四章 ジャクソンの居場所11
アルビオンの中心には泉があり、地中から絶えず水が湧き出し湖となっている。それはアルビオンに住む人々の飲み水となり、周辺の動植物にも生命を与えているが、精霊たちも同じく力を得ているのだろう。
普通であれば水辺には水の民や風の民がいて、火の民や土の民の姿はあまり見えないのだが、ここには全ての精霊が揃っていた。強力な精霊も多く、恐ろしくて近寄れないと言う者もいたが、ジャクソンが感じるのは聖域といった雰囲気の神々しさや静謐さだ。
それはヘレナの持つ精霊と一緒にいる時に感じる心地よさと変わらず、アイザックたちに言わせればそれがジャクソンの見ている世界なのだろう。エヴァンには精霊が狼に見えていると言ったし、感じるのは怒りだと言った。同じように見えている魔術師からすると、怒りに満ちた精霊たちの群れには近寄りたくないだろうし、ヘレナが連れている精霊たちに対しても恐ろしいと思うに違いない。
「どうしたの?」
じっと見つめてしまっていたからか、ヘレナは少し首を傾げてジャクソンを見上げた。
「……いや。ずいぶん増えたなと思って」
「この子たち?」
「ああ。火の民や土の民までいる」
もともとヘレナの周りにいたのは水の民や風の民だけだったが、アルビオンについてからは他の精霊たちも見える。火の民はエヴァンやアイザックなどが得意としている攻撃的なイメージで、ヘレナのイメージではないのだが、もしかしたらそれもジャクソンの勝手な思い込みか。
夕陽を浴びてきらきらと光る泉を背景に、眩しいほどに輝く色とりどりの鳥たちが舞う光景はとても幻想的で、その中心にいるヘレナは本当に精霊のように見えた。幼い子供にしか見えなかった彼女は、最近少し背が伸びて大人っぽくなり、少女らしい楚々とした麗しさがある。
「エヴァンやセリーナが喜びそうだな。土の民は俺も助かる」
「アルビオンの外までついてきてくれるかは分からないけど。お願いしてみるわ」
外と言ったのは、軍と戦ったり、クラウィスを攻撃したりということを考えているのだろう。その時に風の民だけでなく、強力な火や土の精霊がいるのは、ヘレナの精霊を使えるエヴァン達にとっては本当に助かる。魔術師にとって一番恐ろしいことは、その土地に精霊が少ないことで、精霊がいないことにはいくら有能な魔術師が揃ったところで手も足も出ないのだ。
「ヘレナも一緒にいくつもりか? 次に俺たちがアルビオンを出る時はきっと、軍との激突かクラウィスの攻略だ」
ジャクソンの言葉に、ヘレナは小さく首を傾げる。
「ジャクソンは行くのでしょう?」
「そのつもりだったけど、ヘレナが行かないなら行かない」
これまでそんなことを言ったことはなかったからだろう。ヘレナは困惑したような顔をして、ジャクソンを見上げた。
「アルビオンに来るまでは、これまで自分が助かるために見捨ててきた皆のためにも戦う必要があるんだと思ってたし、アイザックやオーウェンは過去や将来の魔術師達のためにもいま戦うべきだって言ってる。でも、それで双方に少なくない犠牲を出してまで、クラウィスの王家を倒して、そこからどうするんだろうな。ここで魔術師のための国を作ることはできても、周囲は魔術を使えない人間が圧倒的多数だ。俺たちのための国と彼らのための国は、うまく並び立たないんじゃないかな」
だからこそ魔術師達は迫害されてきたのだろう、という気もする。一緒の国で暮らすことができないと判断した誰かがいて、魔術師は閉じこもって生活するしかなくなった。そんな状況を打破したいからこそ、アイザック達は魔術師のための国を作ろうとしているのだ。
「……でも、私やジャクソンが行かなかったとしても、アイザック達はそう決めたのでしょう?」
