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恐ろし屋  作者: 九重 まぶた
3/19

お化けと遭遇

 夕闇が窓の外を染めあげていく。いつのまにか時間というものは経っている。

 すぐにも、暗幕が下りるように暗闇が街を染めるのだろう。それは《逢魔が刻》それは『妖』と『怪』が、蔓延るための扉が開かれる時間。空間の裂目。裂目はそのまま、夢と現、現世とあの世、この世と『異怪』を混じらせ、世界を静かに侵食する。


 なるべく早く仕事を見つけなきゃいけない。しばらくは家の掃除で手がいっぱいになりそうだけど、そんなことも言っていられない。早くお金を稼がないと。

 ただ、その前に――、


「う、うーん。いい気持ち~」


 広海は大きく伸びをした。ほどよく温かい湯がやさしく肌を包み込んでくれる。

 少しだけ、休息をしよう。

 家が古いのでお風呂や水周りは覚悟していたが、そんな心配はなかった。


 確かにまあ……。

 広海は足を曲げている。正四角形の湯船。隣にでんっといわゆる湯沸かし器が取り付けられている。バランス釜というやつである。今でも築年数が経っている物件では見かけるお風呂で、言ってしまえばひと昔前のお風呂である。


 それでも広海にはありがたい。屋敷の雰囲気はまるで江戸時代からそのままなのだ。風呂釜がついているだけでも信じられないほどだ。

 つい一日前にはそれこそ人生のどん底を這い回っていた。

 今でも状況は、あまり変わりはしないけど、芯まで温まってくる身体と一緒に、心も解きほぐれていくような気がした。


「はあ~」


 実は私は割と楽天家なのかもしれない。広海は改めて自分を知った気がした。

 ぼんやりと天井を眺め、ふと自分のことをそんなふうに思った。


 ――ガタリ


 物音に広海は湯船のなかで身を縮めた。


(どこかで何かが動いた?)


 じっと耳を澄ました。

 春の風が庭木や窓を叩く音がする。


「……風で何かが倒れたのかしら?」


 古い屋敷だから、軒先や庭の裏に、外壁の隙間などに木材やベニヤ板が転がっていた気がする。それが風か何かで倒れた、もしくは猫か何かが崩していったのかもしれない。


 ――ポチャと水滴が湯面を叩く。


 ただ、物音は屋敷の中から聞こえたように思えた。


 広海はじっと浴室の扉、その先にある茶の間や、廊下、座敷を想像した。そして、物音をだした何かを想像しようとして、止めた。


「……猫か何かが入り込んだのよ……きっとそうよ」


 そうっと、脱衣所の扉から顔をだした。

 

 年季の入った黒く変色した床板が明かりの届かぬ土壁に隔てられた暗闇までまっすぐに伸びている。まるで、どこか別の世界、黄泉の国にでも繋がっているように錯覚する。

 その手前、茶の間から漏れ出る明かりが明暗をくっきりと分け、その先の廊下をより一艘に黒く塗りつぶしているのだ。


「……誰か……いるの?」


 自分でも『何に』に問いかけているのか分からないが呼びかけた。

 その声はか細く頼りなく、風に吹かれれば一瞬で吹き飛びそうなほどに、弱々しいものだった。

 喉をごくりと鳴らす。意を決し足を踏みだす。

 

 歩くたびに、ギイ、ギイと床板が軋んだ。その音が妙に耳に纏わりつき、不安を募らせた。

 胸に手をあて、土壁の確かな感触を手に感じ、また一歩足を進めていく。

 すぐに茶の間についた。茶の間の中心の電灯がジジっと微かに振れた。普段は気にも止めないその音が妙に不安を煽る。


 茶の間には座卓があるだけで、他にはなにもない。

 もちろん何もいない。


「…………」


 茶の間に足を踏み入れ、その奥の台所に向かった。

 テーブルの上の電灯の紐に手を伸ばし、引っ張る。

 カチっと感触がその手に伝わると台所に蟠っていた暗がりが周囲の隅に追いやられる。

緊張した面持ちで周囲を見渡した。


 暗闇に染められた窓の下、キッチンの蛇口から、ポタンっ――とタイル張りの流しに水滴が落ちる。


「――――っ」


 壁に添えられた食器棚。

 キッチンの収納。

 勝手口の土間。

 冷蔵庫の周囲。


 とりあえず見回してみるがなにもいない。自分でもいったい何を探しているのかわからないが、とにかく気になった所、明かりがとどかない暗がりをじっと注意深く覗き込んだ。

 何もないことを確認すると、広海はほっと胸を撫で下ろした。


 ――カリカリ


「――――」音がした。


(なんの音?)


