五章 レックスの護衛6
ドアが叩かれる音がして、アランは寝台をおりる。
何か異常があった時には警戒笛がなるはすだから、単に誰かが訪ねてきたのだろう。
「誰だ?」
「俺だよ、オーウェンだ」
聞こえてきたのは確かにオーウェンの声で、アランはドアを開ける。
「どうした? こんな夜中に」
「本当にこんな夜中にだと俺も思うよ。寝ようと思ってたところだったんだが」
「何の用だ?」
「あんたに夜這いに来たって女がいるんだが、入れても良いか?」
「は?」
「あとはそっちで勝手にやってくれ。返品するなら外に放り出しとけば勝手に帰るよ」
あくびまじりでそう言って、オーウェンはひらりと手を振った。
訳がわからない言葉に呆気に取られていると、閉まっていなかったドアの隙間から顔を出したのはセリーナだった。驚いているうちに彼女はするりとドアの内側に入ってくる。
「入っても良い?」
「……もう入ってるように見えるんだが」
「良いってことね。ありがとう」
彼女はにっこり笑ってそう言ってから、部屋に一つしかない椅子に座った。部屋を見回している彼女に、何を言えば良いかわからずとりあえず口にする。
「よく入ってこれたな。見張りはどうした」
基本的には誰も通すなと言っているはずだった。魔術師であれば女子供だろうといくらでも戦えるし、レックス達の屋敷まで近づかなくともアランの部屋から十分に攻撃はできる。オーウェンのところに行く前に、まずアランの部下たちが止めるはずなのだ。
「入れてって言ったけどダメだって言われたから、オーウェンを叩き起こして連れてきてってお願いしたの。そしたらここまでオーウェンが通してくれたわ」
昼間に会った時にはほとんど口を開かなかったから、見た目からも楚々とした女性に見えていたが、口を開けばアランの記憶にある彼女そのものだ。普通であればオーウェンを顎でつかうことなど出来はしまい。
「……何しに来た?」
「アランに会いたかったから。オーウェンにもそう言ったんだけど、夜這いって言われちゃった。別にそれでも良いけど」
別に良いと言われてもアランは困る。
だが、アランに会いたくてきてくれたというのは本当なのだろう。昼間に会った時にはたくさん人がいて何も話せなかったし、アランもセリーナと二人きりで会って話したいとは思っていた。
アランは少し迷ってから、セリーナの座っている場所から一番遠いベッドの端に腰掛ける。
「アランも私に会いに来てくれた?」
今回については単にレックスの護衛で来ただけではあったが、今回のことがなくともいずれは必ず来ていただろう。魔術師達がアルビオンに集結していると聞いた時に、一番に浮かんだのがセリーナに会いに行かねばということだった。
「……会いにいくって約束したからな。じいさんになる前に来れて良かったよ」
「うん。私も会えて良かった」
セリーナはそう言ってどきりとするような笑顔で笑った。
前に一緒にいた時には笑顔など見たことがなかった。笑えるような状況ではなかったのだろうが、普段であれば花が咲いたようなこんな表情で笑うのだと、どきりとするような思いがする。どきどきとなる心臓をなんとか平常に戻そうとしていると、彼女は全く普通の調子で聞いてきた。
「なんでカエルム国にいて護衛なんてやってるの? 私のせいでクビになっちゃった?」
「いや。あれで北軍に左遷されたんだ。その直後にカエルムに占領されてそのままだよ。でも結果としては良かったな」
そのまま中央軍にいたら、セリーナ達と戦って今ごろあの世にいるか、路頭に迷っていたかもしれない。北軍に移されたというのがアランの中では一番の転機だったはずで、それのきっかけとなったのは間違いなくセリーナと一緒に逃げたことだ。
「オーウェンやアイザックも、アランに助けられたって言ってた。随分と強いのね?」
「そんなことはないよ。彼らを助けられるほどじゃない」
「でも絶賛してたもの。アイザックは誰のことでも褒めるから信用できないけど、オーウェンが褒めることは中々ないから。本当にすごいんだと思う」
そんなことを言われてアランは笑う。
「セリーナの方は、すぐにジャクソンたちと会えたのか?」
「アルブで待ってたらすぐに来たわ。倒れてたはずの私が先にアルブに着いてたから、幽霊でも見るみたいな顔してたけど」
「それは良かった。彼らはセリーナのことが本当に大切なんだな。かなり感謝されたよ」
「家族だもの」
そうか、とアランは頷く。もともとジャクソンが軍に捕まっていた時もセリーナやヘレナが命がけで助けに来ていたのだ。絆は強いのだろう。
