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一章 にせもの王子たち6


 レジナルド殿下に会ってからひと月後、クリスは足取り重くレックスの屋敷に向かっていた。


 他言すると死刑になるなんて考えると、このひと月は胸の中に常に鉛が詰まっているような気持ちだった。父がレックスのことを知っているのか分からなかったから、何を聞くことも何を言うことも出来なかったのだ。


 クリスはいったい何のためににせものの王子のもとに参上させられているのだろう——なんて思っても、状況を教えてくれるような大人はいない。どんな顔をしてどんな話をすれば良いのかと、胃が痛くなるほど悩んでいたのだが、レックスの方は白々しいほどにこにことした笑顔を張り付かせていた。


 彼は自身がにせものであるということに触れるつもりも、レジナルド殿下のことに触れるつもりも無さそうで、普段通りに会話をして食事を取った。


 何も言いたくなかったのか——それとも何も言えないのか。一緒に食事をとると言ってももちろん二人きりではない。給仕の人間や護衛などは付いているのだし、下手なことは言えないのかもしれない。


 クリスはもともと王子に嫌われまいと精いっぱいにこやかに振る舞っていたから、なんとなく今のレックスの気持ちが少しはわかる気がした。本物の王子でないと宣言されてしまった今、彼こそ周囲に嫌われまいと必死なのではないだろうか。


 彼のことをにせものだと知っている人間に対しても、彼は常に相手よりも上位の王子を演じるしかない。そして彼のことをにせものだと知らない人々には、いつにせものだとばれて失望されてしまうかと考えれば、恐ろしくなるだろう。


 そんなことを思いながら空々しいだけの会話をして、クリスはレックスの屋敷を後にした。彼に同情めいたものを感じながらも、だからと言ってクリスにどうすることもできなかった。クリスはせいぜい知り合いの一人であり、何よりなぜ自分がレックスの側にいるのかも分からない単なる子供だ。


 ——だが、レックスが襲撃されてひどい怪我をしたのだと聞いたのは、それから二日後だった。


 自分に出来ることなど何もないと思っていたはずなのに、レックスが怪我をして死ぬかもしれないと父に聞かされた時、何故だかどうしてもレックスに会いたいと思った。


 お見舞いに行きたいと熱心に訴えると、父は意外そうな顔をしながらもそれを相手に伝えてくれた。父としてはレックスが死ぬより生きていた方が何かと都合が良いのだろうし、生きているならクリスがレックスと親密であることは歓迎すべきことだったのだろう。


 その時の父は、レックスをにせものだとクリスが知っているような口ぶりだったから、そこで初めて父もレックスの正体を知っているのだと知った。狙いは分からなかったが、彼は最初からレックスが偽だと知った上で、クリスをそこに近づけていたのだ。


 翌日屋敷を訪れると、すでに話を聞いていたのだろう。何度か顔を見たことのある護衛が、レックスが伏せっている部屋にまで案内してくれた。


 部屋には医師らしき人間はおらず、壁際に護衛が何名も張り付いているだけだった。重くカーテンも閉ざされた暗い部屋の大きな寝台に一人で寝かされたレックスは、やはりにせものなのだと思わされた。本物の王太子殿下であれば、怪我をして瀕死の状態で、こんな寂しい部屋に寝かされるはずがない。


「殿下の容体は一旦は落ち着いているそうですが、出血がひどかったため、意識が混濁している状態が続いているようです。せっかくいらしていただきましたが、お話ができるかどうかは分かりません」


 そんな状況の怪我人に、ほんの子供であるクリスが会えるというのは、ロイズ家の力がそれなりに強いからなのだろうか。


 音を立てないように慎重に近づくと、意外にもレックスは目を開けていた。だがその瞳はぼうっと天井を見つめていたし、顔は白すぎるほどに白い。胸から下には布が掛けられているため、見た目にはどこを怪我をしたのかは分からなかったが、出血がひどいというくらいだからどこか大きな怪我をしているのだろう。


