五章 王国の終焉5
「いつも危険なこと任せちゃってごめんね」
出立の挨拶に来ていたアランは、レックスの言葉に笑いながら首を横に振った。
「とんでもない。ロジャーなんかはむしろ外に出られて喜んでますよ。不真面目な彼の影響か、うちの隊には何故だか面白がってる人間も多い。先ほども間近で魔術を見られて、みんなで盛り上がってましたから」
ロジャーの影響か、とアランは言ったが、実際には隊長であるアランがいつも明るく飄然としていることが大きいのではないか、とクリスは思っていた。間違いなく有能だと仲間達からも口をそろえて言われるアラン隊長を、ロジャーが遠慮なくぽんぽんやっつけているから、全体的にいつも楽しげな雰囲気になっている。
優秀で明るい彼らの隊を真ん中に据えているだけあって、自衛軍の雰囲気は明るくて和やかだ。クリスが所属していた近衛の暗くてぎすぎすとした雰囲気とは大違いで、もしも彼がクリスの上官であったのなら、きっとクリスも軍が好きになっていたはずだ。
「それは良かったな。オーウェンの魔術は凄かったもんね。魔術に怯えて締め付けるんじゃなくて、すごいって尊敬しあえるのはいい関係だと思う」
「そうですね。クリスの魔術も凄かったですし」
そんなことを言われて、クリスは首を横に振る。
「私はただ雨を降らせただけですよ」
「魔術師の普通は知りませんが、我々ではどう足掻いても雨なんか降らせられませんからね」
「そうだよね。それにオーウェン達もすごいって言ってたし」
「……揶揄われてるだけだと思いますけど」
オーウェンの魔術で舞い上がった砂がなかなか消えてくれず、一雨欲しいなと言ったレックスに、それならクリスにお願いすればと言ったのはオーウェンだった。アイザックが水の民ならクリスの方が得意だなどと言ったことで、面白がっていたのだろう。
自分では全く得意なつもりもなく、オーウェンのあんなすごい魔術を見せられた後でクリスの魔術を披露するなど恐ろしかったのだが、乾いた空気や地面に舞う砂が不快だったのは事実だ。こんな乾いた土地にはほとんどいない水の民を、オーウェンが掘り当てた地下水の近くからなんとか探して雨を降らせた。小さな水の民はざっと一雨だけ降らせてすぐに消えたが、一応は周囲はそれで満足してくれたらしい。
なぜかその場にいた皆から拍手までもらってしまい、クリスは赤面しながら帰ったのだ。
「でも私の魔術がお役に立てるなら、どこにでも行きます。雨を降らせるなんて考えたこともなかったですが、作物に少しでも水が欲しくて困っている場所があれば、役に立ちそうですね」
「初めてやったの?」
「ええ。水の民は治療にしか使ったことがなかったので」
「それはすごいな。魔術のことはよくわからないけど、練習とかいらないんだ?」
「精霊を使役するための練習は要りますけどね。それを使って体を治してもらうのか、雨を降らせてもらうのかは精霊に対してのお願い次第です」
「それは便利だけど……あんまりやると疲れちゃうのかな?」
「それはそうですね」
「そうか。あまり無理しないでね」
本当に心配そうな瞳を向けてくるレックスに、「大丈夫です」とクリスは首を横に振る。そしてそんな二人の様子を楽しげに見つめているアランの視線に気づいて、クリスはさらに首を横に振った。
「あの、私のことはお気になさらず」
話をレックスとアランに返そうと手をふると、彼らは二人とも楽しそうに笑った。
「そうだね。アランはもう出ちゃうの?」
「もうこちらの準備は済んでいます。あとはオーウェン達からの指示待ちですね。彼らは彼らでタイミングがあるようですし」
「そうだろうね。まだアルビオンの方の魔術師達が動いたって連絡は来てないけど、鳥を飛ばしたってここに届くまでには時間はかかるからね。それよりは彼らの仲間内の合図の方が早いはずだ」
オーウェンはアルビオン側の魔術師とタイミングを合わせて動くと言っていたが、それには密かに各地に配置した魔術師たちを使うらしい。火の精霊を使って光を空に打ち上げるというのを繰り返して、離れた場所に伝令するのだと言っていた。
「アランは中央軍を相手にすることどう思ってる? 昔の同僚や部下がいるんでしょう?」
レックスが聞いた言葉に、アランは首を傾げる。
「西軍には父や兄がいましたよ」
「うん。でも副将軍や部隊長は前線には出てこないしね。それにアランは部下達のことをずっと大切にしているでしょう?」
「それはそうですが、こちら側で軍人をやると決めた時に、彼らと戦うかもしれないとは考えてはいます。それとも、レックスは私が裏切ると思ってますか?」
