五章 王国の終焉3
エイベルに連れられて入ってきたのは、珍しい綺麗な銀髪をした男性だった。
長身に、一目で鍛えられているとわかる引き締まった体。ぴんと背筋が伸びており、歩いているだけでも雰囲気が違う。髪の色もそうだが、遠目からでもすぐに人目を惹いてしまうだろう。昨夜、彼らは闇夜に紛れてエイベルに会いにきたと言っていたが、たしかに彼は昼間に外を出歩くわけにはいくまい。カエルムには未だ、中央からの間諜は多く入り込んでいると聞く。彼らの姿を見れば、再びカエルムと魔術師が接触していると本国に知らせに走るに違いない。
細い瞳はとても鋭く、白い顔に浮かんだ表情もどこか冷たい。先日あったアイザックは明るい印象だったし、エイベルは常に穏やかな印象なのだが、オーウェンという男性は一見すると威圧的で恐ろしく見える。
だが、彼はエイベルにアルビオンから来た魔術師の代表だと紹介されると、ウィンストンを前にして膝をついた。
「はじめまして。オーウェンだ」
「ウィンストン=ヘンレッティだ。魔術師の代表はアイザックという男ではなかったのか?」
「サスやここでは知らないが、俺がいたアルブでは序列なんかない。先日はアイザックがいたからあれが代表だったし、いまこの場で対峙しているのはアイザックじゃなく俺だから、俺が代表だな」
王太子であるウィンストンを前にしても決して膝を折らなかったアイザックとは違って、オーウェンの方は恭しく膝をついてはいる。が、態度や口調はアイザック以上にぞんざいだ。ウィンストンが冷ややかな視線で見下ろすのが分かる。
「言っている意味が分からないな。ぽんっとやってきた人間を代表として扱えと言われても、それが魔術師達の総意かどうかの判断はできない」
「そうか? 俺が魔術師達をまとめてるってことは調べればすぐ分かるはずだぜ。そしてこれがアルビオンにいる魔術師達の中で議論した中での決定だってこともな」
「悪いが私は君たちの関係性に興味はない。仮にエイベルがそこまで把握しているだろうと言っているのなら、私はそこまでエイベルを信頼する気はないな」
冷たく言い放ったウィンストンに、クリスはどきりとしたのだが、エイベルは小さく肩をすくめるのが見える。オーウェンもウィンストンの反応に困っているかと思いきや、ふっと楽しげな笑みを浮かべた。
「そういう意味だと、俺たちもそこまでエイベルを信用してはいないな。どちらの味方かさっぱり分からない。いつ裏切られるか分からないからな」
「そこだけは私も同感だな」
「二人とも、私が目の前にいるって分かってて悪口いうのやめません?」
「悪口を言っているつもりはない。思っていることを言っているだけだ」
「だな。港に停泊している船にはアントニアを乗せてる。聞きたいことがあれば彼女に聞けばいい」
オーウェンの言葉に、クリスは内心で首を傾げたが、ウィンストンは鋭い視線をエイベルに向けた。エイベルは眉を上げてから、首を横に振る。
「さすがにこちらから送ってる間諜の存在まで彼らに漏らしはしないですよ。それであればわざわざ身内を使わないですし、私としては本当にあちらの情報が知りたかったですしね」
エイベルはそう言ってから、オーウェンを見下ろした。
「どうやって気づいた?」
「クラウィスの内部にも間諜を飼ってるなら、こっちの動向を探らないわけはないだろうと思ってたからな。送り込むならずっとカエルムで手元に置いていた魔術師だろうと思っていたから、単純に知り合いを除外していっただけだよ。彼女は出身を偽っていたから、逆にすぐに分かったな。魔術師同士は各地に散っていても、意外と繋がってるんだ」
「なるほど。丁重に扱ってもらっているかな。私の従妹なんだ」
「知ってる。別に何もしちゃいないよ。彼女はエイベルよりはよほど信用できる。アイザック達と話をする時にもいてもらったし、逆に色々と教えてもらったよ」
エイベルは苦笑したが、ウィンストンの冷ややかな視線を受けて姿勢を正した。
「お叱りは受けますよ。もともと間諜として仕込んでいたわけじゃないですし、色々と至らない点がありましたね」
「あとで説教はしよう。とりあえずオーウェンが魔術師達の代表であることは理解した。どうせ形だけならいつまでも跪いてもらう必要はないが」
「それはどうも」
そう言ってあっさりと立ち上がった長身のオーウェンは、ウィンストンを見下ろす形になるが、特にウィンストンの方は気にしないらしい。
「エイベルに何か吹き込まれたか?」
「俺はアイザックよりもだいぶ偉そうだから、せめて最初くらいは膝をついて見せろってさんざん脅されたな」
「確かに偉そうだが、まあいい。別に私の臣下ではないからな。膝を折ってもらう義理はないが、一応の誠意としては受け取ろう」
ウィンストンはそう言ってから、側に立っていたレックスとクリスを見た。
「こちらはレックスとクリスだ。彼らのことはアイザックから聞いているか?」
「聞いてる。現地で何か困ったことがあれば、エイベルやウィンストンよりこっちを頼れって言われたよ」
そんなことを堂々とオーウェンが言ったので、クリスはひやりとしたが、ウィンストンは意外にも楽しそうな顔をした。
「私が信頼されていないのはともかく、エイベルも随分と信用がないな」
「アイザックは二度と私の前に顔を見せるつもりがないらしいですね」
