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一章 にせもの王子たち4


「レックス!」


 クリスが叫ぶと、レックスの頭が動いた。彼はゆっくりと顔をあげ、そして座り込んでいるクリスを見上げる。目が合うとその黒い瞳は少しだけ細められた。


「クリス、大丈夫か?」


 咄嗟に声を出せずに何度も頷くと、彼は上半身を起こそうとした。が、傷が痛んだのか体を震わせる。レックスの肩のあたりには小さな拳ほどの木片が刺さっており、白いシャツが血に濡れている。弾けた木箱の破片がぶつかったのだろうか。


「大丈夫ですか……?」


 動かないでと言いたいところだが、レックスの足元にまで炎が迫ってきている。手を貸して慎重にレックスの半身を起こすと、彼は間近で燃え上がる炎を見て息を飲んだ。彼はゆっくりと立ち上がると「僕は大丈夫だけど」と言って何故か笑った。


「他はあんまり大丈夫そうじゃないね」


 こんな時に笑えるなんて、とは思うのだが、さすがにおかしそうな笑みというよりは、力のない泣きそうな笑いだ。


 そんなレックスを見て、クリスも泣きそうになる。


 それなりに広い空間ではあるはずだが、炎が上がっている中では狭い密閉空間だ。赤い炎が眩しくて、押し寄せるような熱さと息苦しさがある。いずれあの炎に焼かれてしまう、という押しつぶされそうな恐怖に体が震えて止まらなかったが、なんとか涙を流すことだけは堪えた。


 歩き出すレックスについて行き、クリスも炎から遠ざかるように扉の前に移動する。もしかしたら扉が開かないかと、もう一度ガンガンと動かしてみたが、やはりビクリともしない。レックスはしばらくそれを見ていたが、やがてその場に座り込んだ。


「あーあ」


 そんなことを言ったレックスに、クリスは驚いて視線を落とす。


 彼がそれまでそんな言葉を口にしたことはなかったし、状況からすると軽すぎるほどの言葉だ。クリスはレックスがいなければ、恐ろしさに泣き叫びたいくらいなのに。


 まつ毛が長くて、黒くてきらきらとする瞳がクリスを見上げていた。


「クリス、ごめんね。僕と一緒で」


 そんな言葉に、胸が痛くなる。


 レックスと一緒にいたから、クリスもここで死ぬのだということだろうか。自身も怪我をして死にそうな目に遭っているのに、彼の口から出るのは、泣き言でも恨み言でもなくクリスへの謝罪だ。ひどく落ち着いているように見えるレックスの瞳を見ていると、クリスも体の震えが止まっていた。


「……レックスが謝ることなど何もないですよ」


 彼からはレックスの近くは危険なのだと何十回も聞いていたし、護衛なんて言ってもレックスを守って傷つく必要などないと何度も言われた。それでも一緒にいることを選んだのはクリスであり、そうした意味では今この場にいることを後悔はしていない。


 クリスはレックスの視線に合わせるように、隣に座る。


「レックスはまだ私がロイズ家のために一緒にいると思ってるんですか?」


 幼い頃のクリスは父の命令でレックスの側にいたのだが、単なるロイズ家の肩書きだけでは、いずれ離されるだろうとわかっていた。仮にも本物の王子の代わりなのだとしたら、年頃の女性は近づけまい。そのため、クリスは貴族や軍人の子弟たちが通う軍属の学校に入り、護衛としてレックスの側にいることを志願したのだ。


 父はそれを歓迎したし、偽王子(レックス)の側は常に人手不足だったから、王宮もそれを許した。レックスだけはとても反対したから、クリスの希望だということは何度も伝えていたのだが、それでも彼はクリスが父や王宮に強いられて軍属になったと思っているのかもしれない。


「いや」


 レックスはそう言ってから、何故か困ったような顔をする。


「ウィンストンには怒られちゃうかもしれないけど——」


 ここでウィンストンの名前が出て、クリスは驚いた。目を丸くして見つめると、レックスは少しだけ困ったような顔をする。


「ウィンストンのことは本当に大好きだし、信じてると思ってるんだけど……でもウィンストンになら殺されて良いとも思っていたから、そういう意味ではたぶん信じられてはいないんだよね」


 そう言ったレックスは、やはりここに閉じ込めたのはウィンストンかもしれないと思っているのだろうか。


 彼は聖堂を調査させたと言っていたから、あの木箱に可燃性の何かが仕込まれていたのなら、気づかないわけがない。そしてウィンストンはここを一週間ほど前から見張らせていたと言っていた。そんな中で他の誰かがこっそりそれを仕込むことはできなかったはずだ。


