五章 レックスの護衛9
「恋人みたいで嬉しい」
そう言って繋いだ手の指を絡めてきたセリーナは、心の底から嬉しそうな笑顔をしていた。
喜怒哀楽全てが激しいらしく、オーウェンやアイザックなどはすぐに怒って怖いなどと言っていたが、今のところアランに見せる顔は楽しそうにころころと笑う顔が多い。
「俺はちょっと人の視線は気になるんだが。めちゃくちゃ見られてないか?」
白昼堂々、軍服を着たアランとセリーナが手を繋いで歩いているのだ。そもそも余所者のアランは目立つし、明るいセリーナは町でも話したことのない人間はいないというくらいの社交家らしい。そんな中で恋人のように手を繋ぐというのは、アランにとっては罰ゲームに等しいのだが、彼女の方は特に気にならないようだ。
「それって自意識過剰じゃない?」
「……そうだといいな」
明らかにアラン達を凝視している魔術師達から視線を外す。これがアランにとって知らない人々だというのは幸いで、ここが国に戻って兵舎の近くなどであれば生きた心地がしなかっただろう。レックス達は今日もアイザックやオーウェンと話をしているはずで、ロジャーをはじめとしてアランの部下達も大半はそちらについている。あとは同じように休日を満喫しているはずの部下と遭遇しないことを祈るだけだ。
セリーナはほとんどアランの部屋に住んでいるような状況だった。昼間はアランもレックスについて外に出るし、彼女も仕事があるらしいが、夜にはアランの部屋に戻ってくる。
セリーナを部屋に入れたことについて部下たち全員に詫びたのだが、完全に面白がられて揶揄われただけだった。そこで部外者を敷地内に入れる時には全員から許可を得ることという謎のルールを作られたため、彼女については本当に一人一人に紹介することで出入りを許されていた。見張りとも顔見知りになり、勝手に敷地内を出歩けるセリーナは、アランの部下たちにも気軽に声をかけているし、先日はアランがレックスに呼び出されているうちに、勝手に部下たちの部屋でカードゲームに興じていたほど馴染んでいる。
彼女が部屋にいても何かあればすぐに声をかけろとは言っているが、特に何も起きもせずアルビオンでの生活は平和そのものだ。
もともとアランに休日など不要だと思っていたが、セリーナが町を案内したいと言ったので、休みをもらって町に出ていた。昨夜から彼女はとても楽しみにしていたようだし、アランとしても二人で外に出られること自体は素直に嬉しかった。アイザックに最初に案内された場所とは違って、セリーナが個人的に気に入っている場所などに色々と連れて行ってくれる。
「ここが私たちの家ね」
そう言って案内されたのは、湖のほとりに建つ立派な屋敷だった。レックス達に与えられているような大きな家で、ヘレナと一緒に暮らしているということだから、普通とは違って特別ということなのか、もしくは単に人数の問題か。セリーナとヘレナ以外にも、ジャクソン達と一緒に暮らしているらしい。
「静かで綺麗な場所だな」
「アランにとってはそうでしょうね。私はうるさいくらいなんだけど」
「ここがうるさいのか?」
「精霊がうようよしてるってことね。別に鳴くわけでもないから本当にうるさくはないけど」
そう言って彼女は目の前に飛ぶ虫で手を払うような仕草をする。
案内された家の中にいたのはヘレナだけだった。
ジャクソンは常にレックス達との会議に参加しているし、同居しているウォルターやカーティスも昼間は作業をしているらしい。彼ら二人は毎日時間を決めて行なうことになったオーウェン達との合同の訓練に参加しているので、すでにアランとも面識はある。アランたちは部下達と持ち回りで参加しているのだが、二人はいつも熱心に参加してくれていると聞く。特にウォルターはオーウェンが言ったようにとても強かったし、ロジャーや部下たちにに叩きのめされたところで、めげずに何度も挑んでいて微笑ましい。
「ヘレナは今日はジャクソンと一緒に行かなくて良かったの?」
セリーナの言葉に、ヘレナは小さく首を傾ける。
王の候補になっていると言うが、レックスと話をしているのはもっぱらジャクソンの方だ。たまにヘレナも会議に参加しているが、特に発言するわけでもなく、静かに会話を見守っている。
「セリーナがお願いがあるって言ってたでしょう?」
「もしも家か診療所にいるならって言ったけど。いないならまた今度ねって」
「うん。いるから大丈夫」
「それなら良かった」
噛み合っているのか良くわからない会話だと思いながらも、アランは勧められるがままに椅子に座る。
セリーナとヘレナの部屋だという場所は、年頃の女性二人の部屋なだけあって何やら雰囲気が可愛らしい。物は少ないが、木でできた小さな鏡台には櫛や髪飾りのようなものが置かれているし、窓辺には小さな赤い花がある。
「ちょっと脱いでくれない?」
「は?」
