四章 アランの居場所2
「あんな一騎打ちを見たのは初めてだよ。本当にすごく強いんだね。怪我したらどうしようってハラハラしちゃったけど、本当に格好よかったな」
そんなことを言ってきらきらとした瞳で見上げてきたレックスに、アランは思わず苦笑した。
見せ物にはなるように最初はそれなりに二人で振り回しはしたが、最終的にアランは無様に武器を落として負けただけだ。全く勝てるとは思っていなくとも、負けるのは未だに悔しくはある。
「ロジャーならそっちにいますよ」
ぼやっと空を見ていたロジャーを指差すと、レックスの顔も指につられるようにしてロジャーに向いた。
アランの声に反応したのか、ロジャーは空から視線を落としてひらひらとレックスに手を振る。先ほどのアランの真似なのかもしれないが、ほぼ初対面であるにも関わらず随分と馴れ馴れしい彼に、アランはやはり苦笑する。レックスがそれで気を悪くするとは思えないが、その背後にはウィンストンがいる。自衛軍の人間と話をしているようだが、こちらの様子は見ているはずだ。
レックスはロジャーの目の前まで行って、ぺこりと頭を下げた。
「腕に自信はあるって言ってたけど、本当に強くて格好良くてびっくりしちゃった。素晴らしい演習を拝見させていただき、ありがとうございます。今度はぜひもっと近くで見てみたいな。迫力が全然違うだろうし、近くなら表情や声も分かるしね」
少年のように目を輝かせて言ったレックスを、ロジャーはしばし珍しい生き物を見るように眺めた。ロジャーは好き嫌いがはっきりしていて顔にも露骨に出すので、どんな反応を見せるかとアランは気になっていたのだが、彼はにっこり笑った。
「あの程度であればいつでも披露しますよ。もっと強い相手を用意してもらったら、もう少し真面目にやりますし」
そんなことをアランを見ながら言われて、思わず「おい」と声が出る。だが、アランが何かを言い返す前に、レックスが驚いたような顔で聞いた。
「え、アランより強い相手なんているの?」
「探せば腐るほどいるんじゃないですか。あんまり出会ったことはないけど」
「ロジャーが出会ったことなければ、なかなか見つからないんじゃない? 北軍の三部と四部の手練れはみんなノシちゃったって聞いてるし、前にいた中央軍でもきっと同じようなことやってたんでしょう?」
そんなことを悪戯っぽく上目遣いで言われて、ロジャーは笑う。
「そうだったかもしれないですね」
「すごいな。負けたことないの?」
「記憶にはないですね。子供の頃もベインズ伯爵のとこってことで、勝手に相手が負けてくれてたしね」
そんなことを聞いたのはアランも初めてだった。アランが初めて会った時にはすでに強くて敵もいない状態だったのだが、たしかにロジャーにも子供の頃はあったに違いない。
「それはすごいね。普通だったらそれで調子に乗っちゃいそうだけど」
「適当にのせられてるのが分かるのも萎えますよ。それなら思いっきり叩きつぶして、本気で悔しそうな顔をさせてやりたい」
不敵に言ったロジャーに、レックスは声を出して笑った。
「格好いいね。北軍の三部隊や四部隊の中にロジャーを崇拝してる兵士がたくさんいるって聞いたけど、すごく気持ちが分かるな。これで偉そうな上官に勝ってくれたら、スッキリするもの」
「レックスにも偉そうな上官がいれば是非。ご用命いただければうかがいますよ」
そう言って優雅に礼をしたロジャーの視線の先にいたのがウィンストンだったので、アランは思わず口を開く。
「……不敬罪で吊るされるぞ」
こんな身近に突っ立っていても、相手は仮にも王太子になろうという人物だ。だが、そんなアランとロジャーを見て、レックスは楽しそうに笑った。
「ウィンストンさまは、全然偉そうじゃないから大丈夫だよ。僕は大好きだから。ロジャーと気が合うかどうかは分からないけどね」
たしかにウィンストンはレックスに対して敬語を使っていたくらいで、レックスに対しては全く偉そうには見えない。レックスも今は人目がありウィンストンさまと言っているのだろうが、普段はウィンストンと親しげに名前を呼んでいるのだ。
とはいえ、ウィンストンは基本的に気難しそうな顔を崩さないのだし、兵士たちに対しては雰囲気も言動も威圧的で偉そうでしかない。レックスやクリスと一緒にいる時にはよく笑っているとも聞いたが、彼が笑うところなど全く想像もできないのだ。今も冷ややかな視線でロジャー達のやり取りを見ている気がして、なるべくそちらを見ないようにはしていた。
ロジャーと軽く肩をすくめる。
「気は合わないでしょうね」
「そうかもね。僕とも合わないでしょう?」
「合わないと思いますよ。でもレックスのことは好きです。男性にしておくのがもったいないくらい綺麗だし」
真顔で言ったロジャーに、レックスは大きな目を瞬かせる。
