五章 新しい王都の創立1-2
風の民の衝撃波により、窓にはめられたガラスが一斉に派手な音を立てて破れた。
一発でも破壊力は抜群だ。前面の窓はすべて砕けているし、先ほどまで張り付いていた人々は倒れているのか逃げたのか。エヴァンはさすがに消耗したのか、額に手のひらを当てて眉根を寄せているが、特にふらつくわけでもなく立っている。アイザックがヘレナに聞いた。
「王の居場所は未だ把握してるか?」
「まだ講堂に固まってる」
「逃げる様子は?」
「状況が掴めてないみたい。外に何人か走って行ったけど、まだ私たちの存在は知らされてない。襲撃や爆発であれば、下手に外に出る方が危険と思ってるかも」
ふうん、とアイザックは考えるように呟く。
「当然、地図に載ってない隠し通路くらいは準備してると思ってたけどな」
そのためにヘレナが王の動向を見ているのだ。剣を持った警備兵が大勢いる建物の中に入って、狭い廊下を走るのはあまり得策ではない。兵士が部屋などに潜んでいれば、不意を突かれる可能性もあるのだ。できれば、王や主要な人間達が外に出てきたところを確保したいと思っていた。
「講堂はどこだ?」
「こっち」
「こっちで分かるか」
指をさしていたヘレナは、エヴァンの言葉に困ったような顔をしながらも言葉を足した。
「正面から数えて右に四つめの窓の方向。でもその部屋じゃなくてもっと奥」
「講堂は半地下にある大きな空間だ。警備上の理由か、窓には面してない。窓に面した部屋の奥に廊下があって、その向こうのはずだ」
「なんでジャクソンがそんなこと知ってる?」
「なんでエヴァンは知らないんだよ。王宮の内部の構造は把握しておけって言っただろう」
ジャクソンの言葉にエヴァンは顔を顰めたが、何も言わなかった。かわりにヘレナが指をさしていた方向に歩いていくと、ヘレナについていた大きな精霊を呼ぶ。
「土の民、ぶっ壊せ!」
轟音と共に外壁が崩れて、ジャクソンは目を丸くする。
立派な王宮の壁面の一部が崩れ落ち、部屋の中が外から丸見えになった。講堂に留まるならそれはそれで一網打尽にできて都合はいいが、その部屋に至るまで入り口からヘレナに案内してもらうのは大変だと思っていた。
アイザックも感心したように頷いた。
「近道だな」
彼はそう言ってから、壁の消えた一階の部屋に近づいた。警戒しながら入って行ったが、すでに逃げ出しているのかもともといなかったのか、中には誰もいない。アイザックが風の民を呼ぶと、今度は部屋の内側のドアが吹っ飛んだ。
今度は剣を持ったアルブの魔術師たちが、アイザックを追い抜くように先行した。広い場所にいればいくらでも魔術で牽制できるが、狭い廊下などでは急に剣を持って襲ってこられると遅れをとる可能性がある。アルブでは剣を使える魔術師も多かったから、屋内では彼らが先行することになっていたのだ。
敵がいないことを確認して合図がされると、アイザックが彼らに続き、ジャクソンもそれに続いた。ヘレナは少し廊下を歩いてから、左手の壁に触れる。
「講堂はちょうどこの壁の向こう」
「カーティス、頼めるか」
アイザックの言葉に、カーティスは軽く頷いた。近くに強力な土の民は、ヘレナが連れている精霊しかいない。
「土の民、破壊しろ」
カーティスの言葉に、腹に響くような轟音を立てて壁が崩れ落ちる。
かなり広範囲の壁が砕けて、ぽっかりと目の前の空間がひらけた。見取り図上は講堂は半地下になっているように見えていたが、半地下というより、地下一階分の空間と地上一階の天井までがぶち抜きで広い空間になっている。
足元には恐怖を張り付かせた人々の顔が見えた。
中央には兵士たちに守られる国王らしき男性がいて、どきりとジャクソンの心臓が跳ねた。その場で一番立派な格好をしているように見えるし、事前に聞いていた特徴にも当てはまる。あれがオリファント国王なのだろう。
国王以外にもここには宰相や元帥などが揃っているはずで、数十名の人々の中には軍服を着た屈強な兵士と、立派な格好をした中年から年配の男性が混ざっている。彼らがこの大きな国を動かしていた中枢なのだと思えば、彼らを足元に見下ろしている現状に目眩のような感覚を覚えた。