服を脱げと言われておもむろに腹のあたりを捲られて、アランは目を丸くする。
「お腹の傷を見せてみてよ。私がつけたやつ」
「なんでだよ」
「だって未だにたまに痛むって言ってたでしょ」
「……それは背中の古傷だよ」
セリーナはアランの体にある傷が気になるようで、よく指で撫でるようにしてくる。あまり考えもせずに嵐の日などはたまに背中の傷が痛むことがあると言ってしまったが、腹の傷や腕の傷はセリーナの魔術でつけられた傷だ。彼女からすると気になるだろう。
「どこでもいいわよ。どこも傷だらけじゃない」
そんなことを言ったセリーナに無理やり服を剥ぎ取られて、アランは所在なく裸の肩をさすった。別に上半身が裸でも恥ずかしくはないはずだが、女性二人にまじまじと見られると心底困る。
ヘレナはぐるりと一周、アランの体を見てから、ぺたりと腹に手のひらをつけた。小さな冷たい手に肌を触れられるが、何故だか違和感はなかった。彼女はいつも診療所で医師のようなことをやっているようだから、慣れているのだろう。
「痛そう」
「もう治ってるよ」
「うん。でも」
実のところ腹の傷はたまに痛む時はある。前ほどひどくはないが、いまだにぎゅっと絞られるような感覚はあるのだ。深い傷だったわけではないと思うから、場所が悪いのかなんなのか。生活に支障はないので、こんなものだろうと諦めている。
「水の民、治せる?」
ヘレナの言葉と共に、ぶわっと体中の血が熱くなるような感覚がした。
中でも彼女の手が触れている部分は火傷しそうなくらいに熱くて、アランは思わず体を縮める。が、それも一瞬だった。すぐに熱さは消えて、目の前のヘレナの澄んだ湖のような青い瞳が見える。どくどくとなる鼓動だけがおさまらないが、ヘレナは手のひらを引っ込めて淡々と言った。
「これで痛みがなくなるといいけど。でも、傷痕は消せないと思う」
「傷は気にしてないが……なんかものすごいな」
腹をさすりながら言う。
沸騰した血液が総動員して、内側から傷口に集まってきたような感覚だった。病人でも思わず飛び起きそうな感じで、前にクリスに魔術を使ってもらった時の、ほのかに体が温まるような感覚とは全く違う。そもそも普段から常に痛むわけでもなく、治ったのかどうなのかは分からないが、なんとなくもう痛まないのではないかという気はした。
「すごいでしょう。ヘレナの水の民は特別なんだけど、アルビオンに来てからますます特別ね」
「……たしかに特別だな」
自分のことのように嬉しそうに言ったセリーナに頷いてから、ヘレナに礼を言う。
セリーナがあれほどの傷を負って出血しても生きていたのは、ヘレナの魔術があったからなのだろう。アイザックたちとは違うが、やはりヘレナは特別なのだ、とアランは改めて思う。
ヘレナは首を横に振った。
「だって私たちがつけた傷でしょう。ごめんなさい」
「私たちって、やったのは私だけどね。魔術を使っても怯むどころか向かってきて、よりによって一番か弱そうなヘレナを引き倒されるとは思ってなかったけど」
「……それは本当に悪かったよ」
相手が魔術を使ってきたとはいえ、魔術を使ったセリーナではなく、無防備だった幼い子供に剣を向けたのは我ながらひどいと思わなくもない。
「それでも助けてくれたわ。普通だったらあそこで殺されててもおかしくないもの。——背中や腕の傷も少しは良くなってると思うけど、また来てくれたらまた治療する」
「いや、大丈夫だ。こっちは本当に支障ないから」
ヘレナに答えてから、アランは後ろに立っていたセリーナを見上げる。もともとアランの傷をヘレナに見せてくれるつもりだったのだろう。
「ありがとう」
「私の水の民じゃ、いくらやっても治せないからね」
彼女はそう言ってにっこりと笑う。
「アランが帰っちゃう前にヘレナに会わせたかったの」
無邪気な笑顔でそんなことを言われて、ずきりと胸が痛んだ。
アランは当然だがレックスと共に国に帰るのだし、セリーナはヘレナの側を離れるつもりはないと言った。もうすぐレックス達はカエルムに引き上げるだろうと思っていたから、彼女との別れも近いのだ。もともとそれを覚悟したうえで会っているのだが、それでも苦しい思いはある。
「帰っちゃっていいの?」
ヘレナが首を傾げて、アランはどきりとする。だが、セリーナの方は軽く肩をすくめた。
「最初から帰っちゃうのは分かってるもの。それとも引き留めて欲しい?」
アランを見ながらそんなことを言われて苦笑する。
「……いや」
どちらかといえばここに残るというよりは彼女を連れて帰りたいのだが、彼女がここで皆に必要とされているのは見ていてもよく分かる。とても一緒にきてくれとは言えないのだし、アランもここに残るとはいえないのだから、引き止められてもどうしようもない。
——それでもあまりにあっさり別れを告げられると悲しいのだが、それもセリーナらしいといえばセリーナらしい。