(どこから?)


 広海は耳に伝わる音に引き寄せられるように、ある場所に視線を釘付けにした。

勝手口の扉。

 その先からカリカリと音がする。


「……誰?」


 広海は誰にともなく口にした。

 その問いに対するものなのか、カリカリとまた音がした。

 その音は確かに勝手口の扉の向こうから聞こえてくる。


(何かいる? 何が?)


 広海は一歩、勝手口に近づいた。

 音が妙に頭の中に響いている。他の音は聞こえない。

 屋敷は暗闇の中、静まりかえっている。ただ一つの音を除いて。


 また一歩、勝手口に近づく。視線が、意識が、その先にいる何かを想像して、全身に怖気が走る。勝手口のドアノブに伸ばした手が小刻みに震える。


 いわゆる訳あり物件。老人の言葉が脳内に浮かんでくる。


 ――カリカリカリ


 震える手が、ひんやりと冷めたいドアノブをつかんだ。


「……誰か、いるの?」


 震える声は、扉の先に吸い込まれる。

 ドアノブを回す。

 なんの抵抗もなくゆっくりと外側に開かれ台所の明かりが、外の暗闇を退けていく。


 ――ヒュッと何かが現われた。


「――――っ!」


 ナアアぁぁぁぁぁぁ。


 金色の瞳がこちらを見ている。神社の狛犬のような立ち姿。

 ただ、かなりこぶりなその姿は、


「……猫、ちゃん?」


 一気に全身の力が抜け、その場に崩れ落ちた。

 お化けの正体見たりである。


「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 ナあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ


「……なにか食べる? といっても、ろくなものないけど」


 広海は子猫に話しかけ、シーチキンを小皿に載せふるまった。子猫はお皿をぺろぺろと舐め、平らげると、もう用はないといった風に暗闇の中に飛び込み溶け込んでいった。

 なんとも人騒がせな、ちっちゃなお化けである。


「よいしょっと」座敷の電気を消す。


 広海は布団に入り込み、その柔らかな感触に心を落ち着かせていく。いわくつきの家。家というよりは屋敷というにふさわしい広さ。今日はとにかく疲れた。

 結局あの後、屋敷の中を一回りしたが、特に何もいなかった。たぶん、あの子猫が裏に立てかけられた木材か何かを倒したのだろう。


 古い屋敷だから小動物が入り込みそうな隙間が至る所にあるのだろう。たぶんそのどれかから侵入した小動物を暗闇の中で見た住人がお化けと勘違いしたのだ。

 そう結論づけると、安心した。


 安心するとともに、現実問題が頭にちらつく。


「とにかく、仕事を探さないと」


 家賃は一万円なのだ。食費、光熱費も節約すれば生活費は三万円以内に抑えられる。あとは掛け持ちで働けば、二年以内には借金を返済できるはずだ。

 広海はふつふつと希望が湧いてくる。


「……それに」


 この家の庭に一目惚れした。


 庭をもっと自分好みにきれいにして、テーブルとイスを置こう。

 そこでティータイムとしゃれこむのだ。ガーデニングもしたい。色んな花を育てて私の秘密の庭園にするのだ。わくわくしてきた。


 それから、資格を取ろう。ガーデンニング関係などがいい。そして社会復帰して、お母さんに立派に都会でやっている姿を……。

 少しずつ意識がまどろみへと吸い込まれていく。

 家はとても静かで、庭のほうから風にゆられる草花の眠り歌が流れ込んでくる。その歌に身を委ねながら、心地よい睡魔が下りてくるのを感じた。

 

 ふと疑問が浮かんだ。

 

 そういえば、不動産屋の老人は結局、何が出るのか教えてくれなかった。自分は知らないとは言っていたが、本当だろうか? 前の住人から話を聞くぐらいはできるだろう。いや、仮に物件を扱う者であれば、それぐらいはして当然なのではないか? 見たものの内容ぐらいは知っているはずだ。それを知らないと言いはるのは、なぜだろう? 

 よほど、他言したくないことなのだろうか? 

 それとも、本当に知らない? 

