一章 にせもの王子たち3
「クリスもしばらくは様子見か」
そう言ったのはウィンストンで、先ほどの流れを汲んだものだろう。クリスは密かにレックスを見たが、彼はこちらを見てはいない。ウィンストンには今後のことを聞いた彼だが、クリスにはこれまで一度もそんなことを聞いてくれていなかった。
「……というよりも、私の場合は上からの指示待ちですが」
上というのが、籍のある軍の上部なのか、ロイズ家なのかは分からないが、どちらにせよレックスが王子でなくなってしまえば、クリスに選択権など残らない。
クリスもある意味でウィンストンと同様で、由緒正しいロイズ家の一員として、レックスの側につけられていたのだ。年も変わらなかったし、一応は本物の王子に縁があってもおかしくはない家柄ということなのだろう。父達は司祭であり聖職者でありながら、王族達との距離も近い。現国王やレジナルドに貸しを作るために、娘をレックスの側に置いているらしい。
今は軍にも籍があるものの、やはりクリスはクリスティアナ=ロイズであり、王国の創立当初から歴史のある名家の令嬢という位置付けである。実際は父や家族に疎まれてここにいるのだが、それでもレックスが王子のふりをするのには役に立っているのだろうし、レックスが王子のふりをする必要がなくなれば、クリスの存在など不要となる。レックスの側にいる建前も何もなくなるのだ。
「そろそろ、その指示はあっても良さそうなものだと思うんだがな。クリスだけじゃなく、我々もだが」
淡々とそんなことを言うウィンストンに、クリスは寂しい気持ちになる。そして、やはり何も言わずに黙っているレックスを見て、彼はいったいいま、何を考えているのだろうと胸が苦しくなった。
クリスは父の命令で幼い頃からレックスの側をたびたび訪れていたのだし、十五で軍属の学校を出てからはレックスの護衛として配属されて側にいる。そしてここ数年は、レックスの屋敷でウィンストンも含めて毎日のように顔をあわせていたのだ。
もともと歪な関係ではあるし、レジナルドが長じれば、いずれは別れがくることは分かってはいた。だが、実際にその時期が近づいても、気持ちの整理など全く出来やしない。
そんなことを考えているうちに、レックスの足元にいた小さな精霊の姿が消えていた。
「着きましたね」
ウィンストンの言葉に、クリスは顔を上げる。そして、聖堂にはまだ子供の頃にいた火の民がいるのだろう、となんとなく思った。強い精霊の側の中には、小さな精霊を寄せ付けないようなものもいる。先ほどの風の民も、それで姿を消してしまったのではないだろうか。
ウィンストンに続いて、クリスとレックスは馬車を降りる。馬車の中が暗かったとは認識していなかったが、外に出ると太陽の光が目に眩しい。
聖堂は王宮から少し離れた場所に立っており、周囲には小さな林があるくらいで他には何もない。見晴らしが良いと言うのは、仮に何者かの襲撃があっても気付きやすいという点で良いだろう。姿を隠せるような場所はないから、急襲はない。
外には軍服を着た兵士たちが控えていた。ウィンストンはいつも軍服など着ていないのだが、剣は下げている。彼がそれを抜くところを見たことはないが、護身程度には使えると言っていたし、なんとなくさまにはなっていた。今も兵士たちにてきぱきと指示を出す様子を見ながら、つくづく何でもできる人間なのだと感心する。
「綺麗なところだね」
馬車の中では沈黙していたレックスだったが、周囲を見回してのんびりと言う彼は、普段通りの様子に見えた。
ただ、いつもは王子らしい格好をしていることが多いのだが、今はお忍びで動いている。兵士たちからも浮かないようにと着慣れない軍服を着て、少し長めの髪がふわふわと揺れている様子は、見習いの兵士といったところか。
「そうですね」
クリスから見ると禍々しい火の精霊の気配が漂う空間なのだが、レックスには分かるまい。
子供の頃のままなら、強力な精霊が鎮座していたのはまさしくこれからクリス達が向かおうとしている聖堂の地下で、ここを建てた人物も別に火の民を祀るために建てたわけではないだろうが、何かしら土地に力を感じたのかもしれない。
周囲を見回すが、宙に浮いているのは赤い羽根を持つ火の民ばかりだ。どうやら聖堂に住む精霊達の主は、自身の分身である火の民以外を嫌うらしい。
「何か気になるものでもあったか?」
火の民達を追って周辺を見回していたからか、ウィンストンにそんなことを言われてクリスは慌てて首を横に振った。なんとなく精霊を視てしまう悪癖は、治さねば命に関わると思いつつも、いまだに油断しているとやってしまう。
「いえ、懐かしいなと思って見ていました」
「変わらないか?」
「ええ。子供の頃から変わりません」
ウィンストン達に連れられるようにして聖堂の中に入っていくと、足元から立ち上るような火の精霊の気とはうらはらに、ひんやりと冷たいような空間だった。ここに来たのは何年ぶりだろうか。懐かしいような木の匂いがして、クリスは中を見回す。
「階段はここですね。普段、聖堂を開けている間は、施錠はされてないと聞いていますが、明日の儀式では施錠をされるそうですよ」
「中から僕が逃げられないように? それとも外から入れないように?」
「さあ、逃げられないようにでしょうかね」
ウィンストンも首を傾げながら、扉を動かす。頑丈そうな扉と重そうな鍵は、たしかに外側からかけるようになっており、中にいる人物が立てこもるための鍵ではないのだろう。
「ここにレックスが篭っている間は、上で司祭達が殿下のために交代で祈りを捧げ続けるそうですから、何かがあったら扉を叩けば気づいてもらえると思いますよ」
「灯りは?」
