四章 アランの居場所4
「西軍が動いたらしいぞ」
「ようやく? もう待ちくたびれちゃった」
ため息と共に机に突っ伏すようにしたロジャーに、アランは苦笑する。これから軍が攻めてくると伝えて、こんな呑気な反応をする兵士は彼くらいだろう。
「そんなに力を持て余してるのか?」
「持て余すのは力じゃなくて時間だよ。早いところ撃退して、自由が欲しいよね」
ほうっとロジャーはため息をつく。
捕虜というわけでは決してないのだが、国軍が攻めてくるまでは兵舎に待機ということで、元北軍の兵士たちは基本的に兵舎で過ごすことに決まっていた。申請すれば外出できるが、居場所は明らかにする必要はあるし、門限もある。アランは本当に用がなければずっと兵舎にこもっているが、ロジャーには耐えられないらしい。頻繁に外出して門限を破ってもいるようだが、それでも外に出たいと常に呟いている。
「ロジャーはだいぶ自由にやってるだろ。門限を破る言い訳に、毎度レックスの名前を出すのはやめろよ」
「いいじゃん別に。レックスも俺と会ってることにして良いって言ったし。どうせ門番も上官も嘘だって気づいてるよ」
レックスはウィンストンの側近ということになっているし、兵士達からかなり好感を持たれてもいる。ロジャー自身も崇拝されているか恐れられているかで腫れ物に触るように扱われているから、ロジャーが門限を破ろうと無断外出をしようと、レックスに呼ばれたのだと言えば、とりあえず目を瞑ってくれるらしい。
「こないだは本当にレックスと会ってたしね」
「いつ」
「三日前くらい?」
そんなことを言われてアランは少しだけ傷ついた。
三日前は特に何もなく部屋に篭っていたのだし、レックスに会うならアランも誘えよと言いたいところではあったが、そんなことを言うのはなんとなく負けな気はする。部隊長と飲むなら俺も誘えとさんざん言っていた昔の上官の顔を思い出してしまって、アランは別のことを言った。
「ロジャーがわざわざ男に会いに行くのは珍しいな」
「クリスって可愛いよね」
「……お前、そこに手を出したら本気でウィンストンに殺されるぞ」
「え、レックスじゃなくて? あそこ三角関係なの?」
面白そうに机から顔をあげたロジャーに、アランはため息をつきながら首を横に振った。
ロジャーがクリスを口説いたとして、レックスがどんな反応を見せるかは全く想像はつかないが、ウィンストンであれば冷静につまみ出すだろう。ウィンストンはレックス同様にクリスにも信頼を寄せているようだし、レックスとクリスが一緒にいられるように色々と配慮してくれているのだ、とレックスはいつも語っている。
レックスは側にいる人間など選べなかったはずだし、クリスはそんなレックスの側にいるためだけに、名家の令嬢であることを捨てて軍人となったのだ。そしてレックスが魔術師達に拐われたときには、クリスはレックスを追って一人でここまで来たと言っていたから、その行動力と一途さには本当に驚かされる。アランの記憶にある彼女は、人形のように綺麗な格好をした可愛らしいお嬢さまだったのだが、今は髪が短いこともあり、美しく凛とした強さのある女性に見えていた。
中央にいた頃は結ばれることのない相手だったのかもしれないが、今は障害はなにもない。これまで大変な思いばかりしてきただろうから、せめてこれからは幸せになってもらいたい——とアランは思っているのだし、もしかしたらウィンストンも似たようなものではないだろうか。
「どちらにせよロジャーに勝ち目はないよ」
「一騎打ちなら目を瞑ってでも勝てるけどね」
「それで勝って嬉しいか?」
「うーん。ウィンストン相手なら心底嬉しいけど、レックスが相手じゃどう見たって僕が悪役になっちゃうか」
分かってるじゃないか、とアランは笑う。
そもそも傍若無人なロジャーが隊員達からウケているのは、あまり強そうに見えないからだろう、とアランは思っている。偉そうで強そうな上官たちを涼しげな顔で倒すからヒーローになれるのであって、レックスを叩き落としたところで悪役にしかならない。
ロジャーは机に両肘をついて、手の上に顎を乗せる。
「美しいよね、レックス。あれで女性だったら何度でも当たって砕けてるんだけど、男性でも綺麗なものは綺麗だな。ずっと眺めてられる」
「レックスをそんな視点で見たことがないんだが」
「本当? いったい何が楽しくって生きてるの、アランって」
「俺の生きる意義を問われるほどの事柄か?」
「別にこれだけじゃないけど。実際、兵舎に引きこもって何が楽しくて生きてるのさ?」