 それを思い出すとずきりと刺されるように胸が痛んだのだが、レックスはそれでもウィンストンのことは大好きだと言っているのだし、彼になら殺されても良いと言った。この状況での強がりなのかもしれなかったが、そんなふうには見えない。


 レックスは少し考えるようにしてから、クリスを見る。


「だから、クリスがずっと側にいてくれて本当に良かった」

「え?」


 レックスは真剣な表情で、でも笑っているようにも泣いているようにも見えるそんな複雑な顔をして、クリスを見る。


「クリスからはたくさん助けてもらったし、心から信じられる人が一人もいなかったら、生きてても辛いことしかなかったと思うから」


 そんな言葉を息を止めて聞いた。


 心臓が止まるかと思うほどの言葉で、返したい言葉はたくさんあるような気がしたのだが、喉で支えて一言も出てこなかった。代わりに涙が止まらなくなって、クリスはそれを拭いながら顔を伏せる。


 レックスがクリスのことを唯一信じてくれていると言ったのも、たくさん助けてくれたと言ってくれたことも本当に嬉しい。クリスこそ信じられるのはレックスだけだったし、レックスからたくさん助けられてきた。それを伝えたいと思うのだが、胸がいっぱいになりすぎて言葉には出来なかった。


 ごほ、と軽く咳き込むような音が聞こえて、クリスは慌てて顔を上げる。煙が天井を這うように近づいてきており、座り込んでいるクリスたちの周りもだいぶ呼吸が苦しくなっていた。炎はまだ遠くとも、頬や首などに感じる熱は痛いほどだった。


「レックス……」


 大丈夫かなんて聞く意味があるとは思えず、クリスは言葉を続けられない。


「守れなくてごめんね、クリス」


 彼はそう言って、クリスの体に手を回す。煙や炎の熱から庇ってくれるようにクリスの頭を抱き込まれて、クリスは涙に濡れた瞳を彼の胸につけた。


 レックスからクリスに近づくことなどほとんどなかったし、クリスも必要以上に近づくことなど出来なかったから、こうして彼に触れるのは初めてだった。それをこんな状況でも嬉しいと思ってしまう自分と、初めて抱きしめてくれたのがこんな状況であることを悲しむ自分と、こんな状況でなければ叶わなかったことなのだろうかと後悔をする自分とが、感情の中で暴れる。


 ——ふと、火の民(ザラマンデル)の赤い瞳に覗き込まれたような感覚がして、クリスの心臓がどきりと跳ねた。


「どうして」


 クリスの口の中で誰かが小さく呟く。


 なぜレックスが謝らなければならないのか、なぜクリスとレックスは死ななければならないのか。ふと湧いてきたそんな思いは、痛いほどに頭の中をいっぱいにした。体の中を支配する感情にの正体気づいた時に、ふっと自身の体を見下ろすような感覚に襲われる。


 炎の中で寄り添う二人はあまりに小さくて無力で、無惨に()()()()しまいたくなる。

 

火の民(ザラマンデル)


 いつの間にか火の精霊の中に自分が取り込まれてしまったかのような感覚に、ぞっとした。頭をいっぱいにする怒りの感情が自分のものなのか、それとも火の民(ザラマンデル)のものなのかも分からない。


火の民(ザラマンデル)、やつらを喰らえ——』


 頭の中で男の声が響いた。


 処刑される人々を見下ろすレックスを狙ったその詠唱は、まるで呪詛のようだった。罪のない人々の首を刎ね、罪もない魔術師たちの命を奪う王家に対する怨みのこもった魔術。もしかしたらその炎がいまここでレックスを飲み込もうとしているのかもしれない。


 魔術師からすれば当然の恨みだろう——だが、レックスにはなんの罪もないのだ。


 何の罪もなく、ただ人々の恨みや妬みの対象となるだけの存在。レックスはクリスがいなければ生きていることは辛いことだけだった、なんて言った。そんな状態で死ななければならない不条理に、頭が怒りでいっぱいになる。


 蓋をしていた怒りの感情が吹き出して、自分はいま火の民(ザラマンデル)に支配されているのかもしれない、なんて思う。魔術師は精霊を支配できるが、逆に支配されて命を落とすものもいるという。クリスも死ぬ前に、火の精霊に支配されたということなのだろうか。


