序章 にせもの王子たち1
「——以上。六名をオリファント陛下の名のもとに処刑する」
淡々と述べられた最後の言葉を契機に、恐ろしいほどに鎮まりかえっていた場が一気に騒然とした。処刑される人々の悲鳴とともに、非難なのか野次なのか歓声なのかが場を揺るがすほどに響く。
頭を地面に押さえつけられていた罪人の一人が最後の力を振り絞り、顔をあげて叫ぶ。その両目は開かれておらず、血に塗れていた。彼らはすでに目を潰されている状態で、衆目のある白日のもとに引き摺り出され、首を落とされるのだ。
それを取り巻く民衆たちは何を思ってこの処刑の場に集まっているのだろう。そして処刑の執行を行う衛兵たち、そして民衆を近づけさせないようにと配置された兵士たちは何を思ってそれらを見つめているのか。
クリスは全身の震えを抑えきれずに、罪人とされる人々から視線を剥がした。そして処刑の宣告を行なった、クリスの主であるレックスを見る。
高い城壁の上にある通路から罪人や衛兵たちのいる広場を見下ろしているその瞳には、恐れも揺らぎもない。今まさに首を落とされようとしている罪人たちが、罪に値するほどの悪人でないと分かっているにも関わらず、静かに彼らの死を見おろすのだ。
彼こそ、何を思っているのだろう。
すでにいくつもの断末魔の悲鳴が響いており、クリスはもう広場に視線を戻すことはできなかった。耳を塞ぎたいような気持ちだったが、クリスはここにレックスの護衛としてきており、そんなことが許されるはずもない。
「土の民」
はるか遠くから聞こえた声、だが奇跡的に耳がその単語をひろった。反射的に顔が声の方角に向くが、そこには多くの民衆がおり、声の主は分からない。
「殿下!」
叫んだ瞬間、城壁の一部が粉砕した。
ちょうど彼の目の前の部分、腰あたりまであったはずの壁は礫となって弾け、足元も崩れ落ちていく。
遅れるようにして、耳にすさまじいほどの轟音が響いた。粉砕された小さな石礫がいくつも飛んできて、咄嗟に顔を庇う。目を開けていられないような濃い砂煙の中、クリスがなんとか駆け寄ろうとしていると、さらに声が響く。
「火の民、やつらを喰らえ」
ぞくりとするような男性の低い叫びと共に、痛みと涙ににじむクリスの視界を赤色が染めた。
次いで、顔や手を熱波を伴う砂塵が襲う。
クリスは腕で顔を庇ったまま、ぎゅっと目を閉じた。近くから誰かの叫びなのか大声なのかが聞こえるが、それがレックスのものかどうかも判断できなかった。レックスの無事が確認できないことに激しい焦りを感じるとともに、続くかもしれない攻撃に本能が怯える。
「——王太子殿下!」
だが聞き慣れた声がして、クリスはなんとか痛む目を開ける。気づけば刺さるようだった熱さはないし、視界も炎に染まってなどいない。穴が開くように一部分の片面が崩れた城壁と、そこにうずくまるようにした人々が見え、クリスもなんとかそちらへと向かった。
「殿下」
通路の幅を半分ほどに減らされた城壁の上で、レックスが横たわっていた。落ちるのは免れたらしいが、額や頬には小さな裂傷が走り、剥き出しになった顔や腕は真っ赤になっている。顔や髪が濡れているのは熱波にさらされた肌を冷やすためか。先ほどの声の主である側近のウィンストンが、水筒の中身を顔にぶちまけているのを見て、クリスは慌てて駆け寄った。
「殿下はご無事ですか」
「ああ」
ウィンストンはそう言ったが、レックスは目も口も開けてはいない。目に見える怪我は顔の小さな裂傷だけだが、身につけている軍服は城壁の大量の礫がぶつかったせいか、火の民の炎に晒されたせいか、ぼろぼろになってしまっている。これで本人が無事だとなぜ言えるのだろう。