「殿下」


 控えめに声をかけたが、反応はなかった。


 クリスがずっと立ったまま彼を見下ろしていると、護衛の一人が椅子を勧めてくれる。クリスはそこに座ってしばしレックスの様子を無言で見つめてから、自分は何をするためにここに来たのだろう、なんて今さらながらに思ってしまった。


 レックスとはさほど親しいわけでもない。


 何年も前から定期的に通ってはいるし、会った時にはそれなりに親しげな様子で会話ができていたのではないかとも思っている。が、それでもきっと本物のレジナルド殿下に会う前であれば、きっとこうして訪ねてなど来なかっただろう。そもそも彼が本物の王子であれば、こんな状態でクリスのような子供を近づけることはしまい。


 彼がにせものだと知ったうえで、彼に会いたかったのは、クリスが彼に同情をしているからだろうか。


 なんとなく、彼はひとりで苦しんでいるような気がしたのだ。そばに居るのが彼のことを王子だと信じる人間ばかりだったとしたのなら、彼はその人々に対して何も言えないだろうと思った。だが、クリスなら彼がにせものなのだと知っているし、もしかしたらクリスには彼の本当の思いを口に出来るのではないか——なんて、そんなことを考えてしまったのだ。


 だってクリスにも幼い頃から秘密がある。


 当たり前のように周囲に見えている精霊たちを見ないふりをして、家族に対してでも間違って口に出すことが出来ない。母が死ぬ前はまだ話す相手がいたが、死んでからは共有できる相手はいなくなった。自分の一部である世界を認めてもらうことも、人に知られることすらできないと言うのも、本当に苦しいことなのだ。


 本物の王子として育てられてきながら、本物ではないと知らされたばかりの今のレックスは、もっと辛いだろう。しかも彼が命を危ぶむほどの襲撃に遭ったのも、本来ならレジナルド殿下に向かうべき刃だったはずなのだ。襲撃を受けたのは他国の使者がいた場だと聞いているから、レジナルド殿下が『殺されないように気をつけて』なんて言い放った場なのではないだろうか。まんまと王子の身代わりをさせられてしまったことを、彼はどう思っているのだろう。少なくともクリスはあの時の可笑しそうなレジナルドの顔を思い出すと、許せないという怒りしかない。


 レックス


 ——と、彼の本当の名前を呼びかけたい衝動に駆られたが、そんなことができる訳がない。


 そもそもレックスと話が出来ないかと思って来てみたが、とてもレックスは話が出来る状態には見えないし、話が出来たとしても周りには護衛たちがいる。二人きりで話すことなどできる訳がないのだ。


 結局、何も言えないままじっとレックスの顔を睨んでいるうちに、日が傾いてしまったらしい。レックスは大半の時間を眠って過ごしていた。一度、意識が覚醒したように見える時があったのだが、その時は慌てて医師を呼んだので、彼がクリスを認識したかは分からない。医師達が何とかレックスに水や薬を与えると、彼はまたすぐに目を閉じてしまった。


「屋敷までお送りします」


 護衛たちにそう声をかけられて、クリスは立ち上がる。結局、クリスなどが仮にも王子とされる彼のために何が出来るわけもないのだ——と。そう考えた時、ふとレックスの視線がクリスの動きに合わせて動いた気がした。


 クリスは慌てて寝台を見下ろすが、改めて見るとさほど変わった気もしない。気のせいかとも思ったが、思わずクリスは口を開いていた。


「明日も来ても良いですか?」


 そんなことを言うと、一人はあからさまに迷惑な様子で眉根を寄せたように見えたが、もう一人は考える様子もなく優しく頷いてくれた。


「クリスティアナ様がよろしければぜひ。殿下もお喜びになると思います」


 そんな言葉にお礼を言って部屋を出る。


 ——それから本当に翌朝からレックスの屋敷を訪れると、さほど彼に変わった様子はなかったが、悪くなっているようにも見えないことに安堵した。そしてその日は慎重に護衛たちの立ち位置を確認してから、彼らに背を向けるようにして椅子に座る。