 ——だが、そんなことはどうでも良い。


 クリスは火の民(ザラマンデル)の瞳を睨み返しながら、体を起こす。


「クリス……?」


 クリスを守るように抱き込んでくれていたレックスは、急に立ち上がったクリスを驚いたように見る。


 最初からとても扱えないと思うような強力な火の民(ザラマンデル)しかいなかったので、そもそも魔術を使うという選択肢が浮かんでいなかった。だが、今はその火の民(ザラマンデル)に半ば支配されているような状況だ。魔術はクリスの手の中にある。


火の民(ザラマンデル)、燃やせ!」


 すぐ近くに迫っていた炎と充満する煙に、炎をぶつける。


「え?」

 

 驚いたようなレックスの声と共に、大きな音がして一瞬、視界がはれた。炎に炎をぶつけただけで、火を消せるわけもないのだが、少しだけ自身の周りに空間を作る。


「レックス、少し動けますか」


 声を出すとひどく喉が痛んだ。先ほどの魔術を叫ぶ時に焼けた煙を吸い込んでしまったせいか、声も掠れている。


 ドアの前に座り込んでいたレックスを促して立たせてから、できる限りドアから離れされる。と言っても背後には炎が迫っていてほとんどその隙間はないのだが、クリスも一緒に移動した。


 そして掠れる声を絞り出すように、大声を出す。


火の民(ザラマンデル)、燃やせ!」


 再度の魔術は、ドアに向けてできる限りの火力をぶつけた。頭の奥がキンと刺されるように痛むのは、強い魔術の反動だ。そして、自身がぶつけた魔術の炎と熱が肌を焼く。


 ぽっかりと穴が空いた空間を見て、クリスはレックスの手を取った。


 レックスは驚いたような顔をしたままだったが、手を引くと何も言わずに足を動かした。彼の怪我の具合は気になったが、とにかく全力で階段をのぼる。上はもしかしたら敵が大勢、武器を持って待ち構えているのかもしれない。そう考えたが、その場合は全員を焼き殺してしまおう、と思った。今ならそれが出来るような気がしたし、二人が助かるためならそれくらいは何でもない気がした。


 地上に出る扉を開けると、目の前が改めて真っ赤になった。


 それは炎の色なのか、それとも自身の感情の色かは分からない。そこに敵は一人もいなかったが、代わりに全てが炎と煙に包まれていた。敵は地下にいるクリスたちを焼き殺すだけでなく、聖堂自体を全て焼くつもりだったのだろう。


火の民(ザラマンデル)!」


 強すぎる魔術を使う、頭がやけるような痛み。周囲を埋める炎の熱と痛み。そして刺すような喉の痛み。そしてそれらを相殺するような、精霊を支配している——もしくは強力な精霊に支配されている高揚感。


「燃やせ!」


 周りが既に炎ばかりで訳が分からないが、炎というよりは煙に熱波をぶつけて道を作る。そして記憶にある裏口に向かって一直線に走っていき、閉ざされていた扉を魔術で吹き飛ばした。


 外に出ると、透明な風が涙が出るほど心地よかった。喉は痛んだが、いくらでも新鮮な空気を吸い込むことができる。青い空ときらきらとした太陽が目に眩しい。


 思わずクリスは膝をつく。


 先ほどまでの景色が嘘のような平和な光景だった。周囲に人は見えない。ここにいた兵士たちは、レックスとクリスを殺したと見て引き上げたのだろうか。助けに来た人間も誰も信用できないこの状況では、誰もいないことが何よりだという気がする。今、誰かが目の前に現れたら、それが敵なのか味方なのか判別もできずに焼き殺してしまいそうな気がする。


 ——いや、もう無理か。


 もう精霊は離れてしまったのか、近くに火の民(ザラマンデル)の気配は感じない。もともと聖堂にずっといた精霊だ。外までは移動してこられないのかもしれない。


 そうでなくても、もう魔術を使うような力はもう残っていない。全身の力が抜けているようで、手足の感覚もろくになかったし、それでも頭だけが熱くてぼうっとする。


 そんなことを考えているうちに、いつの間に倒れていたのか、気づけば心配そうなレックスの顔を見上げていた。クリスが倒れようとしたところを支えてくれたのか、背中に彼の腕の熱を感じる。


「クリス……大丈夫か?」


 レックスの名前を呼びたかったが、声を出そうとすると咳き込んでしまった。


 これで助かったなんて思えるほど、楽観した状況ではない。次にクリス達を発見した人が、クリス達を助けてくれるのか、レックスにとどめを刺そうとする人物なのか、全く想像もできないのだ。だが、どうせ死ぬならあんな地下の暗い場所で焼け死ぬよりは、青空の下で殺される方がいいに決まってる。


 クリスはレックスに向けて手を伸ばす。

 彼は何も言わずにクリスの体を抱き返してくれた。



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