クリスは思わず周囲を見回した。そして宙に目的のものを見つけてしまうと、自ら探したにも関わらずどきりと心臓が跳ねた。痛いほどになる鼓動が周りに聞こえてしまうのではないかと思うほどで、そんなはずはないと思いながらもさらに焦りが増した。
「クリス」
ひとりでうろたえていると名前が呼ばれ、今度は飛び上がりそうになった。
声の主は横たわるレックスだった。いつの間に目を開けていたのか、黒い瞳がまっすぐにクリスを映している。それは一度まばたきをしてから、睨むように細められた。
「僕は大丈夫だ」
その声と強い視線に、クリスは色々な意味でほっと安堵する。
持っていた布を水で濡らすと、血が流れている頬にそっと当てた。粉砕した石を浴びた時にできたのだろう裂傷は、血は止まっていないが深いものには見えない。また、熱波を一番近くで浴びたはずのその顔や体も、熱で赤くはなっているが、深刻な火傷には見えなかった。丁寧に冷やせば痕も残さず赤みが取れるだろうか。
「王太子殿下をお運びしろ。その他の怪我人達の確認は城内の衛兵に任せる」
頭上でてきぱきと指示を出すウィンストンを見上げてから、クリスはぽっかりと穴が空いたままの壁から広場を見下ろす。
そこは逃げ惑う人々で大混乱となっていた。散り散りに逃げ出す人々と、それを追いかけているように馬に乗って走り去っていく衛兵たち。広場からこちらに近づいてくるものはいない。魔術を放った人物は確実に広場よりも離れた場所にいたから、とりあえずの脅威は去ったということか。
人の少なくなった広場には、多くの血溜まりと打ち捨てられたような罪人の首があり、クリスは慌ててそこから視線を剥がした。
城壁の上にいる人々の数は少ない、気がする。レックス以外にも倒れている護衛がいたし、レックスが最初にいたあたりは崩れるようになっているから、何人か足場を失って広場に落ちたのかもしれない。そこにいたレックスが落ちなかったのは単に運が良かったからか、咄嗟に側にいた護衛が助けたのか。
ウィンストンの指示のもと、うやうやしく運ばれていくレックスについていきながら、クリスはまた体の震えを思い出す。処刑される人々を目の当たりにする恐怖とはまた違う、自身たちに刃が向けられる恐怖だ。そしてレックスに魔術が向けられても、全く動くことすらできなかった自分に対する不甲斐なさ。
震えを隠すためにも、クリスは努めて何も考えないようにする。今はとにかくレックスが無事でよかった——と、クリスは静かに空を見つめる彼を見下ろした。
***
夜分に来客の名を告げられて、クリスは思わずウィンストンと視線を交わした。
クリスとしては言いたいことは山ほどあったのだが、言葉には出さずに飲み込んだ。代わりにウィンストンが何かを言ってくれるかとも思ったのだが、彼は表情も変えずに立ち上がる。
柔和な面立ちをしており、黙っていれば優しげな雰囲気にも見えるウィンストンだが、実際は怒っていたり苛立っていたりすることも多い。いまも十分に不機嫌さは伝わってきたのだが、それが分かるのは付き合いの長いクリス達だけだろう。表向きは平然とした顔をして部屋を出ていくウィンストンを見てから、仕方なくクリスも立ち上がる。
レックスが魔術師に襲撃され、屋敷に戻ったのは今日の夕方のことだ。道中で医師たちの治療を受け、怪我の程度は重くはないということだったが、命を狙われたという事実はそれだけで精神的に消耗する。ぐったりと疲れた様子の彼は、部屋につくなり着替えもそこそこに寝台に入ってしまった。
そこからまだ何時間も経っていない。当然、レックスは眠っているだろうし、そもそも日はとうに落ちており、来客に相応しいような時間帯でもないのだ。普通であれば出直してもらうところだが、そういうわけにもいかないのが辛い。
仮にもこの国の王太子殿下とされているレックスだが、それでも彼を叩き起こせる人間は何人もいる。今、連絡もなしに屋敷を訪ねてきた相手——レジナルドはその筆頭だ。