 前の日は三人いた護衛が、今日は二人に減っている。二人ともドアのある壁側にドアを挟むようにして座っていた。


「殿下、おはようございます。今日もお邪魔してしまい申し訳ありません」


 一応は声をかけてみるが、今の彼は目を閉じて眠っているようだった。白なめらかな肌は青い血管が透けるほどに白く、唇の色もどこか青い。やはり血が足りていないのだろう。


 クリスは彼を見下ろしてから、重いカーテンの閉ざされた窓を見る。光を入れないのはレックスの体調を思ってなのか、それとも何らかの情報が漏れないようにという警備の関係か。


 クリスはカーテンを見るようにしながら、目的のものを視線で捕捉する。ふわふわと漂っているのは、白色や青色の羽を持つ小さな妖精たち。どれも輝きは弱く、風に乗ってどこにでもいるような精霊だ。だが、この場合はそれが都合がいい。


 水の民(ウンディーネ)


 と、口の中で小さく囁く。小さな青い羽の精霊は、特に何の抵抗もなくクリスの意識を受け入れてくれた。


「殿下、早く良くなってくださいね」


 そんな言葉に想いを込めると、小さな精霊はぱちんと光ってから消えてしまった。


 家に帰ってからレックスのために出来ることは、と考えて、唯一浮かんだのがそれだった。人目のあるところで魔術は使えないが、精霊の名前を呼ぶところさえ聞かれなければ何とでもごまかせる。水の民(ウンディーネ)の魔術は、使ったところで何も変わらないのだ。これほど小さな精霊なら、意味があるかどうかも疑問だが、それでも全く無意味ではないだろうし、小さければ大きな声で従わせる必要もない。


 クリスはレックスに話しかけるふりをしながら、何度か同じように小さな精霊たちを使う。そして部屋に水の民(ウンディーネ)がいなくなったら休んで、また迷い込んできたら捕まえる。やったところでレックスの顔色が良くなるようにも見えなかったが、それでも何も出来ない昨日よりも精神的にマシだった。


 慣れない魔術に疲れ切ってしまった頃に、レックスは目を開けた。


 その瞳はクリスを捉えてから少し大きくなる。


「殿下」


 呼びかけると、彼は口を開けた。声は出なかったが何かを言おうとしているように見える。少し待っていると、クリス、と名前を呼ばれた。


「殿下、ご加減はいかがですか」


 そう問いかけると、少しだけ眉が寄せられた。辛いのだろうか、と思ってクリスが振り返ると、護衛の一人が頷いて外に出ていった。医師を呼びに行ってくれたのだろう。


「クリス……どうしてここに」


 弱々しい小さな声は、単純に来訪に驚いているのか、それとも不愉快だと思ったのかは分からなかった。レックスからすれば、クリスはたまに会うだけの知人の一人であり、意識もないうちに勝手に寝室にまで入って見舞うほどの関係ではないはずだ。


「……こんなところにまでお邪魔してしまいすみません」


 何を言えば良いのか分からずにそう言って頭を下げると、なぜだか彼の手が動いた。それはクリスの方に伸ばされているような気がして、思わずその手を握ると、彼は嬉しそうに笑った。


 それを見てクリスの心臓が大きく鳴った。


 もしかしたら寝ぼけているのかもしれないし、まだ意識がちゃんとは覚醒していないのかもしれない。


 だが、その笑顔は、先日まで見ていたような無理をしてにこにこと笑っているようなものでも、その前まで見せていたような天真爛漫で眩しいような笑顔でもない。透明で純粋な、さらりとこぼれる木漏れ日のような小さな笑顔に、どきどきと胸が苦しくなった。


 医師が来るとクリスはその場を譲り、傷を診るというので部屋から出た。その時にもレックスはいくつか受け答えをしているようだったが、すぐにまた眠ってしまったらしい。


 クリスはまた明日も来ます、と言ってから、屋敷を出る。


 あの笑顔にまた来ることを許してもらえた気がしたし、もしかしたら少しはクリスの魔術が効いたのかもしれないと思うととても嬉しかった。クリスは朝よりもずっと足取り軽く、ふわふわとした気持ちで家に戻った。



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