そんなことを真顔で問われても、アランは首を捻るしかない。
何を楽しみにと言われても、アランには元々さほどの趣味や嗜好もないのだ。たまに外出しても、エグバード部隊長のところで酒を飲んでいるか、レックス達と酒を飲んでいるくらいか。兵舎の中では隊員達と飲んでいるのだから、他にやることはないのだろう。そして一人では大抵、色々と悩んで答えの出ない自問自答をやっている気がして、本当に自分は何が楽しくて生きているのだろう、なんて思ってしまった。
黙ってしまったアランに、ロジャーが哀れみの視線を向けてくる。
「アランって悪い人間じゃないのに、なんか可哀想だよね」
「勝手に人を憐れむな」
どう考えてもアラン方がロジャーの何倍も真面目に生きている気がするのだが、何をやってもロジャーには勝てないし、いつもロジャーの何倍も怒られて殴られているのは何故だろう。一方、ロジャーはいつも自由で楽しげであり、悩んでいるところなど見たこともないのだから、彼から見るとアランはだいぶ可哀想な人間であるのは間違いない。
言い返す言葉も思いつかず、アランは話題を変えた。
「——そんなことより、明日からは本格的にこちらも構えるらしいぞ。朝から準備をして、昼には配置につく」
「ふうん」
それだけを言ったロジャーに、やはり苦笑する。
軍と対抗して本格的な戦いになるのだから、アランはそれなりに緊張なのか不安なのかを覚えているのだが、全く気負った様子もないところが本当に尊敬する。いくら彼が強いとはいえ、相手は剣や弓で本気で殺しにくるのだ。そして今回、ロジャーやアランはかなり前線に出る予定にしている。怪我をしたり命を落としたりすることが、あり得ないとは言えないだろう。
「心配はしてないが、せいぜい怪我をしないように頼むよ。レックスと仲良しなら特にな」
「なにそれ。妬いてるの? 僕がレックスと仲良しだからって」
「なんでだよ」
アランはため息をつく。
レックスはきっと戦いでアランが傷つけば悲しむだろうし、ロジャーや声をかけている兵士たちが傷つけば自分のことのように心を痛めるのではないか、と思っている。
彼はもう子供ではないのだし、アランが兵士として戦うと言ったときにも、全く反対はしなかった。彼は勝利のために兵士たちを積極的に戦いに巻き込もうとしているのだから、アランを特別扱いする気はないだろうし、本当に戦力が欲しいならアランも多少の役には立つはずだ。だが、それでもやはり、アランやロジャーが万が一にも命を落とすようなことになれば、レックスは自分のせいではないかと思うような気がして、それだけは避けなければと思っている。
「人の心配するなんて余裕だね。アランの方が弱いくせにたまに極端に突っ走るし、よほど心配なんだけど」
「そりゃ、ロジャーには勝てないけどな」
アランがそれだけを言うと、彼は面白そうな顔をした。
他の人間になら勝てると思ってるところが自信過剰だとでも言いたいのだろうか、と思っていたが、彼の口から出た言葉は違った。
「そもそもアランが俺に対抗してるとこからおかしいよね。どう考えたってアランは単騎で突っ込むより、部隊を率いる方が向いてるのに」
「そんなことを言われても、今の俺は一番下っぱだしな」
「上をほぼ思い通りに動かしてるくせによく言うよ。まあ、レックスも分かってそこにアランを置いてるんだろうけど」
「そう思うか?」
アランが配属されたのは自衛軍の中でもそれなりに腕利の隊員が集められている隊で、にも関わらず隊長は優しくわりと頼りない。アランが色々と口を出しても聞いてくれるし、隊員たちもアランとロジャーのことは元から知っていてそれなりに好意的なのだ。
アランやロジャーにとっては非常に動きやすい環境で、それはそれでレックスの配慮ではないかと思ってはいた。
「レックスもなかなかくせものだよね。実は良いように使われてない? まあ、俺はあの顔になら使われても良いけど」
ロジャーの言葉からすると、配置はレックスの配慮ではなく、企みということなのだろう。たしかに今回、アラン達の隊は魔術師たちと一緒に、相手を掻き回す役割をふられていた。中央でも色々と経験のあるアランとロジャーがそこに適任であることは間違いないと思うが、危険な役回りであることも間違いない。
「俺も別に利用されてもいいかな」
実をいえば、いまだにぐだぐだと悩んでいることはあるのだが、それでもレックスに利用されるのはむしろ望むところではある。