あくまで穏やかに言ったアランに、レックスは首を振った。
「そんなことは思ってないよ。知り合いだったらこっそり逃しちゃったり、敢えて見逃しちゃったりはするかもしれないと思ってるけど」
「それは十分にあり得ますね」
軽く笑って言ったアランは、これまでもそうした違反の常習者ではあるらしい。
国軍でも魔術師を逃したり、部下の逃亡を見逃したりしていた彼は、最近でも部下を連れて国境を超えたり、許可なく西軍とやり合ったりと色々な違反が報告されている。一応は報告されてくるらしいが、ウィンストンは眉を顰めるだけで、レックスは笑っているだけだから、特にお咎めはないのだろう。
「その時の処罰は帰ってから受けますよ」
「全く抑止力にならない処罰って全く意味がないよね。それで反省するつもりもないでしょ?」
「手厳しいですね。怒ってます?」
苦笑するように言ったアランに、レックスは首を横に振る。
「別に反省してほしいわけではないよ。制度上は決まりも処罰も作らないと困っちゃうけど、そもそもアランみたいな人にはどちらも必要ないと思う。処罰するつもりもないし、オーウェン達の邪魔にならない範囲なら好きに逃しちゃっていいよ」
レックスの言葉に、アランは眉を上げる。
「そんなお墨付きをもらえるとは思ってなかったですが。何か事情がありますか?」
「そういうわけじゃないけど、たぶんね、オーウェンも本気で中央軍を相手に勝つつもりはないと思うな」
そんなレックスの言葉にクリスは驚いたし、アランも驚いたような顔をした。
「勝つ気はないって、負ける気ですか?」
「そういうわけじゃなくて、こちらは単なる陽動じゃないかな。確かにオーウェンが遠くから時間をかけて攻撃と逃亡を繰り返せば、少しずつ中央軍をけずれると思うし、アラン達が護衛につけば仮に敵に近づかれても安心だ。勝ち目がないわけじゃないけど、時間はかかるしこちらも削られる」
「こっちが陽動ってことは本命は南側ってことですか?」
「そっちもどうかな。北に中央軍を睨んでいるのなら、南は南軍と東軍だ。どっちかに力を入れるなら、普通に行けば北側だと思うんだけど」
「よく分かりませんね。それでもこちらが陽動だと思う根拠はなんです?」
アランが首を捻ると、レックスもそれに合わせるように小さく首を傾げた。
「アイザックがこちらにいないからかな。こっちが本命だったら絶対にアイザックが出てくると思うんだよね。彼はもともと自衛軍と戦ったこともあるし、ウィンストンや僕やアランを知っている。連携するにもスムーズでしょう。それに彼の性格なら一番危険な場所を他人には任せないよ。オーウェンの方がアイザックよりも遥かに実力が上だっていうなら納得はできるけど、そうではないらしいし」
アランはレックスの言葉に目を瞬かせてから、やがてなんとも言えない顔をした。
「なるほど、アイザックらしいですね」
「うん。南側はアルビオンに篭れるからね。ここよりも危険なはずもない。一番危険なのは中央でしょう」
「たしかにどうせ北と南に軍を引きつけるのなら、中央を狙いたくはなる。あちらも警戒はしているでしょうが、魔術師達の頭数が少ないこともわかっているでしょうしね。二手には分けても、三手には分けないと考えてくれるかもしれない」
レックスとアランの言葉にクリスは驚くが、アランは首を傾げた。
「それならそれで、どうしてオーウェンはそれをこちらにも隠すのです?」
「それはもちろん僕たちを信用してないからだと思うけどね。中央を狙うとすればきっとアイザックが選んだ少数精鋭での不意打ちだ。中央に繋がる可能性のある僕たちに、事前に情報を漏らすわけにはいかないよ」
「こちらに協力は仰いでおいて、意外と食えない人間ですね」
「そういう意味でも、オーウェンなんだと思うな。彼ならそれくらいの芝居はできる。アイザックだったら隠し事は出来なさそうだけど」
レックスはそう言ってから、少し声の調子をかえた。
「そういうわけだから、アランも無理して戦う必要はないよ。その代わり、オーウェン達のことも部下達のことも守ってね。どちらも僕にとってとても大切な人たちなんだ。もちろんアランのことも大切だから、アランが戻ってくるってことが絶対条件だけど」
「注文がたくさんつきますね」
「うん。いつもわがままばっかり言ってごめんね」
真剣に言ったレックスに、アランは優しく笑う。
「レックスにわがままを言ってもらえるのは嬉しいですね。なるべくご期待に添えるように頑張ります」




