第二話 娘の行先
静の薬の処方が済んで家に戻った栄治は、一連の出来事を思い出していた。
「朝早く聞こえるの…鈴の音が」
静は儚しげに話し出した。
必ず朝方に聞こえる鈴の音で目を覚まし、段々と遠ざかっていく音をたゞ聞いているという。
静も気にはなっているが、体が弱いので外に出て様子を見に行くことが出来ない。
「…多分物売りの鈴じゃないかな? たまにこの辺りを通るし、もうじき穫納際の時期だから。屋台の仕入れで来てるのかもしれないな。」
「そうかな…」
栄治はそれから静に薬を渡すとすぐに それじゃ、と部屋を出ていった。
今朝方、自分もその鈴の音を聞いたことは静には話さなかった。
その鈴の正体である娘のことや、あの社のことも。あの樹のことも・・・
これ以上余計な心配をかけさせたくないという思いがあったし、
なにか嫌に不穏な気がしていたからだ。
特にあの娘は不思議だった。
この辺でも見たことがなかったし、随分と古い着物を拵えていた。
考えてみたら、そもそも早朝に子供一人で出掛けることがあるだろうか。
はじめは狐にでも化かされたのかと思う程だったので、馬鹿馬鹿しいとすぐには納得しなかった。
だが姿は見ていないとはいえ、静も同様に朝方にあの鈴の音を聞いていたという事実が、益々栄治の脳裏にあの娘ことを彷彿させていた。
いくら考えていても答えなどではしなかったので、仕方無しに仕事に移る。
薬の在庫を確認して少なければ調合し、袋に詰め薬箪笥へ収める。
このあたりも年寄りが多くなったのもあって、医者と同じくらいに薬を求める人が多い。
やれ手足が荒れてたまらんといったことから、咳が止まらんとか熱が下がらんといったことまで栄治のやることは幅広かった。
そこへしばらくすると
「おい、ひで!」
玄関先から声がした。
「はーい」
返事をしながら玄関へかけて行くと、道向かいに住む杵次こと杵爺が米袋いっぱいの柿を持って地面によいこらせと下ろすところだった。
「すごいなこりゃ。杵さん、どうしたんだいこれ。」
「今裏山から柿とってきたんだ。家ではこんなに食いきれねぇから持ってきた。」
「こんなにいいのかい?」
「いいのいいの。こんでもさっき里見さんとこへおいてきたんだぁ。これの半分くらいだけど、確かあそこの嬢ちゃん柿好きなんだろ?」
確かに柿は栄養価が高いので、静のように体の弱い子にはうってつけだ。
杵爺はこの村に居て長い。普段は作物を作っては街へ卸に行って収入を得ている。何でも時給自足で生活できるし、その節になれば松茸や栗、柿といった自然物を取りに外へよく出かけているので、どこの誰がどこに住んでる誰それでといった具合に、村の人のことは大体わかっていた。
静の容態が最近良くないことを早いうちから気づいており、柿は杵爺なりの気遣いだと栄治にはすぐに分かった。
「んじゃ、ありがたく貰うよ」
軽く会釈したら、ごつごつとしたその米袋を両手で抱え持ち、玄関脇の納屋に運ぶ。
ひと仕事終えた杵爺はとりあえず、息を吐きながら玄関に腰掛けた。
栄治はふと、近頃の疑問を杵爺に聞いてみることにした。
「そういや杵爺、このあたりに神社なんかあったけかな?御神木祀ったような」
「神社?荒沢神社か?」
確かにその村に神社はあった。それこそ昔からこの村にある荒沢神社がそれだった。
「いや、荒沢神社の他にこの辺で、神社って聞いたこと無いかい?」
「…聞いたことないな。荒沢神社以外なんてないだろ?」
「…そうか」
側から聞いたら信じ難いことだろう。あの杵爺ですらその惣社のことを知らない。
いよいよといった具合だ。
「それより、またいつものやつ頼むよ」
「あぁ、飲み薬と湿布ね、ちょっと待ってて」
杵次はこのところ歳のせいか腰に痛みが走るようになり、ことあるごとに栄治の薬を頼りにやって来ては、代金の代わり旬の作物を置いていく。
これが二人の間の約束事だ。
いつものように三週間分の痛み止めと湿布をナイロン袋に詰めて杵次に渡した。
「近頃どうも腰が硬くなってわかんねぇな。もう歳だから、山には入るなってことかもな」
「かもね。あまり無理はしない方がいいよ。畑だってやってるんだから」
「…そうかもな。爺ぃは大人しく家でのんびりするよ」
杵次は少しだけ笑って見せたが、哀しげに膝に手をつきながら立ち上がり、それじゃあなと去っていった。
晩になってからも栄治は内心穏やかではなかった。
その日の出来事を思い返しては悩みを繰り返す。
果ては今からもう一度あの場所へ、あの惣社まで行ってみようかとも思ったが日が暮れてしばらく経っていたので、暗がりを探して回るほど愚かではなかった。
明日、仕事の合間に探してみようという思いに至りその日はすぐに休んだ。
その晩、栄治は夢を見た。
鈴の音が聞こえ
音のする方へ顔を向けると、あの娘が立っていた。
凛とした眼差しでこちらを見つめながら、すっと手を差し出して来た。
その手をとると、娘は力強く栄治の手を引っ張りどこかへ連れて行こうとするのだ。
草木をかき分けて雑木林をひたすらに歩いていくと、あの大木と社の前に着いていた。
そして気がついたらさっきまで繋いでいたはずの手はなく、娘は居なくなっていた。
少しだけ手に残った温もりを目の前に持って手を開くと
栄治の手のひらは薄黒い血で染まっていた。
荒い呼吸で目を覚ました時にはすでに日が登っており、信じられないほどの寝汗をかいていた。
「はぁ…はぁ…」
「っ…」
未だかつてないほど気味の悪い夢だった。
しばらく放心としているところへいきなり
ドンドンドン!
玄関の扉をけたたましく叩く音が聞こえた。
あまりの音に栄治の心臓を萎縮させたが、何度か叩いた後に声が聞こえてきた。
「栄さん!すみません隣の里見です!」
声の主は隣の里見の母、よう子のものだった。
ほっとした反面、瞬時に静に何かあったのかと考えをめぐらせてすぐに玄関の施錠を開けてよう子を出迎えた。
「どうなさったんですか?」
「静が…静が居ないんです…!」
よう子は息を荒げながら言葉を絞り出す。
「…え⁉︎」
いつもなら、とうに朝食を済ませる時間だった。