四章 アランの居場所5
「壮観だな!」
馬に跨ったまま言ったのはアイザックだった。魔術師達のリーダーであり、サスの中では一番の魔術師であるという彼は、見た目には単なる若者にしか見えない。兵士たちと一緒にいると小柄なのが目立つのだし、さほど鍛えられているわけでもない。
「楽しそうだな」
アランが声をかけると、アイザックは心外そうな顔をした。
「それは皮肉か嫌味のつもりか? 売られた喧嘩は買うぞ」
「別に嫌味じゃない。楽しそうなのはこっちにも一人いるからな。心強いと思ってるだけだ」
ロジャーを指さして言うと、アイザックは笑った。
アラン達の隊は魔術師達と一緒に動くということで、アイザックとは何度も顔を合わせていた。怨恨を晴らしたいわけじゃない、と言った言葉は本音であったらしく、彼はこちらが軍人だからと言って壁を作りはしなかったし、共闘するのに必要だからと色々と魔術について教えてくれたりもした。もともと気の良い人間なのだろう——というのは、年長の魔術師達が、若いアイザックを慕っているように見えることでも分かる。
「それは頼もしいな。こっちは遠隔なんでまだ余裕なんだが、あれに頭から突っ込めと言われるとちょっと考える」
視線の遥か先には、果ての見えない黒い隊列がある。
見えているだけで、ざっと一部隊分の千名といったところか。歩兵が中心でゆっくりと向かってきているが、見たところは投石機もあり弓兵や騎兵も編成された通常の部隊だ。西軍は三部あり、事前の情報では三部隊は待機していると聞いているから、一部と二部は動いているはずだ。背後に続いているのか、もしくは待機したままの北軍を睨んでそちらに展開する予定なのか。
あれを見てアランは身が引き締まるような思いなのだが、アイザックは言ったとおり余裕に見えるし、ロジャーもどこか面白そうに隊列を見やっている。
「俺たちも、背後にアイザック達がいると思えばだ。さすがにあれとまともにぶつかりたくはないな」
「と、思うのが普通な考えの気はするが、相手はまともに仕掛けてきてるように見えるんだが。あれで何か狙いがあるのか?」
「さあ。あると思いたいが、ない可能性もある。そもそもあっちはこちらを侮ってるだろうからな」
無策に兵をぶつけるというのは中央がやりそうなことだし、特にここにいるのは自衛軍の兵士だけだ。数だけでいえば視界に見える一部隊だけでも凌駕するし、背後かどこかに控えているもう一部隊があれば倍以上になる。自衛軍は優秀とは聞いていたが、それでも国軍からすると正規の軍でもなく格下だと侮っているような気もするから、正攻法で戦力の差を見せつけたい、と考えていてもおかしくはないのだ。
「魔術師がいる想定はしてるだろうが、正直、俺自身もあっち側にいたときにはそれほどの脅威とは思ってなかったからな。アイザックを前にして言うのは恥ずかしいが、せいぜい弓兵か雨乞いができる呪い師を相手にするくらいの認識だ」
「まあ、九割以上の魔術師はそんなもんだろうな。あながちアランの認識が間違ってるというわけでもない」
「ここにいる五名は一割未満の特別か?」
「もちろん。最初からここで兵士を相手にするつもりだったから、使えるのだけ残してる。アルビオンにもそれなりに戦力が必要だから振り分けて、こっちには俺らも含めて全部で二十名だな」
五名を四班に分けて配置していると聞いていたから、確かにその人数なのだろう。カエルム地方を素通りして船に乗ってアルビオンに向かったのは数百人と聞いているから、そこから考えると随分と少ない。
そんなアランの考えを読みでもしたのか、アイザックは馬上で腕を組んだ。
「最低限ではあるが、最大限でもある。兵士の後ろから遠隔で支援をするのに下手な魔術師では役に立たないし、腕の立つ魔術師なら五人も固まれば十分だ。それ以上は精霊の方が追いつかないからな」
そういうものか、とアランは頷く。
アイザックの魔術を何度か披露してもらったが、加減をしていてもあまりにレベルが違いすぎて面食らったのだ。たしかに彼のような魔術師はそういないだろうし、一人でも何人分の働きができる。
「俺としてはアイザック一人でも、大隊くらい簡単に沈められるんじゃないかと思ってるんだが」
「さすがに一人でどうこうなる規模じゃないな。中隊くらいの歩兵なら、アルブのリーダーが土の民を使えばまとめて地面に沈められるだろうが」
「そういう沈めるでもなかったが……すごいな」
アランが呆れたようにいうのと、「こわ」というロジャーの呟きはほぼ同時だった。
「沈めるって、地面に穴を開けてそこに落とすってこと? それは見せてもらってなかったけど」
「別に出し惜しんだわけじゃないぞ。地割れを作って騎馬隊を止めるとか、一時的に歩兵の足を止めるとかは割とやれるが、人を沈めるほどの大穴を開けるのは曲芸の域だ。俺は土の民は得意でもないし、大勢を相手にするなら、単純に砂塵をぶつける方が楽だし有効だな」