壁際にいくつか箱のようなものが置かれているが、それ以外は窓も何もないただの部屋だ。今は開けられた扉から光が差し込んでいるが、ドアを閉めれば暗闇になるのではないだろうか。中に入りながらクリスが聞くと、ウィンストンは肩をすくめる。
「暗闇で心身を清めるそうです。レックスは暗いところは大丈夫ですか」
「考えたこともないけど、寝てればいいならずっと寝てるよ」
真顔でそんなことを言ったレックスに、珍しくウィンストンが笑った。
「ここで寝られるのはさすがですね。私がレックスの立場なら、一睡も出来ないと思いますけれど。一応、灯りはこっそり持ち込ませてもらいましょうか」
彼がそう言った時に、外から声がかかる。
「ウィンストン様、少し良いですか」
「どうした?」
そうしてウィンストンが部屋を出ていく。レックスと二人きりになった空間で、なんとなくクリスがぐるりと壁沿いに歩いていると、ガシャン、と何かが落ちるような大きな音がした。思わず音のした扉の方を見ると、さらに飛び上がるほどの大きな音が響いた。
それから一気に真っ暗になる。
勢いよく扉が閉められたのだ、と気づいた瞬間には、ドン、と扉を叩く音が響いた。
「ウィンストン! 何があった?」
そう叫んだレックスは、ドアを開けようとしているようだったが、ガチャガチャとうるさく音が鳴るだけで光は差し込まない。どっと吹き出す汗と、どくどくとうるさく鳴る心臓の音を痛いほどに感じながら、クリスも音を頼りにレックスの元へとむかう。
「ウィンストン!」
クリスも外に向かって叫ぶが、表からの反応はなかった。代わりに、ドン、と扉が大きく鳴って、クリスは飛び上がる。すぐそばでレックスが扉を蹴やぶろうとしたようで、何度か蹴り付けているがびくともしない。
「どういうことだ?」
レックスはそう呟くように言ってから、ドアを蹴るのをやめる。しん、とした暗闇は、レックスの姿すら消えてしまいそうで恐ろしかったが、クリスは必死にドアに耳を当てた。表で何か騒ぎになっているのなら、流石に聞こえるはずだと思ったのだが、外からは何も音が入ってこないような気がする。
「レックス……これは」
そうクリスも口を開くが、何を続けて良いのか分からなかった。
ウィンストンがクリス達を閉じ込めたのではないか、なんて考えが浮かんでしまったから、余計に何も言えなくなる。
聖堂の周囲には何もなく、外からの襲撃者が襲ってくるような時間は無かっただろう。そして護衛としてここを取り囲んでいた兵士たちの大半は、ウィンストンの家の人間で、そのウィンストンが外に出るなり閉じ込められたのだ。外で何かがあったのかもしれないと思ったが、扉の向こうは完全に無音で、何か争っているような音も聞こえない。
「僕たちを閉じ込めてどうする……?」
そんなレックスの声が聞こえたと同時に、何かが落ちてくるような音がした。思わず部屋の中を見るが、地下で全く光の差し込まない部屋では、何も見えない。
誰もいない、何もないはずの暗闇で何かが破れるような音が響く。そして水の流れるような音がして、クリスは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。暗くて全く何も見えない——と思っていたが、目が慣れてきたのか僅かに天井付近から光が差しているのが見えた。
「通気口か?」
ウィンストンの話で、天井に人の通れない小さな排気口はあると言っていた気がする。そこから僅かに漏れる明かりだろうか。
そう思った瞬間、目に痛いほどの灯りが落ちてきた。
天井から落ちた火の玉は、そのまま宙でぼうっと大きくなった。
「な」
四角く縁を滑るように燃えている炎に、白い壁が照らされる。燃えているのは壁際に置かれた木の箱だ。表面を撫でるように炎が広がっているのは、油か何かが撒かれたせいか。天井の排気口から油をまいて、そこから火種を落としたのだろうか。
炎と共に、火の民が舞っているのが見える。
ふわふわと浮いた体はとても小さいのだが、真っ赤に燃えるような羽とその周りの火の気配が大きい。そして赤い瞳がこちらを見ているようで、思わずぞくりとした。
クリスが動けずにいると、レックスが上着を脱いで火の元に駆け寄るのがみえた。火が大きくなる前に消そうというのだろうか。脱いだ軍服を木箱に叩きつけるようにしているが、火の勢いは収まらない。とても消すことなどできないのではないか、と思ってしまったが、そのまま見ていても二人で焼け死ぬだけだ。
クリスもレックスの側に駆け寄って、加勢しようとする。
その時、ふっと火の民の赤い瞳が細められた。指先ほどの小さな顔の中に嵌められた瞳が、そこまではっきりと見えるはずがないのに、なぜかその視線が見えてしまう。クリスは頭で考えるよりも先に、わけもわからないままにレックスの袖を引いていた。
「クリス——?」
レックスと一緒に反対側の床に倒れ込もうとした瞬間、耳を劈くような音と衝撃が降ってきた。目と耳がチカチカとする中でなんとか顔を上げると、先ほどまであった木箱が砕け、あちこちで炎の欠片が広がっているのが見える。そしてもともと木箱があった場所には、天井に届くほどの炎の柱がある。
「なに」
大きな炎を呆然と眺める。
木箱の中に、あらかじめ何か燃えやすいものや火薬などが仕込まれていたのだろうか。元々近づかせて爆発に巻きこむつもりだったのかは分からないが、これではもう消すことなどできない。
クリスは呆然としたまま、床に倒れ込んだままのレックスを見る。彼はうつ伏せのまま動いていなかった。その肩のあたりが赤く染まっていて思わず息をのむ。薄いシャツの上から、弾けた木の破片が刺さっているように見えた。