「ああ。アイザック達だけでなく、エヴァンやセリーナも行くと言っている。カーティスやウォルターとも話してみたけど、彼らもアイザック達と一緒に戦うと言っていたな」
エヴァンは考えるまでもないと言ったし、セリーナはここまで来たら最後までやると言った。カーティスは亡くなった両親や仲間のためにもせめて仇が討ちたいと言って、ウォルターは二度と怯えて暮らしたくないから戦うと言った。
これまでジャクソンはどこかで、年少の子供達の代わりに判断して行動することを、自分の責任だと考えていた。それが圧倒的少数である自分たちの身を守るためだとも考えていたが、それもジャクソンの勝手な思い込みだったのだろう。もしかしたら昔はそれが必要だったのかもしれないが、まだまだ子供だと思っていたカーティスやウォルターでさえ、ジャクソンの言葉などでは揺らがない彼ら自身の意思がある。
そしてこれまでは皆のためにと動いてきたつもりだったジャクソンにも、やはり自分の意思があるのだ、と今さらながらに思った。
「魔術師としての大義は分かるけど、それが自分や仲間の命をかけてまでやるべきことなのか、相手の命を奪ってまでやるべきことなのか、よく分からないな。単に俺が分かりたくないだけかもしれないけど」
ジャクソンは溜まっていた息を吐いた。
「セリーナやカーティスが行くなら、彼らの安全のために俺もできる限りのことをしたいし、ヘレナにも協力してくれと頼みたい。けど、そもそも俺は敵軍の兵士だろうと魔術や剣を向けたくない人間なんだろうな。エヴァンに言わせれば自分の手を汚したくない偽善者だってことなんだけど、単純に臆病なんだと思うよ。戦いに一緒に出向くのは辛いし、相手を傷つけるのも怖い。だからと言ってここに残ってじっと待つのも辛いんだけどね」
そう言って、ヘレナの宝石のように綺麗な青い瞳を見つめる。ジャクソンからこんな弱音をぶつけられてもヘレナは困るだろうが、なるべくジャクソンの気持ちをそのまま伝えようと思うと、迷い言か泣き言しか出てこなかった。
案の定、ヘレナは困ったような顔をして、小さく口を開く。
「ジャクソンは私に止めて欲しいの?」
「そんなつもりはないよ。俺自身がどうしたいのかっていろいろと考えてたから、ヘレナにも話したかったんだ。悩んでてもぜんぜん答えは出なかったけど、ひとつだけ自分の譲れないところは分かった」
「譲れないところ?」
「ヘレナが残るなら誰がなんと言おうと残るし、ヘレナが行くなら必ず一番側で守るよ。ダレルに託されたってこともあるけど、そうじゃなくてもヘレナは俺にとって特別だ」
赤ん坊の頃に捨てられていたヘレナを見つけたのはジャクソンだった。
抱き上げるとその小さな体はとても熱くて、幼かったジャクソンの腕にはずっしりと重たかった。大きな青い瞳でジャクソンを見上げてきたヘレナを見て、何故か意味もなく泣きたくなったのを覚えている。
その時にはすでに精霊達に囲まれていて、精霊たちが彼女を守っているのだろうと思った。とても小さくて愛らしくて、ほんの子供だったジャクソンでさえ守りたいと思ったのだ。ヘレナにとってジャクソンは特別だと周囲の人たちは言ったが、ジャクソンにとってもヘレナは特別だった。ジャクソンが覚えている一番幼い頃の記憶が、精霊達の光に吸い寄せられるようにヘレナを見つけた時の光景で、その小さな体を恐る恐る抱き上げた時の赤子の体温だ。
その時から今に至るまで、ヘレナのことを守りたいと思っているのは変わらない。自分のために戦うつもりはないが、ヘレナが戦うことを選ぶのであれば、ジャクソンは迷わずにヘレナの側にいるだろう。