確かにそれは何度も見せてもらっていて、兵士たちに対してはかなり有効だとアランも思っていた。土の魔術で地面の砂や石を浮かせ、風の魔術でそれをぶつける。アイザック達の魔術が巧みだというのもあるだろうが、通常の砂嵐よりも何倍も強烈で、目を開けてもいられず立っているのもやっとだった。馬に乗った相手にはさらに有効だろう。
「そうしてもらいたいな。俺までまとめて埋められたらたまらない」
槍を担いだまま肩をすくめたロジャーに、アイザックが笑った。
「前にも話した通り、基本的には混戦になってるところに魔術を使うつもりはない。が、場合によっては火の民の炎や土の民の砂塵はぶつけるかもしれないからな。立ち位置は常に俺たちに背を向けててくれよ」
「そりゃ、顔面にぶつけられるよりはマシかもしれないけど、背中でも熱いし痛くない?」
「多少熱いかもしれないが、真正面から食らったところで火傷するほどじゃないよ」
軽い口調で言ったアイザックに、ロジャーは疑わしげに首を捻る。
「それもアイザックの匙加減次第ってことでしょ?」
「俺の加減が信用出来ないなら、他にやらせる。俺以外がやれば、離れた場所なら本気でやってもそんなもんだ」
「逆を言えばアイザックなら遠くからでも、焼き殺せるってこと?」
ロジャーの言葉に、彼は軽く肩をすくめる。
「やったことはないけど、やれるだろうな」
「こわ」
「ロジャー達が馬で襲ってきても似たようなものだと思うけどな。相手にとっては手も足も出ない。雷に打たれるようなもんだ」
そんなことを言ったアイザックは、演習でのロジャーの騎乗での剣さばきに舌を巻いていたし、他の隊員たちの動きにも感心していた。アイザック達が魔術師達の特別だとすると、ここに揃えられた兵士たちもそれなりに腕が立つ特別な軍人ではあるのだ。
「なるほど。かもね」
ロジャーはそう簡単に頷いたが、アランからすると二人に攻撃されるのと雷に打たれるのを同じにされてはたまらない。こちらの命が彼らの匙加減次第、もしくは機嫌次第だとすると恐ろしいが、今のところはどちらも味方であり良心がありそうなところは感謝すべきか。
「そろそろ物騒な会話はやめてくれ。魔術が後頭部から襲う可能性があるということは、改めて隊員達に周知しておこう。再三ではあるが、こちらまで怯えてしまえば元も子もないからな」
「俺らが味方まで無差別に攻撃してると思われたくないしな。よろしく頼むよ、アラン」
明るく言ったアイザックに頷いてから、アランは近くで待機している隊員達の元へと向かう。
味方、とアイザックは気軽に言ったが、アランとしては彼ら魔術師に味方だと言われるのは未だに違和感はあった。軍人として魔術師達を捕らえてきたのは確かで、後ろめたい気持ちは拭えないのだ。
それに彼らも本当のところを言えば、新しく建ったカエルム国の味方というわけではないはずだ。
最初は魔術師たちがヘンレッティ家に手を貸しているのだと思っていたのだが、彼らの狙いはカエルムの独立を支持することではなく、クラウィスにいる王家の打倒らしい。それがこんなところで手を貸しているのは、あくまでヘンレッティ家との取引の結果であり、メインは遠く離れた魔術師達に対する援護だと聞いている。敵の敵は味方だということで、お互いに協力関係にあるということだろう。
——それをレックスから聞いたとき、アランは魔術師達の狙いが全く分からなかった。
これまで基本的に軍に追われて逃げるか隠れるか、もしくは固まって息を潜めることしか出来なかった彼らにとって、国から独立しようとするカエルム地方こそ新天地として申し分ないはずなのだ。中央からも遠いし、北方の地方まで取り込めば領土はかなり広くなる。そしてヘンレッティ家にはエイベル=スペンサーという魔術師の側近がいて、魔術師に対しての理解も深い。彼らはきっと、魔術師を迫害するなどという愚策をとることはないだろう。それどころか独立した当初は、他国に対する牽制としても色々と魔術師たちの手は借りたいはずだから、魔術師の存在はヘンレッティ家にとっても利のある話であるはずなのだ。
協力して独立してカエルム国を強固にする、というのが一番良いシナリオではないか、と。
そう考えてしまうのは、単にそれがアランの希望だからか。
すでに魔術師達は精霊の聖地とされるアルビオンを占拠して集結しているらしい。カエルムが勝手に独立を宣言したのと同様に、魔術師たちにとってもそれが国に対しての宣戦布告なのは間違いない。
カエルム地方に北軍が奪われたというだけでも、かつてないほどの大問題なのに、迫害していた魔術師たちが中央の拠点を奪って集結しているのだから、いまごろ国も軍部も大変な騒ぎになっているだろう。国の重鎮でもあったヘンレッティ家がそれに手を貸しているのなら、国を奪うのも全くの絵空事ではないのだ。
もう二度と国に戻れなくても良いと考えていたのだが、それでもその国が魔術師達によって攻撃されようとしているのだと聞くと、アランの気分は重く沈んでいた。別に王家に忠誠心もなければ、魔術師達のことを敵視しているわけでもない。だが、これまで自分が軍人として守ってきたはずの国が危ういというのは、どうしても自分が彼らを見捨てたような、そんな後ろめたさを感じてしまうのだ。




