四章 アランの居場所8
ウィンストン=ヘンレッティは相変わらず、王者に相応しい雰囲気をまとっていた。
柔和な面立ちを打ち消すような視線の鋭さと、内面から滲むような覇気。身につけているものも、中央で遠くから眺めていた王族の衣装と遜色はないし、何より彼のそばには傅くレックスがいる。下手な主なら存在感の際立つレックスに見劣りしてしまう可能性はあるが、ウィンストンは彼の存在を利用して、さらに目立っているように見えた。
それでいて、全兵士を揃えた場所で中隊レベルでの報告を聞いているのは、それだけ距離の近さをアピールしたいからか。普通であれば将軍クラスのみが謁見に出向いて恭しく報告するところだが、ここは王座の間でも神殿でもない。豪華な衣装に身を包んだ彼らがいるためそれなりに華はあるが、あくまで野営地に急遽作られた、単なる広場だ。
そこで王太子であるウィンストンの方がわざわざ動いて、数十人単位ごとに労いと感謝の言葉をかけているのだから、兵士たちは感激しきっている。軍の上官だろうと王族貴族だろうと、下の人間から一生ついていくと思わせれば勝ちには違いないから、そういう意味でも大勝利の興奮が残るこのタイミングを逃さなかったのだろう。
もともと自衛軍は忠誠心が高いと聞いていたが、彼らがヘンレッティ家に心酔したくなる気持ちは分かる。独立して国を自分たちのものとするのだという士気も高く、西軍を簡単に押し返したのも、決して魔術師達がいたからというだけではないだろう。
もともと軍人など、何かに酔ってないとやっていられない職業ではある。どうもアランなどは昔から冷めていて酒に逃げているような気はしているが、忠誠心でも報酬でも上手く夢を見せて酔わせられるなら、それに越したことはない。恐怖や強制で縛って突撃させたところで、玉砕させることしかできないのだ。
ようやく最後の隊までの報告が終わり、ウィンストンたちが去っていくと、兵士たちは興奮した面持ちでそれぞれに戻っていった。今日は元北軍に任せて休んでいいと言われていたから、休息を取るつもりか、はたまた兵士たち同士で盛り上がるのか。アランも自身達のテントに戻ったところで、中隊長から声をかけられた。
「アラン、ちょっといいか?」
「どうしました?」
「上に呼ばれてる。ロジャーは?」
そんな言葉に、アランはテントの中を覗いてみた。予想はしていたが、あきらかに空の寝袋を見て肩をすくめる。
「さあ。消えたみたいですよ」
「……どこに?」
「逃亡はしてないと思うので、明日の朝には帰ってると思いますけど。今日は午後はお休みだと言ってましたしね」
真面目な中隊長の顔が引き攣るのが見える。
朝からウィンストンの謁見に臨むため、隊員は全員集合だと号令されたにも関わらず、ロジャーは「眠たい」と言って寝袋から出てこなかったのだ。本当ならそれだけで厳罰ものだが、ロジャーが魔術師達の護衛について夜中も敵陣に向かったことは、中隊長も知っていた。疲れているのだと思って、無理やり起こしはしなかったのだろう。
「誰が呼んでるかは知らないですが、ロジャーの代わりに怒られるのは慣れてますよ」
アランは笑って中隊長の肩を叩く。彼は硬い顔で足を進めたが、今さらロジャーが勝手をしたくらいで怒る相手でもあるまい。
連れて行かれた先では、レックスやアイザック達が話をしていた。レックスに呼ばれているのだろうと思ってはいたが、そこにウィンストンまでいたのでアランはもともと伸びていた背筋をさらに伸ばす。
「アラン」
一番にこちらに気づいたのはレックスで、彼はこちらに小さくかけてくる。そうしてアランを見上げる嬉しそうな顔は、彼が子供だった頃と全く変わらないような気がしていて、思わず頬が緩む。
「無事で良かった。怪我したって聞いたけど」
「どれもかすり傷ですよ」
そう言ってアランが袖を捲ると、レックスはその腕に巻かれた白い包帯を痛々しげに見下ろした。しかし、本当にかすり傷だ。あれだけの兵士たちとぶつかって、いくつか傷をもらっただけなら運が良かったと言えるだろう。
「ロジャー=ベインズは?」
ウィンストンからそんな声をかけられて、アランはその場で膝を折る。
「御前に参上できず申し訳ありません。昨日の疲れがあるようで伏せっております」
「だろうな。ここにくる途中、私服で出ていくのが見えた」
