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四章 クリスの居場所11


 レックスの部屋のソファに座って固まっていると、レックスは「はい」と部屋に準備されていたグラスを渡してくれた。そのまま受け取ってレックスを見上げると、彼は首を傾げた。


「お水だけど飲む? それともお酒にする?」

「……寝たら困るのでお水でいいです」


 クリスの言葉にレックスは楽しそうに笑った。


 もともと食事の時もほとんど飲まなかったし、こんな状況で眠気など全く襲ってきそうな気はしないが、そもそも部屋にお酒が準備されているようには見えない。クリスに渡すものがあるから少しだけ部屋に、とレックスは言ったから、二人で飲み直すつもりというわけでもないのだろう。


 渡すものとはなんだろうと気になるし、二人きりでレックスの部屋にいることにも緊張して胃が痛くなる。別に先ほどまでも二人きりで食事をとっていたのだが、それが大きな食堂か彼の部屋かでは全く心持ちが違う。


 水に少しだけ口をつけてから、それをテーブルに置くと、レックスは今度は机の上から小さな何かを持ってきて、「はい」とクリスに渡してくれた。


「クリスにプレゼント」


 そんな言葉にどきりとした。それは手のひらに乗るような小さな箱で、可愛らしい赤いリボンがかけられている。両手の手のひらの上でそれを受け取ったクリスが、思わずまじまじと箱を見つめてしまっていると、レックスが笑った。


「開けてみてくれるかな。それとも僕が開けてもいい?」


 ぶんぶんと首を横に振ってから、クリスは恐る恐るリボンに指をかける。


 リボンをほどいて箱を開けると、中から出てきたのはきらきらと光る石がついた二つのイヤリングだった。繊細な金色の鎖に、わずかに青か紫のような色のついた透明な石がそれぞれ二つずつ繋がっている。指先で触れると、蝋燭の灯りの加減か少し色を変えた。耳につけると長い鎖と石が揺れて綺麗なのだろう。


 息を飲んでそれを見下ろしているクリスに、レックスから気遣わしげな声がかけられる。


「気に入らなかったらごめんね」

「気に入らないなんてとんでもない……すごく綺麗です」

「本当? 良かった。高価なものではなくて申し訳ないけど、自分で買いたかったから」


 レックスはそういうと、手のひらを出してきた。意味が分からずにそれを見つめてしまうと、彼はクリスが持っている箱を示す。


「僕がつけてあげてもいい?」


 はい、と咄嗟にそれを彼に渡したが、彼がクリスの側に膝をついて手を伸ばしてきたのでどきりとする。


 耳に彼の指が触れて、体が震えそうになる。緊張して全身が強張るのに、それでも指先が小さく震えた。彼に気づかれないようにとなんとかそれを抑えようとするが、耳元に触れる彼の手と、近くにあるレックスの顔にさらに震えてくる。


「あの」


 なんとか声は震えずに出た。


「プレゼントって……どうして急に」


 クリスの言葉に、レックスが笑うのが分かった。耳に彼の吐息が当たって、どきりと顔が熱くなる。


「ウィンストンにね、仕事の報酬をもらったの。もらったというか、くださいってお願いしたんだけど、そうしたら笑われちゃった」

「え?」

「働けば給金は当然支払われるものだし、なんなら領地でも屋敷や物資でもなんでも支払うって言われたけど、普通にお金が欲しいって言ったの。ずっと自分のお金でクリスに何かをプレゼントしたいと思ってたから。商いの人にはウィンストンに頼んで来てもらったけどね」


 レックスの言葉を、クリスは思わず息を止めて聞いた。


 彼はこれまで無償無休で働いていた、とウィンストンは言っていたが、これまで彼には自由になるお金もなかったのだろう。必要な物は与えられていただろうから、困ることはないかもしれないが、それを自分では選べないのだし、そもそもあの屋敷では、レックスが自ら何かが欲しいと言い出すことなんて想像もできなかった。


「レックスが選んでくれたんですか?」

「うん。クリスがどんなものが好きかは分からなかったけど、クリスに似合いそうだと思ったから。気に入ってくれた?」


 はい、とクリスが何度も頷くと、レックスはにっこりと笑う。


「良かった。でも次は一緒に選びたいな。何か欲しいものはある?」


 そんなことを言いながら、レックスはもう片方の耳にもイヤリングを留めてくれた。そして彼に正面から顔を覗き込まれて、クリスは表情に困った。本当に嬉しくて胸がいっぱいなのだが、それよりも近くで見上げられていることにドキドキして、どんな顔をすれば良いのか分からない。


 レックスは手を伸ばしてきて、クリスの髪に触れる。耳元から髪の中に手を入れられるようにして、頭や耳に彼の指を感じる。彼の指先はしばらく短い髪を指で絡めるようにしていて、緊張から思考が働かない。だが、レックスの大きな黒の瞳はじっとクリスに向けられたままで、どうやらクリスの返答を待っているらしい。クリスはなんとか口を動かした。