見たこともないような立派な衣装を身につけた人間達が、自分たちの足の下からぽかんと見上げているのは、なんとも現実感がない。
「なんだ!?」
「魔術師だ、確保しろ!」
「陛下をお連れして逃げろ……!」
警備のためか兵士たちはたくさんいたが、部屋の中で弓矢など持っているわけもない。剣を持っていたところで届く距離でもなく、振り回されたところで完全に見下ろすこちらが有利だ。
「——全員、動くな」
アイザックが鋭い声を出した。
人々はびくりと体を震わせてから、固まった。だが、出口に近かった一部の兵士が、逃げるためか助けを呼ぶためにか素早く扉に手をかける。
「風の民——」
「土の民、止めろ!」
精霊の名前が短い分、エヴァンの魔術よりジャクソンの魔術の方が早かった。兵士たちはドアを開けたが、その場で凍りついたように足を止める。空いたドアに向かう兵士たちもいるが、ドアの付近で固まった数人が邪魔をして外には出られない。
「どけ! 何してる!」
「土の民、塞げ!」
その間にカーティスが精霊を動かすと、扉の向こう側が急に崩れた。天井を崩したのか、どっと上から何かが落ちてきて、開いたドアもろとも飲み込む。ジャクソンが魔術を解くと、ドアの付近にいた兵士たちは慌てて講堂の中に逃げ込んだ。
魔術を目の当たりにして凍りつく人間と、悲鳴のようなものをあげる人間、ぺたりと座り込む人間と、それられ守ろうとする護衛なのかの姿。扉はまだあと一つあるが、もう誰もそこに向かう者はいない。
彼らひとりひとりの動きを、ジャクソンは注意深く見下ろした。不審な動きが見えたらまたすぐに動きを止められるように土の民を構えていたが、その間にもジャクソン達の背後が騒がしくなる。兵士たちが外や二階からこちらに向かっていたようで、セリーナや他の魔術師達が魔術を使ってそれを牽制していた。
背後は外から穴の空いた部屋と、左右に続く廊下。
国王を救うためか、侵入者を排除するためか、駆け寄って来た兵士たちに向けて魔術が放たれると、足元がかすかに揺れた。
「大丈夫か?」
国王たちを見下ろすアイザックの代わりに、ジャクソンは周囲を見回して聞いた。
「問題ない。外はリンジーたちが抑えてるから誰も近づけないはずだ」
「二階にはまだ人がたくさんいるけど、たぶん使用人たちだと思う。兵士の姿はないわ。地下には兵士たちがまだ残ってるから、下からの階段に気をつけて」
「階段はこっちから見えてる。襲ってきても追い払えるわ」
ヘレナの言葉にセリーナが答えて、ひとまずの脅威はないらしい、とジャクソンは思う。
「頼むよ、セリーナ」
アイザックも会話を聞いていたのか、ジャクソンの言葉に続いて小さな火の民を呼んだ。彼は手のひらの上に浮かべた炎の球を、王たちのいる地下に向けて無造作に放った。赤い炎が側に落ちてきて悲鳴が上がるが、炎は床に落ちて絨毯を焼いた程度で消えた。
「ここで焼き殺されたくなければ、武器を捨てて床に伏せろ。全員だ」
「ふざけるな! 早くあいつらを捕えろ、コンラッド!」
そう叫んだのは国王と見られる男性だ。そしてコンラッドというのは軍を束ねる元帥の名前だったはずで、皺だらけの老人に見える男性は、背後の兵士たちを睨みつける。そして低く威厳のある声で命じた。
「何をしてる! 侵入者だ、捕えろ!」
「相手は子供ばかりだぞ!」
他の誰かもそんなことを言って、兵士たちは慌てて剣を構えはしたが、ジャクソンたちがいるのは彼らの頭上だ。剣で魔術師達に手を出せる距離ではあるまい。
「茶番がうるせえな」
エヴァンが冷ややかな声で言った。
「全員、焼け死にたいなら望み通りにしてやるよ。火の民」
燃やせ、と言った瞬間、大きな炎が頭上から彼らに覆い被さった。見ているジャクソンの方が恐ろしくなるような大勢の悲鳴が響くが、炎は長くは続かない。すぐに霧散した。一部、服などに燃え移った火もあったが、周囲の兵士たちが慌てて消す。先ほどまで威勢よく叫んでいた国王や元帥は、床で丸まるように縮まっていた。
はっ、と乾いた笑いが落ちる。
恐怖に震える人々を見下ろし、エヴァンは冷たい笑みを浮かべた。
「最初からそうやって大人しく地面に這いつくばってりゃいいんだよ」