にこりともせずに言われて、アランは内心でロジャーに毒づいた。無断外出する際にわざわざウィンストン様ご一行とすれ違わなくともいいものを、爪が甘いのか、それとも全く気にしていないのか。
そしてそれが分かっていてわざわざロジャーを名指しで呼んだウィンストンも、だいぶ性格が悪い。何を返そうかと思っていると、レックスとアイザックが楽しそうに笑った。
「そうなの? 元気そうで良かった」
「あれだけ動いてまだ動けるのはすごいな。どこに行ったんだ?」
面白そうに聞かれても、さあ、と首を傾げることしかできない。どこかで女性でも口説いているか、馴染みの店でもあるのかは知らないが、なんにせよこの場には珍しくクリスもいる。女性の前では言いづらいことをやっているのは間違いない。
「ロジャーもアランも本当にすごいよね。そこの隊だけで大隊長一人と中隊長七人を捕らえてるから、実質的に大隊を壊滅させてることになる」
「ありがとうございます。アイザック達の支援があってこそで、あとは中隊長と隊長達の力ですよ」
そう言ってアランは自分を案内してくれた中隊長を振り返ったのだが、彼はすでに姿を消していた。もっと自身の手柄にしてもらっても良いのだが、先ほどウィンストンに報告する際にも、控えめな報告にとどめているようだった。
アイザックも首を横に振った。
「近くで見てたが本当にすごかったよ。ロジャーは確実に隊長格を落としにいくし、どれだけ突っ込んでも無傷で出てくる。周囲の指示とフォローは全てアランがやってるようだったしな」
「たしかにロジャーは神がかってましたね」
なにせ大中の隊長を槍で叩き落としたのは全て彼だ。かつてないほど身軽に動けているように見えたが、逆に相手の方の足が重かったということもあるのだろう。
「それも全体的に追い風で、相手の士気が低かった、というのが最大の要因だと思いますよ。魔術に完全に圧倒されてましたからね」
アイザック達がいなくても勝てたかもしれないが、全く違う展開にはなっていたはずだ。今回、こちらの犠牲はかなり少なかったし、西軍では戦闘による死者というよりは魔術による混乱で怪我人や逃亡者を多く出している。死者が多いのはもちろん痛恨だが、その場合は生者の方が優先だと割り切れる。だが怪我人や戦意を喪失した兵士が多いというのは色々と判断を迫られるところで、あの混乱の中では余計に痛手だっただろう。
「アイザック達の力は本当にすごいよね。昼は大勢の兵士たちをまとめて足止めできるし、夜は単騎ででも相手の陣を攻撃できる。軍もこれでアルビオンに手出ししにくくなっただろうな」
レックスの言葉に、アランも頷く。
今回、国軍は魔術師の力を思い知ったはずだ。昼でも夜でもどこにいても攻撃を受ける可能性があるというのは、攻めようとする相手にとって厄介でしかない。その辺で民間人に見えている女性や子供が、壊滅的な魔術を見舞ってくる可能性もあるのだ。夜もいくら見張りを置いたところで、灯りも持たずに近づく一人すら見逃すなというのは無理な話で、アランがあちらの軍人なら、そんな魔術師達の巣窟であるアルビオンには近づきたくない。
「ウィンストンには悪いが、俺たちの狙いはそれが一番だからな。アラン達に守られながら、安全な場所から派手に動けて助かったよ」
アイザックはそう言ってウィンストンを見たが、ウィンストンは特に表情も変えずに言った。
「こちらは助かっているからな。そちらの狙いが私や父の首というのでなければ、なんとも思わないが」
「それはない。ここは俺らの最後の砦だからな。万が一、アルビオンが崩されたら、全員でウィンストンに頭を下げにくるつもりなんだ」
そうなのか、とアランは内心で驚く。
そもそもクラウィスを狙うなどという危険は冒さず、魔術師は皆でこのカエルム国に留まれば良いのに、と。アランなどはそう考えていたのだが、当然それは副案としてあったらしい。だが、アイザックの言葉にウィンストンは僅かに眉根を寄せる。
「頭を下げに来られるのは歓迎だが、万が一にもここがクラウィスになって我々が攻撃されないという保証を、未だに提示してもらってはいないな」
「万が一の万が一に保証なんか示せるかよ。何度も言ってるが、俺たちはクラウィスに対して正当な主張をしたいだけだ。別の国を狙う気なんてさらさらないし、エイベルを裏切るような真似もしない」
アイザックのその言葉は本心であるだろうが、ウィンストンからするとそんな口約束が信用できないというのも分からないでもない。