そんな二人を見て楽しそうに笑ったレックスは、進みでてからオーウェンに手のひらを出した。
「はじめまして。アイザックには本当にお世話になったし、助けてもらったよ。僕で力になれることがあれば、何でも言って欲しい。できることもできないこともあるけど、なるべく努力はするから」
「アイザックもレックスには助けてもらったって言っていたよ。そう言ってもらえると心強いな、ありがとう」
レックスの手を握ったオーウェンは、続けてクリスの方を見た。切れ長の細い瞳はどきりとするほどに強いが、口元にはわずかに笑みが浮かんでいる。
「クリスのことはすごい魔術師だって聞いてるよ。アイザックが水の精霊を使うなら自分よりクリスの方が上だって言ってたからな」
「とんでもない」
ふるふると頭を横に振ってから、オーウェンに出された手をとる。身長と同じでとても大きな手のひらは、ぎゅっとクリスの手を掴んでから離した。
それを見計らったように、レックスがオーウェンに問いかけた。
「今回の君たちの狙いは何?」
「中央軍だな」
「北側から誘き出したいってこと?」
「ああ。北軍はそちらが取り込んでるし、西軍と南軍はだいぶ弱体化してる。だが、中央軍と東軍は無傷で残っているからな。中央軍は中央にとっては最後の砦だ。南からちょっかいをかけてもなかなか出してこないから、上下からの同時攻撃だ」
「なるほど。軍は当然、魔術師からの攻撃は南側だけを警戒しているだろうからね。中央軍も南ではなくてこちらに出てくると思ってるんでしょう?」
「そうだな。そのために自衛軍を動かして欲しいとエイベルには頼んでる。自衛軍が国境に集結していて、それでいて魔術師達からの攻撃があれば、流石に無視できないだろうからな」
オーウェンの言葉に「でも」とレックスは首を傾げる。
「それにしてはこちらの魔術師が少ない気がするな。百人で中央軍を相手にしようと思っているってこと?」
「アイザック達が西軍を相手にした時は二十人だったぜ」
「うん。でもそれはカエルムの自衛軍の陰に隠れてでしょう。今回もそれを期待してるってこと?」
「ああ、って言ったら後ろの大将に怒られるんだろうけどな。一緒に戦ってくれとは言わないが、出来れば国境付近にまでは軍を展開してほしいな」
そう言ってオーウェンはウィンストンの方を見たが、視線を受けてもウィンストンは全く表情を変えなかった。
「俺らはそれを安全な拠点にして、少数精鋭で攻撃をしかけては引っ込んで、ってことをやりたい。アルビオンでも同じようなやり方で、ほとんど犠牲も出さずに南軍の数を減らしてきたんだ」
「持久戦だね」
「ああ。だからこその支援の依頼だ。俺たちが中央を堕としたら、国境の線引きはいくらでも調整できる。そちらとしてはさしたる労もないし、失敗したところでリスクもない。楽して領地が増やせるんだ。悪い話ではないと思うが」
オーウェンはそう言ってウィンストンを見たが、彼は僅かに眉を寄せただけだった。
「たしかに国土を広げるのは、国においては全く悪い話ではないだろうが」
ウィンストンはそう言ってから、オーウェンではなくエイベルを見る。
「個人的には全く興味がないな。そもそも人も土地も二倍に増えて、国内の課題は山積みだ。無駄に手を広げるのは、カエルムの政策としては愚策としか思えないんだが」
「ウィンストン様ならそう仰ると思ってましたけどね」
「そう思ってるなら、魔術師達に余計なことを吹き込まないでもらいたい」
「別に私が吹き込んだわけじゃないですよ。それに、レックスは違う意見でしょう」
急にエイベルから話を振られて、レックスは珍しく困ったような顔をした。
「そうだね、僕はなるべく取り込みたいと思ってるけど。でも僕はこの国の王子様じゃないしね」
これよりももっと領土を広げたいのだというレックスの言葉にクリスは驚いたが、エイベルは頷いて、ウィンストンは苦笑するような顔をした。
「レックスがそう考えているのなら、意外と陛下でも同じことを言いそうだな」
「何気にお二人は似ておられますからね」
「そうなの?」
「ああ。私はそもそも自領にしか興味はないが、父はそうでもない。魔術師達が中央を堕として国を握れば、混乱しきることは間違いないからな。路頭に迷う人間を減らすためにも、多少はこちらに取り込んでやるほうがマシだと言いそうだ」
そんなウィンストンの言葉に、クリスはようやくレックスの言葉の意図を理解する。レックスやクリスが逃れてきた国だが、そこを取り込みたいというのは、そこに住む人々を少しでも助けたいということなのだろう。
ウィンストンはひとつため息をついてから、オーウェンを見る。
「どちらにせよ陛下には相談するが、自衛軍の陣営を国境沿いに展開させるだけなら私の一存でも許可できる。そこに拠点を置きたいなら勝手にすればいい。それ以上は陛下の意向次第だな」
オーウェンはそんなウィンストンをまじまじと見てから、楽しげに笑った。
「俺としては最後にあんた達が乗り込んできて全部掻っ攫っていくつもりじゃないかって思ってたんだが」
「聞いての通り、ウィンストン様はかなり後ろ向きですよ」
「陛下もそういう意味では興味はないだろうよ」
「それを聞いて安心した。協力に感謝する。借りは必ず返すよ」
彼はそう言ってから、もう一度だけ膝をついて頭を下げた。