実をいえばクリスがもっとも会いたくない相手であり、本来なら身分からしてもウィンストンが出迎えるべき賓客なのだが、彼はレジナルドから明確に嫌われている。そのため彼は、来客の対応に向かったのではなく、レックスを起こしにいったはずだ。無言で出ていったのは、クリスが出迎えて当然とでも考えているのか。
重い足を引きずりながら待合室に向かうと、フード付きの外套を着た男性が長身の供とともに立っていた。
黒髪黒目で十代後半の男性。整った顔立ちは中性的でとても綺麗なのだが、惹かれるというよりどこか恐ろしさを感じてしまう。もちろんそれは、レジナルドの内面を知ったうえでの印象かもしれないが、彼の漆黒の瞳はあまりに強さを主張していて怖い。
長めの前髪に半ば隠されているにも関わらず、それでもその奥から覗く瞳の黒は深く強い。黒くて眩い光というものが存在するのなら、まさにこの瞳のことだろう。ぞくりと背筋の凍るような気分を覚えながら、クリスはその場で跪き、頭を伏せて最敬礼をとる。
「お待たせして大変申し訳ありません。すぐにレックス様を連れて参りますので、しばらくお待ちいただけますでしょうか」
「もうとっくに待ちくたびれちゃったな」
男性はそういうと、跪くクリスの横を通るようにしてすたすたと部屋を出て行ってしまった。クリスは慌てて立ち上がり、近すぎない程度に距離をとって付いていく。
「ですがまだ支度が」
「いいよ別に、寝着だろうがボロを着てようが。どうせどんなに着飾ったって中身は偽物なんだから」
廊下を進みながらそんなことを言い放った男性に、クリスは絶句する。
せめて周囲の部屋に使用人を含め誰もいないことを祈った。レックスが偽の王子だということは、この屋敷の中では知らない人間の方が多い。そもそもここは密かに王子が隠れ住む邸宅とされており、周囲からも、そしてここで働く人間たちからも、レックスは本物の王子だと思われ大切に育てられているのだ。
「あれはどこにいる? まだ寝室かな。部屋の場所なんか分からないから案内してよ、クリスティアナ」
くるりと振り返った瞳に見つめられ、クリスはせめて視線を合わせないように目を伏せた。本来なら常に跪いて対応すべき相手で、視線を逸らすことは非礼ではない。逆にそれに感謝しながら、クリスは頭を下げる。
「……かしこまりました」
先導するように進み、レックスの寝室の前で立ち止まる。クリスは控えめにノックをしてから、中にいるレックスに声をかけようとした。が、その前にレジナルドが勝手にドアを開ける。
「やあ」
急な寝室への来訪に驚いたのだろう。中にいたレックスとウィンストンは揃ったように目を丸くした。来客が応接室でなく寝室を訪ねることも異例であれば、声もかけずに部屋の扉を開けることは無礼というより非礼だ。
だが、こうしたレジナルドの言動にも慣れてしまっているのだろう。彼らはさすがの切り替えの速さで、その場で最敬礼の姿勢を取る。
「殿下にこんな場所にまで足をお運びさせてしまい、申し訳ありません」
寝起きというわけでもなかったのか、ほとんど時間はなかったはずだが、一応はレックスも要人に会ってもおかしくはない格好になっているように見える。
「起き上がれないのかもしれないと思って気を利かせたんだけど、意外と元気そうだね」
「ご配慮いただき痛み入ります。お陰様で怪我は大したことはありません」
先ほどまではその格好で王太子として人々を見下ろしていたレックスが、本物の王太子殿下であるレジナルドを前に跪くのを見て、クリスはいつものように苦い気分になった。
せめて余人に見られぬように——と。クリスはそっと寝室のドアを閉めてから、頭を床に伏せる二人に倣ってその場に跪いた。