「私は……本当に嬉しいし、十分すぎるくらいです。レックスが欲しいものはないのですか?」

「僕は欲しいものもたくさんあるよ」

「たくさん?」

「うん。服も自分で選んでみたいし、あとはクリスと一緒に並んで座れる椅子かな」


 悪戯っぽくそんなことを言ったレックスは、両膝をついたままソファに座ったクリスと向き合っている体勢だ。クリスは慌ててソファの端による。


「……一緒に座ります?」

「座れるかな?」


 彼はそう言って笑った。一人がけとはいえ、立派なソファだ。大きくはないクリスとレックスなら座れるのではないか、と。そう思ったが、かなり密着するような気がして、今さらながらにクリスは焦った。すごく恥ずかしいことを言って、呆れられてしまったのではないだろうか。


 おそるおそるレックスの顔を見ると、彼はソファの空いた方に片手をついて、何故か顔を寄せてきた。飾りのついた耳に唇の感触がして、クリスはびくりと体を震わせる。


「でも、あんまり近くにいると、クリスを部屋に返せなくなっちゃいそうだから止めとこうかな」


 そんな言葉に心臓が止まりそうになった。固まっていると、耳元で彼が笑うのが分かる。冗談なのか本気なのか全く分からずに混乱するが、彼は気にした様子もなく続けた。


「鏡を見る? とっても似合ってると思うけど」


 彼は立ち上がってから、手を出してくれた。なんとかその手を取ると、椅子から立ち上がらせてくれる。そのまま手を引いて壁についた鏡まで連れて行ってもらって、クリスは自分の顔をそこに映した。


 イヤリングよりも先に、自分の顔を思わず見てしまったのだが、さほどひどい顔をしていなかったので安堵した。というよりも、部屋の灯りだけでは自分の顔が赤いかどうかは判別しづらい。


 両耳につけられた飾りは、とても綺麗だった。高価なものではないと言ったが、繊細な金とそこにつけられた透明な水晶のような石はとても安物には見えない。ゆらゆらと揺れるそれは、クリスの印象をぱっと華やかにしてくれているし、短い髪に余計に映える。


 ——クリスが髪が短いことを気にしていると、彼は分かっているのだろうか。


 もともと軍服を着て髪をまとめて、女性らしい格好などほとんどしていなかったのだが、それでも長かった髪が少年のように短くなると、自分の一部を失ってしまったような気持ちになった。結うにも長さが足りないし、髪飾りをつけても似合わない。なんならドレスを着ても似合わないから、ならばいっそと余計に女性らしい格好を避けていたのだ。ここでも装飾具などは断っていたし、準備してもらっている服も飾り気のないものばかりだった。


 鏡の中のクリスが耳元に手をやる。そのすぐ後ろにレックスの顔が見えてどきりとした。何かを言わなければと思うのだが、咄嗟に言葉が出てこない。さんざん悩んでから、なんとか口を開く。


「素敵ですね」

「うん。綺麗だよ」


 背後から抱きしめられるようにして、クリスは息を止めた。


 そっと両腕が回されて、思わず鏡越しに彼を見てしまうと、そこに映ったレックスと目があった。クリスは一気に顔が熱くなったが、彼も気恥ずかしかったのだろうか。一瞬だけ照れるように笑ってからクリスの頭に顔を伏せる。


 先ほどは「あまり近くにいると」なんて言っていたのに、あまりに近すぎる距離にクリスは固まった。嬉しいのか恥ずかしいのかは分からないが、緊張する全身が痛いほどで、どうすれば良いのかも分からない。


 やがて、回される腕の温度や、背中に感じる彼の体温が、自分の体温と同じように感じられるようになった頃、後ろから声がかけられた。


「クリスがね、他に欲しいものがないのなら、次に買いたいものはもう決まってるのだけど」


 レックスの言葉に、少し後ろを振り返ろうとすると、彼はクリスから手を離した。ぎゅっと抱きしめられていた体が離れて、安堵なのか後悔なのかを感じながらもクリスは背後にいたレックスに向き直る。いつもの調子で話してくる彼に、クリスもできるだけ平然を装って聞いた。


「何ですか?」

「家」


 そんな言葉にクリスは思わず目を瞬かせる。


 普通に言ったらぽんと買えるものではないような気はするが、そもそもウィンストンは屋敷でも土地でも何でも準備すると言ってくれていた。レックスが彼に欲しいと言えばすぐにくれると思うのだが、そういう問題ではないのだろう。


「別にここを出たいというわけじゃないし、そこまでお金を貯めるのは時間がかかるかもしれないけど。でも、できれば自分で働いて買いたいんだ。クリスと一緒に色々と選んで決めたいしね」


 にっこりと笑いながら言われて、クリスはぽかんとレックスを見る。


「……もしかして、レックスと私の家ですか?」

「誰の家だと思ったの?」


 不思議そうに首を傾げたレックスに、クリスは慌てて首を振った。


「少し時間がかかっても、待っててくれる? クリスにはいつも僕に合わせてもらって、申し訳ないのだけど」

「はい」


 即答してから、何度も頷く。


 二人で暮らす家が欲しいなんてことを言ってくれるだけで、胸がいっぱいになるほど嬉しいのだ。立派な家など望んではいないし、二人でここにいることが許されるのなら、永遠に今のままでも構わない。


「……私は、レックスと一緒にいられるなら、それだけでいいです」

 

 クリスの言葉にレックスは嬉しそうに笑ってから、今度は正面からクリスを抱きしめてくれた。


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