たしかに整った顔立ちも大きな瞳や長いまつ毛も、とても綺麗で目を惹く。男性的な凛々しさもあり、女性に見間違えると言うことはないが、中性的な雰囲気や少年のような無邪気な表情も持ち合わせていて、とにかく存在感はあるのだ。ロジャーも容姿には気を遣っているし、一応は女性が放っておかない魅力的な男性なのだろうが、それでもレックスと並べばどうしても視線がそちらに向いてしまう。
だが、レックス本人はさほどの自覚もないのか、不思議そうに首を傾げる。
「そんなこと初めて言われたな」
「その顔で生きてきて、そんなことあります?」
ロジャーの全く遠慮のない言葉に、レックスは楽しそうに笑った。
レジナルド王太子に似ているのだとして、ずっと身代わりをさせられていた彼が、自分の容姿をどう思っているのかはわからない。何にせよ王子を目の前にして「綺麗だ」などと言い放つ人間はいないだろうし、本物の殿下と似ているのだとすれば、容姿について迂闊なことは言えなかっただろうから、初めて言われたというのは本当かもしれない。
「そんなことあるみたい。でも、この顔でロジャーに好きになってもらえるなら良かったな」
「それだけじゃないですけどね。ちゃんとアランも返してもらったし」
「アランは自分で戻ったから、僕はなにも出来てないよ。本当はロジャーの上官として返してあげたかったけど」
レックスはそんなことを言って首を振ったが、隊長の地位でなければ隊に戻っても良い、なんて通達を出させたのはレックスのはずだ。
アランは一兵士としてこの国のために戦いたい、とレックスに申し入れていたから、それを叶えてもらった格好になる。アランだけ特別扱いは出来ないが、どうせアラン以外で軍に戻る隊長たちなどいないだろう、ということで隔離している隊長達全員に声をかけたのだろう。明らかにアランを警戒していたウィンストンがそれに納得したのかは分からないが、なんにせよ自衛軍の中に一兵士として組み込まれてしまえば、何が出来るわけもないと踏んだのかもしれない。
「いいですよ、別に。上官だろうと何だろうと。アランはアランだ」
そんなことを軽く言って肩をすくめたロジャーに、レックスは首を傾げたし、アランも密かに首を捻る。
そもそもロジャーがなぜアランに追従するのか、未だに自分でもよく分からない。わざわざ中央を離れた北軍までついてきたし、アランがレックスに協力したいのだと話すとそれなら彼も協力すると言った。決して他人の言葉にそのまま従うような人間でもないし、自分の考えもなく人についていくタイプでもないと思うのだが、アランが国軍と戦うなら戦って、反対にアランが北軍を取り返すと言えば本気でそれに協力してくれそうな気がするロジャーが、アランには本当に分からないのだ。
本人に聞くと「アランの近くにいると面白そうだから」などと言うだけなので、本当に暇つぶしや面白がっているだけなのかもしれないが。
「アランとは気が合うんだね」
「アランと俺は全く合わないですよ。性格も合わないし、なに考えてるか全く理解ができない」
「……それはお互い様だよ」
アランが呟くと、ロジャーはふっと口元を緩めた。
「だね」
「でも、アランが協力するならロジャーも協力してくれるつもりなのでしょう?」
「ですね。別に国に対して、何の思い入れも何の義理もありませんし」
「思い入れはなくとも、普通は義理はあるけどな」
一応は二人とも士官候補の学校を出て、軍に雇われている立場なのだ。そうでなくとも彼は有名な伯爵家の子弟で、普通であれば王宮に対する義理があるはずなのだが、アランの言葉にロジャーは首を傾げる。
「アランって難しいことばっかり考えるよね。たまにはその場のノリとか好き嫌いとかで決めてもいいんじゃない」
「……その場のノリで、部下に鞍替えされたら上官はたまらんぞ」
「毎日、適度な緊張感があっていいと思うけど」
そう言ってロジャーは笑ったが、そんな調子でロジャーに敵対されるのでは、緊張感どころか毎日寝首をかかれやしないかと怯えて暮らすしかない。
「——レックス。先方が着いたようだ」
冷たすぎる声が割り込んで、アランは思わず姿勢を正す。こちらに近づきはせず、ただ声だけをかけたウィンストンは、やはり冷ややかな視線をこちらに向けていた。距離的には会話の内容まで聞かれていた可能性はあるが、ひとまず視線以外に口を出す気はないらしい。
レックスはにっこり笑う。
「はい。すぐに向かいます」
そう言ってから、レックスはアランを見上げる。
「アラン達も来る?」
「どちらにです?」
「これからサスの魔術師たちと会うことになってるの。できれば心細いから、僕の護衛としてついてきてくれると嬉しいのだけど」
そんなことを言われてアランは驚いたが、すぐに「はい」と頷いた。
心細いからというのは嘘だろうから、なにかしらレックスなりの狙いか配慮があるのだろう。ウィンストンなどからすると、魔術師も信用できないだろうが、アランやロジャーも信用できないはずで、わざわざアランを一緒に連れて行けなどと言うはずがない。