「——今のは脅しだが、彼はいつでも本気で火をつけられるよ。分かったら、武器を捨てて床に両手をつけ」
そう国王達に冷静に命じるのは、エヴァンと同じくまだ十代のアイザックだ。先ほど魔術を使ったカーティスは十代も半ばだし、ヘレナやセリーナも若い。確かに相手から見たら子供ばかりに見えるだろう。
そんな相手に床に伏せさせられるのは耐えられないだろうが、それでも一時的な恐怖の方が勝ったらしい。国王と元帥が慌てたように床に伏すと、周りも同様にした。
アイザックの合図を受けて、仲間達が下に降りて兵士たちを拘束し始める。
ジャクソンはヘレナやアイザックと共に、彼らが妙な真似をした時のために上からその様子を見張っていた。兵士たちを隅に固めてすべて縛り上げてしまうと、アイザックは下に飛び降りだ。
まさに仲間達に拘束されようとしている国王に近づくと、短く聞いた。
「名前は?」
「……アーサー=オリファントだ」
「国王だな。そっちは? 名前と役職を言ってもらおうか。適当なことを言っても無駄だ。あとで別途、兵士にも一人一人確認させる」
そう言ってアイザックは全員の名前や役職を聞いていく。国王ほどではないが立派な服を身につけているだけあって、元帥や宰相、中央軍の将軍など主要と思われる人物ばかりが揃っていた。最後の一人まで聞いてから、アイザックはまた国王の元へと戻る。
「分かってはいたが、レジナルド王太子がいないな。どこにいる?」
レジナルド王太子は唯一の王位継承権を持つ王子であり、ジャクソン達と年も変わらないと聞いている。王家を断つためにも、一番の目的は国王と王太子二人の確保だったが、この場に若い人間は一人もいない。
「さっさと答えろよ。俺は気が短いんだ」
いつの間にか下に降りていたエヴァンに、国王たちはびくりと震えた。彼は後ろ手に拘束された国王を蹴り付けようとして、さすがにアイザックに止められる。
「敬意を払うつもりはないが、一応はこの国の王だ。足蹴にするなよ」
「蹴りじゃ甘いってんなら、片腕から一本ずつ焼いていくか? どうせなら魔術で焼き殺してやった方が、死んだ仲間も浮かばれるかもな」
そう言って冷たすぎる視線を落としたエヴァンに、国王は怯える。立派な衣装を身につけて威張っていても、中身は中年で小柄な普通の男に見える。大きく見開かれた黒い瞳は、エヴァンから逸らすようにアイザックに向けられた。
まるで助けを求めるような視線に、アイザックは肩をすくめる。短く聞いた。
「王太子は?」
「……王城にいるはずだ。もともとここには参加してない」
「ヘレナ、行けそうか?」
アイザックはヘレナを見上げる。
「ええ。距離も離れてないからそっちも見てる。たぶんまだそこにいると思う。誰も出て行ったみたいな気配はないから」
「さすがだな。ジャクソン、行けるか?」
「ここはどうするんだ?」
「二つに割る。王城に向かうのはヘレナとエヴァン、セリーナとカーティスと俺だ。残りはリンジーが指揮して、ここで国王たちの見張りをしながら、近づく兵士たちの撃退だ。問題がありそうに思うか?」
もともと少ない仲間を二手に分けるのは不安ではあるが、リンジー達は何かあっても国王たちを人質に取れる。そしてヘレナの目があり、ヘレナの精霊を使える仲間が四人もいれば、王宮を出て王子の確保に向かっても大丈夫だろう。
「いや、行こう」
ジャクソンが頷くと、アイザックとエヴァンは風の民を使って登ってくる。アイザックはエヴァンの肩に手を置いた。
「エヴァンの脅しは迫真でめちゃくちゃ効果あるな、助かるよ」
「脅しじゃなくて本気だしね」
こちらの会話も聞いていたらしいセリーナの言葉に、ジャクソンは密かに頷いた。確かに本気だからこそ怖いのだろう。見ていたジャクソンの方が胃が痛くて変な汗をかいてしまった。エヴァンは冷ややかな口調で言った。
「本気に決まってる。百回くらいは殺してやっていい相手だ」
これまで魔術師たちが迫害され、住む場所を追われ、殺され続けてきたのは彼らのせいといえば彼らのせいなのだろう。だが、ジャクソンにはこれで死んだ仲間が浮かばれると胸を撫で下ろすことなど出来ないし、下で怯える男たちを見て、自業自得だなどと思うことはできない。




