四章 ジャクソンの居場所5
そこは町中にある一軒家だった。ここが彼の家なのか、それとも単に逃げ込んだだけかは分からないが、周りと変わらない普通の家に見える。
「中にいる。私の精霊にも気づいてるけど動いてくれない。動けないのかも」
「ひとりか?」
「クェンティンだけよ」
木のドアは中から開かないようにしているらしい。何度か声をかけたが、全く反応はない。ジャクソンが思いきりドアを蹴り付けると、背後からエヴァンの呆れたような声がする。
「魔術じゃなくて足が出るところがジャクソンだな」
「うるさいな。開けばなんだっていいだろ」
蹴破ったドアを開けて、ジャクソンは中に足を踏み入れる。不安と期待と警戒とがないまぜになって吐きそうな気分でいると、ヘレナが先導するように奥に進んだ。慌ててジャクソンはヘレナを護るように前に出る。
クェンティンは部屋の奥で、壁を背にして床に座り込んでいた。
久しぶりに見る彼の姿に、ジャクソンは息を飲む。ひどく痩せて顔色も悪く、ひと目で体調が悪いことは分かる。腕を怪我しているとヘレナは言っていたが、たしかにだらりと垂れ下がった右腕にはぐるぐると布が巻かれており、血のようなものがこびりついていた。
相手もジャクソンの姿を見て驚いたようだった。目を丸くしたクェンティンは、すぐに弱々しく笑った。
「生きてたのか、ジャクソン」
「クェンティン」
名前を呼んだが、何を言えばいいのか分からなかった。
固まっているジャクソンを見上げてから、ヘレナはクェンティンの元に近寄った。近づくと危ないとは思ったが、止める手は出なかった。クェンティンにそんな元気があるようにはとても見えないし、ヘレナが何をしようとしているかも分かっていた。
「水の民、クェンティンを助けて」
ヘレナはそう言ってから彼の怪我をしていない方の手を取る。ヘレナのそばにいる水の民が薄く光った。祈るように瞳を閉じるヘレナを見て、クェンティンは乱暴に彼女の手を振り払った。ジャクソンは慌てて二人の間に割って入ろうとしたが、ヘレナは首を横に振る。
「大丈夫」
「何しにきた?」
「クェンティンを助けに来たんだ」
ジャクソンの言葉に、彼は笑うように口元を歪める。
「あんたを軍に売った俺を助けにきたって? 面白くもない冗談だな」
「冗談じゃないからな。カーティスを助けてくれただろう」
「知らない」
どういうことだと怪訝そうにするわけでもなく、すぐに否定したクェンティンには、きっと心当たりはあるはずだ。
「知っているかどうかはわからないが、俺たちはアルビオンにいる。一緒に来てくれないか」
クェンティンはジャクソンの言葉にもさほど反応を見せなかった。
カーティスを助けた時には軍にいたようだが、魔術師がアルビオンを占拠していたことを軍が知っていたかは微妙な時期だ。ただ、彼がこの近くに止まっていたのは、アルビオンに魔術師達がいるからである可能性もあると思っていたが、やがて彼は暗い色の瞳をさらに暗くした。
「嫌だ」
「どうして?」
「俺のとこにヘレナの精霊が現れた時には、じきにヘレナが俺を殺しに来るんだと思ってたよ」
「は?」
「ジャクソンを殺した復讐にな。あんたも俺を殺したいなら、勿体つけずにさっさと殺せばいい」
そんな言葉にジャクソンはゆっくりと頭を振る。
「俺はクェンティンに復讐したいなんて考えたことはない。何か理由があるのならそれを話して欲しいし、もしクェンティンが俺のことを殺したいほど憎んでいたのなら、話を聞いて謝りたい」
「はっ」
嘲笑するような息を吐いてから、クェンティンは天井を睨むようにする。
「相変わらずだな」
どういうつもりか彼はそう言ってから、瞳を閉じる。