 

 広海は考えるが、結局のところ答えはでない。考えるのを止めた。

 それに、あの老人が知っていようが、知っていまいが、もうこの屋敷に住んでしまったのだから、今更あまり意味はない。

 

 虫の音が小さく響く。

 音に混じるように、パキっと。何かが折れる音。

 弾ける音だろうか? それが聞こえた。

 なんだろう? いや、私は知っている。

 家鳴りだ。これは家鳴りだ。古家には多いのだ。

 実を言えば私の実家もよく家鳴りがしたものだ。

 

 この屋敷とまではいかないが、古い家で、とにかくオンボロだった。

 近所の子供達にはお化け屋敷といわれ馬鹿にされていた。小さい頃、夜になるとこの音が聞こえた。私はお化けが柱を叩いているのだと大騒ぎをして、泣いたことがあった。

そんなとき、母が私を抱き寄せ、「大丈夫。大丈夫」と優しく背中を撫でてくれた。


「ひろちゃんはお化けみたことある?」私は脅えた顔で「見たことない」と訴えた。


「お母さんは見たことあるわよ?」「ほんと?」「ええ、ほんと」「どんな顔してるの?」「近所のシロみたいな顔してた」「シロ? シロって、近所のおばちゃん家の?」「そう」母はいたずらっ子のように笑った。「うそだぁ」。


 シロとは近所の花森というおばあちゃんが飼っていた柴犬のことだった。幼いながら、さすがの私も母が嘘をついていることがわかった。でも母親は「ほんとよ?」と笑っていうのだ。「シロが鳴いているのよ?」私は母の笑顔を思いだすと自然と恐怖が和らいでいくのを感じた。その家鳴りもいつのまにか怖くなくなっていた。


 それからパキっと音がすると「あ、シロが鳴いた」「また鳴いた」と二人で布団の中で笑いあっていたことを思いだした。


 パキッと音がする。

 広海は「シロが鳴いた」と呟いた。

 もしかしたら、この音をお化けかなにかと勘違いしたのかもしれない。テレビとかでよくラップ音とか煽り、それを幽霊がでた証拠だと無理くりこじつけているあれだ。

 

 なんだかおかしくなってきた。本当にそんな理由だったら、バカバカしい。

 不動産屋の老人もきっとそんなところだろうと思っているのかもしれない。

 だから知らないと答えたのだ。きっとくだらないと思っているのだろう。

 でも、そう勘違いしてしまう心境も分からなくはない。こんな古屋敷に家鳴りが響けば、そう思ってもしかたのないことだ。


 でもそのおかげで、この家を一万円で借りることができた。

 広海は「神様はいるもんだ」と感謝の言葉をぽつりと零し、寝返りをうった。

 視界の暗闇が身じろぎした。


 ――?


 暗闇のなかで何かが動いたような気がした。

 寝ぼけ眼に、うっすらと輪郭が浮かぶ。

 ボンヤリがくっきりと線をつくっていく。

 それはサッカーボールほどの大きさで、布のようなものが掛かっているようだ。


――そんなものあったけ?


 夢か現かわからず、なんとなしにそれを眺めていた。

 次第に暗闇に目が慣れていくと、徐々にそれがなんなのか分かった。

 布のようなものは、ぬらりと垂れ下がる黒髪。

 サッカーボールのような大きさのものは女の顔だった。

 

 瞼が開き、こちらを見ている。それは暗闇よりも真っ暗な穴蔵のような黒い目。女の口が耳元まで裂け、笑った。


「――――ッ」

 

 眠気は一気に消え去り、意識が乱暴に引き戻される。

 布団から飛び起きた。


「―――――――――――」


 目は一点に集中される。しかし――、


「―――――――――え?」


 視線の先には畳があるばかりで、何もなかった。

 もちろん、女の顔などそこにはない。いや、そもそもそんなものあるはずないのだ。座敷を見渡した。六畳一間の部屋。荷物は持っていた旅行ケース一つだ。


 この部屋にはほとんど物はなかった。なので、そんなモノが転がっているならば、すぐに気づくはず。見逃すわけない。だったら……。


「……ゆ、夢?」


 そうとしか、思えない。

 それでも頭にはある言葉が、チラつく。


 いわゆる訳あり物件と言うやつです

 

 鐘の音のように、ぐわんぐわんと脳内に反響した。


「夢よ、きっと……」


 春の風がガラス戸をガタガタと叩く音がとてもうるさかった。

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