それからも簡単にお互いの状況などを話していたのだが、外で見張りが交代するような音が聞こえて、思ったより長く話し込んでいたらしいと思う。話が途切れたタイミングで、アランはちらりと窓の外を見る。
「そろそろ帰らなくていいのか? 家まで送るよ」
「大丈夫。明るくなってから帰るから」
「……朝までいる気か?」
「うん。だってアラン達が帰っちゃったら、次はもう会えるか分からないでしょう? それなら一秒でも長く一緒にいたいから」
そんなまっすぐな言葉を、まっすぐに見つめる瞳で言われて、アランは呼吸の仕方をしばし忘れた。その視線の強い熱に、全身を焦がされるような感覚に動けなくなる。
夜這いでもいいと言うくらいだから、朝まで一緒にいるという意味は分かってるのだろう。
「……助けられた礼のつもりなら必要ないよ」
「私がアランに会いたいから来て、私がここにいたいからここにいるの」
そんな言葉にやはりどきりとする。
嬉しいと思ってしまった反面、だがやはりそれはアランによって助けられたせいではないか、なんて思ってしまった。もともと彼女は、軍人であるアランを糾弾するような厳しい視線を向けていたのだ。だが大怪我をして一人で敵の中に放り込まれた彼女にとって、頼れるのはアランだけだっただろう。
返す言葉を迷っていると、彼女は可愛らしく首を傾げる。耳の横に垂れていた、一筋の綺麗な金髪がさらりと揺れた。
「そういえば、アランって結婚してる?」
「……いや」
「そうなの? 恋人は?」
いないよ、というと彼女は驚いた顔をした。
たしかに周りの同年代の軍人——特にアランのように実家がそれなりに大きな人間は、ほとんど結婚をしている。例外はロジャーだが、彼が結婚をしていなくても周りはみんな納得するだろうが、アランは確かに「どうして」と言われることが多い。
「意外か? 既婚者と思ってたなら口説いてくれるなよ」
「その時はその時だと思ってたもの。恋人もいないなら、ここにいてもいい?」
俺はここに仕事できているんだ、と。
喉元まで出かかっている言葉があるのだが、口を開いても一向に出てきてくれない。オーウェン達のことは信頼しているが、まだアルビオンについたばかりで、何も起こらないと決まったわけでもないのだ。レックスの護衛として来ている身で、女性を口説くわけにもいかない。
そうは思いながらも、アランは立ち上がっていた。
セリーナの座っている椅子までいき、彼女の視線に合わせて膝をつく。すぐ近くに綺麗な瞳があって、やはりどきりとした。少しだけ紅が塗られたような赤い唇に指先で触れると、彼女が一瞬震えたような気もしたが、抗うような様子はない。
そっと唇を合わせると、アランの方が震えそうになった。まるで子供のようだと笑いたくなると、それが伝わったのだろう。「どうしたの」と小さく声がかけられる。
「いや。怪我は治ったのか?」
「もうとっくに治ってる。見る?」
思わず首を横に振ろうとは思ったが、たしかに気にはなった。治ってはいるだろうが、彼女を拾った時には生きているのが奇跡だと思えるような状態だったのだ。出血もひどかったし、矢傷は消えづらい。
——もしくは単なるアランの下心か。
ああ、と言うと、彼女が首元からボタンを外していく。見ている方からするとかなり目のやり場に困るのだが、彼女の方は相変わらず躊躇なく肌を出してくる。
薄い肌着から覗く白い胸元や鎖骨が目に眩しいが、それ以上にほとんど傷が残っていないことに驚いた。アランなどは十年近く前の傷がまだ生々しく残っているのに、彼女の滑らかな肌にはかすかに痕が分かる程度にしか残っていない。本当にその場所に傷があったのかと疑ってしまうほどで、思わず首を捻る。
「……治りすぎじゃないか?」
「たまにヘレナが水の民を使ってくれるの。別に見えるところでもないし、私はぜんぜん気にしてないんだけど、ヘレナは傷が残ってるのが気になるみたい」
「痛みもないのか?」
「ぜんぜん」
そっと指で触れると、さすがに傷跡は感じられるがほとんど目立たない。
女性の体に傷があることを不憫に思ったのか、もしくはセリーナを置き去りにしたヘレナやジャクソンの罪悪感を拭うためか。なんにせよ手段があるのなら、アランだって痛々しい傷口は全て消してやりたくなる。
アランがその痕に唇を触れさせると、彼女の体が微かに動いた。
「……本当に帰らなくていいのか?」
「うん」
かけらも迷わずに頷いたセリーナに笑ってから、今度は彼女の唇に口付ける。
羽のように軽い華奢な体を抱き上げると、セリーナはアランの首に細い腕を絡めてきた。
「本当に会いたかったの」
「俺も会いたかった、セリーナ」