「俺を助けたいならもう、放っておいてくれないか。ジャクソンとは違って、俺はここで一人で野垂れ死ぬか、兵士たちに見つかって首を落とされるのが似合いだよ」
「そんなはずはないよ。わざわざクェンティンは人前で魔術を使う必要なんてなかったんだ。カーティスやキャシーたちを助けてくれたクェンティンを、見捨てられるわけなんかない」
「あれは本当に馬鹿なことをしたと思ってるよ。何度も後悔したが、後の祭りだな」
彼はそう言うと、また手のひらを握って精霊を使おうとしたヘレナの手を押し返した。
「助けに来てくれたのならありがとう。だが、俺はヘレナやジャクソンに助けてもらうような人間じゃないよ。あんたを売ったのだって、別にたいそうな理由があったわけじゃない。自分が処刑されたくないから、代わりになりそうな他人に押し付けたってだけだよ」
「自分が死にたくないっていうのは、大層な理由だよ」
「そうか? いまはさっさと殺してほしいと、心の底から思ってるけどな」
ひやりとするようなことを言って、クェンティンは壁にもたれるようにしていた体をずらした。ずるりと床に倒れ込んだ彼に、ジャクソンは慌てて近づこうとしたが、クェンティンは低い声で「近寄るな」と言った。
「……ジャクソンだけじゃなくて、クーロを売ったのも俺だよ。老人や女子供も含めて百名近くが殺されたって聞いてるし、ダレルも殺されたと聞いてたが、あんたらは生きてるんだな」
クェンティンの暗い視線の先には、セリーナとカーティスがいる。
クーロの情報を漏らしたのはクェンティンではないか、と。これまで何度も考えてきたが、本人の口から聞くと改めて全身が凍りつくような感覚に襲われる。どうしてそんなことをしたのだと喉元まで出かかったが、どうしても責めるような口調になる気がして、ジャクソンは口を閉ざした。
自分の命がかかっている状況であれば、ジャクソンも同じことをした可能性はある。クーロの情報を漏らしてダレルたち百名の魔術師を追い込んだのは彼かもしれないが、その百名を見捨てて逃げたのはジャクソン達なのだ。
代わりに口を開いたのは、ドアの付近で立ち止まっていたセリーナだった。
「私たちが生きてて残念?」
「……そうかもな」
暗い声で呟くように言ったクェンティンのその言葉は、きっと本心ではないだろう。カーティスが生きていたのは知っていただろうが、最初に床からセリーナを見上げた視線には、一瞬、安堵のようなものが見えた。それが分かっているのかどうか、セリーナは肩をすくめながらクェンティンに近づいた。
「それは残念ね。私はクェンティンが生きててくれて嬉しいわよ。死んでたら言い訳も恨み言も何も聞けないものね」
セリーナはそういうと、床に倒れ込んでいたクェンティンを押さえつけるようにした。何をするつもりだとジャクソンは目を丸くするが、セリーナはジャクソンとヘレナを振り返って軽い口調で言う。
「お互い積もる話はあるでしょうけど、とりあえずアルビオンに戻らない? ——ヘレナ」
離せ、とクェンティンは言ったが、セリーナに押さえつけられて動けないのだろう。普段ならセリーナの細い腕で押さえられるわけはないが、クェンティンは本当に弱ってみえる。
そんなクェンティンを、ヘレナが覗き込んだ。
「水の民」
精霊の名とともに「ねむれ」と彼女が口にすると、すとんとクェンティンの意識が落ちた。そんなクェンティンの手を握って、ヘレナは改めて水の精霊を呼ぶ。
「クェンティンを助けて」
そうしてヘレナが祈りを捧げても、みるみると顔色が良くなるなんてことはない。目を閉じていると、死んでしまったのではないかと思うほどに青白くてどきりとしたが、ヘレナはジャクソンを見上げた。
「運んでくれる?」
「ああ。ありがとう」
慎重に体を持ち上げると、その軽さにジャクソンは泣きたくなった。




