 将軍側に何か落ち度があるならともかく、とアランは伝える。


 アランは何度も東軍の将軍と話をしているし、エグバード元部隊長と一緒に三人だけで酒を飲み交わしたこともある。クセのある人物ではあるが、扱いづらいというほどでも無さそうだったし、抜群に有能なのは間違いない。くだらない権力争いの道具になりたくはないと、中央とも国軍とも東領とも適度な距離を保ちつつ、国外から攻めてくる敵兵だけを敵と定めて軍を維持していた彼を、アランは素直に尊敬していた。


「意義はある。完全に東領をカエルムの配下に置くためには、それなりに統制をとりたいし、新体制であることをアピールしたい」

「……本気で仰ってます?」

「一割くらいはな」


 それはほぼ本気な要素はない気はしたが、なんにせよウィンストンはちらりとこちらを見下ろしてくる。


「他に理由は?」

「そもそも本気と思えません。私などには過分すぎる役割で、余計な軋轢を生むだけです。軍の中でも若輩ですし、そうでなくてもカエルムの人間じゃない。自衛軍の古株などからすると絶対に面白くないし、なんならカエルムの貴族達からしても面白くないと思いますが……」

「面白くない人間達がしょうもなく騒いでるのを見るのは、それなりに面白いがな」


 口の端を上げて言われた言葉に呆気に取られてると、レックスが明るく笑った。


「ごめんね、ウィンストンは機嫌が悪いだけだから気にしないで。東軍の将軍は良い人そう、って僕も会って分かってるんだけど、東の領主の方はなかなか大変なんだよね。午前中はずっとウィンストンが相手をさせられてたから」


 だから不機嫌なのだということか。確かに将軍と話した時にも、領主には悪い印象しかなさそうだった。それでいっそ東の体制を入れ替えてやろうと思ったとして、まずは手をつけやすい東軍からというところだったのだろうか。それにしたってなぜアランなのかと思うのだが、単に呼びつけやすかっただけかもしれない。


 ウィンストンは機嫌が悪いというところは否定する気はないようで、机の上に頬杖をついた。


「本気で入れ替える気はなかったが、もし本人にやる気があるのなら、やらせてみるのも面白いかと思っただけだ」

「ご用はそれだけですか?」

「しょうもないことで呼びつけてすまないな」


 全く悪びれずに言われた言葉に、アランは笑った。偉そうで腹が立つというよりは、彼は実際に偉いのだし、開き直られるとむしろ面白い。


「いえ、面白くない人間で申し訳ありません」

「全くだな。口を挟む気にもならない正論しか言わないから欠片も面白くない。——明後日からの遠征はよろしく頼むよ、アラン部隊長」


 軽く言われた言葉にアランも軽く頭を下げる。それが別れの挨拶だと思ったので、そのまま退室しようと思っていると、レックスがのんびり口を開いた。


「念のため言っとくと、本題はそっちだよ。明日の出陣式に僕は出るけどウィンストンは別件で出られないからね。隊を率いるアランにだけでも挨拶しておこうっていうウィンストンの気遣いなの」

「別にそんな補足をしてもらわなくても良いんだが」

「ご機嫌も良くないなか、ご配慮痛み入ります」

「だいぶ嫌味な男だな」


 ウィンストンはそう言って眉根を寄せたが、やがて肩をすくめて立ち上がる。


「東に行く前に領主の愚痴を聞く気があるなら、アランも付き合え。三人で酒でも飲もう。本題はそっちでもなくこっちだ」

「え、そうなの? 明日の準備は?」

「やる気が出ない」


 うそ、とレックスは目を丸くしたから、大切な仕事がまだ残っているのだろう。だが、すぐに切り替えたらしく、彼は楽しそうに笑った。


「王子様がそう言うなら仕方ないよね。どうする、アラン」

「ご一緒させていただけるのなら喜んで」


 一も二もなく頷いた。


 レックスとは頻繁に食事などをさせてもらっていても、ウィンストンはほとんど業務的な会話しかしたことがない。部下や臣下達とは敢えて一線を引いているようにも見えていたが、どういう心境の変化だろう。単に東軍に合流するアランに東領のことを事前に教えておこうという意図かもしれないが、それでも三人で飲もうというほどに距離を縮めてもらえたのは素直に嬉しかった。


 そうでなくともセリーナがいなくなって、今夜はどう過ごそうかと途方に暮れていたのだ。


「ついてこい」


 堂々と仕事を放り出して部屋を抜け出す主君たちの背中に、アランは嬉々としてついていった。








——fin 兵士たち





 

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